4 慈悲なきゆえの愚民思想≠糺す


 ここで松岡は、
阿部の区別主義は、衆生と仏の一体不二を説く法華経哲学の根幹をも侵食しようとする。要するに、抜きがたい愚民思想である。(中略)しかしながら「凡夫即極」を掲げる日蓮仏法から、どうしてそのような民衆=凡夫への蔑視が出てくるのか。調べるにつれ、阿部は「凡夫即極」の「凡夫」を特別視して日蓮大聖人のみに限定し、民衆はただの凡夫でしかないと見下すことが判明した=i悪書二四五頁)
と述べている。右の松岡の低級な批判には呆れ返る。
 日顕上人の御指南について、愚民思想とは何という言か。苟しくも法華経を拝信し、一切衆生の成仏を理想とする正宗僧侶の思想にも言語にも、一般民衆を愚かなりとする意趣は全く存在しない。あるというなら、それは松岡の柄のない所へ柄をすげる偏見でしかない。日顕上人のあらゆる御指南のどこに、民衆は愚かなどの言辞があるのか。
 但し、一切衆生に煩悩があり、凡夫がそれに迷惑している事実が存することは世間の実相である。曲解もいい加減にせよ。
 『百六箇抄』には種々の説明すべき深い法義が山積する中でも、一例を挙げれば『拝述記』の中で、「下種の十妙実体の本迹」の最後の日顕上人の御指南の箇所に、

コレヲ真実ノ成道ト示シ給ウコトハ、又一切衆生、当体即身成仏ノ手本ト実証ヲ明ラメ給ウ故ナリ。(中略)マタ能所一体ナレバ、信ヲ根本トシテ三大秘法ヲ受持スル僧俗ニモ、等シクコノ本因本果ノ意義ト功徳ヲ与エ給ウコトヲ拝スベキナリ。(拝述記四二六頁)

と説かれているではないか。この「能所一体」との御指南は、正しく宗祖大聖人と正信の一切衆生とが一体の義であり、基本的には一切衆生が仏なることを示し給うものである。この何処に愚民の思想があるのか。
 以上のことからも、松岡の日顕上人に対する愚民思想などの顛誑は、池田大作のみを粉飾せんとする愚かな雑言に過ぎないことが明らかである。
 さて日寛上人は、『法華取要抄文段』に、

当に知るべし、蓮祖の門弟は是れ無作三身なりと雖も、仍是れ因分にして究竟果分の無作三身に非ず。但是れ蓮祖聖人のみ究竟果分の無作三身なり。若し六即に配せば、一切衆生は無作三身とは是れ理即なり。蓮祖の門弟は無作三身とは中間の四位なり。蓮祖大聖は無作三身とは即ち是れ究竟即なり。故に究竟円満の本地無作三身とは、但是れ蓮祖大聖人の御事なり。故に御義口伝に云わく「されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり。無作三身の宝号を南無妙法蓮華経と云ふなり。寿量品の事の三大事とは是なり」〔一七六五〕文。末法の法華経の行者、豈蓮祖大聖に非ずや。其の義は開目抄、撰時抄等の諸文の中に分明なり。(御書文段五一六頁)

と示されている。このように衆生の無作三身は信謗により、まず決定的な違いがある。信心していない者は、理即つまり理論上の無作三身に過ぎず、無作三身の開現はない。また信心の衆生は無作三身と雖も、そこには段階があり、究竟即の日蓮大聖人に対すれば因分つまり名字即乃至分真即迄の段階の無作三身であり、すなわち真実円満な無作三身とは宗祖日蓮大聖人だけであると仰せられている。このように日寛上人は、日蓮大聖人とそれ以外の信心の僧俗を明確に区別されている。この日寛上人の御見解を、松岡は慈悲なきゆえの愚民思想≠ニ毀っているのである。
 日蓮大聖人は『教行証御書』に、

日蓮が弟子等は臆病にては叶ふべからず。彼々の経々と法華経と勝劣・浅深・成仏不成仏を判ぜん時、爾前迹門の釈尊なりとも物の数ならず。何に況んや其の以下の等覚の菩薩をや。まして権宗の者どもをや。法華経と申す大梵王の位にて、民とも下し鬼畜なんどと下しても、其の過ち有らんやと意得て宗論すべし。(新編一一〇九頁)

と説かれている。「民とも下し鬼畜なんどと下しても、其の過ち有らん」との御指南が、慈悲なきゆえの愚民思想≠ニでもいうのか。これは慈悲ゆえの、謗法の者に対する叱責である。
 池田大作の、日顕上人はじめ日蓮正宗の僧俗に敵対し蔑如することは、民衆=凡夫への蔑視≠ヌころの騒ぎではない。そんな極悪謗法の池田大作やそれに与する謗法の者どもを、破折するのに何の遠慮もいらない。「民とも下し鬼畜なんどと下しても、其の過ち有らんや」なのである。
 松岡よ、勘違いするな。日顕上人は決して、池田大作や創価学会幹部にも当然存する仏性を蔑視などされておられない。日蓮大聖人の御意を体し、池田や学会幹部などの大謗法の者どもに対して、邪義粉砕の慈眼を注いでおられるのである。

