御法主日顕上人猊下に対する浅井昭衛の

   不遜なる「対決申し入れ書」を破折す

   (三)「河辺メモ」における大御本尊誹謗≠フ妄言を破す



 次にその三は、河辺慈篤に対し、ひそかに戒壇の大御本尊を偽物呼ばわりしていたこと≠ニの妄言を破す。


         [浅井の疑難は創価学会の二番煎じ]


 貴殿は御法主上人が昭和五十三年二月七日、帝国ホテルにおいて腹心の河辺慈篤と密かに面談しあろうことか、荒唐無稽な理由を挙げて、恐れ多くも戒壇の大御本尊を「偽物」と誹謗したのであった。──この事実は、河辺慈篤の記録いわゆる「河辺メモ」に明らかである≠ネどと述べているが、この邪難も創価学会の二番煎じであり、とうの昔に破折しつくされていることである。
 また、得々と久遠院日騰師のことを述べているが、日霑上人は、
久遠院便妙・国学の友大堀有忠に語って云はくとは死人に口なし能き証人なり、彼の便妙なる者、吾が信者ならざる方外の友杯に妄りに法話をすべきの人にあらず、是れ必ず死して其の人の亡きを幸とし斯る胡乱なる証人を出し給ひし者か、若し万が一彼の人にして此語あらば彼の人の殃死は必ず此の妄言を出せし現報なるべし豈慎まざるべけんや(富要七巻一〇一頁)
と仰せになり、久遠院日騰師の発言の真偽については「死人に口なし」の類であり、日騰師にしてそのような発言があるはずがない、根拠のない言いがかりであると述べられるのである。その上で、万一斯様な発言があったとするならば日騰師であっても罪障は免れない。仮にそうだとすれば、地震の被害で遷化されたのはその報いの現れといえるとも述べられている。つまり日霑上人は久遠院日騰師にかかる発言があったとは述べられていないし、恐らくは言いがかりであるとされているのである。貴殿が引用した箇所においても日霑上人は、久遠院日騰師の被災の原因について「是れ宿業ならんや、現報ならんや」と宿業か、現報かと仰せられていて、久遠院日騰師に大御本尊を否定する発言があったとは断定されていない。その上で日霑上人は、学頭になられた久遠院日騰師ほどの方であっても宿業にせよ現報にせよ仏法の報いはあるのであり、身を慎んで仏道修行に邁進せよと御指南されたものと拝される。
 しかるに貴殿は久遠院日騰師に大御本尊を否定する発言があったと断定している。これは日霑上人が「死人に口なし」であると破折される如く、「根拠のない言いがかり」そのものなのである。また「河辺メモ」についてもしかり、河邊慈篤師が逝去されたことを良いことに言いたい放題のことを言っている。
 メモとは、備忘録などの意味であり、「河辺メモ」なるものは河邊慈篤師の備忘録である以上、河邊慈篤師が記憶を喚起すること以外、何人もそのメモの内容に意味を付与することはできない。河邊慈篤師のメモは、しばしば学会のスパイによって持ち出され、悪用されている。即ち御法主上人を陥れんとするため、創価学会は悪意をもってメモを解釈し、御法主上人の誹謗に利用してきたのである。貴殿は創価学会の飼い犬か。恥を知れと呵すものである。
 そして何よりも、メモを書き残した当事者である河邊慈篤師は、
私はこれまで、種々メモを残しておりますが、その方法は、見聞した事柄につき、後に回顧して書いたものが多く、その際、私の性格として、自分の主観に強くこだわり、その趣旨で書き記す傾向があります。
 従いまして、今回の件における面談の折の記憶を喚起致しますと、当時の裁判や以前からの『戒壇の大御本尊』に対する疑難について様々な話が出た中で、それらと関連して、宗内においても、『戒壇の大御本尊』と、昭和四十五年に総本山へ奉納された『日禅授与の御本尊』が共に大幅の御本尊であられ、御筆の太さなどの類似から、両御本尊の関係に対する妄説が生じる可能性と、その場合の破折について話を伺ったものであります。
 但しこの話は強烈に意識に残りましたので、話の前後を抜いて記録してしまい、あたかも御法主上人猊下が御自らの意見として『本門戒壇の大御本尊』を偽物と断じたかのごとき内容のメモとなってしまいましたことは明らかに私の記録ミスであります。
 このような私の不注意による、事実とは異なる不適切な内容のメモが外部に流出致し、本門戒壇の大御本尊様の御威光を傷つけ奉り、更には御法主上人猊下の御宸襟を悩ませ、また宗内御一同様に多大の御迷惑をおかけ致しましたことを衷心より深くお詫び申し上げる次第でございます。(大日蓮 平成一一年九月号四頁)

