自称冨士大石寺顕正会会長浅井昭衛の悪書
       最後に申すべき事≠砕破す


(浅井昭衛の悪書は背景を灰色、引用は水色にした)

 今般、貴殿は「冨士大石寺顕正会会長」なる肩書きで、御法主日顕上人猊下、及び広く宗内教師に対し、最後に申すべき事≠ネる悪書を送りつけた。その内容たるや、前二回にわたる我らの貴殿に対する正当な破折には目もくれず、ひたすら我執の邪説を繰り返すのみか、おそれ多くも宗開両祖以来の血脈を承継遊ばされる御法主日顕上人猊下を悪しざまに罵(ののし)り、日蓮正宗の尊厳なる血脈法水を誹毀讒謗(ひきざんぼう)している。これ天人ともに許しがたい大逆行為である。よってかかる謗法の徒である貴殿浅井昭衛を、以後、汝と呼称する。
 まずはじめに、日蓮正宗から除名された汝に、大聖人の正系門家たる日蓮正宗総本山の「大石寺」を名乗る資格はないことを再度告げておく。
 つぎに過去二度にわたる汝の愚論に対し、我ら日蓮正宗青年僧侶邪義破折班はその都度、丁寧に正理を述べ意を尽くして破折した(大日蓮平成十七年六・七月号掲載・本書二二一頁)。よって前回の破折の最後において、本宗とは無関係の謗法者である汝の愚論・迷論に、今後一々取り合う必要はないことを念記したのである。
 しかるに汝の今回の最後に申すべき事≠ネる悪書のために、その謗法の毒気に犯され堕獄(だごく)の道を歩む者が出ずることは必定である。よって我ら邪義破折班は煩を厭わず、ここに汝の邪義を根本から砕破するものである。
 またこの最後に申すべき事≠ネる悪書は、本年八月に御法主日顕上人に送付されたものであるが、再度それを冊子として、宗内僧侶に送付したり、顕正会員に販売するに当たっては、文書に多数の修正を加えている。とくに冊子の末尾には、「平成十七年八月二十七日 日蓮正宗管長 阿部日顕殿」と、御法主上人宛の文書と同一であるかのように装っているが、実際には、何の断りもなく御法主上人に送付した文書に全くない文章が付け加えられている。最後に申すべき事≠ネどと大見得を切りながら、かかる未練がましい小細工をすることは、汝の本質がたばかり≠ナあることを証明しているのである。
 なお本書は、汝が御法主上人に送付した文書をもととして破折したことを付記する。


