2 教学論争における合理性の問題≠糺す


 松岡はこの章では、
第一の「正統的合理性」は、日蓮仏法の正統な指導者の教説に従うことを意味する
第二の「仏教的合理性」とは、仏教の究極的真理に基づいて理性を用いることを言う
第三の「一般的合理性」は、仏教徒に限らず、広く一般の人々に支持される合理性を指す (悪書二二九〜二三一頁) 
という三点の定義を設けて、自説を正当化しようとし、総括として、
議論を総括するが、「合理的な日蓮仏法者」たちの議論において阿部の教学的主張を判定する際に基準となる合理性は、正統的・仏教的・一般的な合理性である。この三者の関係は、正統的合理性と仏教的合理性が一致した上で一般的合理性を生かす、というものである。ある阿部の主張を吟味するにあたり、合理的な日蓮仏法者は、まず正統的合理性に照らし、次にそれが正統的に妥当だと判断しても仏教的合理性に背かないかどうかを確かめ、さらに一般的合理性を生かしうるか否かを検討する=i悪書二三四頁)
としている。
 この第一の説明の中で松岡は、
日蓮仏法の正統な指導者の教説に従う合理性を「正統的合理性」と称する。つまり、これは伝統的な大石寺教学で信奉される日蓮大聖人、日興上人、日目上人以下、歴代有徳の法主の教えに従う合理性となる。もちろん、これには優先順位がある。基本的に言えば、宗祖大聖人からの正統的合理性を最上位とし、その他の正統的合理性はこれに従属する=i悪書二三〇頁)
と述べているが、それでは有徳≠ニは何か。たとえば中興二祖では、『化儀抄』をもって日有上人の御高徳とするのか。『六巻抄』をもって日寛上人の御高徳とするのか。たしかにそれも御高徳ではあるが、本宗においては血脈相承を以て至徳とするのである。すなわち『御本尊七箇之相承』に、

一、日蓮在御判と嫡嫡代代と書くべしとの給う事如何。師の曰わく、深秘なり、代代の聖人悉く日蓮なりと申す意なり。(日蓮正宗聖典三七九頁)

と示されるところである。この日蓮大聖人と無二の御内証こそ絶対の徳であり、それ以外の信行学の上の御高徳は相対的な徳である。したがって御歴代上人は皆等しく至尊の方であり、そこに優劣はない。
 特に、時の御当職の上人の御指南に信伏随従することが最も大事な基本である。池田大作や松岡にとって、日顕上人は最も大事大切に尊信すべき上人であらせられたにもかかわらず、血脈御所持に嫉妬を懐き、支配を企て反逆し、それが破綻するやあらゆる手段を以て日顕上人を攻撃したのである。その悪口罵詈・誹毀讒謗の激しさは、おそらくは宗開両祖以降、かつてない御難であった。『佐渡御書』の、

賢聖は罵詈して試みるなるべし。(新編五八〇頁)

との御金言に照らせば、その御威徳は明らかといえよう。
 しかも日顕上人は御退位されて日如上人に法灯を譲られてからは、血脈不断に備えられる御立場を守られている。たとえば新年の辞においては、

第六十八世御法主日如上人猊下にはいよいよ御清健に渉らせられ、宗内僧俗一同に対し、昨年に引き続き優渥にして勝妙なる御教導を垂示あそばされることは、私共の何物にも増して有り難き極みであり、心より恐悦の次第に存ずる者であります。特に昨年はその御指導に基づくところの、宗内に於て未だ見ることのなかった大折伏の成果が如実に現れ、全国の末寺々院において真の僧俗一致の態勢が堂々と現出致されました。此の揺るぎない破邪顕正の姿はまさに、日如上人の適切至極なる、また御懇篤な数々の御教示によるものと存じます。(大日蓮平成二十四年一月号六頁)

と述べられて、日如上人の御化導を讃歎称揚あそばされることは、日顕上人の血脈に対する尊信を如実に垂範されるものであり、僧俗一同の日如上人に対する信敬を、就中、血脈に対する信仰を幾重にも倍増される誠に有り難いお言葉である。この高潔なお姿は誰しも拝跪感嘆申し上げるところであり、池田のように支配欲に身を焦がし、自我中心の権威権力に恋々とする者とは大違いである。もってその御高徳を拝すべきである。
 松岡が歴代有徳の法主≠ネどということは、所詮、我見自流の御都合主義の有徳≠ナあり、御歴代上人もかえってお怒りになられるだけである。
 しかも、これはじつに狡猾な前提である。なぜなら正統的合理性≠ニは看板だけで正統的合理性≠ネど全くないからである。要は御歴代上人であっても松岡の、つまり創価学会の主張に都合のよい御指南しか用いないということである。このような主張は、松岡の好きなアリストテレスの「虚偽論」でいえば、「統整法に関する虚偽」の中の「定義および分類に関する虚偽」に当たり、典型的な論理学上の誤謬と判定されるものだ。このように松岡の立てる正統的合理性≠ネどは、唾棄すべき邪義邪説であって何ら正当性はないのである。
 したがって、第二、第三も同徹と断ずるものである。
 なお池田大作でさえ、かつては、

