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    敗れた裁判には頬かむり
      正本堂訴訟で連敗記録更新中!
                   ─創価学会



       訴訟提起の口実


 提訴の時は大宣伝するが、敗訴の事実はひた隠しに隠し、報道しない――。卑怯な創価学会の常套手段である。
 正本堂の解体にかこつけて、総勢三百四十名余りもの創価学会員らが、全国で提起した正本堂訴訟もそうだ。
 これは、正本堂は永久に維持されるという条件があった(負担付贈与)、との勝手な根拠に基づき、それが解体され精神的苦痛を受けたとするもの(建設訴訟)、または、その護持のために御供養したのだから、解体された以上は返還すべき(護持訴訟)という口実となっている。
 その総額は、なんと三億円近く。わずか三カ月程度の短期間に、軒並み一斉に提訴した。
 しかし、原告らは、提訴までの十年近くの間、総本山へ一回も登山せず、当然、正本堂へ参詣してもいない。そのくせ、今ごろになって、精神的苦痛だの、御供養を返還せよだのと、よくぞ言えたものである。


        訴訟提起の目論見


 建物が永久に存立するなど、物理的にありえない。そんな子供でもわかる道理が、正本堂建立の条件となろうはずもない。
 しかも、短期間に、全国四十カ所近くもの規模で、同一訴訟が濫発した事実は、中心に何者かの煽動があったことを容易に想像させる。因みに、各訴状のなかには、誤字まで同じものもあったのであるから、このことは疑う余地がないと言えよう。
 これらから、正本堂訴訟は、原告らが真摯に法的救済を求めたものではなく、主眼は別のところにあることが明らかである。


        正本堂訴訟は組織的濫訴


 正本堂建立の御供養は、創価学会が主体的に集めた。
 すなわち、日蓮正宗僧俗からの尊い多額の御供養は、創価学会内に設けられた「正本堂建設委員会」が取りまとめ、一切を管理していた。その委員長は、誰あろう、池田大作である。
 故に、正本堂建設に当たり条件があったかどうか、大作が一番よく知っている。よって宗門は、大作の証人尋問が必要となることを裁判所に示唆した。
 結果的には、この証人尋問は実現しなかったものの、おもしろいことに、その後、新たに提起された訴訟は無い。
 この事実は、正本堂訴訟が、組織的な濫訴であることを雄弁に物語っているではないか。



       「還著於本人」の所業


 もとより、正本堂訴訟は、同一案件であるから、分散させずに一つにまとめればよい。
 にもかかわらず、わざわざ全国各地にまたがって、訴訟を提起したのは、これを濫発して宗門を翻弄しよう、訴訟費用で負担をかけようとの、稚拙な魂胆があったのであろう。
 しかし、正本堂訴訟は、三十九件中、二十七件が静岡地裁へ移送され一括審理された。この弁論期日では、数人の宗門弁護団に対し、五、六十人もの学会側弁護団が陣取る姿は、なんとも滑稽であった。
 宗門に大きな負担をかけようという企みは、全く目的を達成できず、かえって自ら大きな負担を強いられるハメとなった。
 これを「還著於本人」と言わずして、なんと言うべきか。



       連敗記録更新中!でもその事実は頬かむり


 正本堂事件は、所詮、不当訴訟であるから当然の帰結ではあるが、三十九件の訴訟中、創価学会側は、いまだに一つも勝てない。驚異的な連敗記録を樹立し、今なお更新中である。
 しかも、提訴時には記者会見まで開いているのに、連敗続きの事実には頬かむり、一切報道していない。全く卑怯者である。
 自ら訴訟を濫発しておいて、ただの一つも勝てないとは…。
 この一事を見ても、
「悪は多けれども一善にかつ事なし」(御書 一三九〇頁)
の御金言の現証であろう。
 こんなくだらない訴訟に動員させられた創価学会員らこそ、哀れでみじめなものである。

大白法667(h17.4.16)号より転載



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