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      聖教新聞の虚偽報道が断罪
             ─創価学会

   「中身のない中傷」

 創価学会は、連日のように、主要大幹部による座談会を聖教新聞に掲載している。
 これは、単に口汚く他を中傷するだけのもので、見る者の命までもが濁ってしまうような低俗な代物である。なるほど、これを読む創価学会員の命が、濁り切っているのもうなずける。こんな団体が「平和」とか「人権」などと口にするのだから、バカバカしいこと、この上ない。かつて、聖教新聞は、
 「一部週刊誌を中心に、デマが平然とまかり通り、中づり広告には中身のない中傷の言葉がおどる。極めて憂慮すべき状況だ」(平成一五年一二月四日付)
と社説で述べた。
 「中身のない中傷の言葉」とは、まさに聖教新聞紙上での座談会を指しているではないか。その一方で、マスコミの人権侵害を非難しているのだから、滑稽としか言いようがない。


  聖教虚偽報道の事実

 そんな、いわば三流週刊誌以下の聖教新聞が、裁判所によって断罪された事件が、妙蓮寺本妙坊住職・樽沢道広御尊師が提起した名誉毀損訴訟である。
 聖教新聞は、樽沢師が本妙坊檀家の葬儀に際し、戒名料として二百万円も請求したなどと、およそだれもが信用しない低レベルな物語を前提に、同師を罵倒する座談会を掲載した。
 いつものくだらない内容に、逐一取り合う価値もないが、当時、樽沢師は本妙坊住職でなく、当該葬儀に一切かかわっていない。そこで自らの名誉を回復し、虚偽報道の実体を暴くために、樽沢師は訴訟へと踏み切った。その結果、東京地裁は、これら記事が虚偽であると認定し、創価学会本体とともに、秋谷栄之助、青木亨、原田稔、奥山義朗ら、会長以下の名だたる大幹部に対し、慰謝料の支払いを命ずる判決を下した。
 ありもしないことを前提に、樽沢師を「強欲のクソ坊主」と
か「卑しい」などと罵ったのであるから、当然の報いであろう。
 しかも創価学会側は、控訴することを諦め、いわば虚偽の報道をした事実を認めて、この判決は確定した。


   「デマ雑誌は毒虫、毛虫」

 この判決が下される前日、被告の一人である青木亨(創価学会理事長・代表役員)は、次のような指導をした。
 「民衆は、一日も早く目ざめて、これらの毒虫、毛虫(デマ雑誌・筆者註)を除去しなければならない」(平成一八年三月一二日付聖教新聞)
 「民衆が目ざめ、戦うことである。社会から叩きだすことである。断固、裁判にも訴えて、厳しく罪を問うことである。それが社会を浄化し、正しく発展させていく道である」(同)
 まことに立派なものであるが、これを口にした当の本人が「毒虫、毛虫」に加担したのであるから、全くお粗末な話である。また、青木の言は、聖教新聞が、もはや「毒虫、毛虫」と成り果てたことも証明している。
 自分が断罪される前日に、このようなことを指導するとは、なんともめでたい理事長だ。
 青木よ、自分の発言に責任をもち、聖教新聞を「社会から叩きだ」しなさい!


   創価学会の卑しい本性

 創価学会が、自らデマを流布し、その事実が裁判所に認められた以上、率先して樽沢師に謝罪すべきは当然である。しかし、根性の腐った創価学会首脳は、そんな誠意ある行動もせず、また、期待もできない。むしろ、その事実をひた隠し、言い訳に終始しているのが実情である。この創価学会の不誠実な対応こそ、卑しい本性をむき出したものと言えよう。
 創価学会員の蒙を晴らす絶好の材料として、この虚偽報道の実体を多くの人に語り、濁った命を教救おうではないか。

大白法694(h18.6.1)号より転載



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