はじめに



 日蓮正宗は本年を「破邪顕正」の年と銘打ち、邪宗破折の意気も高く新年を迎えた。御法主日顕上人猊下におかれては、元旦と三日の唱題行の折、創価学会による御歴代の御法主上人への悪口罵詈、特に日精上人に対する誹謗が、道理に外れた不知恩の邪義であることを説かれて、創価学会の邪難を破折粉砕遊ばされた。
 この御法主上人猊下の新年初頭よりの破折の大利剣は、法界の魔王の邪用を切り裂き、その眷属である貴殿斉藤克司ら創価学会幹部たちの謗法の酒に酔いつぶれた妄執の疑心に突き刺さった。ものに狂う池田大作ら謗法者が見せたのは、貴殿に命じて、この御指南に対する邪問満載の駄文を御法主日顕上人猊下に送付するという、あわてぶりであった。
 その内容と目的は、日精上人と御当代日顕上人に対する誹謗の繰り返しであり、それによって血脈に対する疑惑を再び持たせ、洗脳された創価学会一般会員の御歴代上人に対する不信の状態を延長継続せしめようと意図するものである。
 ところが驚いたことに、この駄文は一読するに、創価学会がこれまでの見解を覆し、日精上人に対する邪難が誤りであったことを認めたものであった。
 「創価学会がついに誤りを認めた」のである。それも斉藤教学部長という教学の責任者がである。これは実に重大発表である。
 これまで創価学会は、日精上人には御登座後も要法寺の広蔵日辰流の造読思想があったとして、誹謗の限りを尽くしてきた。ところが今回の文書で創価学会は、斉藤教学部長の名をもって正式に、

確かに日精は、この書※1では一応、「或ル抄」2の立義の誤まりを指摘しており、要法寺流の邪義にべったりというわけではない。
(※1日精上人著『日蓮聖人年譜』 ※2要法寺日辰の邪抄)
と述べて、従来の見解を訂正したのである。
 この
或ル抄」の立義の誤まりを指摘しており、要法寺流の邪義にべったりというわけではない≠ニは、日精上人が要法寺流の立義、つまり造仏読誦の誤りを指摘されているから要法寺流ではない、ということであり、とりもなおさずそれは、貴殿らが日精上人が造読家ではないことを認めたということである。それは、これまでの貴殿らの説が邪義であったことを意味する。同時にまた、
日亨上人は、当該個所が「或ル抄」の引用とそれに対する日精の破折であることは百も承知なのである。

とも述べて、日精上人が日辰の邪義を破折されたことを日亨上人もご存知であったと、訂正したのである。この点については

しかし、その一方で、富士の正義を十分鮮明に示すまでには決して達していないのである。

と苦しい言い訳をするが、日精上人が不造家であることを認め、しかも日精上人が日辰の邪義を破折しておられることを認めたことにより、貴殿らの邪義は根底から崩れたも同然である。これを認めた以上、あとでいくら、日精上人が富士の正義に達していない≠ニ言い繕ってみたところで、「焼け石に水」でなんの効果もない。
 このように、貴殿ら創価学会は、日蓮大聖人以来、連綿と伝承される本宗深秘の血脈相承を破らんとして、日精上人を謗法の造読家に仕立て上げ、それによって御歴代の御法主上人、就中現在の大導師である御当代法主日顕上人を悪口罵詈・誹毀讒謗(ひきざんぼう)し、その信用失墜を図ったものの、日顕上人から日精上人の正義を明示して破折されるや、貴殿の言をもって、たちまちに従来の邪説を翻したのである。創価学会崩壊の予感に怯(おび)える貴殿は、日精上人誹謗が邪義であることが創価学会の内外に知れ渡り、会員が動揺することを恐れて、新たなる邪義の上塗りをするという、腐り果てた所業に出た。斉藤克司よ、これは今回の文書で貴殿が犯した最大の失態である。
 誠に「新春の御慶賀自他幸甚幸甚」である。「破邪顕正の年」である本年は、御法主日顕上人猊下の師子吼一声、これまでの日精上人、就中血脈相承に対する根本的な大疑執が打ち破られ、貴殿ら創価学会幹部の認識に正解が芽生えたのである。
 この慶ばしい時に当たり、一つの文書を提示し、貴殿らの寝ぼけ眼を見開かしめると共に、これまで数々の創価学会の邪難に耐えて血脈の仏法を信じ、日精上人を信じて折伏に励んでこられた方々の眼福に呈しよう。
 それは金沢妙喜寺に蔵され、宗旨建立七百五十年慶祝記念特別記念展にも展示された『秘釈独見(ひしゃくどっけん)』の中の一文である。そこには金沢信徒・福原式治(ふくはらしきじ)の筆により次の記述が見られる。

