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      とめどない名誉欲!
      果てしない煩悩の現証
                    ―創価学会―



 既に周知のとおり、池田大作の名誉欲はすさまじい。本年六月二十七日現在で、大作が受賞した名誉博士や名誉教授の「名誉学位」の総数は「百六十」だそうだ(同日付聖教新聞)。その後も連日のように、名誉学位の授与式の模様が聖教新聞の一面を飾っているから、その数は増え続けている。
 また「名誉市民」などの受賞も相当数にのぼるであろうから、それをも合わせれば、これまで受けた「名誉称号」なるものは、もはや大作本人すらも把握しきれないであろう。
 とっくの昔から「名誉会長」という、いわゆる名誉職にありながら、それでもなお「名誉」と名のつく肩書きは何でも欲しがる大作は、もはや名誉欲の権化、煩悩の塊としか言いようがない。それで世界が認める大人物だと自認するのだから、何ともおめでたい。



    大学に何の貢献も無いのに「名誉教授」?


 ところで「名誉教授」とは、「大学に教授その他として一定の年限を勤めた者で、教育上または学術上著しい功績があった者に対し、退職後大学から与えられる称号」(小学館・大辞泉)
だそうだ。
 大作が大学の「教授その他として一定の年限を勤めた」ことを筆者は知らないが、どこの大学にも就職しない者が「退職後大学から与えられる称号」を捨てるほど持っていることは、不可解きわまりない。
 そこのところは目をつぶるとして、大作に「著しい功績」など、何かあったのだろうか。
 大作が自ら並び称するガンジーやキング牧師すら、世界レベルで社会的に高い評価を得ていても、これほどの数の「名誉称号」を受けてはいない。にもかかわらず、なせ多くの「名誉称号」を大作が受けられるのだろうか。



    創価学会の総資産は十兆円! 


 ところで、先般、創価学会の巨万の富と権力を特集した週刊誌(平成十六年八月七日発行の週刊ダイヤモンド)が発売され、その想像を絶する「力」の実態が浮き彫りとなっている。
 それによれば、創価学会の総資産は、不動産が約九兆円、預貯金などが約一兆円だそうだ。文字どおり、巨万の富を創価学会は得ているのである。
 さらに政治権力をも握り、関連団体や外郭企業なども含め、一つの「国家」レベルの「力」を手中に収めている。
 しかも、一般会計だけでも年間、二千から三千億円の収入があり、それがすべて非課税というのだから驚く。
 これだけ絶大な組織力と財力を有する創価学会のトップに君臨する池田大作に、「名誉称号」が次から次へと授与されているのである。だれしも思い半ばに過ぎるものがあろう。



    信心のまづしき事をなげくべき


 大作が最初に「名誉学位」を得たのは昭和五十年(一九七五年)のことであるが、以来、平成二年(一九九〇年)までには、九つしか「名誉学位」を贈られていない。しかし、自らの大謗法スピーチが発覚し、総講頭の資格を喪失したあとから、突如「名誉学位」の受賞が増え、以来、およそ十五年の間に百六十もの「名誉学位」を得た。要するに、創価学会の謗法路線が顕著になった時期から、大作の「名誉学位」ラッシュが始まるのである。
 これはいったい何を物語っているのであろうか。だれが見ても、「総講頭」の資格をこれら「名誉称号」で補うつもりとしか思えないではないか。
 日寛上人は、、
 「身のまづしきをなげくべからず。唯信心のまづしき事をなげくべきにて侯」(妙喜寺文書)
と御指南である。
 大作よ。いくら勲章を身にまとい着飾っても、いくら名誉称号を授与されようとも、おのれの「まづしき」信心は隠せないぞ。

大白法653(h16.9.16)号より転載



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