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  いつの世も変わらぬ異流義に
       堕した者どもの大謗法の姿



  魔の出来

 本年は、三十万総登山達成、奉安堂建立の法礎の上に未来広布への新たな一歩を印す大事な「広布大願の年」である。
 しかし、この広布大前進には必ず魔が競う。『兄弟抄』に、
「此の法門を申すには必ず魔出来すべし。魔競はずば正法と知るべからず」(御書 九八六・)
と示されるとおりである。
 昨年来、創価学会の宗門攻撃はこれまで以上に陰湿さを増し、さらには顕正会や自称正信会まで、御法主日顕上人猊下に対し奉り、牙を剥き出しにして攻撃し始めているのである。
 そこで、創価学会の謗法を破折してきた「破邪鉄槌」の枠を広げ、縁あって下種仏法に巡り値いながら、「信」が弱かった故に、やがて宗門から離れて異流義となった者どもに対する破折を、適宜に掲載する。
 法華講員各位には、社会に充満する謗法者への折伏の一助として活用いただきたい。


  日亨上人御指南の「大謗法」

 総本山第五十九世日亨上人は、「謗法」について次のとおり御指南くださっている。
「宗門で謗法と云ふのは、折角御大法に入りても又は信心の家に生れても又は僧侶と成っても、兎角信念が弱い処から遂に信仰の決定も出来ず、知らず知らず非宗教に成ったり非仏教に成ったり、他宗門に信を寄せようと思ふたり寄せたり、後には其為に明に反対の態度を取りて宗門の人法を批難攻撃する事になる、此を度々訓誡せられても、頑として改心せぬのが、即ち大謗法である、此様な人は残念ながら宗門から離れて貰はにゃ成らぬ。其は宗門では学問と修行との上位に、信心が置かれてあるから、信仰が無くなったり反対であったりする者は、小乗戒の婬盗殺妄の四重罪と等しく、世法の頸を斬る罪に当る、生存の価値が無い計りでない、生存して居れば他の多くの人を損ふ恐れが有るからである、其で無信反信の謗法者は厳重の誡として宗門から放逐せにゃならぬ」(日蓮正宗綱要 一六七・)
 まさに、異流義に堕ちた者どもの姿を明確に御指摘あそばされているではないか。
 「明に反対の態度を取りて宗門の人法を批難攻撃する事になる」とは全くそのとおりであり、彼らは皆、宗門の僧俗を口汚く批難・攻撃する。しかも、宗門からその非を「度々訓誡」されても全く耳を貸さず、「頑として改心せぬ」。
 この姿こそが「大謗法」であるとの、明快な御指南である。


  宗門から離れて貰はにゃ成らぬ

 近年の異流義は、顕正会が講中解散処分、自称正信会が擯斥処分、そして創価学会が破門処分と、いずれも宗門から放逐する処分に付されている。
 言うまでもなく、日亨上人御指南の「宗門から離れて貰はにゃ成らぬ」「宗門から放逐せにゃならぬ」ための処分である。
 信徒除名処分に付された池田大作や、信徒資格を失い異流義に堕した一切の者どもも、この御指南を刮目してとくと拝し、虚心坦懐に懺悔せよ。
 おまえたち一人ひとりが、日亨上人御指南の「大謗法」の姿そのものであり、「世法の頸を斬る罪に当る、生存の価値が無い計りでない、生存して居れば他の多くの人を損ふ恐れが有る」からだ。


  慈悲の折伏行を

 日亨上人の御指南は、いつの世も変わることのない、大謗法の本質を抉り出されている。
 彼らは、「信念が弱い」故に「信仰の決定も出来」ず、その自覚すらもない。
 これら背信の逆徒どもが跋扈する今こそ、我らの強盛な折伏によって、これまでの大謗法がいかに恐ろしい無間地獄の業因であるかを自覚させ、一人、また一人と正信に立ち返らせていくことが、我ら日蓮正宗僧俗の地涌の使命であろう。

大白法630(h15.10.1)号より転載



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