7 結語──阿部日顕はなぜ〈理〉へと退行するのか≠糺す


 松岡はここで阿部日顕はなぜ〈理〉へと退行するのか≠ニいう結語≠設け、日顕上人の御教示について、
阿部の教学の基本的な傾向は、すでに所々で指摘したが、単なる「理」の域を超えて真の仏の振舞いという事実面を究明した日蓮大聖人の「事」の仏法を、さらに新たな〈理〉の次元へと解消してしまう点にある=i悪書二七九頁)
と述べている。これまで破折してきたことを総括すると、このような松岡の主張つまり迷いの根元は、本宗の血脈相承を理解できないとともに、松岡が下種仏法の構格を誤って捉えるところにある。そして日蓮大聖人の御本尊と下種仏法の教義に対し、我見・我所見を起こして、法偏重の邪義の上から御本尊を単なる法体と立てる池田譲りの邪解を起こしているのである。しかし、その法体の語には人法一箇の実義はない。
 そのために日顕上人が『拝述記』に示された御本尊の深義が全く理解できず、疑難を羅列するのである。
 種脱相対は脱益仏法と下種益仏法を相対して勝劣を判じ、その所顕として下種人法の御本尊を顕す法門である。これは『開目抄』に五重相対、『観心本尊抄』に五重三段の法門をもって示されるところである。しかし、松岡のように、種脱相対の相対判を下種仏法の究極と考えることは誤りである。
 何故なら、大聖人は『百六箇抄』に、

種の二妙を本と定む。然して相待は迹、絶待は本なり(新編一七〇〇頁)

と示されているからである。種脱相対は、その語に示されるように所詮相対の法門であって、これを至高と考えるのは「相待は迹、絶待は本」の御指南に背く、迹に執らわれた偏見である。
 つまり、松岡が種脱相対を究極と捉えることは、下種相待妙に執らわれて下種絶待妙に迷うことを露呈するものである。これは法門上の間違いである。
 また、下種の能化である仏宝日蓮大聖人と僧宝御歴代上人との師弟相対の相待妙に執らわれて、日顕上人に対して御法体の血脈相承を所持されることに嫉妬を懐いて反逆誹謗の言動に血道を挙げることは師弟不二の絶待妙に迷うものである。これは御法体に対する誤りである。このように松岡は下種仏法をまったく信解できない腐りきった謗法者なのである。

 下種仏法の法相の構格は、『観心本尊抄』に示される五重三段の法門をよく弁えなければ判らないのである。
 松岡は、
現宗門は、信徒の教学試験等の折に、日蓮仏法における相待妙が『開目抄』の五重相対や『観心本尊抄』の五重三段等の法門である、と教えてきたのではないか。阿部の相待妙本尊説は、日蓮仏法の正統的合理性を欠くと考えざるをえない=i悪書二三五頁)
と、五重三段を正統的合理性≠ニ述べているから、理解しているつもりかも知れないが、実はそうではない。松岡は自身の理解が種脱相対の表層に泥んでいることに気づかす、増上慢の見を起こしているのである。
 五重三段の法門中で特に難解なのは、最後の文底下種三段である。この序分とは、文底体外の辺における過去大通仏の法華経、乃至一代五十余年の諸経、十方三世諸仏の微塵の経々であり、正宗分は文底すなわち下種の配立における一品二半である。そして流通分とは、正宗分一品二半所詮の正宗即流通たる久遠名字の妙法蓮華経を流通の正体とし、文底体内の辺における過去大通仏の法華経、乃至一代五十余年の諸経、十方三世諸仏の微塵の経々を含むのである。
 これを整理すると、序分と正宗分の関係は種脱相対であり、序分は相待妙、正宗分は絶待妙である。
 また、正宗分と流通分の関係は下種中の相待であるが、正宗分の一品二半は能詮、正宗即流通の正体・久遠名字の妙法蓮華経は所詮の関係にあり、能詮は助行の故に相待妙、所詮は法体、正行の故に絶待妙である。
 これが五重三段の御法門に示されるところであるが、日顕上人はさらにこの正宗分の所詮より顕れる御本尊に相待・絶待を明かされている。
 所詮の久遠名字の妙法蓮華経を、大聖人は御法体として三大秘法に仕立てられるが、その御本尊にも相待・絶待の関係が存する。文永・建治期の御本尊は相待妙であり、弘安期の御本尊は絶待妙である。
 さらに弘安期の御本尊中、本門戒壇の御本尊が絶待妙であり、前後の弘安期の御本尊は相待妙である。
 また、全ての御本尊中、本門戒壇の御本尊が絶待妙であり、それ以外の御本尊は相待妙である。
 すなわち日顕上人の『三大秘法義』に、

