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    血脈否定は創価学会の先駆け
      ミイラ取りがミイラとなった大謗法
                    一正 信 会一


  自称正信会の発端

 自称正信会問題の発端は創価学会の謗法にあった。いわゆる「五十二年路線」である。
 五十二年路線は、池田大作が、
「私が展開した昭和五十二年の一連の指導に、発端の因があったことは事実であります」(昭和五十五年四月二日付聖教新聞)
と、創価学会会長を引責辞任した理由について後に自ら語っていることからも明らかなように、大作に一切の責任がある。
 時の御法主・日達上人は、それまで五十二年路線を厳しく指弾されたが、大作の反省懺悔を信用し、二度と過ちを繰り返さないことを期待されて、問題を収めようとされたのであった。
 自称正信会は、この終局に不服だったのである。


  自称正信会は日達上人に反逆

 日達上人は、一連の経過を踏まえ、池田大作が会長を辞任した直後の本部総会に御下向され、
「これまでの経緯は水に流して、大同団結して宗門の発展ひいては広宣流布に協力していただきたい」(昭和五十四年五月四日付聖教新聞)
と御指南、ここに五十二年路線は完全に収束した。しかし自称正信会はこれに反抗し続けた。
 自らの大義名分を「日達上人の御指南」としながら、その後の制止に率先して反逆した姿は、師敵対の大謗法である。
 まさに彼らは天に唾する、卑怯な愚か者どもである。


  血脈否定の大罪

 その後、御登座された御法主日顕上人猊下は、日達上人の敷かれた方針を踏襲されたが、日顕上人は創価学会に対しても、
「過去において正宗の化儀化法から逸脱していた部分を明確にし、またそのような指導を行なったことについて卒直に反省懺悔し、再び過ちを繰り返さぬことを誓う姿勢を忘れてはならない」(宗務院通達第一八号)
と厳しく御指南された。
 しかるに自称正信会は、日達上人ならびに日顕上人猊下の慰撫教導を正解せずに過剰な創価学会攻撃を続け、その結果、懲戒処分に付された。さらに、この処分の無効を訴訟で争うために、浅ましくも日顕上人猊下の血脈を否定するに及んだ。
 自らの保身のためだけに、血脈否定の大罪まで犯すとは、なんとも見下げた者どもである。


  ミイラ取りがミイラになる

 振り返れば、今や大作は当時の反省懺悔を全く反故にし、日達上人、日顕上人猊下の御期待を裏切ったことは明らかである。しかし、創価学会の謗法を指弾するうち、自ら、より以上の大謗法に手を染め、あろうことか日顕上人を「詐称」呼ばわりするとは、言語道断である。
 俗諺でも「ミイラ取りがミイラになる」と言うが、まさにその典型と言うべきであろう。


  今さら法論など笑止

 昨年、我らの大前進に妬みを感じ、この「ミイラ集団」、恐れ多くも御法主日顕上人猊下に法論を申し込んだ。しかし、たとえ法論しようと、その内容は既に邪義破折班の御僧侶に破折され尽くしていることばかりであるから意味がない。
 それほど法論したければ、そもそもの活動の発端である創価学会としたらどうか。もっとも「ミイラ集団」も創価学会も、今や共に同じ穴で同じ臭気を放つ狢であるから、所詮、邪論と邪論の化かし合い、さぞや大謗法の自慢合戦となるであろう。


  彼らも折伏の対象

 そもそも「ミイラ集団」には創価学会攻撃以外に目的がない。しかし、今や創価学会は破門され、我ら日蓮正宗が率先してその大謗法を呵責しているのだから、もはや「ミイラ集団」には存在価値もない。あるのは、大作らと同じく、宗門僧俗の折伏の対象というだけである。
 広布大前進のために、これら烏合の大謗法の者どもを十羽一絡げにして、我らはいよいよ折伏行に邁進しようではないか。

大白法637(h16.1.16)号より転載



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