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  なにがなんでも池田本仏!
    下衆三毒の大商人
             ─創価学会─

    可憐な乙女の怖い邪義

 創価新報(平成十九年三月七日付)に副学生部長・池田貴子なる者が「充実した『開目抄』研鑚のために」と題する悪文を寄せている。
 そこには「末法下種の三徳を具備した大聖人」と並べて「創価の三代が民衆救済の精神を継承」との大見出しが踊っている。
 それを見ただけで、創価学会による池田絶対・池田本仏を洗脳しようとするものであることが判る。可憐な乙女の純粋な小論を装っているが、その正体は唾棄すべき邪義なのだ。実に創価学会お得意の誑惑である。


     段階的な洗脳

 中を読むと、
「下種仏法の本質を鋭く洞察し、体得されたのが創価学会の三代会長です。大聖人の民衆救済の御精神と大慈悲を受け継ぎ、この仏法を広く世界に弘めてこられました」
とある。この文章の意図するところは、創価学会の牧口常三郎、戸田城聖、池田大作の三代会長は、下種仏法の本質を体得しており、日蓮大聖人の民衆救済の御精神と大慈悲を受け継いで仏法を広く世界に弘めているのだから、大聖人に等しい存在だと思わせるところにある。
 これは、創価学会の会長、とりわけ大作を神格化するための洗脳の第一段階である。
 しかし、大作が下種仏法を体得したとは、笑わせてくれるではないか。臆病極まりない小心者で、国会での証人喚問はおろか、裁判さえ逃げ回るような者に、どうして下種仏法が体得できるのだ。下衆の本質を体得した、の間違いだろう。


     仏法否定・極悪の増上慢

 次に、牧口常三郎・戸田城聖両氏を称えたあとで、
「池田先生は、この日蓮仏法の人間主義の理念である『人間革命』を根本に、世界の知性の方々との対話を続けるとともに、一閻浮提広宣流布を現実のものとされました」
と述べる。ここでは池田大作が一閻浮提広宣流布を現実のものとしたとして功績を強調している。しかし日達上人の仰せのように、日蓮正宗の教義でないものが弘まっても広宣流布とは言わない。しかも実際には、広宣流布にはほど遠い状況である。
 これは洗脳の第二段階であり、暗に大作が大聖人を超える弘教を行ったと言っているのだ。大作が、御本仏以上の存在になってしまえば、もう怖いものはない。なんでもやり放題である。
 これが創価学会の体質である。その根源は大作の「慢心」にある。自己を大聖人をも超える存在とする極悪の慢心こそ、創価学会の本質なのだ。
 それは要するに、大聖人の仏法の否定である。
 大聖人の仏法を信ずれば、どうしても日興上人への御相承を認めざるを得なくなる。それは当然、日目上人以下の御歴代上人の血脈を認めることに通じていく。すると日顕上人、日如上人をも認めざるを得なくなる。
 しかし、それを認めるわけにはいかない。つまり創価学会の正当化とは、仏法否定観、すなわち不信心の産物なのだ。


    三毒強盛の大商人

 この小論は、さらに、
「創価学会こそが、大聖人の三徳を継承し、この下種仏法を世界へ弘めてきたのです」
と続く。これは大聖人の三徳を創価学会・池田大作が継承しているというものであり、大作を教義的に本仏化しようとするものである。洗脳の第三段階、仕上げとして大聖人の仏法のすべてを強奪しようという寸法だ。
 この創価新報の第十一面には「創価学会仏」という話まで出ている。それにしても俗物極まりない大作に三徳を論ずるなど、いくらおべんちゃらの御用教学にしても、ヒドすぎる。
 なんで大作に三徳があるのだ。それを言うなら三毒だろう。三毒強盛の『ニセ本尊』販売の大商人。それが池田大作の商号である。

大白法715(h19.4.16)号より転載



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