 次に松岡は、
『拝述記』では、凡夫即極の法理を示す諸御書の名を列挙して「要は末法に宗祖大聖人出現して、凡夫の迹を払い、久遠元初の自受用と顕れ給う実体実義を顕し給う所に、これらの法門の一切が集約せらるるなり」(五七七頁)と断じている。神聖な凡夫は大聖人だけで、民衆は煩悩に汚れた荒凡夫にすぎない。宗祖大聖人は衆生救済のためにあえて凡夫の姿を示しただけで、凡夫そのものである一般民衆とはもともと違うのだ。こうした差別観念が、阿部には強くある=i悪書二四六頁)
という。これは宗祖大聖人と一般民衆が同じだといいたいのだろうが、それは全く狂った考え方である。
 末法の衆生は本未有善であり、本来下種の善根を持たないのである。正像時代の本已有善の衆生でさえ、釈尊およびその付嘱を受けた四依という能化の出現がなければ過去の下種を発得することはできない。
 まして本未有善の衆生は御本仏の出現による聞法下種とその教導を受けなければ即身成仏することはないのである。
 日蓮大聖人は、外用は上行菩薩として、また御内証は久遠の御本仏として末法に再誕せられた。これは『百六箇抄』の冒頭に、

久遠名字已来本因本果の主、本地自受用報身の垂迹上行菩薩の再誕、本門の大師日蓮詮要す。(新編一六八五頁)

と示される通りである。これは所化である末法の衆生と能化である御本仏との絶対的違いであり、この能所を混乱し同一視することは、信心を決定的に欠くものであって、もはやそこには仏道はあり得ない。松岡や池田創価学会が御本仏日蓮大聖人に対し、同等の思いを抱くことは、『聖愚問答抄』に、

只不二を立てゝ而二を知らず。謂己均仏の大慢を成せり。彼の月氏の大慢が迹をつぎ、此の尸那の三階禅師が古風を追ふ。然りと雖も大慢は生きながら無間に入り、三階は死して大蛇と成りぬ、をそろしをそろし。(中略)当に知るべし、此の人は我が正法を滅すべしとなり。(新編三九七頁)

と説かれるところの正法を滅する邪義であり「謂己均仏の大慢」である。その果報は生きながら無間に入り、死して大蛇と成る大謗法であると知れ。
 また松岡は、
「下種の教主(御本仏日蓮大聖人=筆者注)は……自ら凡夫としてこの惑業苦の中に身を置き、あらゆる苦難を通じ、その脱却浄化の手本を示し給うなり」(同前五一八頁)と阿部が記す時、その「身を置き」「手本を示し給う」といった表現からは、見せかけの凡夫を演ずる本仏の姿しか感じ取れない。日有上人は『化儀抄』で、日蓮大聖人を「未断惑の導師」と表現した。これは、末法の本仏に真の凡夫性を見る姿勢のように見受けられる。もし、その凡夫性が仮面でしかないのなら、万物の根源としての本仏は唯一絶対の神(God)に近づくだろう。明白な主張というより思惟傾向の問題として、阿部には確かにそうした観念がある。阿部は『拝述記』で妙楽が説いた「十不二門」を下種仏法の立場から展開するが、仏と衆生の一体不二を説くはずの「自他不二門」を「日蓮と一味同心」の意とぼやかしたり(同前四八二頁)、「因果不二門」や「染浄不二門」については能化の仏と所化の衆生に分けるのみで両者の平等性に触れなかったり(同前四七六〜四八〇頁)と、とかく不二の平等観を衆生に関連させないよう腐心する=i悪書二四六頁)
と述べているが、この中その「身を置き」「手本を示し給う」といった表現からは、見せかけの凡夫を演ずる本仏の姿しか感じ取れない≠ニの記述に、本仏大聖人の御内証と御化導の関係に対する法門の未熟と異解が顕れている。
 日顕上人は『拝述記』に、日蓮大聖人の御修行について、

生知ノ妙悟トシテ御誕生、乃至宗旨建立ノ時ヨリ、大聖人ノ御内証ニ久遠本仏ノ体ハ具エ給エドモ、修行振舞イノ上ノ倶体・倶用ノ開現ハ、竜ノ口ノ発迹顕本ニアリ。故ニ顕本ノ日蓮大聖人ヨリ前ノ凡身日蓮ヲ相待セバ、竜ノ口顕本ノ日蓮大聖人ハ絶待妙ニシテ、以前ハ相待妙ナリ。(拝述記三八八頁)

と御指南されている。
 仏・菩薩は、生知の妙悟つまり生まれたときから、法と悟りを持たれているが、この土に生まれた以上、その本身と力用を実際に顕すためには、やはり凡夫の立場から一往は修行をしなければならない。
 この御修行が、日蓮大聖人におかれては、竜の口までの半生の、出家・遊学・宗旨建立・題目弘通・諸宗破折であった。特に三類の強敵を扣発し、流死の二罪をまねく法華経の身読により、ついに第六天の魔王を降し、久遠元初の自受用身と顕れ給うたのが竜の口顕本である。このことを日顕上人は、

