は じ め に

(松岡の悪書は背景を灰色、引用は水色にした)


はじめに──論争の経過≠破す

(松岡雄茂の邪書は網掛けにした)

 去る十一月下旬、自称青年僧侶改革同盟を名乗る松岡雄茂から、御法主日顕上人猊下、及び宗内教師に対して、「阿部日顕の教学に対する十の学術的批判」=i以下『邪書』とする)が送りつけられてきた。
 まず、はじめに──論争の経過≠ナ松岡は、本年一月頃、第一回目の松岡悪書「現代の大石寺門流における唯授一人相承の信仰上の意義」=i以下『唯授一人相承の信仰上の意義』とする)を送付したことについて、この送付の目的は宗門改革なので、当方の肩書や名前は「青年僧侶改革同盟松岡雄茂」とした≠ニ述べている。しかし、これこそ松岡の驕慢謗法そのものの言と言わねばならない。
 松岡雄茂は一旦は御法主日顕上人猊下の弟子にして戴きながら、所化の修行に耐えられず僧道を退き還俗した者である。そのような落伍者が、おこがましくもその立場をも弁えず、目的は宗門改革≠ネどという思い上がりも甚だしい邪誑の難を構え、御法主上人猊下を始め、宗門の全住職に送りつけてきたのである。しかもその内容は、まさに日蓮正宗の信仰の根幹たる血脈相承の意義を貶(おとし)めんとする邪義そのものであるから、我ら日蓮正宗青年僧侶邪義破折班が、『離脱僧松岡雄茂の 本宗の唯授一人血脈相承に対する邪誑の難を粉砕す』(以下『邪誑の難を粉砕す』とする)を宗務院監修のもとに発行し、去る本年六月七日、松岡に送付したのである。
 しかるに当項において松岡は、我らの破折に対し、論旨不明の非難中傷に終始している常軌を逸した法主信仰目に余る文献学的、論理的な誤謬宗義逸脱的で非学問的な書≠ニ誹謗した上で、去る七月三十日付けで、御法主上人猊下宛に不遜な質問状を送りつけたことをくどくどと弁解している。これは我らが松岡に対し、御法主上人猊下に質問状を送りつけ、回答を要求しておきながら、回答を要求した当事者である御法主上人猊下に何の断りもなく、同内容の書を宗内僧侶に送り付けたこと、回答に期限をつけ、しかも回答に応じない場合には、「回答不能の意思表示」≠ニ見做(みな)すなどという、非礼極まる脅迫まがいの要求をしてきたことに対し、かかる態度は少なくとも博士を名乗る学者にあるまじきものであることを指摘したことが余程こたえたものと見える。松岡には反省せよと申しておく。
 しかし、その非礼は非礼として、我らは第二回目の松岡悪書「研究調査に対する協力のお願い」=i以下『十項目の愚問』とする)なる十項目の質問に対し、誠意をもって答えることとし、松岡の指定した期日に間に合うよう、本年八月二十四日、宗務院監修のもとに『松岡幹夫の傲慢不遜なる十項目の愚問を弁駁す』(以下『十項目の愚問を弁駁す』とする)を送付したのである。これにつき松岡は当項において返答書が阿部本人の執筆ではなかった≠ネどと不満を書き連ねている。だが考えてもみよ、松岡ごとき還俗背反の謗法者が、自らの傲慢不遜な愚問に対し、御多忙を極める御法主上人猊下から直接ご返事がいただけて当然と考えることこそ、増上慢この上ない非常識な人間であることを自ら露呈しているのである。増上慢の松岡は、さらに慢心をつのらせ、我らの破折に対して、阿部本人が私に対して公式に論争を挑んできた≠ネどと述べている。御法主上人猊下は無論のこと、我ら日蓮正宗青年僧侶邪義破折班としても、似非(えせ)学者の松岡如きと論争を行っている暇などない。ただ我らは、松岡の邪義を破折することにより、その邪義に紛動されて純粋な信仰に迷いを生じ、堕獄への道を歩む者が出ることを防ぐために、その邪義を破折しているに過ぎない。
