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  秋谷、ついに会長を辞任!
        大作「恩返ししろ」!
         ─創価学会─


    秋谷辞任!


 秋谷栄之助は、二十五年間、居座り続けた創価学会の会長の座を、ついに退かされた。
 池田大作の会長歴十九年を超えた長きにわたるものでありながら、だれからも何の労いの言葉も掛けられることなく、辞めさせられた模様。
 秋谷は辞めた理由を、
 「数年前から年齢的、体力的な面も考慮し、(中略)『11・18』創立記念日を前に、次の世代に道を譲り、学会の一層の発展を期すべきであると考え、辞任を決め」(平成十八年十一月十日付聖教新聞)
たと、さも自身で退任を決めたかのように言っているが、秋谷のへ夕な舵取りを見限っての大作の肩たたき人事に違いない。


    あくまでも自分


 新人事を公に発表した十一月十日、大作は創価の集会で、
「(学会は)第3代の私が完成させた。この厳粛なる原点を、絶対に忘れてはならない」(十一月十一日付聖教新聞)
と、秋谷のことなど一言もなく、オレを忘れるな≠ニ、あくまで自分を強調する始末。秋谷も秋谷で、
 「師匠・池田先主には大恩があります」(十一月十日付聖教新聞)
と、最後まで忠誠を尽くすフリで、自らの幕を閉じている。昭和三十三年、戸田城聖氏の葬儀の折、当時、男子部長であった秋谷は男子部代表で弔辞を読んでいるが、
 「戸田門下と名乗り得る光栄を強く感ずる」(大白蓮華昭和三十三年八月号)
の言葉も、今は虚しい響きとなっている。
 師匠が大作とは・・・。トホホ。


     操り人形の秋谷


 思えば、平成二年に惹起した創価学会問題においては、秋谷は完全に大作の操り人形として扱われている。例えば、毎年恒例だった創価の新年初登山では、それまで一度たりとも欠席したことのなかった大作が、平成三年の初登山では姿を見せず、代わりに秋谷を登山させ、彼を犠牲にして宗門攻撃をさせている。自分の発言(11.16)が問題の元凶であることを知っていながら、さっさと姿を消して表に出てこない、などの態度は、大作の常套手段である。
 ボロぞうきんのように扱われる≠ニの言い方があるが、まさしく秋谷は大作にさんざん使われたあと、ポイッと使い捨てられた形でお役御免となった。その上、さらに追い打ちをかけるように、大作は秋谷に、
 「恩返しのために、これからも(中略)戟え!」(十一月十五日付聖教新聞)
と鞭打っている。「年齢的、体力的な面も考慮」できない秋谷は、まことに哀れなものだ。秋谷の後任には、大作直系の門下を自負する、他田チルドレンの原田稔が会長になった。彼は、過去、学生部長や青年部長などを歴任してきた六十五歳。公明党の代表が太田昭宏(六十一歳)に代わったこともあって、その先輩格の原田を創価の
会長にあてがっていることを見れば、これから先も、公明党は創価に牛耳られていくことになるだろう。


    ヤス死す


 さて、この同時期(十一月十日)、柏原ヤスが死んだ。ひところ話題になった、あの「騒音おばさん」ならぬヤスは、財務の勧誘時、「世界広毎にはお金がかかる!いるんです!だから、出せっつーの!出せー!出せー!出せ!!」(婦入部指導会・ナマ音声あり)などの悪態で会員を怒鳴り散らす、創価の草創期に活躍した品性下劣な女性である。
 かつて参議院議員も務めたこともあるという、戸田門下の彼女の最期は、大作が弔問することもない、近親者によるさびしい家族葬だったとか……。
 秋谷も現役の会長であれば、第四代会長の故北条浩のように組織を挙げての葬儀も執行されるかも知れないが、会長を辞めた今、末路はヤスの姿を見れば想像がつくというものだ。

大白法706(h18.12.1)号より転載



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