17、
(日亨上人・日顕上人のお心に寸分の相違なし。)

 (3)むすび
 以上、日精問題の詳しい検討によって、日精を擁護する貴殿と、日精を厳しく批判する日亨上人の違いを浮き彫りにしてきた。日蓮正宗の法主の座に就いた日亨上人と貴殿の二人が、日精という問題ある人物について全く相反する評価をしていることが興味深い。
 その相違が何に由来するのかといえば、日亨上人がどこまでも法を守っていく透徹した「信心の眼」で日精問題を見ておられるのに対して、貴殿は自己絶対化・仏法破壊・先師否定という「魔性の心」で日精問題を見ているからである。

 貴殿の日精を擁護する貴殿と、日精を厳しく批判する日亨上人≠ニの言こそ、全くお門違いも甚だしい言いがかりである。日顕上人は日亨上人を批判しているのではない。貴殿らの邪難を破折されたのだ。
 しかし、これまで論証してきたように、日精上人の御化導は、時に応じた、また特殊な中での適切なものであって、謗法などではなかった。日顕上人は、日亨上人に誤解があられたということを明かされたのである。
 貴殿らは「法主であっても誤りがある。誤った法主に従う必要はない」として、日顕上人に反抗することを正当化しようとしている。創価学会からの歴代御法主上人誹謗の動機は、まさにこの点にある。自分たちのわがままを押し通すだけのために、御法主上人誹謗を正当化しているに過ぎないのである。
 日精上人の御事に関しては、創価学会では早くからこれを宗門への攻撃材料として準備していた。それが、かの昭和五十二年路線の際の内部文書『宗門への質問状』であり、その中に、「血脈付法に関する問題」「第十七世日精上人による仏像造立の問題」等と、日精上人をはじめ御歴代上人に対する疑難を取りまとめていたことが明らかとなっている。当時は使用を見送ったのであるが、これを悪用し、学会に先立って日精上人を誹謗したのが、かの自称「正信会」の輩である。
 かつて池田大作は、
時あたかも本門戒壇の大御本尊、ならびに法灯連綿たる日蓮正宗の根本義たる唯授一人の血脈を否定せんとする愚人の徒輩が、狂い叫ぶように悪口雑言のかぎりをあびせております(広布と人生を語る二―五七頁)
七百星霜、法灯は連綿として謗法厳戒の御掟を貫き、一点の濁りもなく唯授一人の血脈法水は、嫡々の御歴代御法主上人によって伝持せられてまいりました。(同六―一二頁)
等と、日蓮正宗の血脈法水には一点の濁りもなく御歴代御法主上人によって伝持せられてきたと発言していた。このように創価学会では、『宗門への質問状』なる文書を用意したことがありながら、池田大作は「正信会」を「血脈否定の輩」と言って非難していたではないか。それとも池田大作は、『宗門への質問状』において御歴代上人への疑難を用意していたことは当時知らなかった、とでも言い逃れをするのか。貴殿らの所行こそ、愚人の徒輩∞狂い叫ぶ≠ニ言うのである。



 日亨上人はかつて、相承の権威は「実人」にあるのか、「型式」にあるのかという問題提起をされた。そして、実際に相承を受けて猊座に登った体験の上から、相承の形式よりも、実人にこそ権威があるというのが日亨上人の答えだったと拝察する。そして、その「実人」たることの究極の要件は「信心」である。それは、日亨上人の次の言葉に明らかであろう。
 「口決相承等というものは信仰の賜じゃよ。信仰もなく学も行もない貫首がいったい、何を伝授するというのか」「口伝なるものは完器にして始めて可能なんじゃ。破器・汚器の者であれば、猊下と雖も何にもならん」「猊下というものは、法の取継に過ぎんのじゃよ。嘘をつく者、如才ない者は論外だよ」
 実にうなずける一言一言である。
 これに対して貴殿は、登座前にどんな謗法があっても、それが日精のように一宗を破壊するような大謗法であっても、登座後にはそれがなくなると論じて、日精を擁護した。これは先の実人か形式かで言えば、形式を重んじているといえる。形式にあらゆる罪、あらゆる悪を消す神秘的な力があることになる。
 しかし、そのような法主観は全く誤りであり、信心なき者が形式によって権威を与えられると極悪になることを、ほかならぬ貴殿自身の登座後の貴殿の所業が証明してくれたのである。
 日亨上人は、先に挙げた最後の言葉に続けて、「でもな、いずれそのうち、平僧や信徒を迫害しぬく猊下も出てくることだろうよ」と語られたという。まさに、貴殿のような極悪法主の出現を予言しているのである。


