九、ニセ法主は法主信仰を唱える資格すらなし
                     との非道義を破す



 汝は「法主信仰」を日寛上人の教学がいかに否定しているか、について色々と述べてきた≠ニ、あたかも日蓮正宗が法主信仰≠唱え、また日寛上人がそれを否定している≠ネどと事実無根の悪言を吐いている。
 そもそも日蓮正宗の伝統法義に法主信仰≠ネるものは存在しない。唯授一人の血脈相承をもって末法下種の大白法を留めおかれた、御本仏大聖人の御意に反し、創価学会が「大聖人直結」なる非道義を主張していることに対して、日蓮正宗はそれを糺しているのである。汝らはその事実をはぐらかすために、法主信仰≠ネどと誣告しているにすぎない。
 また、「法主即本尊」「法主即日蓮」の義の強調は、要法寺門流出身の左京日教の影響から室町時代の宗門に起こり、江戸時代の中期には出所不明の伝統教義と化していた。当時の宗内には、権威主義的な「法主信仰」も芽生えつつあった≠ニの主張も何の根拠もないでっち上げである。
 先にも述べたが左京日教師の『類聚翰集私』にある「当代の法主の所に本尊の体有るべきなり」との言葉は紛れもない大石寺の伝統法義である。第二祖日興上人は、
あんのごとくしやう人の御のちも、すゑのでしどもが、だれはしやう人のぢきの御でしと申やからおほく候。これが大はうぼうにて候也。(歴全一─一八四頁)
と御指南されている。すなわち日興上人のこの御指南は、血脈の次第を無視したところに大聖人の仏法は存在しないということであり、大聖人直結を主張する者がたとえ大聖人の御本尊を受持していたとしても、師弟相対を蔑(ないがし)ろにする者は「大謗法」であると厳誡されたものである。『類聚翰集私』の文は、御歴代上人が血脈相承によって本門戒壇の大御本尊の御内証を受け継がれている意より、御歴代上人を離れた所に本尊の体を求めることができないということを達意的に表現されたものであり、日興上人が「大聖人直結」を厳誡されたことと符節を合わせるものである。汝は左京日教師が帰伏僧であることを奇貨として、左京日教師の『類聚翰集私』等にある文を出所不明の伝統教義≠ネどと貶めているが、まさに言語道断である。
 先にも述べたが、御歴代上人に大聖人の御内証が受け継がれていることは、左京日教師が深く帰依した総本山第九世日有上人の『化儀抄』にすでに見られる教義であり、汝がどう取り繕うとも、その明白な事実を否定することはできない。日蓮正宗に伝えられているのは、本門戒壇の大御本尊と、代々の御法主上人に伝えられる血脈相承を根本命脈として、師弟相対の信心に励むという、大聖人、日興上人以来の宗是であり、それは汝が「法主即本尊」「法主即日蓮」「法主信仰」≠ネどと揶揄(やゆ)するものとは全く違う、大聖人の仏法そのものなのである。
 また汝は日寛上人が出現されたことで、宗開両祖の正統教学は厳然と復興されて、御本尊根本、信心根本の正しき信仰が後世に伝えられた≠ネどと日寛上人以前の日蓮正宗に、宗開両祖の正統教学≠ェ失われていたかのように欺瞞するが「嘘八百」とはこのことである。汝は『六巻抄』の御指南につき、ある時は、
六巻抄が長らく貫主直伝の秘書とされてきた(邪誑の難を粉砕す八五頁)
といって、『六巻抄』に唯授一人の血脈相承が開示されていると邪推し、またある時は、
日寛上人の出世の本懐≠ニも言える「六巻抄」(大白蓮華 平成一七年九月号五四頁)
などと、これ以上ないほど『六巻抄』を持ち上げているかと思うと、同じく『六巻抄』に、
今に至るまで四百余年の間一器の水を一器に移すが如く清浄の法水断絶せしむる事無し(六巻抄六六頁)
等と日寛上人が大石寺の唯授一人血脈相承の重要性・正統性を御指南されている箇所は、
対外的論議(十項目の愚問を弁駁す七四頁)
日寛の本音は違った(同)
等と言い逃れをし、今回も血脈の大事についての御指南を、
次元の異なる話(大白蓮華 平成一七年九月号五六頁)