いわゆる本門戒壇本尊は宗祖大聖人出世の本懐、閻浮総与の本尊として顕し給う故に、一切の本尊の根源であり、唯一総要の尊体であるから、所々に数多くの本門の本尊を安置し、信心口唱するところのすべての功能は本門戒壇の御本尊に帰するのである。即ち宗祖大聖人の御仏意により、戒壇本尊に根本の事の戒壇として、いわゆる一切の題目信行の功徳、戒壇所践の功能を具足する故である。従って万年化導の上の三大秘法惣在の本尊である。故に、当宗信行に於ては、いかなる寺院、乃至信徒宅等の安置本尊に対しても、朝夕の勤行に於て「本門戒壇の大御本尊」と称し、報恩謝徳申しあげるのがその証である。(九二頁)

と説かれるように、本門戒壇の大御本尊が絶待妙の故に、一切の相待妙の御本尊は、戒壇の大御本尊に帰するのである。したがって、本門戒壇の大御本尊を信ずる人が所持する御本尊も、本門戒壇の大御本尊と同じ功力が存するのである。
 日顕上人のこれらの配立の御法門は、『百六箇抄』の「四十八、下種の二妙実行の本迹」の、

日蓮は脱の二妙を迹と為し、種の二妙を本と定む。然して相待は迹、絶待は本なり云云。(新編一七〇〇頁)

の御文によられるのである。それは五重三段乃至御本尊顕示は、すべて御化導という御本仏の行の上に示されるからである。故に『拝述記』には、

三大秘法ノ施化ヲ一期弘法ノ上ニ整足シ統括シ給ウ究竟中ノ究竟、本懐中ノ本懐タルハ本門戒壇ノ本尊ノ顕示ナリ。コノ処ニ約法・約人ニ於ル最勝究竟ノ意アレバ、実行ノ待絶二妙ノ意、ココニ極マル。即チ以上一期ノ二妙ニ於ル弘通所顕ノスベテハ、行ノ上ニ顕シ給ウ故ナリ。(拝述記三八七頁)

と示されて、この「種の二妙」の実義とは御本尊における二妙であり、畢竟、本門戒壇の大御本尊に「実行ノ待絶二妙ノ意」が極まることを明かされるのである。
 この法門中、正宗分内証の寿量品二千余字は所詮の法体久遠名字の妙法蓮華経の絶待妙に対すれば相待妙となるところの捌きは、内証の寿量品が唱題正行に対する助行であり、所用であることをもって信解すべきである。

