(67)


    離脱僧はどうしたの?
     活躍の場も与えられず…
             ─創価学会─

      創価学会の唯一の教義

 創価学会の機関紙・聖教新聞の一面報道は連日、池田大作の「偉大さ」が強調されている。
 やれ勲章だの、知識人と会っただの、大作の「すごさ」をアピールするものがほとんどだ。
 その目的は、大作が世界的な偉人であると会員に吹聴すること、錯覚させることにある。
 故に新会長の原田稔も、
 「誰が会長になっても、師匠は池田先生だけです。広宣流布の大指揮を執ってくださった、創価学会の大指導者です」(平成十八年十一月十二日付 聖教新聞)
と、歯の浮くようなお世辞を並べて礼賛する。逆に言えば、このくらいは言えないと、会長にさせてはもらえまい…。
 要するに、大作崇拝は創価学会の存亡にかかわる唯一の教義であり、これを万人に納得させるために、次から次へと勲章を漁っているのである。
 これこそ、創価学会の生命線にほかならない。


     「離脱僧」の薄い影

 そんな大作崇拝が徹底される陰で、忘れ去られたかのように、ひっそりと、なりを潜めてしまったのが、いわゆる「離脱僧」と呼ばれる面々である。
 「離脱僧」とは、もともと日蓮正宗の僧侶でありながら、創価学会の謗法にくみし、挙げ句には正法から退転した脱落者である。むしろ「僧」と冠することもおこがましく、単なる禿人と称すべき退転者たちである。
 そんな禿人衆を学会では、
 「30力寺53人の離脱僧侶が決起」(平成十六年七月七日付 創価新報)
などと、さんざん持ち上げていたが、今やその姿や活動が、創価学会の報道で取り上げられることはほとんど無くなった。
 使い捨てられたのである。
 そもそも、これら禿人衆について、創価大学の某教授は、
 「僧の存在論的な特殊性は認めたくない(中略)積極的な役割として何をやらせるのか、そうすると基本的には無い」(東洋学術研究三二ー二ー三〇頁)
と、全く使い道が無いと明言していたのであるから、今の末路も当然であろう。


    「離脱僧」に巨万の投資

 創価学会は、こんな「無用の長物」に、巨万の投資をした。
 例えば、創価学会の某副会長は、離脱(退転)の勧誘に際し、
 「創価学会本部から現金五〇〇〇万円の支度金を支給する」(判例タイムズ一○九四ー一八五頁)
と明言していたことが裁判上、確定している。これだけでも、五〇〇〇万円×五三人となり、二十数億円にものぼる。
 また、ある者には毎月百万円、発覚しているだけでもこの一人に累計七千二百五十万円もの給与が支給されているから、他の者も含め、現在までの給与支出は莫大な金額となろう。
 さらに、寺院を不法占拠していた者たちの損害賠償や和解金
など、宗門へ支払わざるをえなくなった訴訟上の費用だけでも九億円近くを費やしている。
 これらをざっと見積もっても、創価学会は数十億円もの投資をしてきたことになる。


     無駄遣いされる「広布基金」

 これら投資の目的は、宗門僧侶に離脱を志す者がいることを挙げて、創価学会員に、宗門が腐敗堕落しているという幻影を抱かせることにあった。
 しかし、突き詰めれば、創価学会の正当性を謳うため、現在の教義である大作崇拝のための一つの布石にほかならない。
 俗物中の俗物である大作のために、禿人衆がかつがれ、最近はその「役割」を果たし終えたので、なりを潜めたのである。
 使い捨てにされることを承知で離脱した禿人衆と、巨万の無駄遣いをしてきた創価学会…。
 この両者のさもしい関係の狭間で、「広布基金」と称する無意味な献金に汗水流す会員こそ、いい面の皮である。

大白法716(h19.5.1)号より転載



ホーム   目 次   前 頁   次 頁