然ルニ下種ノ教主ハ凡夫ノ上ニ即極究竟ノ仏道ヲ示シ給ウ。故ニ自ラ凡夫トシテコノ惑業苦ノ中ニ身ヲ置キ、アラユル苦難ヲ通ジ、ソノ脱却浄化ノ手本ヲ示シ給ウナリ。
故ニソノ無明トハ、但ナル己心中ノ迷イニ非ズ、無明即明ノ法体タル法華経ニ背キ迷ウコトヲ以テ、元品ノ無明トナシ給ウ。コノ意ハ御書中至ル所ニ拝セラル。マタ宗祖ノ化導ハ、宗旨建立ノ暁ヨリ一生ヲ通ジ、垂迹ノ法華経二十八品ノ本源タル妙法五字七字ヲ以テ下種ノ化導ヲナシ給ウ故ニ、摂折二門ノ内ニハ折伏ヲ以テコレヲナシ給ウ。即チ法華経予証ノ三類ノ強敵ヲ扣発シ、大難四箇度小難数知レザル苦難ノ中、特ニ文永八年九月十二日ノ頸ノ座ニ於テ、日蓮ノ頸刎ネラレ、久遠元初自受用ノ魂魄ヲ顕シ給ウ。則チ、
 「日蓮トイヰシ者ハ、去年九月十二日子丑ノ時ニ頸ハネラレヌ」(御書五六三)
ノ文ナリ。コノ「頸ハネラレヌ」トハ、凡夫ノ日蓮ニシテ即チ凡夫所具ノ無明煩悩ノ滅尽ノ意義アリ。(拝述記五一八頁)

とお示しなのである。
 しかるに、松岡はこれを阿部が記す時、その「身を置き」「手本を示し給う」といった表現からは、見せかけの凡夫を演ずる本仏の姿しか感じ取れない≠ニいうのは、宗祖の示同凡夫の意義を全く理解出来ていない証拠であり、また日顕上人の懇切丁寧な御指南に対し、池田大作の嫉妬と憎悪に同化して、ただひたすら聞く耳を塞いでいるに過ぎない。松岡が聞かないのは勝手だが、このような本を書いて、その害毒を他の創価学会員や一般人にまで及ぼすことは、誠に罪深い所業である。

 つぎに松岡は、
したがって民衆中心主義者の池田会長と愚民思想家の阿部とでは、日蓮仏法の重要教義に関する解釈が相当に異なってくる。民衆の信仰者に対し、池田会長は大聖人直結の弟子たる「大凡夫の自覚」を促すが(『会長講義』六四頁)、阿部はおよそ下種の順逆二縁によって救われる者にすぎないと第三者的に論断する(『拝述記』四二〇頁)=i悪書二四七頁)
と述べて、日顕上人の御指南と池田大作の指導における、機についての見解を対比して日顕上人を疑難している。しかし日顕上人の御指南とは全く論旨が違っている。このような書き方は創価学会お得意の「切り文」と同じである。
 日顕上人は「下種ノ十妙実体ノ本迹」の中、下種本眷属妙について、つぎのように御指南されている。

下種ノ本眷属妙トハ、蓋シ脱ノ迹・本ノ眷属妙トハ同ジカラザルナリ。但シ理性眷属ノミハ衆生ト仏ノ理性一如ニシテ、真如ヲ能ク悟レル仏ト、真如中ノ一切衆生ハ父子ノ関係ナレバ、結縁ノ有無ニ関ワラザル故ニ、種ト脱ノ仏法ニ於テモ、一往通同、再往本迹アルベシ。則チ有縁・無縁、順逆ノ一切衆生、悉ク法界妙法ノ上ノ下種本仏久遠元初自受用日蓮大聖人ノ本源ノ理性眷属タリ。他ノ業生・願生・神通生・応生ノ四ニツイテハ、既ニ脱ノ本眷属ハ応生ノミニシテ三ナク、垂迹ニ至リテ、他ノ三加ワリテ四トナル。即チ地涌千界ハ、本門久遠ノ化導ヲ受ケタル眷属ノ故ニ応生ノミナリ。コレヨリ根本下種ノ化導ヲ拝スレバ、本初ノ故ニ天台ノ判釈ト異ナリ、先ズ理性眷属中ノ事相トシテ、順縁・逆縁・無縁ヲ論ズベシ。順縁中ニ無始ノ応眷属ト新タニ下種結縁ノ者ヲ分カツ。無始ノ応眷属トハ、本仏而二不二ノ尊体ニシテ、二祖日興上人ナリ。以下僧宝ノ代表タル各師モ一分コノ意アルカ。ソノ他ノ凡テハ、下種本仏出現ノ下種ニヨル順縁者ナリ。コノ順縁者中ニ随順不逆ノ者ハ下種仏法中ノ本眷属トナル。未来ニハソノ信ノ厚薄、宿習等ニヨリ、業・願・神・応ノ四眷属ト現ル相モアルベシ。然ルニ一旦順縁ニ入ルモ、後ニ逆謗ノ者アリ。又始メヨリ逆縁誹謗ノ者アリ。コレヲ束ネテ逆縁即チ逆謗ノ二人ト考ウベキカ。(中略)下種仏法ニ於テハ基本トシテ下種仏化導ノ始メナルガ故ニ、業・願・通・応ノ眷属ナク、順逆二縁ニ於ル順縁下種本眷属ト、理性ノミナル逆謗ノ二人アルノミト云ウベシ。但シ聖滅七百年ニ至ル故ニ、ソノ間順逆二縁ニ受縁ノ衆中ヨリ、業生、願生、神通生、応生等ノ任運ニ輩出スルコトモアルベキカ。コレアクマデ下種妙法中ノ四眷属ナリ。蓋シ機ハ縦横無尽ナレバ、眷属モ亦一定ニスベカラザルナリ。(拝述記四一九頁)