と、貴殿の述べる、日顕上人が戒壇の大御本尊を偽物と断じたかの如き妄言について、明確に否定し、御法主上人にお詫びされている。即ち、「河辺メモ」に記されている内容は、何者かが『戒壇の大御本尊』と『日禅授与の御本尊』を関連づけて妄説を述べる可能性について話し合われたものなのであり、さらにその「話の前後を抜いて記録してしまい……内容のメモ」なのである。
 そして日顕上人も、
いわゆる河辺メモは、客観的な言旨を極めて自己の主観的な形に書き変えた慈篤房の記録ミスである。則ち主として創価学会の存在によって生じた日蓮正宗に対する種々の批判中の一環として、御本尊と血脈等に関する疑難悪口があることの内容について、ある時に慈篤房と客観的な話しをしたような記憶は存する。しかし学会で発表したあのメモのような諸件についての主張をしたことは断じてないのである。(大日蓮 平成一一年一〇月号六頁)
と、日顕上人と河邊慈篤師が『戒壇の大御本尊』に対する邪難を客観的に話し合われたことが、自己の主観によって日顕上人御自身があたかもそう述べられたようにも受け取れる記録がなされていると御指南され、記録の不正確な点を指摘されている。さらに、
そこで此の際はっきりしておくことは、本門戒壇の大御本尊様と日禅授与の御本尊とは全く相違しているという事である。よく拝すれば中尊の七字の寸法と全体からの御位置においても、明らかに異なりが存し、また御署名御花押の御文字及びその大ききや御位置、各十界尊形の位置等にも歴然たる相異が存する。そして勿論模写の形跡などは存在しない。
したがって御戒壇様と日禅授与の御本尊とを類推すること自体が全くの誤りであり、この事をはっきり、述べておくものである。(同)

