自称富士大石寺顕正会会長浅井昭衛の
「重ねての対決申し入れ書」の悪義を破折す





三、対決回避≠ニの浅井昭衛の愚迷を破す


対決要求は血脈否定の謀略


 次に貴殿の再悪書≠ナは、御法主日顕上人猊下が貴殿の対決申し入れ≠ノ応じられぬことについて、
 もし身延派や念仏宗等が貴殿に対決を申し入れてきたら、「謗法の徒だから応じられぬ」というつもりか≠ニ呆れた開き直りの悪態をついている。どうやら貴殿は自身を謗法の徒と自認しているらしい。しかし、俺は謗法者だ、俺を破折して見ろなどと開き直る傲慢な謗法者は、しばらく紅蓮地獄にでも落ちて頭を冷やすがよかろう。「法門と申すは心に入れぬ人にはいはぬ事にて候ぞ」の故である。
 また貴殿は身延派≠竍念仏宗≠ネどを挙げて、これらの宗派が問答をしかけてきたら応じないのかと邪難する。
 まさに貴殿は「大謗法の痴れ者」である。貴殿も承知していようが、戦前戦後にかけて、本宗の僧俗と他宗の僧俗とが法論を行った例は枚挙に暇がない。ゆえに今後も、法論が行われることは有り得よう。
 だが法論とは、あくまでも本宗の弘教のために行われるものである。しかるに貴殿が、烏合の衆たる顕正会解散≠ニ、御開扉の中止御退座≠ニいう仏法の大事にまで容喙する要求とを同列に並べて対決せよと喚くことなどが、正統な法論に該当するものでないことは勿論、また仏法上、言語道断の非道なものであることが貴殿にはわからないのか。謗法の一在家団体に過ぎない顕正会、しかも本尊も教義も名称までも日蓮正宗の仏法を「猿マネ」している集団が、宗開両祖以来七百年の血脈法水を承継する日蓮正宗と対等なりと思い上がることは愚の骨頂といわねばならない。そのような輩が、血脈相承否定の罵詈雑言の場へ御法主上人を引きずり込み、対決すると称するなどは、日蓮正宗の尊厳を貶めんとする大悪謗法の謀略に過ぎない。
 かかる貴殿の非道極まる申し入れ≠ネどに対し、責任あるお立場の御法主上人がお受け遊ばされることなど、絶対に有り得る筈のない道理であり、また本宗僧俗もそのような馬鹿げた申し出をお受けされることには絶対に反対申し上げる。さらにまた本宗僧俗の誰人にせよ、そのような非道な申し入れ≠、御法主上人に代って責任をもって受けることなど出来よう筈もない。まさに「狂人」を相手に「不狂人」が走ることなどはあり得ないのである。
 貴殿は、そのあり得よう筈がないことを見越して、顕正会員向けに対決申し入れ≠ネどとのパフォーマンスを演じているに過ぎない。何と貴殿は卑劣極まる奸物であることか。


