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   日精上人への論難が総崩れ!
   法主誹謗の罪障は無間  ―創価学会―



     池田大作の根本的大矛盾


  「日蓮正宗における根本は、唯授一人の血脈である。その血脈相承の御法主上人に随順しゆくことこそ、僧俗の正しいあり方である。この一点を誤れば、すべてが狂ってくるのである」(広布と人生を語る 三−三二頁)
 まことに立派な信心指導だが、これが池田大作の言であるとは、今や滑稽でさえある。
 「矛盾」とは「前に言ったこととあとに言ったこととが一致しないこと」(岩波・国語辞典)だが、大作が今や恥剋して御法主日顕上人猊下を悪しざまに誹謗中傷するのだから、これほど典型的な「矛盾」はあるまい。
 こんな根本的大矛盾にすら気づかないとは、創価学会員のオツムは一体どうなっているのであろうか。


      第十七世日精上人の御事績


 創価学会は、日顕上人を非難攻撃するために、そのお立場をおとしめようと躍起である。そして、その例証として持ち出したのが、第十七世日精上人への的はずれな論難であった。
 日精上人は、江戸初期に宗門を董された御法主上人である。今や古刹として名高い常泉寺も日精上人の折伏教化によって大石寺の末寺となり、また若き日の日寛上人が、日精上人の御説法を拝聴して入信せられたことは、つとに有名だある。
 さらに『家中抄』や『日蓮聖人年譜』などの御著述は、交通不便な時代にまとめられたもので、今なお光彩を放っている。
 第四十八世日量上人は、
 「頗る中興の祖と謂ふべき者か」(富士宗学要集 五−二六八や)
と仰せられ、また第六十六世日達上人も、
 「日精上人より日寛上人まで九代約八十余年は本宗の教学振興、堂宇構築等宗勢隆盛の頂上であった。いつの日かこの時をしのぐべく努力するのが我等の念願である」(日達上人全集 一ー五ー三四一頁)
と最大の賛辞を送られている。
 当時の宗門隆盛が如実にうかがわれるではないか。


      日精上人への讒言


 このように、日精上人の事績は顕著である。しかるに創価学会は、その著述である『日蓮聖人年譜』に第五十九世日亨上人が頭注を加えられているとを奇貨として、日精上人対し誹謗中傷の限りを尽くしてきた。
 それは、日精上人が御本尊を正意と拝さず、五老僧よろしく仏像を本尊としていたという、的はずれな論難である。
 たわけた創価学会は、これを「法主否定」の論拠として持ち出し、歴代上人、とりわけ御当代日顕上人のお立場をおとしめようと企んだ。そして執拗に讒言し続け、その都度、宗門から論破されてきたのである。
 宗門の証拠立てた的確な論証に長い間、沈黙していた創価学会であったが、その邪念はより一層、増していたようである。このほど、性懲りもなく斉藤克司とか名乗る教学部名で、猪口才(ちょこざい)にも日顕上人に「質問状」を送付してきた。


       日精上人への論難が総崩れ


 この質問に対する宗門の破折は本紙に順次、掲載されることになっているが、創価学会が挙げる日精上人非難の論拠はことごとく、総崩れとなっている。
 全く根拠なく、日精上人に対して、あらぬ讒言を加えてきた事実が明白となったのである。
 さぁ、創価学会よ! その責任をどう取るというのだ!
 大聖人は、
  「経に云はく『若し復是の経典を受持する者を見て掛の過悪を出ださん。若しは実にもあれ若しは不実にもあれ此の人は現世に白の病を得ん。乃至諸悪重病あるべし』と」(御書 一一一五頁)
と随所に御教示である。
 この御金言を目の当たり拝し、自らの罪過を篤と自覚するがよい。その罪は、生きながらにして無間地獄の苦しみを味わうものなのだ。

大白法644(h16.5.16)号より転載



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