と、御戒壇様に関する妄説が事実に照らして誤りであることを明確に御指摘遊ばされている。
 貴殿は荒唐無稽な理由を挙げて、恐れ多くも戒壇の大御本尊を「偽物」と誹謗した≠ニ述べているが、そもそも、メモに記された「模写の形跡」云云など、およそ客観的事実と食い違うことまでメモには記されている。まさに荒唐無稽≠ネ内容なのである。ならば尚のこと、当時宗門の教学部長という要職にあられた日顕上人が、そのようなことを述べられるという道理は毛頭ないではないか。即ち「河辺メモ」に関するこれらの誹謗は為にする誹謗なのである。ではなぜメモにあのようなことが記されていたのであろうか。
 それは、その妄説について話し合われる必然性も当時の状況として存したのである。正信会の大黒喜道は自著『日興門流上代事典』の中で、
元は東京・法道院所蔵にて昭和四五年に大石寺に奉納された弘安三年五月九日書顕の宗祖本尊(脇書[比丘日禅授与之])がその相貌と言い大きさと言い、当本尊と酷似しており、注意される。(同書七三七頁)
と述べている。そして大黒喜道自身、この論議については大黒が宗門から擯斥される以前より、存在したことを認めている。つまり貴殿が言いがかりをつけるメモとは、大黒が存在したと認める戒壇の大御本尊に関する邪難について、教学部長時代の日顕上人と河邊慈篤師が話し合われたことの記録なのである。
 さらに貴殿は細井管長への積もる鬱憤を吐露している≠ニも述べるが、これも全くの誤解である。メモは客観と主観が不正確に記録されている。即ち、日達上人に対する不遜の言も、間違いなく活動家僧侶(後の正信会)の発言である。
 このように、貴殿はメモを記した河邊慈篤師、及び当事者であられる日顕上人が否定されている内容を、学会の悪意宣伝のままに、事実であるかの如く嘯いている。まさに卑怯卑劣なやり方である。すでにメモを記した河邊慈篤師は逝去された。そこで貴殿は「死人に口無し」とばかりに、日顕上人を悪人に仕立て上げ、どこまでも学会の尻馬に乗って、日顕上人が周章狼狽し嘘に嘘を重ねて発言内容を否定した≠ニいうのである。嘘に嘘を重ねて≠ニは一体どういう事だ。日顕上人は事実に照らして、メモは記録ミスであり、「日禅授与の御本尊とを類推すること自体が全くの誤り」と、述べられているのである。事実を述べられた日顕上人のお言葉を嘘を重ねて≠ニ邪難するということは、貴殿は『戒壇の大御本尊』を本物とする日顕上人の御発言が嘘であると言っているのである。何たる愚か者であろうか。それでもなお、日顕上人が嘘に嘘を重ねて≠「ると主張するならば、それはもはや貴殿自身が戒壇の大御本尊を偽物とする邪な考えであると言う他はない。
 日顕上人は、
宗祖大聖人御化導の正義は仏像の造立に非ず、大曼荼羅本尊の顕発と弘通に存する。その御正意は弘安元年以降の御本尊境智の究竟人法一箇の上の三大秘法の整足、即ちその御当体は本門戒壇の大御本尊にましますのであり、故に古来、三大秘法惣在の御本尊と拝称し奉るのである。この三大秘法の究極の法体こそ宗祖大聖人の御正意であると共に御書全体の正義であり、また大聖人日興上人の唯我与我の血脈の本旨である。
 この教義信条に基いて一器の水を一器に移す如く、宗祖大聖人本懐の三大秘法の深義が伝承されており、その根本の御本尊として格護されて来たのが本門戒壇の大御本尊である。
 故に野衲も先師日達上人よりの付法に基き、登座以来二十年、身命を捧げて御護り申し上げて来たのである。否、それ以前の宗門教師の時より已来、変わらざる信念と覚悟を以て執筆、言論等にこの教義信仰の大事を陳べて来たものである(大日蓮 平成一一年一〇月号六頁)

と御指南されている。浅井昭衛よ、まさに、「河辺メモ」を元に誹謗を受けられた当事者であられる日顕上人のこの御指南をこそ信伏して拝せ。それでも尚、日顕上人が嘘を述べているなどという無慚無愧の讒言を述べるならば、貴殿は池田大作の片棒を担ぐ手先であり、池田大作の太鼓持ちであると自認するものと断ずる。


         [浅井の御開扉中止発言は笑止千万]


