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    いまだに「本流」と強弁
     正信会改め「笑止ン会」!?
                     ―正信会―


     自称正信会の起こり


 自称ながら「正信会」と名乗る団体がある。今やその活動は低迷し、日常生活のなかでは、本宗僧俗との接点すら非常に少なくなった邪教団である。
 正信会は、創価学会の謗法に端を発する。すなわち、創価学会は、昭和五十二年ごろにも大謗法を犯した(いわゆる五十二年路線)。御先師日達上人は、折に触れてその謗法を厳しく破折され、その結果、首魁の池田大作は、創価学会会長を引責辞任した。
 日達上人は、これらの反省の姿を前提に、最終的には、
  「これまでの経緯は水に流して、大同団結して宗門の発展ひいては広宣流布に協力していただきたい」(昭和五十四年五月四日付聖教新聞)
と、一切を収束あそばされた。
 しかし、一部僧侶らが徒党を組んでこの御指南に逆らい、その後も創価学会を攻撃し続け、果ては御法主日顕上人猊下の血脈相承をも否定した。これが自称正信会である。


     正信覚醒運動の本義


 正信会では、自らの活動を正信覚醒運動と呼んでいる。その意義について、当時の正信会会長であった久保川某は、
 「大聖人の仏法を護り、数百万世帯に及ぶ学会員の迷夢を醒し堕地獄の途を塞ぐ為に出現したのが正信覚醒運動」(正信覚醒運動の歩み 二頁)
と標榜する。要するに、創価学会の謗法を正すことらしい。
 しかし、五十二年路線以降においても、宗門は適切に創価学会を指導し、あるいは間違いを正してきた。ことに、平成二年末以降は、日蓮正宗を挙げてその大謗法を敢然と破折し、現在に至っている。
 これらを通覧するならば、正信会の言う正信覚醒運動とは、畢竟、宗門のこれまでの広布への前進にその本義が存する。
 特に、創価学会が自らの大謗法により日蓮正宗から破門された現在、正信会はその大義名分すら、根底から失っている。


     大謗法の「本流」!?


 にもかかわらず、いまだに、
  「我らこそ富士の本流」(継命紙)
と言い張っている姿は、なんとも根拠薄弱な「本流」であって、笑止の極みである。そんな浅はかな抽象論でごまかすこと自体、広宣流布の根源に迷惑する邪見である。
 正信会よ、刮目して拝するがよい。日寛上人は、
 「根源とは何ぞ、謂わく、本門戒壇の本尊是れなり」(六巻抄 六八頁)
と『文底秘沈抄』に御教示である。すなわち、独一本門戒壇の大御本尊こそ、広布の根源となる御法体である。
 しかして、この御法体を奉戴して広布に邁進する宗団は、世界広しといえども、唯一、我が宗門以外にないではないか。故に、現宗門こそ「富士の本流」にほかならない。
 そんな簡単な道理も弁えず、
 「富士の本流ということは、現下の日蓮正宗の亜流でもなければ支流でもないという宣言」(平成十七年一月一日付継命)
と強がっても、見苦しいばかりである。しかし、「亜流でもなければ支流でもない」とはそのとおり。なにせ、大謗法の「本流」なのだから・・・。


     御本尊はどうしているの?


 ところで、正信会では、
 「新たな寺院や布教所が次々と建立」(同紙)
という。その真偽はともかく、これら新たな拠点には、いったい何を安置しているのだろうか。
 そういえば、正信会が創価学会の『ニセ本尊』を破折しているのを、とんと見たことがないが、まさか「正信会よ、おまえもか」の所業に手を染めているわけではあるまいな。
 どこかの御本尊を勝手に持ち出しているのなら、正信会が創価学会と同じ大謗法を重ねていることに変わりはない。
 早く正信に覚醒せよ!

大白法663(h17.2.16)号より転載



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