(85)


      本尊を簡んで信行を励むべし
               ―創価学会

      開眼なしの『ニセ本尊』

 『立正安国論』正義顕揚七百五十年の佳節を迎えた。この時に当たり、破邪顕正の上から、改めて創価学会の『ニセ本尊』を破折し、日蓮大聖人の御本尊の正義を顕揚しておきたい。
 池田大作たちが日蓮正宗の信徒であった創価学会員を洗脳し、『ニセ本尊』を販売するようになって久しい。創価学会では「御本尊の開眼は必要なし」と言うが、世間でさえ、「仏つくって魂いれず」と言うように、姿・形は本尊であっても仏の魂が入っていなければ、それが本尊でないことは当たり前である。創価学会の言うことが間違っていることと、これを指導する池田大作がおかしいことは子供でも判ることだ。


       開眼の正義

 大聖人は『本尊問答抄』に、
 「木像画像の開眼供養は唯法華経にかぎるべし」(御書 一二七五n)
と、明らかに開眼供養の法門を説かれている。また、総本山第二十二世日俊上人は、
 「開眼と云うは、眼を開くと云う事なり。魂なければ眼は開くべからず、開かざれば益も無く用も無し」
と、本尊は開眼がなければ利益も用きもないと御指南されている。さらに、総本山第五十六世日応上人が、
 「金口血脈には、宗祖己心の秘妙を垂示し一切衆生成仏を所期する本尊の活眼たる極意の相伝あり」
と示されているように、本宗における御本尊の開眼は、御法主上人の唯授一人の「極意の相伝」によるのである。
 池田大作ごとき俗物に開眼など、できようはずもない。だから「御本尊の開眼は必要なし」などと言うのだ。


    池田大作の魔性が入った堕地獄本尊

 創価学会第二代会長の戸田城聖氏は、
 「ただ、大御本尊だけは、われわれは作るわけにはゆかない。日蓮大聖人様のお悟り、唯授一人、代々の法主猊下以外にはどうしようもない。だから、仏立宗や身延のヤツラが書いた本尊なんていうものはね、ぜんぜん力がない。ニセですから、力がぜんぜんない。むしろ、魔性が入っている。魔性の力が入っている。だからコワイ」(大白蓮華 昭和三四年七月号九n)
と述べている。池田大作は戸田会長の指導に背き、「われわれは作るわけにはゆかない」ところの『ニセ本尊』を作ったのだ。もはや「仏立宗や身延のヤツラ」と何ら変わりはない。要するに『ニセ本尊』とは邪教の教祖と化した池田大作が、自分勝手に偽造した「堕地獄本尊」なのである。


    正境に縁すべし

 日寛上人は『文底秘沈抄』に、
 「夫れ本尊とは所縁の境なり、境能く智を発し、智亦行を導く。故に境若し正しからざる則んば智行も亦随って正しからず。妙楽大師の謂えること有り『仮使発心真実ならざる者も正境に縁すれば功徳猶多し、若し正境に非ざれば縦い偽妄無けれども亦種と成らず』等云云。故に須く本尊を簡んで以て信行を励むべし」(六巻抄 四二n)
と示されている。これは、御本尊とは信仰の善縁・対境であるから、御本尊が正しければ、たとえ発心が純粋でなくても功徳はなお多い。しかし、もし本尊が正しくなければ、いかに純粋に信仰に励もうとも、それは成仏の種とはならない、ということである。
 「正境」とは本門戒壇の大御本尊であり、血脈付法の御法主上人が御書写あそばされた、本宗の寺院や信徒の家庭に安置される御本尊である。本年、本宗僧俗は挙って総本山に参詣し、大郷本尊に御報恩申し上げて、大功徳を積むことができる。
 これに対し、創価学会の『ニセ本尊』は、まさにこの日寛上人の破折に当たる「堕地獄本尊」なのだ。潔く簡び捨てて、悪縁を断ち切るべきである。

大白法761(h21.03.16)号より転載



ホーム   目 次   前 頁   次 頁