 貴殿はおよそ戒壇の大御本尊は、広布の日まで秘蔵し奉るべき秘仏にてまします。されば濫りの御開扉を直ちに中止し、日興上人の御心のままに、もっぱら秘蔵厳護し奉るべきである≠ネどというが笑止千万である。何も知らぬ無知蒙昧の輩が戯言を述べるものではない。日寛上人は『寿量品談義』に、
未だ時至らざる故に直ちに事の戒壇之れ無しと雖も、既に本門の戒壇の御本尊存する上は其の住処は即戒壇なり。其の本尊に打ち向ひ戒壇の地に住して南無妙法蓮華経と唱ふる則は本門の題目なり。志有らん人は登山して拝したまへ。(富要一〇巻一三一頁)
と仰せられている。即ち大石寺門徒であるならば御開扉を頂くことが当然なのである。
 また三十世日忠上人は、登山した金沢の御信徒に対して、
先々門弟は登山して一閻浮提第一の仏様に御目に懸って、御礼を申上る筈の事で御座る。(妙喜寺文書)
と仰せになり、登山して御開扉を受けることを最大限に奨励されている。
 そして近年に於ても御会式や大法要など、参詣者の多いときには戒壇の大御本尊を御影堂や客殿に御遷座して大勢の信徒が御開扉を受けていたのである。ここに日應上人が奉修された「御影堂営繕落慶法要」次第の一部をここに示すのでよく読んで見よ。
二十三日(中略)午後二時 一号鐘 主鈴宝蔵出仕 二号鐘 法主満山一同宝蔵出仕 三号鐘 大本尊に供奉して一同御堂へ上る 第一鼓 大本尊着座 大輪 御開扉 午後五時 第二鼓 大本尊宝蔵へ御還座 一同供奉如前(院一一一)
 このように日應上人も御戒壇様を御影堂に御遷座し御開扉なされている。貴殿の言う如くならば、御戒壇様を秘蔵厳護しなかった日應上人は悪法主なのか。
 また、かつての妙信講の支部結成を許可され、貴殿も
英邁の聞こえ高い第六十五世の御法主(顕正会の歴史と使命 三二頁)
と崇める日淳上人は、大講堂落成の慶事に併せて登山する約二十万人の登山者に御慈悲を垂れられ、特別に戒壇の大御本尊を大講堂に御遷座され、一日に二回の御開扉を約一カ月間にわたり許可されたのである。よもや貴殿らもこの御開扉に参加したことはない、などとは言えまい。
 ここまで言えば自ずと答えはわかるであろう。御歴代上人がかくも御開扉を奨励されながら、御宝蔵にて大御本尊を御守護申し上げてきた理由は秘蔵を主たる目的とするのではなく、大御本尊を厳護し奉ることに主たる目的があったのである。現代において封建社会の悪弊は完全に取り払われ、信教の自由が確立された。今この時に大御本尊を守護しつつ大勢の信徒が礼拝できる堂宇を建立し、多くの日蓮正宗信徒に登山参詣を奨励することは、日蓮正宗の法義に照らして当然のことであり、御開扉を直ちに中止≠ケよなどと言うこと自体が大石寺の伝統化儀の何たるかを知らない無知の輩の戯言なのである。
 貴殿は国立戒壇に安置し奉るべしとて留められた戒壇の大御本尊を、国立戒壇否定のための正本堂に居えまいらせた≠ネどと相変わらず言っているが、「国立戒壇」が今日邪義であることは先に述べた。故に国立戒壇否定のための正本堂≠ネどという理屈はありえない。
 正本堂は当時として日達上人の御指南のもと、蔵の形に設計された建物である。しかし、本門戒壇の大御本尊が御安置される以上、参詣の多数の信徒が現当にわたって戒壇の功徳を享受する建物となるのである。当時の僧俗は一丸となり、現時における事の戒壇を建立せんとの気概をもって正本堂を建立した。その意義は正しかったのである。しかし、池田大作は破門されてもなお、あくまで正本堂を御遺命の戒壇とし、自分が大聖人の御遺命を達成したのだとすることに固執していた。日顕上人は池田大作の邪心を打ち砕き正義を顕すために正本堂を解体し、奉安堂を建立されたのである。
 しかるに貴殿は奉安堂という大規模な礼拝施設を作り、各末寺・法華講に登山を強要しては収入の増大を図っている。これ戒壇の大御本尊を営利の具とする以外の何ものでもない≠ネどとも悪言を吐くが、先の日寛上人、日忠上人の御指南をどのように拝するのだ。ひと度、日蓮正宗の信徒になったならば折りをみて御開扉を受け、無始以来の謗法罪障消滅と現当二世を願うことは当然のこととして行じなければならないのである。
 この際はっきりしておこう、貴殿は信徒除名以前に於て御開扉を願ったことは無いのか。この点について明確にせよ。無知な顕正会員は欺けても宗門に斯様な欺瞞は通用しない。即ち貴殿が御開扉を直ちに中止≠ケよ、などと日蓮正宗の教義に本来ない謬義を述べるのは、妙信講が講中解散処分となり、貴殿らが信徒除名になったことにより御開扉が受けられなくなった、その辻褄を合わせるために打ち立てたものなのである。今その証拠の文証を挙げる。
 まず貴殿の父浅井甚兵衛は、
今私共は、宿縁深厚にして時至らざるに内拝を賜ることは、幸いこれに過ぐるものはありません。(富士 昭和四六年九月号)
と述べている。さらに貴殿、浅井昭衛も、
気にかかっておりました台風二十三号もなんら障礙もなく、本日ここに妙信講の全講員無事に戒壇の大御本尊に御内拝を遂げ奉ったこと、誠におめでとうございました(同)
と述べ、御開扉を受けた有り難さを祝っているのである。その貴殿が御開扉を直ちに中止≠ケよなどとは何たる自家撞着であろうか。
 貴殿は顕正会員に正直に告白したらどうだ。自分もかつては幾度となく御開扉を願い、正本堂の『御供養趣意書』の意義にも賛同し、御供養に参加しましたと。


