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早くもあれから十四年! その間に「究極の悪行」にまで手を染めた邪教 ―創価学会― あれから十四年 早いもので、あれから十四年が経った。今回の創価学会問題の発端となった池田大作の一一・一六スピーチからである。 その詳細な内容は当時の『大日蓮』の号外に明らかであるが、創価学会首脳は、宗門の指摘に対して、日顕上人猊下や宗門を誹謗する趣旨で、大作がスピーチを行ったわけではないなどと詭弁を弄し、言い訳をした。 しかし、その創価学会首脳、なかんずくその首魁である池田大作自らが、今や日顕上人を呼び捨てにして悪しざまに罵り、宗門に対し誹謗中傷の限りを尽くしているのである。 そのような現今の姿から翻って見れば、十四年前のスピーチ自体に、大謗法の要因が既に備わることが明白である。 「悪鬼入其身の所業」 当時、会長の秋谷栄之助は、宗門の指摘(「お尋ね」など) に対して、 「もとより日蓮正宗にあって、金口嫡々唯授一人の血脈相承が宗旨の根本であることは論を待ちません。(中略)日蓮正宗にとって根本たる法主の血脈を、状況次第でいとも簡単に否定し、あまつさえ恐れ多くも猊下を裁判で訴えた正信会の行動は、信心の狂いの極みであり、悪鬼入其身の所業」(平成二年十二月二十三日付「お伺い」・平成三年一月二十五日付大日蓮号外 四一頁) 「血脈の否定こそは、日蓮正宗の根本教義の否定であり、究極の悪業ではないでしょうか。故にこれをいかに糾弾してもしすぎることはないものと考えます。その意味では、正信会の輩が血脈の否定にいかなる口実をかまえようとも、ことの本質は彼らの信心の根本の狂いにある」(平成三年一月一日付文書・同八九頁) などと返答していた。 それが今や、当の秋谷自身が、日顕上人の血脈相承を「状況次第でいとも簡単に否定し」「究極の悪業」を重ねる。もはや滑稽と言うほかはない。 秋谷が言うとおり、今の大作らの大謗法の本質は「信心の根 本の狂い」にあり、「いかに糾弾してもしすぎることはない」。 故に、宗門は、徹底的に創価学会を破折しているのである。 全く成長の無い大作 また、大作は、十四年前のスピーチで、 「全然、また難しい教義、聞いたって解んないんだ。誰も解らないんだ、ドイソ語聞いているみたいにね」(同二〇頁) と言い放った。これは、御法主上人の二大法要での御説法を指していることは明白である。 日蓮大聖人の下種仏法は法界の森羅万象一切を包含する大白法であるから、難信難解であることは言うまでもない。そのことは法華経の経文にも、また御書にも随所に示されている。 それでも、信心をもって十年、二十年と御法主上人の御指南を拝聴するうち、難解ななかにも、少しずつその内容を理解できるものである。しかし、昭和三十五年に創価学会会長に就任以来、常に最前列で御説法を拝聴していた大作には、三十年経っても「ドイツ語」にしか聞こえないんだそうだ。 それは、自らの成長の無さと、教学力の未熟なことを吐露した ものにほかならない。 御法主上人の御指南が難解であると難癖を付ける前に、自らの無信心と低級な教学を恥じよ! この十四年に正邪が明白 この十四年の間に、宗門は、六万総会、十万総登山、そして三十万総登山と着実に大法広布の礎を盤苔に築き、総本山整備事業も含め、隆々と発展してきた。対して創価学会は、宗門の大前進を妨害することに腐心し、宗門への非難中傷を続け、大作の勲章あさりと権力掌握に全力を傾ける十四年であった。 この違いに、正邪の峻別が厳然と明らかではないか。 大白法657(h16.11.16)号より転載 |