 このように眷属は理性・業生・願生・神通生・応生に分けられるが、日蓮大聖人の御在世は下種仏の御化導の始めであるから「順逆二縁ニ於ル順縁下種本眷属ト、理性ノミナル逆謗ノ二人アルノミト云ウベシ」と、仰せられている。これは順縁の中には、すでに成仏を遂げて応生となった者や今世において即身成仏する者を含むのであるから、その人たちは御本仏と一体不二の境界であり、池田の言葉を借りずとも大凡夫の者と言えよう。なぜこの意義を隠すのか。
 しかるに池田大作のいう、大聖人直結の弟子たる「大凡夫の自覚」≠ニは、実態は血脈を無視・背謗する者の自覚であり、大阿鼻地獄の当体となった者の自覚である。そもそも大聖人直結≠ノついて、創価学会は、『教学上の基本問題について』の中で、

「大聖人直結」ということについては、大聖人即三大秘法の御本尊に南無し奉り、境智冥合するとの意味でのべたものであります。したがって、唯授一人、遣使還告であられる御法主上人猊下を通しての大聖人への直結であることは当然であります。(特別学習会テキスト二五頁)

と述べ、大聖人直結≠ネどという事はあり得ないとしていたではないか。顛倒の言を弄するなかれ。

 さらにまた、
『百六箇抄』の「久遠元始の天上天下・唯我独尊は日蓮是なり」(全集八六三頁)の解釈において、池田会長が「唯我独尊」を大聖人の御生命に当てつつ本来の我に達した庶民の堂々たる人生道をも示唆すると洞察した=i悪書二四七頁)
とも述べているが、かくのごとき言説をなすことは、池田大作の底意に下種仏法をすべて把んだかのような慢心があるからである。池田大作や松岡は自分が末法の本未有善の衆生であることを忘却している。
 末法の衆生は日蓮正宗の血脈の仏法に対する無疑曰信の信心、つまり大御本尊と末法の正師である宗祖大聖人とその付嘱を禀られた御法主上人を能化と仰ぎ、自らは徳薄垢重の所化であるとの師弟相対の信心によってのみ即身成仏が称うのである。それを忘れて本来の我に達した庶民の堂々たる人生道≠ネどということは慢心も甚だしい。これは大作が自分を御本仏日蓮大聖人と同列に並べようとする摧尊入卑の邪説であり、血脈の御法主上人を見下して、池田本仏論を創造した邪義である。これはまさに『得受職人功徳法門抄』に、

然るに、我が弟子等の中にも「未得謂得未証謂証」の輩有って、出仮利生の僧を軽毀せん。此の人の罪報具に聞くべし。今時の念仏・真言・禅・律等の大慢謗法・一闡提等より勝れたること百千万倍ならん。(新編五九四頁)

と説かれる未証謂証・未得謂得の者であり、謗法諸宗の者どもより百千万倍の大謗法であること明白である。

 またつぎに、
さらに、池田会長が日達法主の時代に「民衆立」の事の戒壇を唱えて正本堂を建立寄進したのに反発する阿部は、当時、自ら宗門教学部長として“正本堂こそ日蓮仏法の戒壇である”と高唱したにもかかわらず、平成四(一九九二)年に「私も変なことを書かされちゃった」「全部、御破算にしちゃおうかな」などと無節操な前言撤回を行い、新たに「国主立」なる戒壇を提唱し始めた。民衆主体の戒壇建立を嫌い、上意下達の手続きにこだわるゆえに「国主立」なのだろう。阿部によると、国主立の戒壇と言っても日本の国法制度上では「主権を持つ国民の意味に於て戒壇を建立すること」(『拝述記』三二一頁)になるという。そして、これは「国民の総意でもって造るのだから、そういう時は憲法改正も何もなく行われる」という意味を含んでいる。しかし、それでは政教分離原則を規定した日本国憲法を改変して日蓮正宗を国教化することになり、最終的に田中智学らが提唱した国立戒壇論と変わるところがない。かつては憲法改定による戒壇建立論に「まさに時代逆行」「まさしく大聖人の仏法の本意に背く」と非を鳴らした阿部が、ここでも臆面なく自説を反転させている=i悪書二四八頁)
と述べるが、日顕上人はすでに、

『国立戒壇論の誤りについて』のなかでも「現在は違うけれども未来においては、その戒壇が御遺命の戒壇でないということは必ずしも言えない」というような、今考えてみると言い過ぎにも思えるようなことを言ってしまっているのであります。だから、あの書を廃棄すべきかとも考えたけれども、私としては廃棄するべきではないと思ったわけです。やはり日達上人のもとで私が御奉公させていただいたのだし、当時の宗門の流れの上から、その時その時の事実は事実として、きちんと残しておいたほうがよいと思うのです。(大日蓮平成十六年十二月号四六頁)

と述べられている。『国立戒壇論の誤りについて』は、今日からすれば一部言い過ぎの箇所があるとはいっても、それは正本堂の意義付けに関してのことである。ゆえに日顕上人は、一時は同書を廃棄処分にすることも考えられたが、最終的には残すこととされたのである。
 その上で「国主立」が適切である理由を、『拝述記』に、

戒壇ノ能造・所造ヨリ論ゼバ、ソノ建立ハ能造ノ人格的主権者ノ意志ニ依ルナリ。故ニ「国立」ノ語ヨリ「国主立」ノ語ハ、ヨリ適切ニ戒壇建立ノ意ヲ表スト云ウベシ。故ニ一期弘法抄ニハ「国主此ノ法ヲ」ト示シ給ウ所以ナリ。(拝述記三二〇頁)