本抄(編者注・百六箇抄)には、歴代の法主上人が「百六箇抄」を拝読された折り、一種の「覚え書き」として挿入、付加された部分が織り込まれております。歴代の法主上人が、日蓮大聖人の血脈を受けられ、大聖人の口伝を一点の誤りもなく後代に伝える意味もあって、「百六箇抄」の行間、本抄の前後、各項目の注釈等として書き込まれたものであります。故に、この部分も、私たちが大聖人の口伝を体得していくうえにおいて、不可欠の記述といえましょう。
 この講義にあたっても、百六箇条の口伝はもとより、代々の法主上人が記述された箇所も、すべて日蓮大聖人の金口として拝していきたいと考えております。(大白蓮華昭和五十二年一月号二〇頁)

と述べて、御歴代上人の御指南を全て日蓮大聖人の金口と拝すると述べていたではないか。松岡はこれについて、注において弁解を試みているが、どのような詭弁を弄そうとも池田大作が御歴代上人の御指南を金口と拝すると述べた事実は消えない。同趣旨の池田の発言は枚挙に遑がない。たとえば、

いま、日蓮正宗御宗門においても、仏法の師であられる御法主上人に師敵対する僧俗が出たことは、まことに悲しむべきことである。これは恐ろしき謗法であり、真の日蓮大聖人の仏法を信解していない証左なのである。血脈付法の御法主上人を離れて、正宗の仏法はありえないのである。(広布と人生を語る第三巻二九四頁)

とか、

わが日蓮正宗こそが御本仏日蓮大聖人の正統中の正統である(広布と人生を語る第一巻八四頁)

とも述べている。これらの発言を全て否定すれば一体池田はどうなるのだ。
 「池田は何を信じてきたのか」「池田は日蓮正宗を「正統中の正統」と言っていたではないか」「池田の目は節穴ではないか」「池田大作は大嘘つきだ」等々の世間の俗難にも返答の術がないであろう。
 かつては日蓮正宗を「正統中の正統」といいながら、今になって正統的合理性≠もって日蓮正宗の正統性を疑難するなど笑止千万である。事実は池田大作が日蓮正宗・日顕上人に逆心を懐いていたことが露見したことにより、居直りの虚言を構えたに過ぎない。盗人猛々しい、とはこのことである。松岡がどのように弁護しようと邪説は邪説でしかない。それが誤魔化しきれると考えること自体が悩乱の現証なのである。
 もしこのような正統的合理性≠正しく定義するならば、宗祖大聖人の下種仏法の筋目によるべきであり、大聖人の仏法における究極の真理に合致する意である。
 すなわち、究極の真理とは、大聖人が『当体義抄』に、

至理は名無し、聖人理を観じて万物に名を付くる時、因果倶時・不思議の一法之有り。之を名づけて妙法蓮華と為す。此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して欠減無し。之を修行する者は仏因仏果同時に之を得るなり。聖人此の法を師と為して修行覚道したまへば、妙因妙果倶時に感得し給ふ。故に妙覚果満の如来と成り給ふなり。(新編六九五頁)

と仰せられるように、大聖人の御本地として示された久遠元初の因果倶時不思議の妙法蓮華の一法である。
 この妙法蓮華の一法に十界三千の諸法が具足し、そこより一切が開出するゆえに、妙法蓮華経こそ万物根源の究極の真理である。その妙法蓮華経の一法は、それを感得された聖人である久遠元初の御本仏たる日蓮大聖人に具したもう故に、人即法、法即人、人法一箇の法体である。なお、『三大秘法稟承事』に、

実相証得の当初修行し給ふ処の寿量品の本尊と戒壇と題目の五字なり。(新編一五九三頁)

と示されるように、その久遠元初の妙法蓮華の一法とは、まさしく本門三大秘法である。
 ゆえに、大聖人はそもそも本法所持の人であるが、しかしてまた同抄に、

此の三大秘法は二千余年の当初、地涌千界の上首として、日蓮慥かに教主大覚世尊より口決せし相承なり。今日蓮が所行は霊鷲山の稟承に介爾計りの相違なき、色も替はらぬ寿量品の事の三大事なり。(新編一五九五頁)

と示されるように、仏法付嘱の手続きに則り、外用の姿を霊山に示され、脱益仏たる在世の釈尊より地涌千界の上首上行菩薩として、末法弘通の付嘱の大法たる三大秘法を相承されたのである。
 かくして末法に御出現遊ばされた大聖人は、その御魂魄たる三大秘法を、一大秘法の「本門戒壇の大御本尊」と顕示遊ばされ、一閻浮提に総与下されたのである。
 また『百六箇抄』に、

上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。(新編一七〇二頁)

