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 熱原法難が「本懐」?
 悩乱の珍説にただ唖然・失笑
         ─正信会─


    悩乱の珍説

 自称正信会は過日、静岡県富士市において、第三十回法華講全国大会なるものを開催した。
 正信会問題から約四半世紀。当初は日本武道館などで行っていた全国大会も、年々、小規模になりつつある。
 ここで講演した坂井進道(元議長)も、それを承知しているらしく、
 「私たち正信会僧俗も、たとえ数は少なかろうとも…」(六 月一日付継命)
などと虚勢を張るが、その言こそが虚しいばかりだ。
 ところで坂井は、この時に『聖人御難事』を挙げて、
 「『熱原法難』をもって、大聖人は『本懐』となされた」(同)
との珍説を述べた。
 大聖人の本懐が熱原法難だなどとは初耳だ。
 「本懐」とは「かねてからの願い。本意。本望」(小学館国語大辞典)との意であるから、坂井によれば熱原法難が大聖人の本望、本意ということになる。
 熱原法難が大聖人の本望とは、一体いかなる意昧なんだ? 厚顔無恥にもこんな珍説を述べ、しかもこれを有り難がって聴聞する姿に、この烏合の集会の浅薄さが如実に示されている。


    大聖人の本懐

 言うまでもなく、熱原法難は宗門史において、特筆すべき意義を有する。しかし、熱原法難を挙げて、大聖人の「本懐」とごまかすのは、坂井の姑息な目論見がある。それは後に粉砕するとして、まずは大聖人の本懐を教えてあげよう。
 大聖人は建長五年の宗旨御建立以来、数々の法難にあわれつつ御化導あそばされた。そして、弘安二年に至り、その御本仏としての御魂魄を本門戒壇の大御本尊と御建立され、未来一切衆生成仏の大直道として確定あそばされたのである。
 この本門戒壇の大御本尊の御建立によって、大聖人御所持の三大秘法は余すところなく整足され、末法万年にわたる衆生成仏の法体が確立された。故に、本門戒壇の大御本尊の御建立こそが、大聖人の出世の本懐と拝するのである。


     熱原法難の意義

 しかるに、熱原法難は、本門戒壇の大御本尊御建立の約一月前に惹起した。これは、大聖人のお振る舞いにお応えし、その弟子檀那も大難を恐れず、純粋にして強盛な信行を貫いたが故に起きた法難である。
 大聖人は、一文不通の農民たちによる不自惜身命の姿を御嘉納あそばされ、これを大きな機縁とされて、弘安二年十月十二日、出世の本懐を遂げられたのである。
 まさに、熱原法難は、未来広宣流布の機運、末法一切衆生の信行の先駆けとして、その姿を示した一大実証であった。
 しかし、それが大聖人の本懐とするのは、大きな歪曲である。


     坂井の目論見

 宗門七百年来、大聖人の本懐が本門戒壇の大御本尊の御建立にあることは不変である。坂井とて、それは承知であろう。
 にもかかわらず、坂井がこれをごまかし、歪曲したのは、
 「決して権力に屈することなく、正義を貫き通す」(同)なる概念をもって大聖人の御化導を括り、それを自らの活動になぞらえたいがためである。この稚拙なスリ替えに、大聖人の本懐たる本門戒壇の大御本尊を否定したいという坂井の姑息な目論見が、ミエミエである。
 自らを正当化したいがために、大聖人の本懐までごまかすとは、なんとも見下げた根性た。
 「今までの言動をふり返り、もし反省すべきことがあったならば反省をする。もし誤ったならばそれを是正する(中略)そういう姿勢こそが、正しい信仰を求める者の姿だと思います」(同)
などと、坂井がもったいぶって話すこと自体がおこがましい。
 人に説教する前に、まず大聖人の本懐をごまかす自らを「反省」し、「是正」しなさい!

大白法698(h18.8.1)号より転載



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