と、至極、簡潔明瞭に御指南されている。これは『一期弘法抄』そのままのお示しであり、何が問題なのか。池田大作の、「民衆立」の事の戒壇≠アそ大聖人の御書中にない定義ではないか。しかもこの民衆立≠ニは、本音は「池田大作立」ではないか。そんなものが日蓮大聖人の御仏意に称うわけがない。
 また、松岡は「国民の総意でもって造るのだから、そういう時は憲法改正も何もなく行われる」という意味を含んでいる。しかし、それでは政教分離原則を規定した日本国憲法を改変して日蓮正宗を国教化することになり、最終的に田中智学らが提唱した国立戒壇論と変わるところがない≠ニ述べている。松岡は日本語も満足に読めないのか。日顕上人は「国民の総意でもって造るのだから、そういう時は憲法改正も何もなく行われる」と述べられているのであり、日本国憲法を改変して日蓮正宗を国教化する≠ニ述べられてはいないのである。

 つぎに、
また、阿部のように事の戒壇を「国主立」と規定した場合、将来の日本が社会主義や独裁政治の国家であれば「労働者立」や「独裁者立」の戒壇になってしまう。日蓮大聖人の時代と違って、現代では妙法を信ずる世界の民衆のネットワークが築き上げられている。国家を超えて世界の民衆が建立する民衆立戒壇の理想は、もはや日本の政治体制に左右されない。これに対し、いまだに日本一国の政治状況によって内容が変わるのが阿部の「国主立」戒壇である。「日本の現在の民主主義だって、憲法だって、将来どう変わるかわからない」と放言し、時の政体任せの戒壇建立を唱える阿部には、民衆仏法の本義を踏まえた歴史哲学的展望が微塵もない。それどころか、ただ民衆中心の戒壇論を否定したい一心なのである=i悪書二四八頁)
と述べている。松岡は独裁者立≠ニいうが、およそ大聖人の御書を拝するものとして、その感覚を疑う。阿闍世王や阿育王は初めは暴虐な悪王であった。今でいえば独裁者であろう。それがどうなったか。仏法に帰依してからは、善政を敷いて平和な仏教国家を樹立したことが御書には述べられている。にもかかわらず、松岡は民衆立 を持ち上げるための対比に独裁者立≠使っている。このような考え方は仏国土建設を志向する者には考えられないことだ。松岡の思想からは、正法を以て、悪を善に、邪を正に転ずる、変毒為薬・転迷開悟を目的とする日蓮大聖人の御精神がまったく感じられない。また労働者立 とは、一体何が言いたいのだろう。どこかの国家を揶揄しているのか。いずれにせよ、日蓮大聖人の仏法は、どのような国家体制であっても仏国土建設が可能なのである。その国家の主体が国主であるから、あらゆる国主が想定できる。このような自在無礙の世法の活用こそ、下種仏法の真骨頂なのだ。池田大作や松岡の偏執が、いかに愚かなことであるか、気づかねばならない。
 池田大作のような謗法の民衆立≠ネどもってのほかである。民衆立∞労働者立∞独裁者立 、いかなる形態であれ、日蓮正宗の血脈の三大秘法を信受して善政を敷けば立派な国主となるのだ。その時の、御法主上人のもと、僧俗が信心無二・一体となって建立せられてこそ、御仏意に称うものと拝する。

 つぎに松岡は、
もう一つ述べておこう。民衆における、男女の別の問題である。『百六箇抄』の種の部に「久遠自受用報身の本迹 男は本・女は迹・知り難き勝劣なり」(全集八六二頁)とある。当文の意について、池田会長は「久遠自受用報身の本迹」ゆえに、大聖人御自身の境地を本迹に立て分けたものとする。すなわち大聖人において、一切衆生を包容する心法面を「女」、現実に一切衆生を救う行動の色法面を「男」とし、衆生を包容する心法のみではまだ迹理であって色法の現実にそれが現れてこそ本門だから、そこに本迹を立てるのだと言う。また「男は本・女は迹」に続く「知り難き勝劣なり」とは、大聖人の色心二面の本迹の不可思議さを指すと解する。したがって当文は具体的な男性と女性の勝劣を意味するものでなく、むしろ日蓮仏法では「男性の中にも女性を認め、女性の中にも男性を認めて、しかもその上で、根本的平等観を説いている」と見るわけである(『会長講義』五五〜五八頁)。(中略)
 以上を要するに、池田会長の解釈は日蓮仏法における三種の合理性に適った見解と言うことができる。対する阿部の方はどうか。彼は「久遠自受用報身の本迹」について、久遠自受用報身に本因下種と本果脱益の両義を含むゆえに、これを種脱の自受用報身の本迹と拝するのが最も妥当であると主張する。つまり、「男は本・女は迹」を大聖人御自身の境地における本迹と見ず、具体的な男女の本迹を通して種脱の自受用身の異なりを教えたものと解する(『拝述記』五三三〜五三七頁)。これは種本脱迹を明かすという『百六箇抄』の趣旨に沿う解釈かもしれないが、久遠自受用身の本迹を言うなら「下種の自受用身は本・脱益の自受用身は迹」などと記されてしかるべきだろう。ところが実際は「男は本・女は迹」であり、いきなり男女の本迹の話が出てくるから、文脈上の整合性がとれなくなる。加えて、他の箇条との関連性にも配慮した上での池田会長の本質的指摘に比べると、形式主義的で洞察力に欠ける感も否めない。
 次に、阿部は、「法界に自ずから遍満する陰陽の二法」を重視し、陽は積極能動、陰は消極受動で、男女の別も概ねこれによるから、「男主女従」「男本女迹」なのだと唱える。ちなみに阿部は、男が本で女が迹なのは天然の相の異なりだから男尊女卑の意味はなく、仏法・世法の上では男女同権にして差別がないとも弁解する(同前)。だが、一方で封建的な「男主女従」を言っておきながら、他方で民主的な「男女同権」を説くのは、一般的合理性から見て明らかに矛盾している。さらに言うと、東アジア文明の世界観に即した比喩的説明としてではなく、阿部のように宇宙の本質論として、男女の違いを陰陽の原理に帰結させるのは、陰陽が中国古来の易学に由来するだけに仏教的合理性から許容しがたい。と同時に、今日の進化生物学や遺伝子論等から見ても非科学的にすぎよう。
 かくして『百六箇抄』に基づく阿部の「男主女従」「男本女迹」論は、合理的な日蓮仏法者が到底納得できるものではない。「仏様として法を説く時は男の姿」と男主導の形にこだわる阿部だが、大乗仏典には仏・菩薩が衆生教化のために女身を現ずる話も出てくる。『勝鬘経』の勝鬘夫人などは、在家の女性ながら釈尊の勧めで一乗や如来蔵の深義を説く。男主導への執着は、もとより自由自在にして一切平等を説く大乗仏教の見方ではない。民衆を睥睨するばかりか、女性は男性に追従すべしとも唱える阿部の主張には、何ら仏教的な根拠がないのである
=i悪書二四九頁)
と述べる。まず、この池田大作の解釈がすでに素人の短見である。
 日顕上人は、これを単題(対見する文がない)とされ、かつ、

