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     性懲りもない誣告
         ゴマカシに終始する愚昧
                                ─正信会─


    異流義破折の指摘が怖いのか?


 自称正信会は、我が異流義破折の鉄槌が気にいらないらしい。またもや反論を試みている。いわく、
「事実を検証することなく、一方的に異流義とのレッテルを貼って正信会を批判し、自己正当化をはかっている。その主張にはもとより道理はなく、事実を歪曲し既成事実の強弁を重ねることによって、宗内僧俗の目を眩まそうと謀るだけである」(平成十七年七月一日付の継命)
 何を世迷い言を言っているのだ。「事実を検証」せず、「自己正当化をはかっている」のは、正信会ではないか。
 衰退の一途をたどり、与する檀徒をどこへ導くのかさえ明確にできないまま、ただ保身のための組織維持に翻弄している姿は、何とも浅ましい限りである。


    ゴマカシで逃げるな!!


 そもそも先の正信会破折では、御本尊を中心に法義の上から述べている。すなわち、戒壇の大御本尊から離れながら、何が本流か、何を広宣流布するというのか、と指摘しているのである。
 反論できないと諦めたのか、そのことには全く知らん顔をして、御法主日顕上人猊下の過去の御発言を並べたあと、先には池田大作を礼賛しながら、今になって大謗法だと言うのは、
「無節操さと無責任さにはあきれるばかりである」(同紙)
とあげつらっている。
 全くものごとの道理と分別に疎い、愚か者の戯言と一蹴するほかはない。くだらぬたわごとに付き合う暇はないが、慈悲の心をもって、彼らの朦霧の迷いを晴らして進ぜよう。


     大作の反省と反故


 創価学会は、いわゆる五十二年路線という謗法を犯し、時の日達上人をはじめとして、宗門から厳しく破折された。その結果、大作は反省の態度を示し、創価学会会長を引責辞任した。
 そのほかにも様々な経緯があったが、日達上人はあらゆる状況を鑑みられ、最終的には昭和五十四年五月三日に、一切の問題を収束あそばされたというのが、厳然たる事実である。その証拠に、直後の同月二十九日、寺族同心会の大会において、
「学会が正しく日蓮正宗の教義を守り、正しい信心をして、また世間の人を折伏していくのならば、我々はそれに準じてどこまでも学会を守り、学会を信徒団体として受け入れていかなければならない」(大日蓮 昭和五十四年八月号六〇・)
と御指南されている。
 その約二カ月後に、日顕上人猊下が御登座あそばされ、日達上人が確立された、
「学会を受け入れていくという方針」(同・)
を、そのまま引き継がれたのである。
 そのような流れのなかで、当時、大作の反省を信用し、宗門の広宣流布に挺身しているものと信頼して、大作を褒め称えるのは当然のことではないか。そして、それがまた、日達上人のお心にかなうものであることも、同心会大会の御言葉に明らかである。
 しかしながら、大作は平成二年に至り、突如として、
「五〇周年、敗北の最中だ。裏切られ、たたかれ、私は会長を辞めさせられ…」(大日蓮 平成三年一月二十五日付の号外)
と、五十二年路線の反省改悟は、全くの猿芝居に過ぎないことを自ら吐露したのである。
 ここに至れば、過去以来の行状のすべてに対し、日顕上人猊下から厳しい御指南があるのは、けだし当然である。


      偽りと過ちを懺悔せよ!


 これらの道理は、既に二年も前に、日蓮正宗青年僧侶邪義破折班から、完膚なく砕破されているのである。正信会よ。
「事実を事実と認め、偽りと過ちは懺悔」(前出の継命)
との言葉を、自ら実行せよ!

大白法674(h17.8.1)号より転載



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