 貴殿は、日亨上人が、相承の権威は「実人」にあるのか、「型式」にあるのかという問題提起をされた≠ニし、その上で実際に相承を受けて猊座に登った体験の上から、相承の形式よりも、実人にこそ権威があるというのが日亨上人の答えだったと拝察する≠ネどと述べている。しかし、日亨上人が相承の「形式」・「実人」等について考察されたのは、後にも先にも御登座前の大正十二年四月に『大日蓮』に発表された論文『血脈相承の断絶等に就いて史的考察及び弁蒙』の一度だけであり、相承を受けて猊座に登った体験≠語った、などというのは全くもって虚言・欺瞞である。このように恥も外聞もなく、子供だましの嘘を平気で言う者が「創価学会教学部長」なのだ。御法主日顕上人に対し、かかる駄文を送りつけ邪難するとは、まさに笑止千万である。身の程を知れと呵しておく。
 さらに、その他にも貴殿は、日亨上人が述べられたとするいくつかの出所不明の言葉≠ネるものを挙げている。貴殿らのように卑怯・虚言をお家芸とする者共の引用の言葉≠ヘ、怪しいものである。これらの言葉≠ェ本当にあったというのなら、その言葉≠フ出所を明らかにすべきである。おそらく日亨上人は、「血脈相承の根本は信である」ということは述べられたかもしれないが、これほど貴殿らに都合のよい言葉≠述べられるわけがないのだ。
 何故なら、貴殿らが「信仰もなく学も行もない貫首」と日亨上人が激越に批判されたとする五十八世日柱上人に対して、実は日亨上人は日柱上人が学頭になられる以前から、御登座遊ばされるまで、終始、御助力をなされていたことが、次の日亨上人の「告白」の文により明白だからである。
大正四年に日柱師を学頭に推挙するの主動者となりてより同十二年に五十八世の猊座に上らるまで直接に間接に力めて障碍なからしむるやうにした(昭和二年十一月二十日)
このお言葉は、言うまでもなく日亨上人の日柱上人に対する強い信頼を示すものである。もし日柱上人が「信仰もなく学も行もない」ような方であれば、正義感の強い日亨上人が、学頭に推挙されたり、さらには御登座まで助力をなされたはずもないのである。ここから導き出される結論はただ一つ、日亨上人は日柱上人を、宗門を担う御方と信頼して、援護されたのである。貴殿らの掲げる日亨上人の言葉≠ネるものは、この事実からも信用することはできない。
 次に貴殿がここで最初に述べる、日亨上人の「型式・実人についての問題提起」について述べておこう。これは、第十五世日昌上人が御遷化された際、第十六世日就上人への御相承を理境坊日義師が預かったとの説があることについて、日亨上人が、
血脈断絶法水雍塞の形ありと云はゞ云へるが、相承の内容に立入りて見るとき、御相承は殊に金口嫡々のは授受の型式作法に権威ありや、御当人に権威ありやと云ふ問題が起るべきであらう、而して法式と実人とは何れが主なりやと云ふ事を決定してかゝる時、若し実人に適確の権威あらば授受の作法は此を結成するのに型式に過ぎざるから就師のやうな場合でも、血脈断絶法水雍塞の不都合は無い訳である。若し然らずして作法にのみ大権威存在して実人は何人でも宜いと云ふ事ならば、此場合の如きは血脈断絶の悲事となる訳である。又作法にも実人にも相互に権威あり法人映発して法主の大器を作ると云ふ事ならば、此場合は少くも法水一時枯渇の状を呈する不祥事となるであらう。(大日蓮 大正十二年四月号一六頁)
と述べられた中にある。このお言葉の前提として、日昌上人は御遷化の十五年も前に日就上人に法を内付されているのであり、日昌上人と日就上人の間に血脈断絶などということはありえない。その上でちなみに、御相承に関して、法式(授受の形式作法)と実人(御当人)のどちらが主であるかという、議論をなされたのである。つまり日亨上人が御相承において「実人に権威がある」と仰せられたのは、たとえ御相承の儀式が無い場合でも、内付によって御相承を受けられる方の境界に実人としての適確の権威が具わっており、血脈断絶などということはない、という意である。また、このお言葉について日顕上人は、前掲「史的考察及び弁蒙」中の御相承の儀式について、
このお言葉の底意は、「形としてはそういう形式・作法の在り方があるから、そういう在り方が存在する例を考えるならば、そのような形式として存することは結構である。しかし、それがなければ血脈が伝わらないとか、断絶したというようなことではない」という意味を、敢えて反問の形で言われるところにあるのです。しかし、そこのところを、「相承は御仏意の上に、形式の有無にかかわらず伝承されている」と、もっとはっきりと仰せになっていただければ、疑問を持つ者も、より少なかったと思います。それから、「御当人に権威ありや」。これは、権威といってはおかしいかも知れないが、その承けたところの意義において、おのずから当人の命のなかに生ずるものがあるのです。(中略)まして、大乗仏教の真実・最高の教えの血脈をお承けするという上から考えれば、尊い表業による結果が身に当たって生ずることも、当然といえば当然であります。要するに、「日蓮 日興」の御相伝を拝しても、本当の意味の唯我与我、また、さらに言うならば、授受感応における深いお心というものがあるのです。特に、重大な意味を持つ代々上人の血脈を譲るというような場合には、幼いから疑わしいとか、最後にお会いになっていないから変だとか、あるいはこの形式がないから違うなどというような、凡眼凡智で量れるものでは絶対にないという次第であります。(大日蓮 平成四年十月号三九頁)