 また、日顕上人は、『拝述記』に、

宗祖一期ノ弘通ニハ、時期ニ於テソレゾレノ段階アリ。鎌倉期ハ権実相対ニシテ題目ノ弘通、佐渡期ハ更ニ本迹相対・種脱相対ヲ明カシ本尊ノ弘通、身延期ハ種脱相対ニヨル教主ト大法ノ明確ナル顕現ト、三大秘法ノ整足、即チ本尊ニ伴ウ戒壇ノ明示等、時期ニ於ル弘法ノ展開アリ。ソノ始終ニ方便ノ教法ハ一切存在セザルモ、ソノ一々ノ弘通ノ段階ニ於ル破邪顕正、及ビ未究竟ト究竟ノ前後ニ於ル妙法ニ、自ズカラ相待・絶待ノ二妙ヲ具スナリ。
已上ヲ法ニ約シテ拝セバ、観心本尊抄ノ五重三段中ノ文底三段ノ序分ノ、過去大通仏ノ法華経、乃至一代五十余年ノ諸経、十方三世諸仏微塵ノ経々ト、内証ノ寿量ハ相待妙ニシテ、流通分ハソノ総テガ悉ク絶待妙トナル。マタ人ニ約セバ、一代応仏及ビソノ化導中ニ現出スル証果ノ二乗、菩薩、又三世十方ノ仏ヲ、久遠元初・凡夫即極ノ自受用・無作三身ノ妙ニ対セバ、方便ヲ帯スル身位ニシテ麁ト判ズルハ相待妙ナリ。マタコレラ仏・菩薩トノ相待ヲ絶シテ、久遠元初・天ノ一月、末法出現ノ日蓮大聖人ニ帰入セシメルハ絶待妙タリ。(拝述記三八五頁)

と、御本尊の御法門として甚深の意義を示されている。前後を合わせてよく拝すべし。
 この「已上ヲ法ニ約シテ拝セバ、観心本尊抄ノ五重三段中ノ文底三段ノ序分ノ、過去大通仏ノ法華経、乃至一代五十余年ノ諸経、十方三世諸仏微塵ノ経々ト、内証ノ寿量ハ相待妙ニシテ、流通分ハソノ総テガ悉ク絶待妙トナル」との文中の「流通分ハソノ総テガ悉ク」とは、前述した(本書一六四頁)「故に讃文の内容は法即人の意より、末法下種の仏身に尽きるのである。それ以外の底下の法相法理を挟む余地は全くありえないが、但し人即法の御本尊の法中にはあらゆる経文教理、八万法藏のすべてを包含する」との人即法の御本尊の所具に約す意である。
 このように宗祖大聖人の御法門の一切は、法体の妙法蓮華経を三大秘法として仕立てられる上からの相待妙・絶待妙の段階において、あらゆる御指南を示されたのである。故に前後の法門の勝劣・浅深の筋道をきちんと立て分け、その上から法相・法理を判釈すべきである。
 松岡は、この日顕上人の相待妙・絶待妙の法門を疑難するが、この重々甚深の立て分けが信解できなければ下種仏法は判らないのだ。

 さてこの中、正宗分内証の寿量品とは、『観心本尊抄』に、

所詮迹化・他方の大菩薩等に我が内証の寿量品を以て授与すべからず。末法の初めは謗法の国にして悪機なる故に之を止めて、地涌千界の大菩薩を召して寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て閻浮の衆生に授与せしめたまふ。(新編六五七頁)

と説かれるように、地涌上行菩薩へ授与されたのである。授与とは結要付嘱である。『文底秘沈抄』に、

教主釈尊の一大事の秘法とは結要付嘱の正体、蓮祖出世の本懐、三大秘法の随一、本門の本尊の御事なり。是れ則ち釈尊塵点劫より来心中深秘の大法なり、故に一大事の秘法と云うなり。(六巻抄六四頁)

と説かれるように、その結要付嘱の正体とは一大事の秘法である。
 この一大事の秘法を宗祖大聖人は『南条殿御返事』に、

教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり。(新編一五六九頁)

と仰せられるように、すでに御誕生の時から肉団の胸中に秘して隠し持たれておられた。
 この一大秘法とは即ち御本尊なのである。『観心本尊抄』の、

彼は脱、此は種なり。彼は一品二半、此は但題目の五字なり。(新編六五六頁)

の文につき、文・義・意のなかの意について、

観心の本尊を結成するなり。(御書文段二六三頁)

