創価学会は なぜ血脈相承を否定するのか!?


かつては血脈相承を全面拝信の 池田大作・創価学会
      慢謗法で破門されるや、突如、三宝破壊の血脈否定




 創価学会は、最近、創価新報などにおいて、盛んに「御相承」に関する誹謗を行っている。それも「憂宗護法同盟」と称する離脱僧らが最近発刊した『法主詐称』なる中傷本を利用する形を取り、自らはあたかも客観的な立場でこれを紹介するかのように装うという卑劣な手法を取っている。
 彼らの言うところは、御先師日達上人が御当代日顕上人に血脈相承をなさらないままに御遷化されたため、御当代日顕上人猊下は血脈を相承されていないとの妄言である。
 御法主日顕上人猊下が御相承をお受けあそばされて既に二十年以上も経過した現在において、何を今さら世迷い言を始めたかと、相手にすることさえ馬鹿々々しいが、これまでの経緯をご存じない読者のために、彼らの言っていることがいかに下らない戯言であり、誹謗のための誹謗にすぎないかを以下に解説してみたい。

←池田

昭和54年8月6日、御法主日顕上人猊下の御座替式に続いて、御盃の儀が行われた。池田大作らもこの席に列し、御法主上人猊下への「御奉公の赤誠」を誓ったのではないのか


自称「正信会」を師とする!?  創価学会


 そもそも御法主日顕上人猊下に対して、血脈相承がないなどとの言いがかりを最初にしたのは、自称正信会の僧侶らであり、今からもう二十年以上も前のことである。その意味では、ずいぶん使い古された難癖のつけ方であり、二番煎じもいいところである。
 正信会の僧侶らは日顕上人猊下が御登座された時には、師弟のちぎりを結ぶことを誓い、日顕上人猊下を第六十七世の御法主と奉っていたが、日顕上人猊下の御指南や訓戒にしたがわなかったため譴責・停権等の処分を受けると、これを不服として、突如、日顕上人猊下の血脈相承に異を唱え、法主を詐称しているなどと言い始めた。この当時、宗門と正信会の者らとの間において、いくつかの訴訟が起こったが、当時宗門側の弁護士として訴訟を担当した創価学会の弁護士らは、裁判所において次のように主張していた。
「日達上人の逝去当日に開かれた緊急重役会議において、日顕上人が日達上人から血脈相承を受けた旨が公表され、その後、日蓮正宗の伝統・慣習に則り、法主就任の諸儀式が約九か月間に及んで粛然と執り行なわれ、翌五五年四月の『御代替奉告法要』をもって一連の諸儀式は終了した。右公表がなされた以降、日顕上人は法主・管長としての職務を執り行ない、宗内僧俗全員も日顕上人を法主と仰ぎ、約一年半の間、これに異議を唱える者は、(正信会の僧侶らを含め)一人としていなかった。この間の状況に照らせば、日蓮正宗において日顕上人が血脈相承を受けた法主とされているという事実の存在は明白である」
ところが「日顕上人が法主に就任し約一年半を経過した後、(正信会の僧侶らは)日顕上人の法主の地位を否定する言動を開始した」
しかし、その数はごく僅かで全僧俗の一パーセントにも満たず、「大部分の僧侶および七五〇万余所帯の信者は、従前どおり日顕上人に信伏随従し(ている)」
「(正信会の僧侶らが)法主の地位を否定するに至った言動は、……法主の方針に不満を持つ者が反抗の手段として敢えて法主の地位を否定するに至ったにすぎない」(以上、いずれも白蓮院事件上告理由書より)
 念のために繰り返すが、これは宗門の創価学会に対する反論の文章ではない。これは創価学会の弁護士らがついこの前まで裁判所において作成し主張していた書面の内容である。この創価学会の弁護士とは、聖教新聞紙上などで血脈相承を否定し、悪口雑言の限りを尽くしている創価学会副会長である八尋頼雄、福島啓充、松村光晃といった大物幹部たちである。彼らは正信会を相手にしたいくつもの訴訟で、右と同じ主張を展開し、日顕上人猊下の法主の地位は「確然たる事実」であると強調していた。
 また右にいう「七五〇万余所帯の信者」とは創価学会の全会員を含むことは言うまでもない。創価学会も組織をあげて、日顕上人猊下を血脈相承を受けられた御法主として、信伏随従を誓っていたのである。
 その創価学会が日顕上人猊下が登座されて二十年以上も経過した今になって、突然、自語相違の所業を始めた。正信会の僧侶が御相承の誹謗を始めたのは約一年半後である。創価学会の場合は二十年以上も経ってから、御相承に難癖をつけ始めた。しかも、ほんの少し前までは、正信会に対抗して、日顕上人猊下が血脈を相承されたことは明白であると主張していた。正信会のことを、「法主の方針に不満を持つ者が反抗の手段として法主の地位を否定するに至ったにすぎない」と非難していた。ところが、その創価学会がここに至って、日顕上人猊下の御相承を誹謗し始めた。正信会の一年半どころか、二十年以上も経過してからの誹謗である。創価学会が日顕上人猊下を貶め自らの野望を達成するための「手段として法主の地位を否定する」ものであることは、正信会の場合よりも一層明らかである。しかも、それまで言っていたことの舌の根も乾かぬうちに自語相違の言動をなしている点では、正信会よりもはるかに悪質である。¥()


