(61)


  大作の魔心が篭もる『ニセ本尊』
             ─創価学会─

   創価学会の『ニセ本尊』


 創価学会が『ニセ本尊』の販売を始めたのは平成五年のことだった。もちろん池田大作の方針である。なぜなら、大作は創価学会の「絶対的指導者」だからだ。その「絶対的指導者」の意向なくして『ニセ本尊』を作製・販売できるはずもない。むしろ、『ニセ本尊』は、創価学会で絶対的立場にある大作が主導したことを疑う者などいまい。しかし大作は表には出てこない。学会員は浄円寺の住職の提供による、とか言われて、よく分からないままに『ニセ本尊』を拝まされているが、裏でこっそりと『ニセ本尊』作製・販売の糸を引いているのは姑息な大作なのだ。
 実は大作には、過去にも御本尊模刻という大謗法の前科がある。法義逸脱の謗法の前科もある。そのために第六十六世日達上人の時に、謝罪し責任を取って創価学会の会長を辞任した。日達上人と前御法主日顕上人の両猊下は、そんな大作を慈悲の上から許されて創価学会を善導されたのだが、性悪の大作は改心しなかったのである。
 大作にとっては自分がすべてであって、御本尊など、たいした問題ではない。
 学会員は大作のために『ニセ本尊』を拝まされているのだ。
なぜ『ニセ本尊』なのか
 池田大作の作った創価学会版『ニセ本尊』が「ニセ」である理由は、これまで宗門から指摘されているように、「御法主上人の許可を受けていない」「総本山から下付されたものではない」「創価学会が勝手に作製したもの」だからである。
 要するに大作が、邪悪な心で勝手に作っているから『ニセ本尊』なのだ。


   真正の御本尊とは


 日蓮正宗の御本尊には御歴代上人の御花押が認められている。これは日蓮大聖人の御本尊を、御法主上人の権能において書写されているということである。それを拝する者は、御法主上人を信じて日蓮大聖人の御本尊を拝するのである。
 日顕上人猊下は御本尊の深義と御相伝について、
「事の一念三千の南無妙法蓮華経即日蓮の御当体、人法一箇の御内証を、末法万年の一切衆生の即身成仏、懺悔滅罪のため、三大秘法にお仕立てあそばす」(大日蓮 昭和五八年五月号四一n)
と仰せられ、また、
「文底秘沈の一念三千の南無妙法蓮華経を、末法万年の衆生を救うべく大聖人が宗旨の大法に仕立て給うところ、その究竟の法体いわゆる人法一箇の境智より出づる三大秘法の相伝と、これを万年弘通のために能く持ち、能く継承する付嘱の大事があって初めて、相伝の意義が正しく存在するのであります」(同 昭和五八年一月号四六n)
と御指南されている。このように、日蓮大聖人の御胸中の御内証を三大秘法にお仕立てあそばされたのが御本尊であり、この御本尊の御内証を御相伝あそばされるのが「付嘱の大事」たる血脈法水相承である。つまり御本尊は御法主上人を信じてこそ、初めて日蓮大聖人の御内証という実体が伴うのである。

   『ニセ本尊』の実体

 御法主日如上人猊下が、
「池田創価学会でもお題目を唱えておりますが、彼らは全く実体のない『ニセ本尊』を拝んでいるわけでありますから、いくら拝んでも功徳はないのであります」(同 平成一八年五月号四二n)
と御指南されているように、創価学会の『ニセ本尊』には本門戒壇の大御本尊即日蓮大聖人の御内証という実体がないのだ。代わりに入り込んでいるのは、池田大作の邪心・魔心である。
 創価学会員は大作をたいした人のように思っているが、それは全く違う。自分を本尊だと思い上がっている、単なる大増上慢に過ぎないのである。つまり『ニセ本尊』とは、大作の正体が「魔」であることの動かぬ証拠なのだ。

大白法710(h19.2.1)号より転載



ホーム   目 次   前 頁   次 頁