久遠自受用報身ノ本迹
「久遠」ニ本因ト本果トアリ、マタ化導ニ種ト脱ノ異アリ。シタガッテコノ題ハ、久遠ノ二字ニ両義ヲ含ム故ニ、本因下種ト本果脱益ノ自受用報身如来ニ関スル本迹ノ決ト拝スルガ尤モ妥当ナリ。(拝述記五三三頁)

と、この久遠自受用報身を種脱に立て分け、

併シテソノ「本迹」トハ、久遠元初名字ノ報身タル自受用無作三身ヲ本トシ、応仏昇進ノ自受用身ヲ迹トナス、本迹ノ決判ナリ。(拝述記五三六頁)

と、その本迹を決せられている。しかるに池田大作は直ちに宗祖大聖人とし、男女を男を色法、女を心法に配して論じている。対見拝考すべき題と単題の区別が付けられないのだ。
 そして、阿部のように宇宙の本質論として、男女の違いを陰陽の原理に帰結させるのは、陰陽が中国古来の易学に由来するだけに仏教的合理性から許容しがたい≠ニか阿部の「男主女従」「男本女迹」論は、合理的な日蓮仏法者が到底納得できるものではない≠ニいう。
 まず陰陽については、『生死一大事血脈抄』に、

伝教大師云はく「生死の二法は一心の妙用、有無の二道は本覚の真徳」文。天地・陰陽・日月・五星・地獄乃至仏果、生死の二法に非ずと云ふことなし。(新編五一三頁)

と示され、『開目抄』にも、

万里をわたって宋に入らずとも、三箇年を経て霊山にいたらずとも、竜樹のごとく竜宮に入らずとも、無著菩薩のごとく弥勒菩薩にあはずとも、二処三会に値はずとも、一代の勝劣はこれをしれるなるべし。蛇は七日が内の洪水をしる、竜の眷属なるゆへ。烏は年中の吉凶をしれり、過去に陰陽師なりしゆへ。鳥は飛ぶ徳、人にすぐれたり。日蓮は諸経の勝劣をしること、華厳の澄観、三論の嘉祥、法相の慈恩、真言の弘法にすぐれたり。天台・伝教の跡をしのぶゆへなり。(新編五六二頁)

と示され、『総勘文抄』には妙楽大師の『弘決』を引かれて、

弘決の六に云はく「此の身の中に具に天地に倣ふことを知る。頭の円かなるは天に象り、足の方なるは地に象ると知る。身の内の空種なるは即ち是虚空なり。腹の温かなるは春夏に法り、背の剛きは秋冬に法り、四体は四時に法り、大節の十二は十二月に法り、小節の三百六十は三百六十日に法り、鼻の息の出入は山沢溪谷の中の風に法り、口の息の出入は虚空の中の風に法り、眼は日月に法り、開閉は昼夜に法り、髪は星辰に法り、眉は北斗に法り、脈は江河に法り、骨は玉石に法り、皮肉は地土に法り、毛は叢林に法り、五臓は天に在りては五星に法り、地に在りては五岳に法り、陰陽に在りては五行に法り、世に在りては五常に法り、内に在りては五神に法り、行を修するには五徳に法り、罪を治むるには五刑に法る。(新編一四一八頁)

と示され、『上野殿御返事』には、

されば天の日月、八万四千の星、各いかりをなし、眼をいからかして日本国をにらめ給ふ。今の陰陽師の天変頻りなりと奏し申す是なり。(新編一四六四頁)

と示され、『御義口伝』には、

此の文陰陽一体にして南無妙法蓮華経の当体なり云云。(新編一八一〇頁)

と示されている。また大石寺に御真蹟のある『五行事』にも、陰陽道に言う木火土金水の五行についてお示しがある。
 これらの御書は皆、『御書全集』に収録されているが、ならば松岡、これらの宗祖の御指南も、陰陽が中国古来の易学に由来するだけに仏教的合理性から許容しがたい≠ニ宗祖に刃向かうのか。
 また、男女のことも、『日妙聖人御書』に、