と、また『御本尊七箇之相承』に、

代代の聖人悉く日蓮なりと申す意なり。(日蓮正宗聖典三七九頁)

と示されるように、その大聖人の御法体を、十二箇条の唯授一人の血脈により、日興上人以来の代々の上人の御内証に相伝なされたのである。
 ゆえに、代々の上人の御内証に大聖人の魂魄が具わり給う上から、大御本尊の御内証を御書写なさり、一切の衆生を導かれるのである。ここに、一切衆生を即身成仏に導く大聖人の下種仏法の本義・真理があり、その真理に叶うところに正統的合理性≠ェ存する。
 この根本の筋目に立脚することこそ正統的合理性≠ナあり、それ以外に正統的合理性≠ヘあり得ない。日蓮大聖人が正統の根本であられることは当然であるが、各御先師はすでに過去遊ばされ、現在は御法主日如上人と御隠尊日顕上人が在すのみである。この血脈御所持の御法主上人の御指南を通さなければ、その解釈は身延派等の日蓮各派同様、邪義でしかありえない。
 その正統的合理性≠ノ立脚した因果論などの通仏教的理論、或はまた妙法を開会した体内の釈尊五十年の説法において、その理に叶うところが仏教的合理性≠ナある。さらに、『戒法門』や『戒体即身成仏義』などの諸御書にお示しの正統的合理性≠フ究極の大真理たる大聖人の妙法を根本とした五行説や四徳などの道徳的概念や一般論的な真理が一般的合理性≠ナある。
 よって、もし三種の合理性≠主張するなら、正しい三種の合理性≠ニは、仏教的合理性≠熈一般的合理性≠焉A正統的合理性≠ェ根本となって初めて成立する論理であり、正統的合理性≠ノ立脚した仏教的合理性∞一般的合理性≠ェ正しい二種の合理性の立て方である。
 しかして、そもそも大聖人の下種仏法は、熟脱の仏法である一般仏教、あるいは一般理論を超越した大真理であるから、どうして、松岡の主張する如き三種の合理性≠ネどで捌くことが出来ようか。すでに時機はずれの熟脱仏法に執着する迷いの衆生の仏教的概念や一般的概念で、下種仏法の大正義が判断できるわけがないのである。ゆえにこそ、大聖人は、末法の衆生に大折伏を展開遊ばされたのである。
 つぎに仏教的合理性≠ノついて考察するに、大聖人は『十章抄』に、

一念三千の出処は略開三の十如実相なれども義分は本門に限る。爾前は迹門の依義判文、迹門は本門の依義判文なり。但し真実の依文判義は本門に限るべし。(新編四六六頁)

と説かれるように、下種仏法による一切の仏教の依義判文にその正当性がある。日寛上人の『依義判文抄』が有名であるが、これは血脈の上からの依義判文であるから正統性が存するのである。しかもその依義判文であっても血脈の正理を離れて恣意的解釈をすれば、そこには仏教的合理性≠ヘない。なぜならば合理とは正理すなわち正法正師の正義に合致することだからである。松岡のように血脈に背反し勝手な解釈をするところには仏教的合理性≠ネどあり得ない。したがって松岡の仏教的合理性≠ヘ、やはり邪義なのである。
 最後の一般的合理性≠ノついて松岡は、
「一般的合理性」は、仏教徒に限らず、広く一般の人々に支持される合理性を指す。すなわち、われわれが通常考えるような理性の能力に基づく合理性である。近代以降、著しく伸展した合理性であるが、実はこの一般的合理性も仏教的合理性と同じく、無執着の思考という一面を有している。理性の使用は、素朴な思い込みという執着から私たちを解放してくれる。人間生命の所与の諸能力のうち、理性は最も無執着性が高い力と言えよう。
 しかしながら仏教的合理性から見て、近代的理性の宿命的限界は「何かを区別する」ということへの執着から離れられない点にある。仏教では元来、「区別の思考」へのとらわれを厳しく誡める。原始仏典の『スッタニパータ』に「『等しい』とか『等しくない』とかいうことのなくなった人は、誰に論争を挑むであろうか」と、また大乗経典の『勝鬘経』に「優劣を区別するような性質のものたちは、涅槃を獲得することはない」と説かれるごとくである。これに照らせば、一般的合理性は、物事を立て分けて論ずるので、いまだ「区別する無執着」にとどまる
=i悪書二三一頁)
としている。そして、
仏教的合理性は一般的合理性を生かすと言わねばならない。「生かす」の代わりに「包括する」と表現してもよいが、包括する主体はおよそ一元的なので、仏教の悟りを通じて一即多、自由自在な働きとして再生した理性、すなわち仏教的合理性にはふさわしくないと思う。仏教的合理性は、無限の自在性ゆえに、一般的合理性を上から包まない。むしろ、一般的合理性それ自体を尊重し、生かそうとする。ゆえに仏教の精髄たる法華経哲学では、「真諦は即ち俗諦」「世法は即ち仏法」と説く。筆者が「活用」「生かす」という言葉に込めた意も、ここにある=i悪書二三三頁)
と結論づける。松岡は理性の能力に基づく合理性≠ニか、なにやら訳の判ったようなことを述べているが、合理性について『日本国語大辞典』には、