  一、序──これまでの経緯≠破折す


 汝は悪書の題に、対決を逃避した阿部日顕管長≠ネどの妄言を付し、さらに序──これまでの経緯≠ノおいては、御法主日顕上人に三大謗法≠ェあるなどと誹毀した上、過去二回にわたる汝の非道な曲言を破した我らの言を切り文して揶揄(やゆ)し、繰り返し日顕上人を汝の曲言から逃避≠オたと讒謗するのである。救い難い愚者とは汝のことである。
 日蓮正宗総本山大石寺には、御本仏日蓮大聖人の御法魂にまします本門戒壇の大御本尊と、血脈付法の御法主日顕上人が厳然と在し、日本はもとより全世界の信徒を御教導遊ばされている。御法主上人を謗法呼ばわりし、尊厳なる日蓮正宗の下種三宝を軽毀する汝の悪言こそは、一切衆生の成仏の道を覆い隠すたばかり≠フ最たるものではないか。
 すなわち汝の三悪言とは、まずその一は、御遺命の破壊≠ニの悪言である。汝は国立戒壇≠ヨの我執から、日顕上人御著述の『国立戒壇論の誤りについて』と『本門事の戒壇の本義』の二書を悪書′トばわりする。だが大聖人一期の御遺命が、広宣流布の暁の国主立戒壇の建立であることは『一期弘法抄』『三大秘法抄』の聖文に明々白々ではないか。ただし日顕上人は両書中の正本堂の意義付けに関する部分については、これを当時の広宣流布進展を慰撫(いぶ)教導された御指南に基づく内容ではあったが、今日から見れば行き過ぎがあったと虚心坦懐に訂正遊ばされたのである。それも創価学会の謗法化により、その広布進展の事相が消滅した今日においては、論ずること自体が不毛であることは、先に我らが汝に教えたとおりである。日蓮正宗は、清浄なる法華講員により荘厳なる奉安堂を建立し奉り、本門戒壇の大御本尊を御安置申し上げて、御遺命の一天四海広宣流布の時を目指して、僧俗一致の大前進を開始しているのである。汝ごときに因縁をつけられる謂われは寸分もない。むしろ御遺命を破壊しているのは、御法主上人の御指南に背き、邪宗徒田中智学の創唱した国立戒壇≠ノ固執して、これを金科玉条とする汝なのである。
 次にその二は、戒壇の大御本尊に対し奉る誹謗≠ニの悪言である。先の破折でも詳述したが、昭和五十三年二月七日付けの通称「河辺メモ」については、メモを記した本人の河辺慈篤師が自ら、メモは誤解を与えるような内容であるが、あくまでも本人だけが見て分ればよい個人的な書き付けであり、その真意は創価学会が誹謗するような、御法主上人が戒壇の大御本尊を偽物≠ニ断じたものなどではないことを明確に証言している。また御法主日顕上人も、当然そのような発言を否定しておられる。当事者のお二人がそのように述べられているのである。第三者の汝が口を差し挿むことではあるまい。
 さらにその三は、謗法与同≠ニの悪言である。汝は日顕上人が身延の謗法僧大石寺に招い≠スかのごとく欺瞞(ぎまん)する。これも既に破折したところである。すなわち他宗他門の者に大石寺見学を許可するのは、古来のあり方であり、一切衆生救済を目的とする本宗の宗是に則ったものであることは自明である。道理に外れた下らぬ悪言を恥じよ。
 汝は以上の三悪言をもって、御法主日顕上人を誹毀讒謗するが、そのすべてが非道理の許しがたい謗言であり、たばかり≠ナある。
 しかして汝は、かかるたばかり≠論拠として、日顕上人に対決申し入れ書≠ネるものを二度にわたり送付した。しかもそれは対決後の責務≠ニして、顕正会解散≠ニ、御開扉中止・御法主上人御退座≠ニを同列に並べて要求するという馬鹿げたものであった。一謗法在家団体に過ぎぬ顕正会ごときと、御本仏日蓮大聖人以来の血脈法水を承継遊ばされる尊厳なる御法主上人のお立場、及び一閻浮提の一切衆生を御戒壇様に御目通りせしめ、謗法罪障を消滅せしめるという、衆生化導の大事たる御開扉とを同列に並べて、これを勝負の材料にするとは、汝は何たる痴れ者か。
 我ら日蓮正宗青年僧侶邪義破折班は、かかる汝の言を徹底して破折したところ、汝は今回の悪書において、我らを支離滅裂で下劣∞虚言と悪口を並べただけ≠ニ誹謗し、あろうことか御法主日顕上人猊下に対し、対決など為し得るはずもない∞逃避した∞完全に逃げた≠ニ嘲笑(ちょうしょう)している。
 笑わせてはいけない。大聖人、日興上人以来、極理を承継遊ばされる御法主上人が、汝如き愚者との法論を逃げるわけがないではないか。どこまで頭上っているのか。我らの破折に対して、まともに返答をすることもできない汝如きが、御法主上人に勝てるとでも思っているのか。だとしたら汝は救いようのない驕慢(きょうまん)者である。
 御法主上人は、文底下種の大法を護持遊ばされる尊厳なる血脈承継のお立場にあられる。信徒除名となった驕慢謗法者の汝の薄汚い謀略などに関わることは法を下げることになるがゆえに、汝がいかに悪言を弄(ろう)して挑発しようと何の痛痒(つうよう)も感じられず、むしろ哀れな者よと憐愍(れんみん)しておられると拝し奉る次第である。要するに汝は、御法主上人が本気で法論をなさるに足る存在ではないのだ。
 汝の二度にわたる対決≠フ申し入れなるものが、到底実現することは有り得ないことを見越した顕正会員向けの狡猾なパフォーマンスであることは、已に我らが指摘したところであるが、これを証明する出来事がある。
 日蓮正宗では御法主上人の指揮の下、汝を含む様々な異流義教団を折伏しているが、その中でも総本山塔中理境坊の講中である妙観講では積極的に顕正会への折伏を展開し、顕正会では脱会者が相次いでいたのである。折伏活動が積極的に展開される中、法華講員に屈服させられてもなお汝を盲信する哀れな顕正会員は、浅井会長なら顕正会の正義を証明してくれると考え、「浅井先生をお連れするから、大草講頭と浅井先生で、ぜひ、法論をしていただきたい」と、汝と日蓮正宗法華講大講頭で妙観講講頭の大草一男氏との法論対決を申し出たのである。大草氏は即刻喜んで受けて立つ旨を顕正会員に伝えたが、汝は今までの経緯からして勝ち目がないと考えたのであろう、さりとて会員の手前逃げるわけにもいかない。そこで汝は宗門が応じるはずのない無理難題を御法主上人につきつけて対決≠ネるものを要求し、結果的に大草氏との法論対決の回避を狙ったのである。つまり完全に逃げた≠フは汝なのである。まさに汝こそ対決など為し得るはずもない#レ怯者ではないか。
 しかるに汝は己れの下司なることを弁えず、言いたい放題に御法主上人を誹謗する。その汝の悪口雑言は、そのまま御本仏大聖人の御心に背≠ォ奉る舌爛口中(ぜつらんくちゅう)の大罪である。大聖人の御裁断を仰≠ョべきは御法主上人ではない。天魔その身に入った℃O宝破壊の仏敵、汝、浅井昭衛であると告げておく。
 以下、順次、汝の悪書をことごとく砕破(さいは)することとする。



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