男子女人其の性本より別れたり。火はあたゝかに水はつめたし。海人は魚をとるにたくみなり。山人は鹿をとるにかしこし。女人は婬事にかしこしとこそ経文にはあかされて候へ。いまだきかず、仏法にかしこしとは。(新編六〇六頁)

と、男女の性質の本来別であることを示され、女人の従属性については、『さじき女房御返事』に、

女人は水のごとし、うつは物にしたがう。女人は矢のごとし、弓につがはさる。女人はふねのごとし、かぢのまかするによるべし。しかるに女人はをとこぬす人なれば女人ぬす人となる。をとこ王なれば女人きさきとなる。をとこ善人なれば女人仏になる。今生のみならず、後生もをとこによるなり。しかるに兵衛のさゑもんどのは法華経の行者なり。たとひいかなる事ありとも、をとこのめなれば、法華経の女人とこそ仏はしろしめされて候らんに、又我とこゝろををこして、法華経の御ために御かたびらをくりたびて候。(新編一一二五頁)

と示され、『千日尼御返事』には、

をとこははしらのごとし、女はなかわのごとし。をとこは足のごとし、女人は身のごとし。をとこは羽のごとし、女はみのごとし。羽とみとべちべちになりなば、なにをもってかとぶべき。はしらたうれなばなかは地に堕ちなん。いへにをとこなければ人のたましゐなきがごとし。(新編一四七六頁)

と示されている。男本女迹は明らかといえよう。ならばこれらの宗祖の御指南に対して、松岡は、「男主女従」「男本女迹」論は、合理的な日蓮仏法者が到底納得できるものではない と言うつもりか。松岡の所論が、いかに大聖人の仏法に反するものであるか、歴然としている。
 このように『拝述記』における、日顕上人の男女の本迹に関する御指南は、御書にその根拠が明確に存している。さらに日顕上人は、

仏法ノ本因下種・折伏ノ相ト、脱益・摂受ノ相、則チ仏種ヲ下ス処ニ成仏ヲ示ス宗祖ノ仏法ト、コレヲ受ケツツ、成仏ニ至ラザル衆生ニ胎胚セル仏種ヲ、三千・五百塵点ニ渉リ、調機調養シテ煩悩ヲ脱セシメ、成仏セシムル釈尊ノ化導ハ、正ニ陰陽ニシテ男女ノ相ノ如シ。故ニコレ譬エノ文言ナレドモ、ソノ男本女迹ノ相ハ法界ノ衆生ノ実相ニシテ、文上・文底ヲ一貫スル甚深ノ法華経ノ種脱対判ノ法義、要ハ種脱仏法ノ本源タル自受用身ノ異ナリヲ明ラムベキ教示ニシテ、故ニ「能ク能ク伝流口決スベキ者ナリ」ト誡メ給ウナリ。
然レドモ、コレ男尊女卑ヲ云ウニハ非ズ。法華経ハ爾前経ノ如キ女人不成仏ヲ一掃シ、未曽有ノ二乗作仏、女人・悪人ノ成仏ヲ説ク。故ニ男女ハ仏法・世法ノ上ニ於テモ、同権ニシテ全ク差別ナシ。故ニ本迹ト尊卑トハ同一ニ考ウベカラズ。本迹ハ天然ノ相ノ異ナリノ本義ヲ云ウモノナリ。(拝述記五三七頁)

と述べられて、その本義を示されるのである。
 『下山御消息』には良観が僣聖増上慢であることを示すために、涅槃経を引かれるが、その中に、

  外には賢善を現はし内には貪嫉を懐き(新編一一四二頁)

とある。池田大作の男女に関する解釈は、男女の本迹は天然の相であることを軽視して理論に走るものであり、『百六箇抄』の深義を探求しようとする真摯な気持ちは感じられない。所詮、外に賢善を現わすためのきれい事に過ぎず、その内には貪嫉を懐いていること、御書に照らして明らかといえよう。

 次に松岡は、
阿部と池田会長との違いは、現実の世界を平等と見るか差別と見るか、といった次元にはない。実は両者は、現実にある差別をどうするか、という態度において袂を分かつ。阿部は現実の差別をあくまで差別と観察するにとどまり、池田会長は現実の差別のうちに平等な尊厳性を顕そうと行動に移る。両者の違いは、傍観者と実践者の違いなのである。
 傍観者は、衆生の救済を本質的に本仏任せにするから、衆生の哀れな現実をもっぱら眺めるだけに終わる。阿部がまさにそうであり、死身弘法の精進を配下の僧俗に呼びかける傍らで、必ず「末法の本門弘通の相は、凡眼凡智の測知すべからざる処」(『拝述記』三七一頁)などと但し書きをつけ、根本的な意味で実践の主体者意識を放棄する。彼は、自らが責任を持って広宣流布を「する」人でなく、ただ仏意による広布のなりゆきを「見る」だけの人にすぎない。阿部のあらゆる教学指南の通奏低音は「傍観」にある
=i悪書二五三頁)
と述べている。松岡は現実世界の「差別」について、日顕上人は現実の差別をあくまで差別と観察する≠ノとどまるとし、一方池田は現実の差別のうちに平等な尊厳性を顕そうと行動に移る≠ニいう。これも、松岡のまやかしの言である。
 『総勘文抄』には、

法華経に云はく「如是相[一切衆生の相好本覚の応身如来]、如是性[一切衆生の心性本覚の報身如来]、如是体[一切衆生の身体本覚の法身如来]」と。此の三如是より後の七如是出生して合して十如是と成るなり。此の十如是は十法界なり。此の十法界は一人の心より出でて八万四千の法門と成るなり。一人を手本として一切衆生平等なること是くの如し。(新編一四一五頁)