道理にかなった性質を有していること。論理の法則にかなった性質をもっていること。(第五巻四七三頁)

とある。このように合理性とは、物事が道理や論理に適っていることであるが、実際には各人各様の思考の中で、その当事者が物事が道理や論理に適っていると判断することであり、真理観・価値観・倫理観等により、千差万別の合理性が生じる。しかしこれは合理性とは言っても所詮、煩悩充満の凡夫の合理性である。大聖人の仏法は、この煩悩による妄念すら、そのまま菩提へと開くものである。この不思議な智慧による開覚こそ、真実の一般的合理性である。つまり日蓮正宗の信心即生活の中にこそ一般的合理性が存するのであり、妙法を離れてはいかなる合理性もあり得ない。すなわち『日蓮正宗要義』に、

一口に教えといっても、その含むところは実に膨大であり、世界人類文化史上の精神面のすべてを含んでいる。その様相は広くは世界宗教史、あるいは哲学史・倫理史を開かなければならないが、要するに教えの教えたる所以は、まず適切な真理観と価値観を教え、道理を基本とする善悪を教えて、正善の道へ人を趣向せしめるところにある。それが終局的には大きな幸福につながる道だからである。もし真理観が不備であれば、教法の内容・視野ともに偏狭であり、価値観に欠けるときは実益を伴わない意味がある。しかるに何が善で何が悪であるかは、従来の人類文化の足跡に徴するに、その時代により社会によって判定基準が様々である。(二頁)

と示されるところが一般的合理性に相当するのである。しかし『持妙法華問答抄』に、

寂光の都ならずば、何くも皆苦なるべし。(新編三〇〇頁)

と説かれるように、正法信仰生活の環境でなければ、どのような合理性も無間地獄に通ずる道なのである。
 しかしながら、世間の人が仏教を判断する基準が各人各様雑多なのであるから、一般的に正しいと判断されるところから説くのが正法正義による折伏であるが、そこには相手の信仰信条に対する破折が伴う。これは相手の一般的合理性の中で宗教に関する合理性を否定し、相手を納得せしめる道理を示すことである。したがって、この正邪の判断基準は、およそ松岡のいう一般的合理性と対立する。相手がこの破折について納得しようがしまいが、たとえば「四十余年未顕真実」とか「已今当説最為第一」という正法の仏教的合理性は存在する。
 このように一般的合理性は仏教的合理性さらには正統的合理性の前では、合理性ではあり得ないのである。松岡が理性の能力に基づく合理性≠ネどということは、本来矛盾するものであり、じつに愚かなことである。

 つぎに松岡は、
阿部は『拝述記』で「本門戒壇の本尊の当体は絶待妙にして、各個別々の本尊及び血脈付法の本尊は相待妙なるも、絶待に帰一せば絶待妙の意あり」(三八七〜三八九頁)と述べ、宗門の御本尊に絶待・相待の二妙を配する。相待妙は他と比較相対して立てる妙、絶待妙は一切の比較を絶した妙を言う。この二妙について、天台の『法華玄義』では経典を判別する思想としての側面が強調される。日蓮大聖人の『一代聖教大意』でも、相待妙が法華経と一代聖教を比較相対する思想、絶待妙が一代聖教を法華経と開会することとされる。ところが、阿部は右引用文において、経典の〈教え〉でなく御本尊という〈法体〉の次元から二妙を論ずる。天台の判釈や宗祖の文書にはない、二妙の適用法である。もちろん、宗門には、二妙を天台的な理でなく事において論ずる史料や、戒壇本尊を「下種絶待妙の法体」と称する習慣等もある。しかしながら、宗祖筆と歴代書写との別を問わず、御本尊を相待妙とする阿部の説は非常に奇異な感じを与える。(中略)阿部は「相待妙なるも、絶待に帰一せば絶待妙」云々と述べ、〈比較する妙〉の相待妙が〈比較を絶した妙〉の絶待妙に帰一すると説くが、全く意味不明である。それでは相待と絶待の区別がなくなり、結局は絶待の一元論に陥るだろう。〈比較を絶した妙〉は〈比較する妙〉を通じてのみ現れる。その意味で、絶待妙は相待妙と同時(待絶倶時)と考えるべきだが、この同時は相待・絶待を区別した上で同時と言うのである。阿部のように、相待が絶待に帰一するなどとし、絶待一元論的に待絶の区別を曖昧化するのとは違う。相待・絶待の区別を本質的に無視する阿部の曖昧論法が、先に説明した、区別を生かす仏教的合理性に背くことは自明であろう。そして阿部のごとき論は、一般的な理性の目にも矛盾だらけの詭弁に映る。かくして合理的な日蓮仏法者は、阿部の異端的な曖昧論法が、正統的、仏教的、一般的に見て不合理と判定するわけである=i悪書二三四頁)
と、相待妙・絶待妙に関して日顕上人の御教示を疑難している。これは松岡が、あまりにも日蓮大聖人の御法門、いや仏教学に暗すぎるところから起こる間違いである。
 そこで、松岡の智慧が全く及ばない、日顕上人の「閻浮総与タル本門戒壇ノ本尊ノ当体ハ絶待妙ニシテ、各個別々ノ本尊及ビ血脈付法ノ本尊ハ相待妙ナルモ、絶待ニ帰一セバ絶待妙ノ意アリ」(拝述記三八七頁)との御結論に至るまでの御指南を拝する。

