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    「C作戦」にすがる大作
      嘘も百遍言えば本当になる!?
                     一創価学会一


  正邪の峻別が厳然の十三年

 今般の創価学会問題の発端となった池田大作スピーチ(平成二年十一月十六日)から早くも十三年。
 この間、宗門は地涌六万大総会、十万総登山、そして宗旨建立七百五十年の三十万総登山と、未来広布に向かって磐石な礎を築きつつ、着実に前進してきた。この目ざましい大発展の姿は、客観的に見てだれも否定することはできない。
 今や日本全国、津々浦々に法華講支部が結成され、各支部ともに、指導教師のもと、講中一丸となって御命題達成に向かって邁進し、僧俗和合・異体同心して精進している。
 また海外に在っても、多くの国々で僧侶が常駐し、日本と同じく前進している。
 ひるがえって創価学会はどうか。
 この十三年間、狂ったように宗門誹謗を続け、宗門の大前進を妨害することだけに腐心している。
 謗法の末路とはいえ、この厳然たる違いに、改めて正邪の峻別を垣間見る思いがする。


  破門は宗門が清浄である証

 この間、大作らは宗門が「腐敗堕落」したと繰り返し、その原因は「嫉妬」だとうそぶく。
 笑わせるな、大作!
 宗門人のだれ一人として、大作を羨ましいとは思っていないのに、嫉妬などするはずがないではないか。むしろ大作が率いる創価学会員の堕地獄の罪障を哀れんでいるのだ。
 また、本当に宗門が「腐敗堕落」していたというなら、どうして巨大スポンサーである創価学会と袂を分かつ必要があろう。五十二年路線に引き続き、性懲りもなく謗法を重ねる大作らを放置していたなら、それこそが「腐敗堕落」なのである。
 よって、第一に謗法与同となるため、第二に清浄な富士の清流を守るために、宗門は断固として創価学会を破門した。「腐敗堕落」していないからこそ、厳然と謗法を呵責したのである。
 冷静に考えれば、だれにでも判るこんな道理にすら気づかない愚か者を、だれが羨ましく思うというのか。
 むしろ「腐敗堕落」と責めるならば、それは創価学会の巨万の富に目が眩み、謗法を諌めることのできない売僧(離脱僧)にこそ向けるべきであろう。
 創価学会破門こそ、宗門が清浄な証であり、その威風堂々たる対応とその後の大前進に、大作らこそ嫉妬しているのだ。


  「C作戦」にすがる大作

 大作は被害者意識丸出しで宗門批判を繰り返すが、そのいずれもが事実無根の事柄であり、支離滅裂な代物ばかりである。なかでも「C作戦」なる「物語」は、謀略集団ならではの発想と脱帽する。
 「C作戦」とは、
「広宣流布を阻む陰謀であり、謀略」(平成十五年十一月二十八日付聖教新聞)
なのだそうだ。
 しかし、そんな「陰謀」など元より無いことは、宗門が何度も指摘しているとおりである。
 さらに、大作らが大好きな「司法」の場でも、この「C作戦」なるものは、
「いずれも一方的な陳述の類であり、その内容も客観的根拠に乏しく、また、これらを補強し得る的確な証拠もない」(長野地裁松本支部・平成十一年四月二十一日判決)
と、何の根拠も証拠もないと否定されている。
 こんな根も葉もないことに必死にすがらないと、大作らの正当性を見いだすことは困難なようである。


  嘘はどこまでいっても嘘

 こんな虚言を十三年もの間、言い続けるとは、どうやら「嘘も百遍言えば本当になる」と大作が思い込んでいるのは、本当らしい。
 しかし、大作よ、嘘はどこまでいっても嘘である。
 死して閻魔法王に、その嘘を重ねた舌を引き抜かれる苦しみを、今から覚悟せよ!

大白法638(h16.2.1)号より転載



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