などと言っている。つまり汝のいう日寛上人の教学≠ヘ、自分たちの都合の悪い御指南は対外的論議日寛の本音は違った次元の異なる話≠ネどと退け、汝らが悪用できる御指南を独断と偏見によって解釈し、勝手に作り上げた妄想にすぎない。
 日寛上人が『六巻抄』『三宝抄』に御歴代上人が三宝一体のうちの「僧宝」であること、また大聖人以来の血脈が厳然と承継されていることを御指南されているのは、掌を指す如く明らかであり、汝が主張する日寛上人の教学≠ネるものは真っ赤な偽物である。
 また、今日、日寛上人の正統教学を受け継ぐ創価学会の出現によって、日蓮大聖人の仏法は正しく世界に弘められ、人類の闇を照らす希望の光となっているのである≠ネどと言っているが、たわけた寝言もほどほどにせよ。
 あらためて言うが、日寛上人の正統教学≠ヘ無論のこと、日寛上人の大法興隆・令法久住の御精神もすべて唯授一人の血脈として富士大石寺に厳然と受け継がれているのである。血脈を否定し、三宝破壊を目論む邪教創価学会に日寛上人の正統教学≠ェ受け継がれることなど、あるわけがないではないか。
 また、汝は創価学会が人類の闇を照らす希望の光≠ナあるなどと、正反対の美辞麗句を並べ、創価学会の邪悪な本質を隠そうとしている。しかし仏法の厳然たる裁きの前に、そのようなまやかしは通用しない。学会員の中に、殺人等非道徳で無惨な事件が横行している現証を何とするのか。即ちその現証が、創価学会に大聖人の正義など無く、極大謗法の集団であることを如実に証明しているのである。
 最後に汝は、あろうことか日顕上人がニセ法主≠ナあるなどと、罵詈讒謗している。今頃になって汝は、よくこのような矛盾極まりないことが言えるものである。汝がかつて出家を志し、日顕上人の徒弟となることを願って得度審査を受け、得度を許されたという事実を何と言って説明するのか。また汝らの首魁、池田大作が、血脈付法の日顕上人に対する信伏随従を幾度となく誓っていたことを、どう説明するのか。
 日顕上人が御登座されたのは昭和五十四年八月であり、汝が得度したのは昭和六十一年である。また、池田大作の日顕上人に対する信伏随従の誓いは、当然、昭和五十四年の日顕上人御登座以降になされたものである。汝や、汝の首魁池田大作が、血脈付法の日顕上人に十年以上の長きにわたって信伏随従していた事実を反故(ほご)にし、自家撞着(じかどうちゃく)を恥じることなく日顕上人をニセ法主′トばわりするのは、偏に創価学会の謗法を破折された日顕上人に対し、謗法の責めを逃れるため、辻褄合わせに言い出した、子供だましの言い訳に過ぎない。それは汝や、創価学会の歴史が証明しているのである。
 汝は日顕上人に自己申告で法主の座を盗み取った日顕は、この26年間、何年何月何日の何時頃に相承を受けたのか、いまだに明らかにできない。また、「法主の証明」である「相承箱」の所持も証明できない≠ネどと誹謗するが、日達上人からの御相承について日顕上人は、
私が日達上人より、過去、数度にわたって相伝の甚深の法門を承り、それらの総括として昭和五十三年四月十五日、大奥において、付嘱の義をもって深意を拝承したことは、仏祖三宝の御照覧において、事実であります。(大日蓮 昭和五七年七月号七五頁)
と、厳然と仰せられている。また池田大作は昭和五十四年八月六日、御座替式の祝辞において、
謹んで、総本山第六十七世御法主日顕上人猊下の御座替の儀を、一同衷心よりお喜び申し上げます。この法水瀉瓶、法統連綿の尊厳なる儀式に参列できましたことを、私どもは心から喜び、万感の思いで日顕上人猊下の御姿を歓喜をもって拝すのでございます。(中略)今後私共は、益々御法主日顕上人猊下に御奉公の赤誠を尽くすことを、固く固くお誓い申し上げまして、簡略ながら本日の御祝詞とさせていただくものでございます。(大日蓮 昭和五四年九月号二〇頁)