御開扉中止などの要求は欺瞞の誑言


 また貴殿は、ここで「国立戒壇」につき、御本仏一期の御遺命が広宣流布の暁に国家意志の表明を以て建立される「国立戒壇」であることは、三大秘法抄の金文に赫々、歴代上人の遺文に明々である≠ニ相変わらずの誑言を吐く。しかるにこの三大秘法抄の御文をもって「国立戒壇」の依拠とするなどは、まったくの己義我見の誑惑である。
 ここで一言すれば、先々に述べたごとく、事相たる広宣流布においては、その時代時代に応じて、御当代の御法主上人が御仏意を拝され決定されるのである。ましてその究極の広宣流布達成の暁においては、その時代における御法主上人猊下が御仏意の上から、戒壇建立を御指南遊ばされることは当然である。それを未だ広宣流布達成のはるか以前に、驕慢の凡夫の分際で、かつ謗法の一在家に過ぎぬ貴殿が、「国立戒壇」でなければならぬなどと、仏法の大事に口をさし挿むこと自体がおこがましい限りである。
 次に貴殿は、濫りの御開扉は必ず大御本尊への危害を招く。これを防ぎ奉ることは刻下の急務である≠ネどと、いかにも護法の篤信者を装って筋違いな莠言を吐き、直ちに濫りの御開扉を中止し、近き広布のその日まで、日興上人の御心のまま、もっぱら秘蔵厳護し奉るべきである≠ネどと述べるが、貴殿の言う近き広布のその日≠ニは一体何時のことか。口からでまかせを言うものではない。なぜなら、広布とは貴殿ら顕正会や創価学会とは関係ないからである。御法主上人猊下の御指南のもとに、日蓮正宗僧俗によってのみ実現されるのである。
 貴殿の言うごとき、広宣流布の暁まで、御開扉を中止せよなどということが、日興上人の御心≠ナある訳がない。それは日興上人のお心を承継遊ばされた御歴代上人、就中、日寛上人が法華講信徒に登山参詣を勧められた御指南からも明らかなのである。また先にも述べたが、本門戒壇の大御本尊様は日興上人以来、血脈付法の御歴代上人が身に宛てて承継遊ばされ、御開扉遊ばされているのであり、その御法主上人の権能に踏み込み、御開扉中止≠ネどという貴殿の言こそ、身の程を弁えぬ不遜この上ない言辞なのである。
 要するに貴殿は、講中が解散処分となり、御戒壇様の御開扉が叶わないことを顕正会員に納得せしめるために、御開扉は近き″L宣流布の時まで受ける必要はない、その日≠待て、とのたばかり≠フ言を吐いているに過ぎないのだ。まさに無慈悲無道心の大うつけ者である。
 勿論、御戒壇様の尊極無比にましまされることは、貴殿に言われずとも、日蓮正宗僧俗はよく承知している。ゆえに奉安堂は最高クラスの堅牢さ、耐震性をもって建設されており、また御開扉の際の警備態勢も万全が期されているのである。貴殿の御開扉を中止せよ≠ネどの言は、衆生済度の慈悲を忘れた単なる売名の愚論と断ずる。
 また貴殿は「法華講三十万総登山」を取り上げ、戒壇の大御本尊を利用し奉っての「御開扉料稼ぎ」≠ネどと悪口する。まさにこの言こそ、日蓮正宗法華講の大発展を妬む創価学会と同質の欺瞞の誑言である。日蓮正宗法華講員は、本門戒壇の大御本尊にお目通りさせて頂けることに勇躍歓喜して登山しているのである。御開扉料稼ぎ≠ネどと、馬鹿なことを言うものではない。創価学会の悪口の二番煎じが恥ずかしくはないのか。
 また貴殿は汝の「河辺メモ」の謗言によって、どれほどの魑魅魍魎が勢いづき、大御本尊に対し奉り軽賎憎嫉の悪言を谺させていることか≠ニ御法主上人を毀呰する。しかし日蓮正宗僧俗の中には、創価新報や貴殿の顕正新聞における「河辺メモ」などの誹謗報道によって、御戒壇様や御法主日顕上人猊下を疑うものなど皆無である。むしろ、「河辺メモ」の内容を本当と思っているのは、池田大作と創価学会の尻馬に乗って、宗門を誹謗する貴殿と顕正会員ぐらいのものである。これらのことから、貴殿が今や創価学会の「猿マネ」まで始めたことは明らかである。またそれより何より貴殿が大御本尊に爆発物≠ネどの口にすることすら憚られる暴言を吐くこと自体、大不敬の所業であると知れ。
 以上、貴殿の再悪書≠フ邪論を破折した。
 なお、日蓮正宗は今日、謗法厳誡の祖訓に則り、御法主上人の御指南の下、僧俗一致して広宣流布達成、御遺命の戒壇建立へ向け大前進している。
 今回貴殿の邪説に対して、二度にわたって破折を加えてきたが、それで充分意を尽くしていると判断する。よって今後、本宗とは無関係の謗法者である貴殿の過去に囚われた愚論・迷論に一々取り合う必要はないことを念記しておく。
                                                      以  上

 平成十七年五月四日

                                        日蓮正宗青年僧侶邪義破折班

 自称富士大石寺顕正会会長
           浅井昭衛殿


ホーム    目  次