驚くばかりの二枚舌  池田大作


 しかし、もっと重大なことがある。そもそも創価学会に君臨する池田大作自身が、御法主日顕上人猊下の御相承に関して、どのように述べていたかである。池田大作は繰り返し次のように述べていた。
「宗祖日蓮大聖人より第二祖日興上人、第三祖日目上人と代々の御法主上人猊下が法水瀉瓶・血脈相承され、現在は、第六十七世日顕上人猊下に、いっさい受け継がれているのである」(『広布と人生を語る』第一巻一三一・)
「第六十七世御法主日顕上人猊下に、この絶対なる血脈は、厳然と承継されているのである。だれ人がいかなる非難をいたそうが、これは侵しがたき、明確なる事実なのである」(『広布と人生を語る』第二巻一二三・)
「その大聖人の仏法は、第二祖日興上人、第三祖日目上人、第四世日道上人、および御歴代辮l、そして現在は第六十七世御法主であられる日顕上人猊下まで、法灯連綿と血脈相承されている」(『広布と人生を語る』第三巻二四九・)
「法灯連綿と七百三十年のあいだ、厳護されてきた法水は、御当代御法主日顕上人猊下に受け継がれておられる。御法主上人の御説法を拝しながら正しく信行に邁進しゆくことが大切なのである」(『広布と人生を語る』第三巻二九七・)
 この他にも、池田大作は御当代日顕上人猊下を敬い、その御指南を拝しつつ、信行に励むべきことを随所で強調している。これがかつての創価学会の言行であった。それが二十年以上も経過してから、突然、手のひらを返したように、日顕上人猊下の血脈相承に言いがかりをつけ始めた。こんなものは単なる言いがかりであり、まともな根拠などあるはずもない。もっぱら御法主日顕上人猊下を貶めるため、自らの前言に反することにもお構いなく、臆面もなく、「法主詐称」などと言っているにすぎない。



