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  究極の異流邪義
    極悪の血脈否定 ―憂宗護法同盟―


 創価学会とその走狗・憂宗護法同盟は、悪書『法主詐称』ならびにこの内容を掲載した創価新報などを用いて、本宗の血脈相承に関する虚偽捏造の誹謗を繰り返している。


  目くそ鼻くその異流邪義

 その内容は、陳腐なほどの虚偽捏造と邪義のてんこ盛りであるが、その邪説の底流には、彼らがこのたび創設した異流義が存在している。
 すなわち『法主詐称』には、
「これら(筆者注・自称正信会や顕正会)の主張と我々の主張との違いを明確にすることは、取りも直さず、我々の主張する血脈観の本質にかかわってくる」(同書 二四二頁)
と、創価学会とその走狗・憂宗護法同盟の血脈否定は、従来の自称正信会や顕正会の邪義とはその性質が違っているとの認識を示している。その上で、
「宗祖の意図した血脈相承とは、自らの本懐(宗教的救済原理)の滅後への遺託・遺嘱以外の何ものでもない。噛み砕いて言えば、宗祖の法財の申し送り・継承のあり方こそ相承の実質内容であり、相承をもって宗祖の法財そのものの一部と見なすことがそもそも根本的誤りであると指摘したい」(同書 二四三頁)
と、自らの邪義の特色を開陳している。まことに極悪の血脈観である。


  日亨上人はさぞ御立腹

 特に「相承をもって宗祖の法財そのものの一部と見なすことがそもそも根本的誤りであると指摘したい」との言は、彼らの迷見を余すことなく露呈している。なぜならば、「血脈相承」とは日蓮大聖人の色心常住の秘術であって、それは取りも直さず、日蓮大聖人の仏法の全部を意味するのである。
 しかるに「宗祖の法財そのものの一部と見なすことがそもそも根本的誤り」などと言うことは、血脈相承が日蓮大聖人の仏法の一部ですらないという全否定であり、究極の邪義と言わねばならない。
 この邪義を言いたいために、彼らは同悪書のなかで「死人に口なし」とばかりに、総本山第五十九世日亨上人の話だとして捏造を繰り返す。そのなかに、
「相承箱の中身について、堀日亨上人は生前、『百六箇抄、本因妙抄と、この両書に関するもの。あとは授受の代々の法主が伝える一枚の紙切れ』と明かされている」(同書 一七・)
と仰せられたと、大嘘を述べたものがある。


  相伝書と御相承は別と御講義

 日亨上人は、昭和十八年から『百六箇抄』と『本因妙抄』について講義されているが、その内容は大村日統御尊能化の御尊父である大村寿道御尊師等が「聞書」として書きとどめられている。そこには、
「御相承の中には両巻抄(筆者注・『百六箇抄』と『本因妙抄』のこと)はない」
「富士の相承は必ずしも両巻抄に依るのではない」
と、『百六箇抄』と『本因妙抄』が「血脈相承」に含まれてはいないと、彼らの大嘘とは正反対を述べられているのである。
 彼らは、御相承の内容は『御書全集』等にすべて公開されているかのように言うが、御相承を知らない者がどうこう言えるはずはなく、勝手な推測である。
 御相承が厳として存することは右の日亨上人の「聞書」の文からも明らかである。『百六箇抄』や『本因妙抄』等は日蓮大聖人の文底下種仏法における広義の「血脈相承」に含まれる御法門の相伝書であることは当然ながら、いわゆる唯授一人の血脈の御相承書ではないのである。
 『上野殿御返事』に、
「日蓮が弟子等の中に、なかなか法門しりたりげに候人々はあしく候げに候」(御書 一二一九・)
とは、創価学会とその走狗・憂宗護法同盟などの、異流義を唱える連中のことである。

大白法632(h15.11.1)号より転載



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