と述べている。「法水瀉瓶、法統連綿の尊厳なる儀式」とは、日顕上人への血脈相承を拝信していた言葉ではないか。
 なお、昭和五十三年四月十五日の御相承は内付であったために当時は公表を控えられていたが、日達上人は日顕上人への御付嘱の御意志を、側近や懇意の御信徒に漏らされていた。これらのことは数々の証人によって証明されている。すなわち日達上人の御遺族である菅野日龍御尊能化は、
後継の件について、日顕上人猊下(当時総監)から御確認がありました。それに対して、かねがね日達上人は日顕上人を後継にとお考えになられており、そのことを日顕上人御本人にもお伝えされていたことは遺族一同も承知しており、別の方へというお話は一切伺っておりませんから、遺族を代表して、その場におられた日顕上人や藤本総監(当時庶務部長)に、「次は阿部さんがなると日達上人より伺っております」とお答えしたのです。それを創価学会や憂宗護法同盟の者が、日達上人は誰にも血脈相承をされずに御遷化あそばされたので、我々遺族が日達上人の後継として日顕上人を指名したなどと言うのは、とんでもない虚偽の言いがかりであり、まったく迷惑千万な話です。(大白法 平成一五年一一月一日付)
と、明確に証言され、その場に同席された藤本日潤御尊能化も、
菅野師(現菅野日龍御尊能化)に対して、お側におられた御遺族として、御先師日達上人からどのように聞いているかを御確認されたのも、日顕上人への御付嘱が一年以上前の内付という形で、一般にあまり知られていなかったことから、突然の御遷化に際して、御自身がお一人で宣明されるだけでなく、御遺族が聞いておられることも確認することによって、宗門万代の団結への御配慮をされたものと有り難く拝すべきと思います。(同)
と述べられている。これらの証言からも、日達上人より日顕上人への御相承は疑いない事実であり、日顕上人に随従する日蓮正宗の僧俗は、日達上人の深い思し召しにただただ御報恩謝徳しているのである。しかるに、汝らは、血脈相承を邪推し、血脈相承の内容が『六巻抄』に全て明かされていると述べたり、日顕上人が「相承箱」の所持も証明できない≠ネどと血脈を否定する様々な疑難を加えている。先にも述べたように、日顕上人が血脈を御所持されることは日顕上人のお振る舞いや、様々な証言、証拠によって証明されており、日顕上人や宗門が、汝如き不信者の疑難に一々応じるいわれはない。なぜなら、汝らの疑難は様々にご託を並べてはいるが、要するらこれらの繰り言は、血脈相承の意義を否定し、創価学会が大聖人の正統を詐称しようとする限り、懐疑論者の疑念の如く延々と続くのであり、それは汝らの無節操な振る舞い、言動より明らかだからである。ただ一つだけ教えておこう。御相承箱は厳然と大石寺に存するとの御指南があったことを。
 また汝は、日顕の相承疑惑が焦点となった数々の裁判に、日顕本人が出廷できず、宗門は、最高裁で連戦連敗という大醜態をさらしている≠ニ、裁判について述べているので、一言する。汝らがいう裁判≠ニは、違法に離脱を企てた寺院に対し明け渡しを求めた裁判であるが、この名古屋・妙道寺、岩手・常説寺、神奈川・大経寺の裁判において、宗門はけっして連敗≠オたわけではなく、事案の性質上、裁判所の審判にはなじまないものであるとして、内容に立ち入ることなく、訴えが却下されたにすぎない。それは、離脱僧が日顕上人の血脈相承を否定する主張を持ち出したところ、「血脈相承」は宗教上の事項であり、裁判所は、血脈相承に関して判断することは司法権の限界を超えるものであって許されないから、判断できない、つまり血脈相承の有無を判断しようとすれば、宗教上の教義、信仰の内容に立ち入って審理、判断することが必要となるが、裁判所にはそのような宗教的事項を審理、判断する権限はないから、血脈相承の有無については判断できないとの理由により、三カ寺に関する訴訟は、裁判所の権限を超えるものとして、却下されたのである。すなわち、裁判所が血脈相承を否定したわけではないし、御法主上人が裁判所へ出廷≠命ぜられてもいない。したがって、出廷できず≠ネどということ自体がまやかしである。このように、汝の言はまったくの欺瞞につきるのである。
