(101)


    創価学会の言う「御書根本」
    は大誑惑の偽言だ!
          ―創価学会

 本年一月二十日付の創価新報(第八面)では、
 「創価学会は、創立以来八十年、日蓮大聖人直結、御書根本で広宣流布の闘争を貫いてきた」
として、末端の会員を煽っている。
 唯授一人の血脈を無視した「日蓮大聖人直結」の思想が大謗法であることは、既に本欄でもたびたび指摘している。
 今回は、創価学会が主張する「御書根本」の誑惑について破折しておきたい。
 もちろん、本宗においては、第二祖日興上人が『日興遺誡置文』に、
 「当門流に於ては御抄を心肝に染め」(御書 一八八四n)
と御教示のように、御本仏日蓮大聖人が著された御書を心肝に染めることが大事であり、御書が宗義の根幹たる最重要書であることは論を俟たない。
 しかし、日興上人は、先の御指南に続いて、
 「極理を師伝」(同n)
することが重要であるとも示されている。つまり「御抄を心肝に染め」ると同時に、「極理を師伝」することが必要不可欠であると御指南されているのである。
 御本仏の御教示は深遠・難解であるから、「極理を師伝」する唯授一人血脈の御指南に基づかなければ、凡夫の浅智慧などでは正解を得ることはできない。
 また、日興上人の『佐渡国法華講衆御返事』には、
 「この法門は、師弟子を正して仏に成り候。師弟子だにも違い候へば、同じ法華を持ちまいらせて候へども、無間地獄に堕ち候なり」(歴代法主全書)
と示されている。
 つまり、師・弟子の筋目を正して信行に励むところに初めて妙法即身成仏の本懐を得ることができ、反対に、師・弟子の筋目に背いて、いかに法華経を持ち、御書を根本にすると言っても、師敵対の大謗法罪により、必ず無間地獄に堕ちるのである。
 実は、創価学会の誑惑とは、この大聖人、日興上人以来の唯授一人の血脈法水、つまり御当代法主上人の御指南を無視し、師・弟子の筋目に逆らって、自分勝手に御書を解釈し、己義・我見を唱えるところにある。
 それは、創価教、池田教を正当化するため、下種仏法を破壊せんとする、池田創価学会の狡猾な欺瞞であることを見破らなければならない。

    学会は、信行を混乱し、脱線した輩

 創価学会にとって大恩ある総本山第六十五世日淳上人は、次のように御指南である。
 「世間に於ては大聖人の御書のみを拝して、信仰を規律しやうと致しますが、勿論此れは釈尊を仏とし、大聖人は法華経を弘め給ふものとする結果ではありますが、それがためその信仰が混乱して無茶苦茶になるのであります。此の師弟の相対的の関係に於て、仏法を拝するといふのが仏法の極意であります(中略)大聖人の御教を正しく体得し給ふ日興上人が、門徒として如何になすべきかを御教示し給ふた此れ等の御文は大聖人の御相伝及御書と併せ拝してこそ門徒としての正しき信行が立つのであります。若し此のことを知らず御書にのみよりますると、信行は混乱して止まるところがなく脱線することになるのであります」(日淳上人全集 下―一一五三n)
 創価学会員よ、汝らの邪義を端的に示されているこの御指南を、眼を見開いて熱拝せよ!

    かつては池田大作も正論を吐いていた!

 かつて池田大作は、
 「日蓮大聖人の御書を拝するにあたっては、あくまでも御法主日顕上人猊下の御説法を中心として、よくよく拝していかなければならない。唱題し、布教に励み、さらに教学を学び、日蓮正宗の教義がいかにすばらしいものであるかを体得していただきたいのである」(広布と人生を語る 一巻一一八n)
と正論を述べていた。
 現今の言動とは正反対の言辞だ。大作の発言は、まさに自己矛盾であり、自家撞着の最たるものである。
 創価学会の矛盾・撞着を、徹底して破折していこうではないか。

大白法792(h22.07.01)号より転載



ホーム   目 次   前 頁   次 頁