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      『折伏教本』への
     低能な言い掛かりを叱る ―創価学会―



 『創価学会員への折伏教本』が発刊され、学会幹部達は、早速、愚にもつかぬ悪口に躍起になっている。
 以下、『折伏教本』に倣い、「会員に『折伏教本』を読ませたくない学会幹部に」と題し、その正法流布の遮断行為を砕いておきたい。

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     『折伏教本』は、『折伏教典』の猿まねではないか
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 創価学会は、昭和二十六年、第二代戸田会長の時代に邪義破折のため、『折伏教典』を発刊しました。
 ところが、現在の池田学会は、世間に迎合するため、「折伏」の語を「仏法対話」と変えるなど、いつの間にか『折伏教典』を無きものにしています。
 池田大作は、戸田氏を「恩師」と呼ぶ一方で、戸田氏の言う、「日蓮正宗の教義を東洋全体に知らしめん」(折伏教典一・)との心を平気で踏みにじっているのです。かつての『折伏教典』の存在を抹殺した学会は、今度は自分達が『折伏教本』によって、折伏される邪義集団となっていることに早く気が付くべきです。
 あなたが「猿まね」と歪んだ心で見るのは、あなた自身、『折伏教本』に『折伏教典』の在りし姿を彷彿とさせるものを感じており、それは宗門外護の立場で「邪宗撲滅」と謳って闘っていた、僧俗和合の良き時代を思い出すことが恐いからでしょう。それは「猿まね」と言っても、内心「宗門に帰りたい」「これでいいのか今の学会」と思ってしまう自分の心のぐらつきを、必死に打ち消そうとする言葉にしか聞こえないのです。
 素直な心で『折伏教本』を開いてみませんか。

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      学会員は、学会の実態をよく知っているが故に、
      だれも組織に疑問など感じていない

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 『折伏教本』各論第四章は、「創価学会に疑問を感じている学会員に」と題して、十七項目の設問を挙げています。
 なかでも現在の学会員が、大作の「行状・スピーチ」「称号・勲章集め」、また組織の「選挙」「財務」などの在り方に疑問を感じていることは、脱会者の証言からもうかがえます。
 では、疑問を持ちながら、なぜ脱会しないのか、と言えば、各論第五章に「創価学会の間違いに気づいていながら脱会できない学会員に」と題して、その理由を十二項目、挙げていますのでお読みください。とりわけ、「組織ぐるみの仕返しが恐いから脱会できない」との思いは、会員同士間が密かに持っており、組織の批判も許されない状態ではありませんか。
 このような現状でも、「だれも組織に疑問を感じる人はいない」と言うあなたは、学会員の真の実態と心底を知らない無能な幹部と言えます。

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      『折伏教本』は何の役にも立たない本である
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 過日、法華講員が電車の中で『折伏教本』を熟読中、上からのぞき込む男性がいました。その面識のない男は、いきなり「学会を批判する本を読む者は降りろ」などと大声で罵倒し、車内は一時騒然となったそうです。しかし、その光景を見かねた周囲の乗客が、「学会の批判本を読まれて嫌がるのは、あなたが学会員だからだろう」「あなたこそ降りなさい」等と、男は自らの非常識ぶりを一般客からも指摘されました。さらに他の乗客が、すぐさま鉄道公安局に連絡し、迷惑なその男は連行されていきました。
 このように学会員には、「学会こそ正義の集団」「批判者は悪」という独善的体質があります。この体質を生む張本人は、まさに池田大作であり、会員の心が荒廃し、人格も破壊されていくのは当然と言えます。
 『折伏教本』が「何の役にも立たない」書であれば、先の男性も迷惑行為を犯さずにすんだはずです。まさに、この本が学会破折に大いに役立っていることを証明しているではありませんか。


大白法649(h16.7.16)号より転載



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