と日寛上人が御指南されている。
 則ち種脱相対の上の所顕たる下種の法体とは、宗祖大聖人所顕の御本尊そのものである。そこに従来明確に論証している通り、御本尊に究竟・未究竟が拝される以上、御本尊の上に相待妙と絶待妙を拝するのは事理当然の判釈である。
 故に「下種の二妙実行の本迹」の註に、

日蓮は脱の二妙を迹と為し、種の二妙を本と定む。然して相待は迹、絶待は本なり(新編一七〇〇頁)

と、種の上に相待と絶待の本迹を示し給うことは、とりも直さず、まさに御本尊の相待・絶待の判ではないか。松岡が、阿部の相待妙本尊説は、日蓮仏法の正統的合理性を欠くと考えざるをえない≠ネどのたわ言を吐くことは、日顕上人のみならず勿体なくも宗祖大聖人に反抗する愚論である。又従浅至深の本門、則ち五重相対、五重三段の所顕は、そのまま御本尊であることも知らず、これを切り離して別箇に考える未練未熟そのものの幼稚な頭なのだ。松岡よ、錯乱の迷語も大概にせよ。

 また『拝述記』に、

人ニ約サバ、生知ノ妙悟トシテ御誕生、乃至宗旨建立ノ時ヨリ、大聖人ノ御内証ニ久遠本仏ノ体ハ具エ給エドモ、修行振舞イノ上ノ倶体・倶用ノ開現ハ、竜ノ口ノ発迹顕本ニアリ。(拝述記三八八頁)

と示されるように、大聖人は御誕生より御本尊の体を具えておられるが、修行振舞いの上の倶体・倶用の開現は、竜の口の発迹顕本にある。ここに人に約する上からの法門があり、これを日顕上人は次下に、

故ニ顕本ノ日蓮大聖人ヨリ前ノ凡身日蓮ヲ相待セバ、竜ノ口顕本ノ日蓮大聖人ハ絶待妙ニシテ、以前ハ相待妙ナリ。(拝述記三八九頁)

と、日蓮大聖人の御身の上に絶待妙・相待妙を明かされるのである。日蓮大聖人は竜の口顕本以後より、この人即法・法即人の御内証・一大事の秘法を三大秘法の御本尊として仕立てられ、末法の衆生のために御本尊の御化導をはじめられるのである。
 松岡は、御本尊の御顕示が御化導であることを全く分かっていない。御本尊を、法体、法体というが、ではその御法体は、どこから、どのようにして顕れてくるのか。大聖人が御本尊として顕し給うからこそ、我々衆生は大聖人の御内証を拝することができるのではないか。
 この御内証を付嘱遊ばされるのが、『当流行事抄』に、

問う、有る人難じて云わく「日興上人は上足の第三なり。何ぞ是れ結要付嘱の上首ならんや」云云、此の難如何。
答う、六老の次第は受戒の前後に由り、伝法の有無は智徳の浅深に由る、故に孔子は道を曾子に伝うるなり、玄奘は法を慈恩に付す、並びに嫡弟に非ず、誰人か之れを難ぜん云云。吾が開山上人は智は先師に等しく徳は諸弟に超えたり。故に塔中伝受の秘要を付して本門弘通の大導師と称し、末法万年の総貫首と定め、二箇の相承を授けて延山の補処と為す。文証現証了々分明なり。汝等智有らん者此に於て疑いを生ずること勿れ云云。(六巻抄一九七頁)

と示されるところの日興上人への結要付嘱であり、この正体は御本尊である。この御本尊は『御義口伝』に、

此の妙法蓮華経は釈尊の妙法には非ず。既に此の品の時上行菩薩に付嘱し玉ふ故なり。(新編一七八三頁)

