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 前代未聞の名聞名利
 虚飾王・池田大作
        ─創価学会─


   『立正安国論』建白の月

 七月は『立正安国論』建白の月、特に本日十六日は、まさに その当日である。  『立正安国論』には、 「悲しいかな数十年の間、百千万の人魔縁に蕩(とろ)かされて多く仏教に迷へり。謗を好んで正を忘る、善神怒りを成さゞらんや。円を捨て上偏を好む、悪鬼便りを得ざらんや」(御書二四一頁) と示されている。『安国論』による正義顕揚から七百四十七年 を経ているのに、日蓮大聖人が 「謗を好んで正を忘る」と示された世情は、今なお変わらない。  しかして、混沌とした社会情勢の一番の原因は、いつの時代も謗法の跋扈跳梁にある。  「早く天下の静謐を思はゞ須く国中の謗法を断つべし」(同 二四七頁) との御金言を拝し、『安国論』建白の日に当たって、我らは折伏行に邁進する決意を改めなければなるまい。


    前代未聞の名聞名利

 ところで、本年五月一日付の聖教新聞には、池田大作への勲章や名誉称号などが二千二百にも及んだこととともに、得意絶頂に勲章を付ける大作の写真が報道されている。
 これによると、大作には、国家勲章、名誉市民、名誉博士、名誉教授、名誉会員をはじめ、国連機関や行政機関、教育機関などから、合計二千二百もの顕彰が与えられているそうだ。
 恐らく、ギネスブックに申請すれば、その名が歴史に刻まれることは疑いない。
 これほど多くの勲章類をもらっている人物など、過去にいないだろう。しかしそれは、大作が歴史上、傑出した人物というのではなく、文字どおり、前代未聞の名聞名利に執着していることの証明である。
 しかも、「識者」なる者に、
 「世界の顕彰は人間としての偉大さを証明」(五月一日付 聖教新聞)
などと言わせているところを見ると、大作はこの名聞名利によって、世に尊敬される偉大な人物と勘違いしているようだ。
 中身が何もない人間ほど、せめて外見だけでも着飾ろうと腐心するのは世の常である。世にこれを「虚飾」と言う。
 大作の勲章の数々は、愚かにも、自ら「虚飾の王様」であることを披瀝しているのである。

     深く邪法の獄に入る

 大聖人は『安国論』に、
 「人の心は時に随って移り、物の性は境に依って改まる」(御書 二四八頁)
と示されている。
 今や虚飾王・大作に翻弄されている創価学会員も、その昔は純粋に信仰に励んでいたであろう。しかし、魔に魅入られて心が移ろい、『ニセ本尊』という魔境によって、その仏心すら蝕まれているのである。しかも、
 「是私曲の思ひに非ず、則ち先達の詞に随ひしなり。十方の諸人も亦復是くの如くなるべし」(同 二五〇頁)
の文のように、ほとんどの学会員は、自分では何も判断できないまま、周囲に振り回され、謗法に加担しているのである。
 知ろうと知るまいと、彼らが、
 「皆正法の門を出でて深く邪法の獄に入る」(同頁)
者どもであることは疑いない。
 我らが、これを知りつつ放置しておくことは、無慈悲の誹りをまぬかれないであろう。


     現代の一凶

 大聖人御在世当時、念仏は日本一国に蔓延り、政治権力をも握るなど、あらん限りの力をもって大聖人を迫害した。
 現代においては創価学会が、政治権力をも手中に収め、率先して日蓮正宗の布教を妨害している。故に、大聖人が、
 「如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁せんには」(同 二四一頁)
と示される「一凶」が創価学会であることは、言うまでもない。
 平成二十一年の『立正安国論』正義顕揚七百五十年までちょうど三年、これからが我らの精進の正念場である。

大白法697(h18.7.16)号より転載



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