下種ノ二妙実行ノ本迹
「下種ノ二妙」トハ、ソノ法体、久遠元初名字ノ妙法蓮華経ニ具ワル相待・絶待ノ二妙ナリ。末法ニ宗祖日蓮大聖人御出現アッテ、法華身読ノ御振舞イニ三類ノ強敵ヲ扣発シ、大難・小難数知レザル弘通ノ結果、竜ノ口ノ御頸ノ座ニ、不思議ノ御当体・久遠元初自受用ト現ジ、ソノ大仏法ノ体タル名字ノ妙法ヲ、三大秘法ト顕シ給ウ一期ノ弘法ニ、相待・絶待ノ二妙アルナリ。
但シ、コレ脱益釈尊ノ一期化導ニ於ル待絶二妙トハ、種脱ノ不同アリ。則チ釈尊一期ノ化導ハ、久遠以来ノ下種ニ基ヅクヲ以テ、本已有善ノ衆生ニ対シ、先ズ華厳ニ擬宜シ、阿含ニ誘引シ、方等ニ弾訶シ、般若ニ淘汰スル四十余年ノ方便ナリ。
併シテ次ニ、真実本懐ノ法華経ヲ説キ、ココニ於テコレラ諸経ト相待シテ、麁妙ヲ結スル相待妙ヲ示スト共ニ、諸経ヲ開会シテ、法華ニ帰入セシムル絶待妙ヲ顕スナリ。
然ルニ、末法ニ於ル下種ノ教主宗祖大聖人ノ弘通ノ大綱ハ、久遠元初ニ於ル一切仏法ノ根元タル妙法蓮華経ニ立チ還リ、本未有善ノ衆生ニ直チニ下種スル故ニ、一期化導ノ終始ニ、始メヨリ方便ノ教ナシ。故ニ方便ノ経々ニ対スル待絶二妙ハ有リ得ザルナリ。
然ラバ下種ノ二妙トハ、何物ニ対シテ相待シ、何物ヲ絶スルヤトノ質疑アルベシ。弘通ノ法体ニ方便ナシト雖モ、マタ下種ノ法体ト弘通ニ二妙ノ意義歴然タリ。
云ク、下種仏法ノ相待妙トハ、釈尊脱益化導ノ一切、イワユル一代応仏ノ域ヲ控エタル方ノ文上ノ教経ニ対シ、マタソノ熟脱ノ教主ニ対シ、結要付嘱ノ妙法、即チ久遠元初ノ仏法トソノ教主ニ於テ、権実・本迹・種脱ノ筋目ヨリ、根本ノ麁妙ト本迹ヲ判ズルニアルナリ。
次ニ下種仏法ノ絶待妙トハ、コノ脱上ノ仏教、乃至諸宗教ノスベテガ、文底下種名字ノ妙法蓮華経ニ帰入シテ、一句ノ余法モナク、待対ヲ絶スルコトナリ。
右ハ、一期下種化導ノ大綱ニ約シテ弁ズ。而シテ宗祖一期ノ弘通ニハ、時期ニ於テソレゾレノ段階アリ。鎌倉期ハ権実相対ニシテ題目ノ弘通、佐渡期ハ更ニ本迹相対・種脱相対ヲ明カシ本尊ノ弘通、身延期ハ種脱相対ニヨル教主ト大法ノ明確ナル顕現ト、三大秘法ノ整足、即チ本尊ニ伴ウ戒壇ノ明示等、時期ニ於ル弘法ノ展開アリ。ソノ始終ニ方便ノ教法ハ一切存在セザルモ、ソノ一々ノ弘通ノ段階ニ於ル破邪顕正、及ビ未究竟ト究竟ノ前後ニ於ル妙法ニ、自ズカラ相待・絶待ノ二妙ヲ具スナリ。
已上ヲ法ニ約シテ拝セバ、観心本尊抄ノ五重三段中ノ文底三段ノ序分ノ、過去大通仏ノ法華経、乃至一代五十余年ノ諸経、十方三世諸仏微塵ノ経々ト、内証ノ寿量ハ相待妙ニシテ、流通分ハソノ総テガ悉ク絶待妙トナル。マタ人ニ約セバ、一代応仏及ビソノ化導中ニ現出スル証果ノ二乗、菩薩、又三世十方ノ仏ヲ、久遠元初・凡夫即極ノ自受用・無作三身ノ妙ニ対セバ、方便ヲ帯スル身位ニシテ麁ト判ズルハ相待妙ナリ。マタコレラ仏・菩薩トノ相待ヲ絶シテ、久遠元初・天ノ一月、末法出現ノ日蓮大聖人ニ帰入セシメルハ絶待妙タリ。
マタ宗祖ノ化導ノソレゾレノ時期ニ於ル脱益一切ノ仏法トノ対応対処ニ、自ズカラ相待・絶待ノ二妙ヲ具ウト云ウベシ。コノ意義、次ノ「実行」ノ文ニ関スル下ニ拝スベシ。
次ニ、題ノ「実行」ノ実トハ、権ニ対スル真実ニシテ、方便ナキ法、即チ種脱相対ニヨル下種ノ妙法ヲ云ウ。マタソノ行トハ、釈尊ノ一代五時、口輪説法ニ対シ、一ニハ一期ノ始終、事行ノ妙法ノ受持弘通、二ニハ謗法ノ諸宗諸人ニ対シ、折伏ヲ行ジ給ウニアリ。コノ妙法ノ事行ハ絶待妙、謗法折伏ハ相待妙ニシテ、絶待ノ処ニ相待アリ、相待ノ処ニ絶待アリテ、一往不二ナレドモ、再往、而二ノ上ニ相待ハ迹、絶待ハ本ノ勝劣アルナリ。
更ニ宗祖御化導ヲ実行ノ上ニ詳説セバ、結要付嘱ノ妙法ヲ末法万年化導ノ三大秘法ニ仕立テ給ウ一期ノ施化ニ、自ズカラ待絶二妙ヲ拝ス。