と説かれている。日顕上人はこの三如是について、

相如是、性如是と読むのは如と是の両方を肯定する意味でありますから、これは中道・中諦であります。空諦、仮諦、差別と平等─差別が本当だと執われてしまうとそれは間違いであって、やはり平等というのが真理である。平等だけに執われてよいかというと、今度は必ず差別がある。ですから差別即平等なのであり、平等即差別なのであります。この「即」というところに無限の意義が具わっており、不思議な価値の顕現が平等即差別において可能であり、「我即法界」という絶対の悟りが差別即平等において可能なのであります。(大日蓮昭和六十年十一月号一七頁)

と御指南されている。差別も平等も一面の真理ではあるが、差別の一辺に執われるのも、平等の一辺に執われるのも誤りであって、差別即平等・平等即差別を知り、その相即不二のところに真の究竟の道が存するのである。さらに大聖人は、「此の十法界は一人の心より出でて八万四千の法門と成るなり」「一人を手本として一切衆生平等なること是くの如し」と仰せではないか。「一切衆生平等」といっても、御本仏一人を離れてその実体はない。このように、差別即平等・平等即差別という法理を無視して、いくら池田を現実の差別のうちに平等な尊厳性を顕そうと行動に移る≠ニ言っても、それは自己満足の言にすぎず、まったくの空言である。
 また松岡は、『拝述記』の「末法ノ本門弘通ノ相ハ、凡眼凡智ノ測知スベカラザル処」(拝述記三七一頁)の記述に対して根本的な意味で実践の主体者意識を放棄する≠ネどという。
 この『拝述記』の記述は、折伏・摂受に関する御指南を挙げられるうち、『観心本尊抄文段』に説かれる「順縁広布」について示されるなかで述べられたものである。ここでその前後を挙げる。

要スルニ、正法流布ノ意義ハ、邪法ノ駆逐ニアリ。故ニ強イテ説キ聞カシメルコトヲ目途トシテ自行・化他ニ励ム所、自ズカラ折伏ノ大綱ヲ実践スルニ当タル。
蓋シ末法ノ本門弘通ノ相ハ、凡眼凡智ノ測知スベカラザル処、タダ吾等ハ身軽法重・死身弘法ノ誓願ヲ以テ正法広布ノ大目標ノ実現ニ向カイ、日々夜々ノ精進ヲ果タスベキナリ。(拝述記三七一頁)

 これを拝すれば充分であろう。すなわち、「吾等ハ身軽法重・死身弘法ノ誓願ヲ以テ正法広布ノ大目標ノ実現ニ向カイ、日々夜々ノ精進ヲ果タスベキナリ」というところが最も肝要である。
 そのうえで、日顕上人がこの箇所で「末法ノ本門弘通ノ相ハ、凡眼凡智ノ測知スベカラザル処」と仰せになられたのは、かつて池田大作が不遜にも正本堂を大聖人御遺命の戒壇と位置づけようとしたことに対して、かく仰せられたものと拝する。
 池田大作には正本堂建立を「大聖人の御遺命の達成」とする意識があり、日達上人から誡められたにもかかわらず、池田はその意識を持ち続けた。それによって池田大作の慢心が強まり、昭和五十二年路線の逸脱・背反も起こった。昭和五十二年の元旦に池田は、

私ども地涌の菩薩は敢然として、まず大聖人の御遺命である正本堂を建立しました。誰がしましたか途中で。創価学会がしたんです。私がしたんです。そうでしょう? 大聖人はお喜びでしょう。御本尊様は最大に創価学会を賛美することはまちがいない(池田大作 日本経済乗っ取りの野望(四)三五頁)

などと発言している。このような池田大作の慢心に対して、日顕上人はその誤りを破されるとともに、平成三年三月九日、御遺命の戒壇について次のように御指南されている。

本仏大聖人の最後究竟の御指南たる『三大秘法抄』『一期弘法抄』の戒壇は、凡眼凡智をもって断定し、執着すべきでなく、ひたすら御仏意に任せ、その御遺命の尊高にして絶大なる仏力法力を仰いで信じ奉り、その実現に邁進することこそ、本因妙仏法を信ずる真の仏子であります。(大日蓮平成三年四月号二九頁)
宗祖大聖人は、その御一期の大事、御化導の究極として、『三大秘法抄』『一期弘法抄』に、御遺命の完結、広宣流布の大目標をお示しあそばされたのです。我々は、その大慈大悲を拝し、真の仏子として、自行化他、随力弘通、もってひたすら御遺命達成の大目標へ向かって進むべきであります。(同)

 このように、尊厳なる大聖人の御遺命に対しては、御仏意に任せ奉ることが仏子としてもっとも大切なことである。その上で本宗僧俗は自行化他、随力弘通に励み、御遺命達成の大目標へ向かって精進するものであり、日顕上人はこのことを御指南されているのである。
 松岡は、正本堂についての池田大作の執着を知るゆえに、『拝述記』のこの御指南についても難癖をつけているにすぎない。
 悪書の4 慈悲なきゆえの愚民思想≠ナは、これ以降にも、憎悪による日顕上人への悪口罵詈と、池田大作に対する歯の浮いたような諂いがあるが、天地顛倒した迷見・邪見と断ずるのみにして、無駄な紙数を省く事とする。


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