 最後に汝は「法主や三宝の尊厳を論じたいのならば、それ以前に、日顕が、いつどこで相承を受けたのか、客観的に証明してみせよ!」、日顕を厳しく弾呵する次第である≠ネどと、自らの仏種を断ずる悪言を吐いている。御相承の状況については既に明確にされており、汝がそれを信じないだけである。大聖人が肉団の胸中に「一大事の秘法」隠し持たれたように、御法主上人は大聖人以来の血脈相承を御内証の上に受け継がれているのである。御内証の法体を客観的に証明してみせよ!≠ネどと息巻くこと自体、仏法の何たるかを弁えない創価外道ならではの救われがたい悪言であり、堕獄決定の不信謗法である。
 大聖人は末法万年に亘る仏法弘通を、唯授一人の血脈相承により確立されたのであり、末法には血脈相承以外に仏法の付嘱は存在しないのである。その血脈を断絶したと主張すること自体、大聖人の仰せを踏みにじる破仏法の所行である。
 汝が如何に誑言を述べても、創価学会に大聖人の仏法など微塵も存在しない。先に述べる如く、仏法の裁きは厳然であり、仏法の道理の前には如何なる詭弁も通用しないからである。
 
 さて、汝は日寛上人の『六巻抄』を出世の本懐≠ニ称賛し、金科玉条として崇めている。ならば汝に確認する。
一、『文底秘沈抄』に、
三大秘法随一の本門の戒壇の本尊は今富士の山下に在り、故に富士山は即ち法身の四処なり、是れ則ち法妙なるが故に人尊く、人尊きが故に処貴しとは是れなり。(六巻抄六四頁)
根源とは何ぞ、謂わく、本門戒壇の本尊是れなり、(中略)既に是れ広布の根源の所住なり、蓋ぞ本山と仰がざらんや。(同六八頁)
と、本門戒壇の大御本尊まします総本山が法身の四処であり、広布の根源であると仰せられている。汝はこの御指南を死守するや否や、明確に返答せよ。
二、『文底秘沈抄』に、
今に至るまで四百余年の間一器の水を一器に移すが如く清浄の法水断絶せしむる事無し、蓮師の心月豈此に移らざらんや、是の故に御心今は富山に住したもうなり。(六巻抄六六頁)
と、大聖人の清浄なる血脈法水が四百余年の間、日寛上人まで厳然と御歴代上人によって伝持されており、大聖人のお心は大石寺に住されていると仰せられている。汝はこの御指南を死守するや否や、明確に返答せよ。
三、『当家三衣抄』に、
南無仏・南無法・南無僧とは、若し当流の意は、(中略)南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山・付法・南無日興上人師。南無一閻浮提の座主、伝法・日目上人師。嫡々付法歴代の諸師。此くの如き三宝を一心に之れを念じ(六巻抄二二五頁)
と仰せられ、信仰の筋目の上から、御歴代上人を僧宝と仰ぐべきことを御指南されている。汝はこの御指南を死守するや否や、明確に返答せよ。
 
 これら『六巻抄』の明文に対する学会の背逆大謗法が明らかな以上、汝が今後、日寛上人の御指南を悪用し、日寛上人の正統教学を受け継ぐ創価学会≠ネどと欺瞞することは絶対に許されない。我らの先の三問に対して汝が明確な回答をしない限り、たとえいかなる駄弁を弄しても、それは単なるまやかしであり、卑劣な逃避でしかないと断ずるものである。
 以上で汝の三回にわたる己義の誹謗文書の立論は、その都度すべて破折し尽くした。それに対する汝の回答は全くない。従って、汝の論旨はまさに地に堕ちている。要するに、汝の今回の寄稿≠ヘ、宗門、御法主上人を誹謗し、日寛上人を貶めんとする汝の悪心による邪論であると断定し、以って破折とする。

 以  上



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