即チ宗旨建立ノ始メニツキ、御義口伝ニ、
 「今日蓮ガ唱フル処ノ南無妙法蓮華経ハ末法一万年ノ衆生マデ成仏セシムルナリ。豈今者已満足ニ非ズヤ。已トハ建長五年三月廿八日ニ始メテ唱ヘ出ダス処ノ題目ヲ指シテ已ト意得ベキナリ。妙法ノ大良薬ヲ以テ一切衆生ノ無明ノ大病ヲ治セン事疑ヒ無キナリ」(御書一七三二)ト。
マタ清澄寺大衆中ニ、
 「先ヅ序分ニ禅宗ト念仏宗ノ僻見ヲ責メテ見ント思フ(乃至)建長五年三月二十八日、安房国東条郷清澄寺道善ノ房ノ持仏堂ノ南面ニシテ、浄円房ト申ス者並ビニ少々ノ大衆ニコレヲ申シハジメテ、其ノ後二十余年ガ間退転ナク申ス。或ハ所ヲ追ヒ出ダサレ、或ハ流罪等、昔ハ聞ク不軽菩薩ノ杖木等ヲ、今ハ見ル日蓮ガ刀剣ニ当タル事ヲ」(御書九四六)云云。
ト仰セラル。
コノ宗旨建立時ノ妙法ハ、一期化導ノ上ニテハ本門ノ題目ニシテ、未ダ本尊ノ顕示ナキモ、宗祖ノ内証ハ既ニ下種本因妙ノ教主ナレバ、ソノ所唱ノ題目ハ即チ絶待妙ニシテ、念仏等ヲ破折スル折伏ノ法門ガ相待妙ナリ。マタ進ミテ立正安国論ノ破顕ニ於テモ、文中ノ「実乗ノ一善」(御書二五〇)ガ絶待妙、撰択集破折ハ相待妙ナリ。
コレヨリ一期施化ノ順序ニ従イテ破顕ノ次第アリ。
人ニ約セバ、法華身読ニヨル忍難弘通ハ、遂ニ文永八年九月十二日ノ頸ノ座トナル。
凡夫ノ日蓮ノ頸刎ネラレ、久遠元初ノ自受用ノ本ヲ顕スハ絶待妙、マタコレヲ自行ニ約シテ、凡夫ノ日蓮ニ対スルハ相待妙、化他ニ約シテハ、三類ノ強敵ヲ摧破スルハ相待妙ナリ。
法ニ約スル施化ニ於テハ、コレニ横待ト縦待アルヲ拝セラル。竜ノ口ノ後ヨリ妙法本尊ノ顕示ヲ始メ給イ、以後、一期ニ於ル本尊顕示ハソノ時々ノ待絶二妙ニシテ、爾前権迹ノ仏像経巻本尊ニ対スル相待妙ト、下種本尊ニ於ル絶対妙義アルナリ。コレ横待ナリ。更ニ内証ハ常恒不二ナルモ、始メノ本尊示現ヨリ以後、ソノ形貌ノ更改ニ於テ、次第ニ究竟シ給ウ。コレ対見ノ二十二ノ二十四「本化ノ本尊ノ本迹」ニ述ベタル如シ。特ニ弘安元年ニ入ッテ、文永・建治年間ト異ナル各種体相ノ異ナリヲ顕シ給ウ。ココニ究竟・未究竟ノ違イ有リ。コノ究竟ノ本尊ニ待絶二妙アリ。未究竟ノ本尊ニ対スルハ相待妙、久遠元初ノ上ノ人法体一ノ相貌ヲ示シ給ウハ絶待妙ナリ。コレ縦待ナリ。
更ニ横待・縦待ヲ総括シ、三大秘法ノ施化ヲ一期弘法ノ上ニ整足シ統括シ給ウ究竟中ノ究竟、本懐中ノ本懐タルハ本門戒壇ノ本尊ノ顕示ナリ。コノ処ニ約法・約人ニ於ル最勝究竟ノ意アレバ、実行ノ待絶二妙ノ意、ココニ極マル。即チ以上一期ノ二妙ニ於ル弘通所顕ノスベテハ、行ノ上ニ顕シ給ウ故ナリ。
コレニ関スル一期御化導ノ究竟ノ要文ハ、三大秘法抄ニ、久遠元初ノ実行ヲ指シテ、
 「夫釈尊初成道ヨリ、四味三教乃至法華経ノ広開三顕一ノ席ヲ立チテ、略開近顕遠ヲ説カセ給ヒシ涌出品マデ秘セサセ給ヒシ処ノ、実相証得ノ当初修行シ給フ処ノ寿量品ノ本尊ト戒壇ト題目ノ五字ナリ」(御書一五九三)
ト述ベ給イ、コレヲ末法ノ日蓮ノ行ズル当体相貌トシテ、
 「今日蓮ガ所行ハ霊鷲山ノ禀承ニ介爾計リノ相違ナキ、色モ替ハラヌ寿量品ノ事ノ三大事ナリ」(御書一五九五)
ト残シ給ウ文ニシテ、共ニ「修行」「所行」ノ文字ヲ以テ実行ノ意義ヲ明示シ給ウナリ。
ソノ「本迹」トハ、具サニ次ノ註ノ文ニ示サレタルヲ以テ、コノ処ニテハ略ス。
マタ前記待絶二妙ニツキ補足セバ、閻浮総与タル本門戒壇ノ本尊ノ当体ハ絶待妙ニシテ、各個別々ノ本尊及ビ血脈付法ノ本尊ハ相待妙ナルモ、絶待ニ帰一セバ絶待妙ノ意アリ。他宗他門ノ爾前権迹ノ各本尊及ビ所顕所縁ノ人ハ、末法ニ於テハ謗法ヲ成ズル故ニ、麁ニシテ妙ニアラズ。但シ棄執帰伏ノ上ハ、個々自立ノ形待ナキヲ以テ、当宗ノ垂迹堂ニ安ンズルハ相待妙ノ義ニ当タルベシ云云。(拝述記三八四頁)