精師御教語に曰く、今世の愚昧の人を教化して受法せしめん此の功徳は八万四千体の白仏を造て供養し給仕する功徳よりも勝れたる也云々。一人受法するときは八万四千の煩悩即菩提となる。何んそ木仏八万四千体造立するとも此の功徳に及ぶ事を得んや。

と。これは現代文に直せば、
「日精上人の御教えのお言葉に次のように仰せられていた。今世の愚昧(愚かで仏法に昧い)の人を教化して御授戒を受けさせて信仰させる此の功徳は八万四千体の白仏(仏像)を造って供養し給仕する功徳よりも勝れている。一人が信仰受法する時は八万四千の煩悩即菩提となる。たとえ木の仏像などを八万四千体も造立しても此の功徳に及ぶ事はない」
ということであって、日精上人が、御自分が教化折伏した金沢の信徒に対して、造仏の修行よりも折伏の功徳が勝れていることを、はっきりと御教示されている。それはつまり折伏を勧めることによって、造仏を制止されているのである。この文書によって、日精上人の実際の御化導が、造仏を勧められていなかったことが確定したばかりでなく、折伏を強く推進されていたことが明確となったのである。
 また妙喜寺蔵の「天和二年二月廿三日 高橋九左衛門道号隆玄院日意」授与の日精上人の御本尊に、

以首題自我偈法華経一千部都合成就故可稱

とある。これは自我偈と唱題をもって法華経一千部を成就した褒賞の御本尊である。ふつう一部と言えば、法華経二十八品を指す。しかし、日精上人の一部は、法華経二十八品を一部とするものではない。日寛上人は、

法華経一部八巻廿八品ノ文字ハ六万九千三百八十四字ナリ。題目一万遍亦七万字ナリ。大旨文字数同ナリ。故一万遍ヲ以テ一部ト定レバ、二千万遍ハ即二千部也。是ハ常ノ義也。(父母報恩談義 正本・大石寺蔵)

と仰せになり、唱題一万遍を法華経一部とされた。これは七字の題目を一万遍唱えればその文字数は合計七万字となり、この数と法華経二十八品の六万九千三百八十四字の字数は、おおむね同じであることから、唱題一万遍を一部とされたのである。そしてこの考え方は「常ノ義」とあるように、当時、通常の義として富士門下では一般化していた。
 このように、この千部とは一部が唱題行一万遍のことであるから一千万遍のことであり、高橋九左衛門が日精上人の御指南により、唱題行を都合一千万遍達成した褒賞に、道号を隆玄院日意と称することを許されるとともに御本尊を頂戴したものである。後述するが、このような唱題行一千万遍成就褒賞の御本尊は埼玉妙本寺信徒授与のものもあり、金沢の強靱かつ爆発的な信徒拡大は日精上人の御化導によって、信徒が陸続と唱題行第一の大精進を成就した結果であることがわかる。
 江戸時代の金沢の布教の凄さは、これまで金沢法難という受難忍難の面が注目されていたが、この日精上人の折伏推進と共に、一千万遍等のひたむきな唱題行という、自行化他にわたる強盛な信行が隠れていたのである。
 さらにいえば日達上人は、牧口常三郎氏のことを、

あの初代会長牧口先生は、昭和の初めごろ、本宗に入信せられたのですが、入信後たまたま新潟の実家に帰って、その家にあったお御影様を見たところが、本宗の十七代日精上人の御開眼のお御影様であったのであります。ひじょうに驚かれたのでございます。
 そのお御影様は、私も拝見いたしたことがございます。これで牧口先生の先祖が、二百八十年も昔に、すでに折伏下種せられておったということを知ることができるのであります。そのように、すでに折伏下種せられておったのが、ドロ沼の蓮華のごとく三百年近くもたってから、ふたたび芽をふきだして、以前にもまして、いっそうりっぱな花を咲かせ、今日の創価学会のはじめをなしたのであります。
(日達上人全集第一輯三―二六八頁)

と仰せられている。このように創価学会は、そもそも初代会長が日精上人の御化導の縁に連なっているのである。
 第十七世日精上人の下種結縁の仏種が、第六十世日開上人の御時に実を結んだのが創価学会初代会長・牧口常三郎氏入信の因縁である。その御恩に対し奉り、日精上人深縁の常泉寺・本行寺の住職をされ、また日開上人の御子息でもあられる御当代法主日顕上人に罵詈讒謗の限りをもって応えるのが、貴殿ら創価学会幹部である。師弟の法門を説きながら、たちまちに師に背く大逆罪を造るその所業。
 必ず必ず無間地獄の扉は貴殿たちのために開かれることであろう。
 貴殿の愚論は、日精上人に対する誹謗と、日亨上人の御見解を悪用しての日顕上人誹謗に終始しているので、以下、日精上人と日亨上人について当方の見解を明示して貴殿らの妄執を断ち、その後、貴殿の愚問を挙げつつ破折を加えていく。

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