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       戸田会長に反逆する松岡
      「信薄き者には判らん事」
                ─創価学会─



      半僧半俗を宣言した松岡


 松岡雄茂こと松岡幹夫が、性懲りもなく、本年一月にまたもや御隠尊日顕上人猊下へ駄文を送りつけてきた。「公開質問状」とタイトルを付してはいるものの、実質は罵言雑言の羅列である。その低俗な内容たるや、彼の邪智迷妄ぶりを雄弁に物語っている。
 想像と憶測を逞しくし、必死に妄想を書き連ねる彼の「オタク」的後ろ姿を想像すると、薄気味悪い。
 宗門では「決起の年」を迎え、「平成二十一年・『立正安国論』正義顕揚七百五十年」の御命題へ向け、決意を新たに精進するなか、松岡の悩乱ぶりは、いよいよ加速しているようだ。
 彼は、それを唯一の使命とでも思っているのか、宗門、なかんずく日顕上人猊下を貶めることに腐心してきた。しかし、その都度、宗門から邪義を破折され続けたため、法義ではかなわないと諦めたものか、今度は真摯な法義研鑽とは懸け離れた「質問状」でお茶を濁してきた。全く呆れはてた人間である。
 しかも、そのなかで松岡は、「私は剃髪以来、一貫して僧にして俗≠フ在家者である。僧俗両面の意義を有する『在家僧』の立場であることは、昔も今も変わりはない」
と、自らの立場を宣言している。「僧俗両面の意義を有する」とは、一体どのような意味だ?「在家僧」なる立場は、どの御書の、どこに説かれたものか?「僧俗両面の意義」などともったいつけてはいるか、結局、単なる御都合主義なのだ。


      戸田会長に反逆する松岡


 松岡は、このたび、日顕上人猊下が日如上人猊下へと唯授一人血脈相承されたことに対しても「虚偽の儀式」などと讒言を加えている。
 しかし、創価学会では過去に御相承をどのように拝していたか、全く知らないのであろうか。第二代戸田城聖会長は、
 「信者の大精神に立て」
との大見出しのもとに、
 「先代攻口先生当時から学会は猊座の事には一切関知せぬ大精神で通して来たし、今後もこの精神で一貫する。これを破る者はたとへ大幹部といえども速座に除名する(中略)どなたが新しく猊座に登られようとも、学会会長として、私は水谷猊下にお仕えして来たのといさゝかも変りはない。新猊下を大聖人様としておつかえ申上げ、広布への大折伏にまっすぐ進んで行くだけてある」(昭和三一年一月二九日付聖教新聞)
と指導しているではないか。松岡の言によれば「新猊下を大聖人様としておつかえ申上げ」などは、法主信仰の最たるものとなろうが、この指導が是か非か、まず松岡に聞いてみたいものだ。また、この談話を受けて、同日の聖教新聞の「寸鉄」にも、
「法主を宗祖大聖人としておつかえ申上げる、どなたが法主様でも一貫不変、これ信者の大精神。信薄き者には判らん事」
と述べているが、これは正しいのか否か。正しいというなら、松岡は「信薄き者」の頭目であろうし、間違いというなら、戸田会長自身が大聖人仏法とは懸け離れた邪論を振りまいていたことになる。
 さあ松岡、答えてもらおう。

      仏法を乱すエセ学者

 おそらく、謗法にどっぷりと染まりきっている松岡では、こんなことも判るまい。それで学者気取りとは、いやはや、めでたいものだ。改めて、大聖人が、
「智者・学匠の身と為りても地獄に堕ちて何の詮か有るべき」(御書 一五一九頁)
と御教示されたのは、松岡のような学者気取りの「信薄き者」が、仏法を壊乱することを見透かされ、このような者どもによって仏法の正邪が混乱することのないよう、厳しく御指南されたものと拝する。
 松岡よ、反論され尽くした無駄な邪推はやめ、速やかに大謗法の数々を反省懺悔しなさい。

大白法687(h18.2.16)号より転載



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