 以上、宗祖の一期御化導の大綱に約して述べられた下種の二妙に関する日顕上人の御指南を拝したが、御化導において種々の待絶二妙を述べられたその最後に、「待絶二妙ニツキ補足セバ、閻浮総与タル本門戒壇ノ本尊ノ当体ハ絶待妙ニシテ、各個別々ノ本尊及ビ血脈付法ノ本尊ハ相待妙ナルモ、絶待ニ帰一セバ絶待妙ノ意アリ」(拝述記三八七頁)と述べられ、法華開会の絶待妙により、所対の仏教一切の法門がその体内に帰一して絶待妙の用となる如く、絶待妙の「本門戒壇の大御本尊」より開会すれば「各個別々ノ本尊及ビ血脈付法ノ本尊」は、「本門戒壇の大御本尊」の体内に帰一し、絶待妙の用となる道理である。何故なら、大聖人の全ての御本尊は、究竟中の究竟、本懐中の本懐たる「本門戒壇の大御本尊」から顕れた法体だからである。御歴代上人もその御内証の上から御書写遊ばされるのであるから同じである。
 それを理解できず、松岡は結局は絶待の一元論に陥るだろう≠ニ述べるが、そもそも『百六箇抄』に、

下種の二妙実行の本迹 日蓮は脱の二妙を迹と為し、種の二妙を本と定む。然して相待は迹、絶待は本なり(新編一七〇〇頁)

と御本尊の本迹を示されているのであり、垂迹は本地より顕れたものであるから、松岡の言を当てはめれば、大聖人の御指南である「相待は迹、絶待は本なり」に対して、それは絶待の一元論≠ナあると批判していることであり、まさに宗祖に背逆するものである。

