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(『富士宗学要集』の頭注を悪用した許されざる日精上人誹謗。)
貴殿の日精擁護はまさに「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」との日興上人の仰せに当たる。ゆえに、貴殿らの日精擁護、日亨上人否定の邪論を更に詳細に破折していくこととしたい。 |
貴殿が『日興遺誡置文』の時の貫首為りと雖も≠フ一文を持ち出して自己正当化の道具に使うことは、全く当たらない。先に述べるように、此の御文について、貴殿らが用いる解釈は、誤解なのである。日興上人は直後に、 衆義たりと雖も、仏法に相違有らば貫首之を摧くべき事。(新編一八八五頁) との御遺誡をお述べになられており、仏法の正邪を判定し、状況に応じて衆義を摧くべき立場にあられるのはあくまで「貫首」すなわち御法主上人である。謗法の貴殿らが「衆義」の言を盾にとり、貫首に対して徹底的に反抗して、宗門から破門され、逆賊となってもよいなどという道理は微塵もないのである。 |
一、時局班は、日精が編纂した「家中抄」に対して日亨上人が施した頭注を誤りと見なしている。しかし、その認識こそ誤りと断ぜざるをえない。 日亨上人は、日興上人以来の正義に反する記述に対して、頭注をもって非を示し注意を喚起されているのである。そして、それは同時に、邪義を紹介しながら、適確な破折を行わない日精に対して、その「底意」、すなわち奥底にある心根の歪みを喝破し、破折されたものと拝することができよう。 |
貴殿の言うように、日精上人は日辰の邪義を把握して著述を行われている。それに対し、日亨上人は文献を広く公開するに当たり、初心の者が文献を見誤らないように頭注を付されたのである。貴殿のように日精上人を誹謗することを意図されたものではない。 先にも述べたが、文献は著された目的や、その時の状況、相手など、全てを勘案して、はじめて全体が分かるのである。 日亨上人は『富士宗学全集』を編纂するに当たり、全国に歩みを運ばれ、膨大な文献類を収集・調査された。さらに、その中から大事な文献を選び出し、『富士宗学要集』にまとめ上げるという一連の作業を、殆どお一人でなされている。恐れ多いことながら膨大な作業の中で、文章の表面上から多少の事実を誤認されたとしてもやむを得ないことである。 しかし、日亨上人が『富士宗学要集』を編纂された目的は偏に宗学・宗史の発展のため、令法久住・広宣流布のためである。研究の結果、真実が紐解かれるのを日亨上人は、むしろ心待ちにしておられたはずである。日亨上人が日精上人に対して「造仏の底意」があると認識されていたのは恐れ多い事ながら日亨上人の誤解であり、また、御先師に誤りがなかったという事実は、必ずや日亨上人もお喜びになられているのである。貴殿は日精上人に対し適確な破折を行わない日精∞奥底にある心根の歪み≠ネどと非難するが、この非難が当たらないことは言うまでもない。 家中抄は門下僧俗に宛てて広く著されたものではない。日亨上人によってはじめて刊行されたのであって、それまでは書写によるしかない時代であり、ほとんど公開されることのない文献だったのである。宗門でも相応の見識をもたれる方しか、この『家中抄』を見ることはなかったであろう。 翻って、唯一にして最大の問題は、日亨上人の頭注を悪用して、しかもそれが誤解であるとの正論にはわざと目をつぶって、貴殿らが行う、血脈付法の日精上人に対する誹謗なのである。日亨上人は興学発展のために『富士宗学要集』を編纂されたが、『富士宗学要集』を材料に、御先師を誹謗し、日蓮正宗を攻撃することなど、断じてお許しになられるはずはないのである。問題の本質をスリカエて日顕上人を非難するという、貴殿の傲慢無礼と卑怯卑劣な言は、まさに堕地獄の所業であると呵しておく。 |
一、要法寺流を重視する日精の「底意」は、「家中抄」全体の構成にも表れている。 「家中抄」は、日興上人をはじめとする富士門家の祖師の伝記を収集・編纂した書であることは貴殿もよく知っていよう。その上・中・下三巻のうち上巻は日興上人伝を納め、中巻は日興上人選定の本六・新六の諸師の伝を納める。問題は下巻である。下巻には、巻頭に要法寺の基礎を作った日尊の伝を掲げ、続いてその流れを汲む日印、日大の伝を続けている。巻末にやっと大石寺の歴代が続くのである。要法寺系の三師の伝記は分量も多い。 「家中抄」は、富士門家の伝記といいながら、要法寺祖師らを重んじ、大石寺歴代を軽く扱っている。あたかも日精が要法寺出身の自己を正当化するがごときの感が否めない。 歴代法主への尊敬を常に強調してきた貴殿は、日精のこの編集態度についてどう思うのか。日精の自己正当化を妥当と思うのか。それとも一族支配をもくろみ、縁故者のみを重んじる貴殿自身と似た体質を日精に見て、親近感を抱いているのか。 |
貴殿は「家中抄」は、富士門家の伝記といいながら、要法寺祖師らを重んじ、大石寺歴代を軽く扱っている≠ネどと述べるが、世迷い言を言うものではない。要法寺では、日目上人より日尊への血脈を立てるのである。しかるに、『家中抄』日道伝では、 当家大事の法門既に日道に付属す、爰に知リぬ大石寺を日道に付属することを、後来の衆徒疑滞を残す莫れ(富要五―二一六頁) と、日目上人よりの金口嫡々の血脈は、最後の天奏の以前に、日尊でもない、日郷でもない、総本山第四世日道上人に付嘱されている旨を述べられ、「疑滞を残す莫れ」とまで仰せられていることを何と思うのか。 また、日有伝においては、 日乗日底の両師の徳行伝失せり、是の故に見ず聞かず故に記する能はず、自筆の御書其ノ外書籍ども多々なり有智高徳なること疑ひなし、況や上代は当時に似ず道心尤モ深し斯クの如き徳行記せざること悲歎の至りなり(富要五―二五六頁) と述べられて、「日乗上人・日底上人におかれては資料は存在しないが、沢山の御書を書写されるなど、有智高徳であったことは疑いない。徳行の伝承が存在しないことは悲嘆の至りである」と仰せられるのである。徳行・御事跡の記録がないのになぜ、「有智高徳なること疑ひなし」と述べられるのか。偏に日精上人の血脈付法の御先師に対する信心と、血脈に対する信念以外の何ものでもない。 日精上人は『家中抄』述作に当たり、可能な限りの史実と大聖人の正義を書き留められようとした。人物によって記述分量を差別されているわけでは断じてない。それを各師に対する記述分量の多寡(たか)などをもって、日精上人を邪難するとは見当違いのアラ探しであり、為にする誹謗である。 記載の順番もしかり、貴殿は『家中抄』下巻の目次を見て、日精上人の意図されるところが分からないらしい。 下巻の日行上人以下の御歴代上人にあっては、大石寺御歴代として連続していた方が分かりやすく、また都合が良いのである。さらに他山の日尊等が大石寺の御歴代より前に述べられているのは、日尊・日印・日大・日郷・日順・日法・日弁の各師は本六・新六に準ずる方や、大聖人御在世の弟子であり、年代的に日行上人以下の御歴代上人よりも上代に当たるのである。歴史書が歴史の順序に記載されることは当然であろう。 |