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破門から十五年 現実相に正邪の峻別は厳然! ─創価学会─ 虚飾の必要性 去る平成十八年十一月二十八日、創価学会が破門されてから満十五年を迎えた。 この日、創価学会は、この間の大謗法の数々を棚に上げて、 「学会が宗祖の御遺命である世界広宣流布を現実に進めることができた」(平成十八年十一月二十八日付聖教新聞の社説) と大言壮語を言い放った。 何をもって「現実に進めることができた」のかと言えば、邪義を世界に弘めただけでなく、 「池田SGI会長に対する世界の大学、学術機関からの名誉学術称号は200を超えた」(同) ことも根拠のようだ。 要するに、創価学会が繁栄していると会員達に思い込ませるためにも、名聞名利の虚飾が必要なのである。 根拠のない「C作戦」 また、この社説では、いまだに創価学会問題の発端が「C作戦」なるものにあるとする。 かねて池田大作は「嘘も百遍言えば本当になる」と吹聴していたやに仄聞するが、真実に目を背け、会員を洗脳し続ける姿は、哀れなものである。 既に何度も指摘したことであるが、いわゆる「C作戦」なる妄想については、司法において、 「いずれも一方的な陳述の類であり、その内容も客観的根拠に乏しく、また、これらを補強し得る的確な証拠もない」(長野地裁松本支部の平成十一年四月二十一日判決) と明確に否定されている。 日本語を理解できない学会員のために、特に難しくもない判決文を敢えて解説すれば、創価学会による一連の「C作戦」報道は、被害者意識丸出しの勝手な報道であり、根拠もなければ、証拠もないということである。 お判りだろうか、「C作戦」は根も葉もないと、裁判所に言われているのである。なのに、十五年にもわたって「C作戦」があったと言い張るとは…。 この「C作戦」報道こそ、創価学会の執念深さと奸智の証明と言えよう。 片腹痛い「日蓮大聖人直結」 こんな奸計を弄する創価学会が、仏法を名乗ることすらおこがましいが、中でも「大聖人直結」とうそぶくのは、もはや片腹痛いとしか評しようがない。 第一に、大聖人は正直を旨とされている。故に、不正直な創価学会が「大聖人直結」などはできない。 第二に、「直結」を叫んだところで、その実体たる本門戒壇の大御本尊から離れている。 その他、彼らが大聖人に直結などできるわけがない根拠は、それこそ枚挙にいとまがないが、中でも、 「三代の師弟の信心があるからこそ、学会が『仏意仏勅』『日蓮大聖人直結』の唯一の正統教団なのである」(前出の聖教新聞社説) なる抽象的概念によって「正統教団」と言い通す浅はかさは、邪教団ならではと得心がいく。 池田大作に真摯な信仰心がまるで無いことは、もはや万人の知るところである。ろくに勤行もしないことはつとに有名であるし、勤行しない者が唱題しているはずもない。 そんな無信心にして邪心あふれる者を仰いで、どうして「大聖人直結」が語れようか。 宗門隆盛の現実相 対して、宗門は着実に広布へ大前進し、平成二年の三万総会を皮切りに、平成六年の六万総会、平成十年の十万登山、そして平成十四年の三十万登山と、盤石なる法礎を築いてきた。 この実績こそが、宗門隆盛の証であり、創価学会がどんなに悪口雑言しようとも、動かしがたい現実である。 この宗門隆盛の姿と、大作の勲章が多いことと、どちらが正邪を決しているかは、誰の目にも明らかではないか。 平成二十一年まで、あと二年を切った。さらに強固な法礎建立のために、我らの精進も正念場である。 大白法709(h19.1.16)号より転載 |