 さて松岡は、
もちろん、宗門には、二妙を天台的な理でなく事において論ずる史料や、戒壇本尊を「下種絶待妙の法体」と称する習慣等もある。しかしながら、宗祖筆と歴代書写との別を問わず、御本尊を相待妙とする阿部の説は非常に奇異な感じを与える=i悪書二三四頁)
というが、本門戒壇の大御本尊は「一閻浮提総与の御本尊」と称され、それに対すれば、その他の大聖人真筆御本尊並びに御歴代上人書写の御本尊は「一機一縁の御本尊」である。ここに絶待妙・相待妙が明らかではないか。「一機一縁」とは機・縁を限定する意味であり、多くは個人授与の御本尊である。つまり相待して対象を選別するのだから相待妙である。しかるに「一閻浮提総与の御本尊」とは、末法万年に亘って、直ちに一閻浮提の一切衆生に総与の大曼荼羅であるから、機・縁を限定せず、対象の選別を絶するのであるから絶待妙である。
 このように理路整然とした論議を奇異に感じる松岡は邪見・邪義によって悩乱していることが明白であろう。

 また松岡は、
阿部は「相待妙なるも、絶待に帰一せば絶待妙」云々と述べ、〈比較する妙〉の相待妙が〈比較を絶した妙〉の絶待妙に帰一すると説くが、全く意味不明である。それでは相待と絶待の区別がなくなり、結局は絶待の一元論に陥るだろう。〈比較を絶した妙〉は〈比較する妙〉を通じてのみ現れる。その意味で、絶待妙は相待妙と同時(待絶倶時)と考えるべきだが、この同時は相待・絶待を区別した上で同時と言うのである。阿部のように、相待が絶待に帰一するなどとし、絶待一元論的に待絶の区別を曖昧化するのとは違う。相待・絶待の区別を本質的に無視する阿部の曖昧論法が、先に説明した、区別を生かす仏教的合理性に背くことは自明であろう。そして阿部のごとき論は、一般的な理性の目にも矛盾だらけの詭弁に映る。かくして合理的な日蓮仏法者は、阿部の異端的な曖昧論法が、正統的、仏教的、一般的に見て不合理と判定するわけである=i悪書二三五頁)
と述べるが、では文底下種三段の流通分を、どのように拝するのか。能詮の正宗分開顕により所詮の正宗即流通分の正体たる御本尊が顕れ、これより序分のすべてが相待より絶待に帰一して体内として流通分となるのではないか。ならば、相待も絶待に帰一せば絶待妙ではないか。
 まったく松岡は、何も分かっていない。
 そもそも異流義となった創価学会はその資格が無くなった現在においても、下種仏法を簒奪して大聖人の下種仏法の唯一正統を標榜している。しかしその下種仏法の根源より仏法の一切が開出され帰一することの所以が判らないから、このような邪義・邪説を構えるのである。
 日寛上人が『観心本尊抄文段』に、

文底深秘の本地難思の境智の妙法は即ち是れ三世の諸仏の種子能生の父母なり。故に宗祖の云わく「三世十方の諸仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏に成り給へり」〔一四四八〕云云。又云わく「三世十方の諸仏は法華経より出生し給へり。故に今能生を以て本尊とするなり」〔一二七五〕云云。文の中に「法華経より出生し給へり」と云うは、即ち是れ下種の法華経・妙法蓮華経の五字なり。(御書文段二二四頁)
三世の諸仏は皆久遠元初の種子能生の妙法五字より出生し給うなり。問う、今先ず此に種子能生の徳を明かす意如何。答う、若し之を明かさずんば、何ぞ能く三世の諸仏の因果の万徳、妙法五字の本尊に帰入することを知るを得んや。故に先ず之を明かすなり。例せば「従多帰一」を明かさんが為に先ず「従一出多」を明かすが如し。此れ則ち当家深秘の観心、卒爾に彰わし難し。故に諄々として丁寧なり。若し此の旨を了せば則ち所帰を知らん。若し所帰の広大を知れば則ち吾が観心の義を了せんか云云。(同)

と仰せのように、久遠元初本地難思の妙法蓮華経の一法より三世十方の諸仏等の無量義が出生したのであるから、妙法蓮華経こそ万物根源の種子であり、仏法の根源である。しかしてまた、三世十方の諸仏の万行万善の因果の大功徳は、妙法蓮華経の法体たる「本門戒壇の大御本尊」に帰入するのである。熟脱仏法の一切もその中にあり、天台大師の示された待絶二妙の法門も、その範疇にあることは当然である。
 よって仏法の全ては、この根源の妙法からの開出と帰一にあるのである。ゆえに、相待妙が絶待妙に帰一せず、相待妙のままでは、全く意味不明≠ニなるのである。
 松岡が相待・絶待の区別を本質的に無視する≠ニか曖昧論法≠ニかいうことは、松岡や創価学会が相待・絶待≠フ真実義を知らないことを、自ら白状する実に愚か者の所業といえよう。それは、天台・妙楽大師を愚弄し、大聖人・日寛上人に背く大逆罪というべきである。
 所詮、相待妙・絶待妙と云々しても、その帰趨を知らずしては、それは単なる理論でしかなく、松岡のいう理への退行≠ナしかないのだ。


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