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  「顕正寺は御法主上人に御供養申し上げる」
           困り果てた浅井のとった対策とは
                      一顕 正 会一


 平成十年四月、正本堂に厳護されていた本門戒壇の大御本尊は、奉安殿へ御遷座された。
 この出来事に、一喜一憂した男がいた。顕正会会長・浅井昭衛である。


  目的を失った顕正会

 浅井は、かねてから大御本尊が正本堂から御遷座されることをもって「御遺命守護の完結」と叫び、顕正会の年来の大目的としてきた。
 それが浅井にしてみれば、何の前触れもなく、大御本尊が御遷座されてしまった。慌てふためいた浅井は、この出来事を「還御」と称し、顕正会の戦いによって大御本尊を守護できたとすまし、「御遺命守護完結奉告式」なる式典を開いている。
 ここにおいて、まさかの御遷座の出来事によって、組織の存在の意義を失うこと(解散)を恐れた浅井は、会員に顕正会が新しい時代に入ったなどと言って、適当にごまかしている。
 このことからも、大御本尊が正本堂から御遷座されないことを一番願っていたのが、実は浅井だったと言える。
 なぜなら、正本堂からの御遷座など永遠にありえない事態と思えばこそ、組織を永続させるための生命線にしてきたのである。いわば一級品の誹謗ネタだ。解散の意思など、初めからあるわけがない。
 故に、大御本尊御遷座を聞きつけた浅井は、表面上は感涙すれども、その心中たるや、けっして穏やかでなかったに違いない。ましてや、浅井による宗門への諌暁(?)によっての御遷座でもなく、さぞやカッコもつかなかったことであろう。
 もはや、本来の目的を失った浅井よ。顕正会を即刻解散させるのが筋ではないのか!


  顕正寺はどうなった?

 さて、浅井には、大御本尊御遷座に伴う組織の解散とともに、果たすべき事柄がまだある。
 顕正会には独自で建てた「顕正寺」という、寺まがいのものがある。昭和五十三年三月に行われた同寺の落慶式で浅井は、
「このお寺は誰のものでもない。(中略)御遺命守護完結のその日には、この顕正寺は時の御法主上人猊下に御供養申し上げる」(顕正新聞 昭和五十三年三月十五日号)
と、実直さを装い、顕正寺の寺院規則をペラペラ喋っている。
 爾来二十年、大御本尊は御遷座され、「御遺命守護」なるものも完結されたはずだが、浅井は顕正寺の件には何も言及せず、頬被りを決め込んでいた。


  実体無くし、会員欺く

 ところが浅井は、平成十四年になると、突然、顕正寺の老朽化と納骨堂の収容能力の限界を理由に、同寺の全面建て替えを「新顕正寺建設」と、ひとまず発表している。(顕正新聞 平成十四年五月十五日号・取意)
 しかし、それから一年後の五月には、驚くことに顕正寺を、何食わぬ顔で「冨士大石寺顕正会・典礼院」という、納骨専門の会館に全面的に建て替え、寺自体を完全に消滅させたのである。これが浅井の手口である。
「これが、広宣流布に戦う唯一の仏弟子の集団・顕正会に相応しい、時に適った姿」(顕正新聞 平成十五年五月二十五日号)
 寺を壊した浅井の言い訳だ。
 顕正寺の実体を無くすことにより、自らの約束事も忘却の彼方へと追いやる浅井。会員を欺く姿は詐欺師も顔負けである。


  浅井のドス黒い三つの魂胆

 浅井の納骨堂建設のカラクリは穢れている。一には、顕正寺落慶式での発言を反故にしたことを会員にばれないよう美化し、うやむやにするため。二には、在家教団として不都合な寺院を廃棄処分できるチャンスのため。
 三には、組織運営に必要な財源作り。生前から予約できるこのロッカー式の使用料は、一体用が二十万円、二体用が三十五万円らしい。会員は全員入れ、と言わんばかりの浅井の納骨ロッカー勧誘は、ハゲタカが貪りつくかのようだ。
 顕正会員達よ、顕正寺を消滅させた浅井昭衛に騙されるな!

大白法639(h16.2.16)号より転載



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