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  だれが会長となっても同じこと
     より先鋭化する池田イズム
             ─創価学会─

   無意味な会長交代劇


 去る十一月九日、新たな創価学会会長に原田稔が、同理事長に正木正明がそれぞれ就任した。
 聖教新聞では、これを、
 「学会の新時代建設に向け、新しき指導者群が誕生」(平成一八年一一月一〇日付)
などとするが、会長に就任した当の本人の原田自身が、
 「誰が会長になっても、師匠は池田先生だけです。広宣流布の大指揮を執ってくださった、創価学会の大指導者です」(平成一八年一一月一二日付聖教新聞)
と発言している。
 つまり、だれが会長になるうとも、創価学会の邪教の本質に何も変わりはない。大作の傀儡どもが、順番で責任を押し付けられているだけのことだ。
 その本質からすれば、茶番のような会長交代劇があろうと、なかろうと、「学会の新時代建設」などは到底かなわない。
 真に「学会の新時代建設」を考えるならば、まずは諸悪の根源である大作を破折して排除し、大謗法の数々を懺悔することが先決である。


   より先鋭化する池田イズム


 しかし、そんなことは期待できるはずもなく、実際は原田も正木も、それぞれ、
 「池田門下生の誇りも高く」
 「池田門下生として」(各同)
と挨拶していることから見ると、大作の側近であることが最大の自慢のようである。
 ことに新理事長である正木が、
 「いよいよ直系の池田門下が立つ時が来ました」(同)
と言っていることからすれば、戸田時代の古参幹部を排除し尽くし、より先鋭的な池田イズムを徹底するために、会長以下の人事が刷新されたことがうかがわれる。
その証拠に、正木は、
 「『師匠』と呼び、『先生』と呼ぶべき方は永遠に三代の会長だけであり、これからの学会の歴史は『池田先生の弟子』が永遠に綴りゆく歴史」(同)と発言し、より強固な池田絶対化を謀っている。
 これを大作信仰と表現せずして、なんと言うべきであろうか。さらには、
「学会の基盤構築とは、牧口先生、戸田先生、池田先生の三代会長の師弟の精神を学会永遠の原点として確立すること」(同)
と述べ、もはや大聖人直結、御本尊直結などという次元をも通り越し、「大作直結」を徹底しているのである。
 まさに創価学会は、大作絶対化か一層鮮明となり、その会員は坂道を転がるように、無間地獄へ向かって驀進中である。


   とどまることを知らぬ大作の慢心


 そして、最もお笑いぐさなのは、当の大作本人が尊大ぶって、新会長の原田らを前にして、
 「創価学会も、初代が創立し、2代が受け継いで発展させ、第3代が完成させた」(平成一八年一一月一五日付聖教新聞)
と、ぬけぬけとスピーチしていることである。加えて、
 「『三代の師弟』を原点とする限り、創価学会は、万代にねたって発展していく」(同)とも言い放っている。
自画自賛もここまでくれば全くおめでたい。聴衆もこれを笑わずに、よく聞けるものだ。
 大聖人は、当時の高僧や真言師に対し、
 「慢心は山の如く高く、欲心は海よりも深し」(御書四三八頁)
と一喝されている。
 「平成二十一年・『立正安国論』正義顕揚七百五十年」を目前にして、世相も大きく変わり、大慢心の謗法の姿が、より顕著になってきている。
 「如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには」(同二四一頁)
との御金言を拝し、この「一凶」たる創価学会を徹底して破折することが、我らの使命であり責任である。

大白法707(h18.12.16)号より転載



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