と示されているが、法に約せば日蓮大聖人の所有であり、人に約せば日蓮大聖人その人であられる。
 すなわち結要付嘱とは、この人法の当体である御本尊を日興上人へ付嘱遊ばされるのであり、日興上人・日目上人と次第して日顕上人に至り、現在は御当代日如上人の御所持され給うところである。

 さて、日顕上人は、この日蓮大聖人の御本尊御化導を法即人の意義から、

身延期ニ久遠元初自受用・無作三身タル究竟ノ本尊ヲ顕シ給ウ化導上ノ前後ニ於テ拝セバ、究竟本尊ニ於ル宗祖ノ御境地ハ絶待妙、以前ノ未究竟ノ時ハ相待妙トシテ本迹ヲ立テラルベシ(拝述記三八九頁)

と、御本尊における宗祖の御境地に絶待妙・相待妙の本迹を立てられている。
 また、御本尊御化導を人即法の意義の上から、

法ニ約セバ云ク、宗祖大聖人一代ノ化導ニ、佐前、佐後、身延アレドモ、ソノスベテハ三大秘法弘通ノ次第進展ニアリ。ソノ本門ノ究竟ハ弘安元年以降ニアル故ニ、ソノ当体ニ自ズカラ究竟ノ戒壇具ワリテ三秘整足スレドモ、コレ一往義ニ於ル整足ナリ。更ニ事ノ上ノ戒壇建立ノ為、カツハ末法万年ノ施化ノ中心トシテ整足シ給ウハ、本門戒壇ノ大御本尊ナリ。ココニ約法ノ上ノ下種絶待妙アルナリ。シタガッテ以前・以後ノ一切ノ本尊ト法門ハ、コレヨリ判ジテ相待妙トナリ、「相待ハ迹、絶待ハ本ナリ」ノ判開究竟ス。(拝述記三八八頁)

と、三大秘法の整足の上に絶待妙・相待妙を立てられている。この約人・約法における絶待妙・相待妙の待判と開会を束ねて、次上に、

「然シテ相待ハ迹、絶待ハ本ナリ」トハ、下種二妙ニ於ル本迹ノ判ニシテ、究竟中ノ究竟タル絶待判ト云ウベシ。下種二妙ニツキテハ、題下ニソノ義ヲ拝セリ。今ハ下種相待妙ニ対スル絶待妙ノ判ニシテ、下種化導中ノ最高究竟ノ判開ナリ。(同)

と示されているのである。

 以上、論述したように、下種仏法の御法門には重々の深義・次第があり、本門戒壇の大御本尊を究竟の法体として絶待妙・相待妙、而二不二の法門が存するのであるが、松岡は五重相対の法門と五重三段の法門に暗く、種脱相対を皮相的に解釈して「相待の迹」に執着し、法偏重の邪義に堕しているのである。その謬解から、自らの見解と血脈相承の深義とに同等の思いをなし、増上慢の大謗法が惹起するのである。そこに松岡や創価学会の謗法の根元がある。
 それを見破っておられた日顕上人は、第四十三回全国教師講習会において、

大聖人様の御法門の一切は、法体の妙法蓮華経を三大秘法として仕立てられる上からの相対妙・絶対妙の段階において、あらゆる御指南を示されたのでありますから、前後の法門の勝劣・浅深の筋道をきちんと立て分け、その上から法相・法理を判釈すべきであります。
 しかし、その筋道やけじめを全く解らないままに、異なる段階の法門をくっつけたり、語に執われて意義の違う御指南を混同したりしているのが、邪宗の者達や今の創価学会なのです。これからは、さらにはっきりと謗法の姿を露呈してくると思います。(大日蓮平成七年二月号三五頁)

と御指南されていた。
 池田大作や松岡が、事の仏法である日蓮正宗の正法と本門戒壇の大御本尊と正師にまします御歴代上人、就中、御隠尊日顕上人猊下の正義に背くことこそ、まさに大謗法の姿を露呈していると断ずるものである。    以 上 



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