と御講義されている。つまり、日亨上人も御登座前とはいえ、御相承は儀式ではなく、実際の付法によって具わる実人としての適確の権威が重要であるとの趣旨を仰せられ、また御当代日顕上人は、実際に御相承をお承けになられた御境界から、「相承は御仏意の上に、形式の有無にかかわらず伝承されている」また、御相承においては、必ず付法によって生ずる「唯我与我」「授受感応における深いお心」が重要なのであると、さらにその意義を徹底補足されているのである。ここに明らかなように日亨上人、日顕上人ともに、御相承の形式にとらわれてはならない、との御見解に全く相違はない。
 ところが貴殿は、日顕上人が日精のように一宗を破壊するような大謗法であっても、登座後にはそれがなくなると論じて、日精を擁護した≠ニ言い、またこれは先の実人か形式かで言えば、形式を重んじているといえる≠ネどと言う。いつどこで日顕上人が、日精上人は一宗を破壊するような大謗法≠犯したと述べられ、また大謗法≠犯しても登座後にはそれがなくなる≠ネどと仰せられたのだ。そのような御指南があるというなら出してみよ。いい加減なことを言うものではない。かかる貴殿の言を誣言と言うのだ。また日顕上人があたかも御相承の形式にとらわれているかのように欺瞞しているが、仰せの内容は全く逆ではないか。貴殿の邪智は一体どこまで悪辣なのだ。日顕上人にそのようなお考えは毛頭あられないことは、誰にでも分かる道理である。
 日亨上人は、「史的考察及び弁蒙」において、
私の未決定の史論を盲信して濫りに此から割出した御議論を為さらぬやうに願ひたい(大日蓮 大正十二年四月号一〇頁)
此は局外者の抽象的の議論である。直に宗門教権の大事を批判すべき標準にはせぬが宜い。(同一六頁)
と、読者に注意を喚起されている。つまり信仰的次元においては、御相承の「形式」が大事か「実人」が大事かなどということは、全く議論の余地はない。先の日顕上人の御指南に明らかなように、「相承は御仏意の上に、形式の有無にかかわらず伝承されている」と拝信しなければならないのである。また、御登座前の日亨上人も客観的立場から議論を展開されたが、結論は、実際の付法によって具わる「実人」としての「適確の権威」が重要であると仰せられているのである。ならば貴殿の日精のように一宗を破壊するような大謗法であっても、登座後にはそれがなくなる≠ニ日顕上人が仰せられたかのように誣言する牽強付会の論理も根底から破綻している。すなわち、日精上人を含めた全ての御歴代上人に、そもそも大謗法などなく、血脈を承けるべき御境界であられたから、御先師より法を付嘱され、実人としての適確の権威を具え、御法主上人となられたからである。
 この「史的考察及び弁蒙」、並びにここに挙げた日顕上人の御講義は、いずれも『大日蓮』に掲載されている。貴殿らが虚心坦懐に熟読すれば、必ず蒙昧(もうまい)は開かれよう。それができないのは、貴殿らに正直な信心の眼が失われているからである。
 また日顕上人は、
御相承といっても、皆さんが本当に純真な気持ちで毎日毎日の修行に励んでおられる成仏の道のなかにすべてがあるのでありまして、それ以外のものは何一つありませんし、また、あるはずはないのであります。(大日蓮 昭和五十八年十一月号三三頁)
と、御相承の根本は信であることを御指南されているが、それは貴殿らのように、信心を失っているにもかかわらず、唯授一人の血脈相承を否定するために信心という言葉を持ち出すのとは、全く異なる。貴殿は、「実人」たることの究極の要件は「信心」である≠ニ言うが、日亨上人は、信心さえあれば唯授一人の血脈相承に依らなくてもよいなどとは、どこにも仰せになっていないのである。
 日精上人は、御登座の後に、
当家甚深の相承の事。全く余仁の一言半句も申し聞く事之れ無く、唯貫主一人の外は知る能わざるなり。(中略)又本尊相伝、唯授一人の相承なるが故に、代々一人の外、書写すること之れ無し。(歴全二―三一四頁)
と、当家の血脈相承について絶対の御確信を述べられている。この血脈相承があったればこそ、大聖人の正義が今日まで誤りなく伝えられたのであり、本年初頭の御法主上人の御指南も、このことを示されたのである。貴殿が、怪しい言葉≠ノ惑わされているのか、利用して惑わしているのかは知らないが、大聖人、御歴代御法主上人の道理の上からの御指南を拝信し、これまでの極悪の言を懺悔すべきである。

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