最高裁判断を 会員洗脳に悪用


 ところで創価学会は、昨年最高裁判決のあった大経寺、常説寺、及び妙道寺の判決を挙げて、あたかも日顕上人猊下の血脈相承が裁判所でも否定されたかのような宣伝を行っているが、これもまた人心を誑かす以外の何ものでもない。
 最高裁は、血脈相承に関して判断することは司法権の限界を超えるものであって許されないから、判断できないとの姿勢を取っているだけである。つまり血脈相承の有無を判断しようとすれば、血脈相承の宗教的意義を明らかにした上で、それがあったかなかったかを審理、判断しなければならないが、そのためには日蓮正宗の教義、信仰の内容に立ち入って審理、判断することが必要となる。しかし、裁判所にはそのような宗教的事項を審理、判断する権限はないから、血脈相承の有無については判断できないとしたのである。その結果、右三カ寺に関する訴訟は、裁判所の権限を超えるものとして、却下された。却下という意味は訴訟の受け付け自体を拒否したということである。中味の判断は一切していない。右三カ寺に限らず、これまでも同種の事件で、最高裁は同様の判断を示し、訴訟自体を受け付けていない。しかし、血脈相承そのものに関して裁判所の判断権がおよばないとしたことは正しいとしても、訴訟自体を受け付けないとの結論には批判が強い。前出の創価学会の有力弁護士らも、これまではこの結論を批判する大論陣を張っていた。
 いずれにせよ、右三カ寺の判決は、血脈相承に関しては、宗教上の教義、信仰に深く関わるものであるので、裁判所としては判断できません、と言ったにすぎない。決して御法主日顕上人猊下の血脈相承を否定したものではない。むしろ、最高裁は、裁判所が判断できないほどに甚深の宗教的意義を有する事柄であることを認めて、判断を回避したのである。血脈相承とは、それほどに奥深いものであり、世俗の裁判所が立ち入ることなどできない聖域なのである。



池田創価学会崩壊の兆し


 それでは、創価学会がどうして今回のような根拠のない誹謗を二十年以上も経ってから始めたのだろうか。それには池田大作の総講頭資格喪失以来の学会の宗門攻撃の経過を見る必要がある。
 創価学会は、池田大作の総講頭資格喪失、創価学会破門、池田の信徒除名と続く中で、聖教新聞、創価新報などを使って、宗門に対するありとあらゆる低次元の悪口雑言を繰り返し、あるいは末寺住職らに対する手紙や電話での嫌がらせ、暴力行為、器物損壊等の事件も頻発した。また大石寺や末寺に対して、濫訴というべき訴訟を百件以上も全国各地で提起したり、墓埋法(墓地、埋葬等に関する法律)の形式的違反を口実に多数の刑事告発をするなどの嫌がらせ行為を行った。
 特に平成四年にはクロウの話として「シアトル事件」なるものが御法主上人猊下および宗門攻撃の最大の目玉として持ち出されてきた。ところが、この件は平成十四年一月の東京高裁における和解成立により、創価学会は以後「シアトル事件」については一切報道してはならない義務を課せられた。同時に学会に都合のよかった東京地裁の一審判決も無効にされてしまった。他方、宗門は「シアトル事件」を否定することは差し支えないとされた。こうして宗門の圧倒的な勝利的和解において、創価学会は御法主日顕上人猊下を攻撃する主要な武器を奪われてしまった。
 正本堂解体に言いがかりをつけて全国各地で起こした御供養金返還訴訟も、創価学会側の連戦連敗で、中には既に最高裁で学会側の敗訴が確定したものもある。
 こうした状況を打開し、御法主上人猊下に対する攻撃を再開するために、窮余の一策として無理やり持ち出してきたのが、今回の血脈相承に対する言いがかりである。こうして見てくれば、彼らの言いがかりは、まさにためにするものでしかないことが明らかである。こんなもので、宗門が微動だにするものではない。
 創価学会が、正信会との訴訟以来、一貫して血脈相承を積極的に肯定してきた自らの言動に頬かむりしてまで、血脈相承に難癖をつけてきた背景には、そうでもしないと組織が維持できなくなっているお家の事情があるに違いない。それが何であるかなど、宗門の知ったことではないが、そもそも、宗門としては、破門になり、信徒資格もない者たちから、とやかく言われる筋合いはない。彼らも、宗門とはとっくの昔に決別して、せいせいしていると言っていたのではなかったか(平成九年十月九日付聖教新聞における森田発言)。他人の悪口を言わないと自分の存在を維持できないような連中のストーカー的つきまとい行為が、創価学会による血脈相承否定の妄言、悪行なのである。



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