 また松岡は当項で、私のことを「汝」と呼び捨てにするなど、阿部日顕の言説は恫喝的かつ感情的である≠ニ言う。教えておくが、松岡を汝と呼んだのは我ら邪義破折班である。宗務院において、松岡を汝と呼ぶことを黙認いただいたことは、破折書の冒頭に述べたように、松岡が御本仏日蓮大聖人以下、御歴代上人を呼び捨て≠ノする不徳漢の故である。大聖人を日蓮と呼び捨てながら、自分を呼び捨てにする≠ネどと非を唱えるとは、汝は一体、どこまで頭上っているのか。かかる理由により、本書においても、今後松岡雄茂に対して、汝と呼称することとする。
 しかして汝は、御法主上人猊下に「研究調査に対する協力のお願い」≠ネる十項目の質問を送りつけながら、その回答を待たず、本年八月下旬発刊の創価学会機関誌『大白蓮華』九月号誌上に、「法主信仰の打破」≠ネる邪論を執筆掲載した。その内容は、第一回目、第二回目の悪書における本宗の血脈相承を誹謗したものと同轍であり、この『大白蓮華』誌を、汝は八月二十九日付け四谷局の消印で御法主上人猊下に送り付けた。かかる汝の所行は、許しがたい背信行為であり、よって我らは『創価学会機関誌「大白蓮華」掲載 松岡雄茂の「法主信仰の打破」なる邪論を破す』を著し、九月十二日、汝に送付して、その冒頭において、
汝は御法主上人猊下に対して、研究調査に対する協力のお願い≠ニして八月末日までの回答をお願い≠オておきながら、その期限をまたずに八月下旬に発刊した『大白蓮華』に反論の小論文を発表したのである。これは汝のほうから回答を願い出ておきながら、その設定した期限前に反論の誹謗文書をすでに準備し、しかもこれを創価学会の機関誌に発表したということは、回答の内容など問題ではなく、ただ本宗誹謗を目的とした陰謀であった事を自ら証明したのである。このようなことは、およそまともな神経の者ができることではない。先の文書の異常な言動と合わせて、御法主上人をどこまでも愚弄して悪業を重ねる汝の腐りきった性根と、宗門誹謗と創価学会員の洗脳のために汝を操る創価学会幹部の非道な行為を糾弾するものである。(二頁)
と、その非違を呵したのである。しかるに汝は、当項において、先に私が出した学術論文や学術的質問状と同じ感覚で私の教学随想を捉え筋違いの非難をしている≠ニ我らを批判し、自らに信仰者と学術研究者の立場の違いがあることの例として、首相が私人と公人の立場を使い分ける≠謔、なものとする。
 ここで汝に告げておく。汝が創価学会の謗法者を名乗ろうと、似非学者を名乗ろうと、当方はそんな汝の肩書は端(はな)から問題にしていない。どうでもよいことである。問題は汝の悪書が国家社会に撒き散らす公害にある。汝の三度にわたる日蓮正宗の血脈法水を誹毀讒謗(ひきざんぼう)した内容が、多くの民衆を惑わし、また創価学会員の謗法をより深めることは必至である。故に我ら日蓮正宗青年僧侶邪義破折班は、正法正義の立場より、汝の邪義を徹底して破折しているのである。汝と学術論争などをするつもりは毛頭ない。そんな暇など我らにはないことを申し渡しておく。
 さて以上の経過を踏まえ、汝は今回、四度目の邪書「阿部日顕の教学に対する十の学術的批判」≠送りつけてきたのであるが、汝は当項の最後に一つ注文をつけておきたい。私が行う議論は、宗派内の神学論争とは違い、公共性を有している最低限の学問的ルールは守り%凾ニ述べている。だが、先にも述べたように、我らは汝の謗法と誤謬にまみれた学術的批判≠ネるものに対して、まともに答えようなどとは思っていない。我らの汝への回答は、あくまでも仏法の正義の上から、汝の謗法を破折するものであることを強く申し渡しておく。



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