         [浅井の血脈否定は変節漢の両舌・無節操]


 貴殿は近年、血脈に関して、たわけた邪義を唱えているようなので、ここで併せて破折しておく。貴殿は、平成十一年四月十二日になって、
細井管長は昭和五十四年七月二十二日、入院していたフジヤマ病院で、臨終思うようにならず急死を遂げた。貫首の立場にある人が、誰もそばにいないとき、一人で急死してしまった。よって御相承をすることができなかったのであります。まさしく御遺命に背いたゆえに、細井管長は御相承を「授ける」ことができず、阿部管長また御遺命違背の科によって「受ける」ことができなかった。「授」なく「受」なしであります。(顕正新聞 平成一一年四月二五日付)
と、突如として血脈が断絶したと言い出した。全く主義・主張の一貫しないあきれ果てた変節漢である。顕正会が邪教化した団体の常套として血脈断絶の邪義を唱えるならば、なぜ日顕上人が御登座された時にそれを述べなかったのか。日顕上人御登座後二十年も経ってからそのようなことを言い出すとは邪教団体正信会・創価学会のあと乗りも良いところである。また、
御相承の断絶にまで至ったこの仏法上の重大事は、狭くともまことに深いから知り難い。(同)
とも言っている。日達上人御遷化の時、既に破門されていた貴殿が、御相承の有無について知りうるわけがない。その貴殿が血脈が断絶したなどと述べることは、ハッタリ以外の何物でもなく、まさに大妄語の極みである。
 さらに、滑稽極まる珍説、
もし大聖人の御心に叶う正しい貫首上人が御出現になれば、そのとき、たちまちに正系門家の血脈は蘇る。そういうことになっているのです。(同)
などというに至っては虚言者の真骨頂を大いに発揮している。まさに自称正信会の「血脈ワープ論」と同轍ではないか。どこにそんな法門があるのだ。未来永劫御法主上人になられるお方は日顕上人が六十七世の嗣法として受け継がれた血脈をお受け遊ばすのである。それ以外は断じてない。
 貴殿は血脈について過去にどのように発言していたか、よもや忘れたとは言うまい。以下の貴殿の言葉を刮目してみるべし。
かくて日道上人・日行上人・日時上人・日阿上人・日影上人・日有上人と、「本門戒壇の大御本尊」を付嘱の法体として代を重ねること六十七、清浄の法水はいささかも断絶することなく今日に至っている。これが正系門下・富士大石寺の伝統である。(富士 昭和六一年一一月号)
と、日達上人より日顕上人への御相承をはっきり認めていたのである。ところがである、近年になって突然、日顕上人への血脈を否定しだした。このことが何を物語るのか。察するところ、日顕上人が貴殿らが目標としていた正本堂を解体するという英断を下されたので、日顕上人が正師となってはいけないと大いに慌てたのであろう。その結果が愚にも付かぬこのような珍説・邪説を唱えるに至ったのである。これを無慚無愧と言わずして何というのか。両舌・無節操とはまさに貴殿のためにあるような言葉である。
 要するに貴殿らが「富士大石寺顕正会」などと名乗ってみても、大石寺に帰依する気持ちなど微塵もないのである。いかなる御法主が御登座されても難癖をつけては、それを批判するという、日蓮正宗に寄生してしか存続できない亜流団体であることを、この一事を以って図らずも露顕してしまっている。
 貴殿はあろうことか御法主上人に対し奉り御書に云く「第六天の魔王智者の身に入りて正師を邪師となす」と。かかる者が「法主」を自称して正系門家に君臨している≠ネどと第六天の魔王呼ばわりするという悪態をついている。しかし先に述べたように貴殿こそ自分の都合で主義主張を変更する、変節漢である。その貴殿が御法主上人にかかる暴言をなすことは、『衆生身心御書』に、
修羅が日月をのめば頭七分にわる、犬が師子をほゆればはらわたくさる(御書一二一七頁)
とある身の程知らずの痴れ者である。己の分際がわからぬのであれば、頭破七分の罪業としれ。


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