(68)


   大作は支配欲と増上慢の権化
        日本が危ない!
             ─創価学会─

      大作の異様な発言

 去る四月十二日、池田大作が中国の温家宝首相と会った。中国側の強い希望ということになっているが、大作のほうこそ好都合だったのだろう。そのとき大作は、温家宝氏に対して、
「閣下、光栄です。うれしいです。政治家でなくて庶民の王者と会ってください。庶民は大事です」(四月十三日付朝日新聞)
と言ってのけた。
 このわけの解らない発言に、大作の正体が看て取れる。
 一つ目は「政治家でなくて」というところ。これは、温氏は日本の与野党の大物政治家と会談しているが、大作はそれらの政治家よりも、自分の存在のほうが優位であることを誇示しようとしたものと推される。
 二つ目は、大作が自身のことを「庶民の王者」と言ったことだ。広辞苑によれば「庶民」とは「(1)もろもろの民。人民。(2)貴族などに対し、なみの人々。世間一般の人々。平民。大衆」のことであり、「王者」とは「(1)王たる人。帝王である人。(2)王道を以て天下を治める君主。(3)同類の中で一番強い、力のあるもの」のことである。
 では「庶民の王者」とは何だろう。この定義のなかでは「庶民」と「王者」は全く相反するものである。実に非常識にして異様な語法である。大作の教養と精神構造がにじみ出ていて、大変興味深い内容と言えよう。


     支配欲と増上慢の権化

 それとも大作は、この中で唯一、脈絡の通じる「(3)同類の中で一番強い、力のあるもの」という意味で発言したのだろうか。ならば大作は、日本国民の中の王者と言ったことになる。いや、実際そう思っているのだ。
 かつて大作は、評論家・高瀬広居氏のインタビューにおいて、自らを、
「私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である」
と語ったという。これに類する話はほかにもある。なるほど、要するに「庶民」という語は、権力者・大作の隠れ蓑なのだ。
 それにしても大作は、どこまで自惚れているのだろう。まさに支配欲と増上慢の権化である。そんな考えだから、日蓮正宗から退転して池田教の教祖になるしかなくなるのだ。


     大作に支配される政治家たち

 一説によれば現在、自民党の国会議員の八十パーセントは学会票をアテにしているという。
 以前は自民党の議員の多くは創価学会に対して批判的だった。しかし今では頼みの綱に変わってしまったようだ。
 節操を失った政治家たちによって大作はさらに増長する。創価学会に支配されてしまった時、日本は間違いなく悲惨なことになる。
 日本国民の多くは、創価学会がおかしいとは思っている。だが創価学会の本当の邪悪さを知っているのは、本宗僧俗しかいない。一般世間の人たちは、わりと楽観的だ。池田創価学会の本当の姿を目の当たりにしなければ、いや、自分自身が痛い目に遭わなければ、おそらくいつまで経っても判らないだろう。
 だからこそ今、折伏が本当に急務になっているのだ。
 御隠尊日顕上人猊下はかつて、
「世の中にちやほやともてはやされ、悪いことを一つも言われないで善いことばかり褒められている人のなかには、あまりたいした人はいないのです。そういうものなのです。それは底が浅いから一般うけをして、世間の人からあの人は善い人だとか立派な人だと言われます」(大日蓮 昭和六二年四月号三一頁)
と御指南されたことがある。
 勲章や学位などで飾り立て、一般世間と無知な創価学会員の受けを狙う大作の軽薄さの裏には、支配欲を満足しようという邪悪な魔心が潜んでいるのだ。
 日本が危ない! 今こそ大作の正体を、日本国民のすべてに気付かせなくてはならない。

大白法717(h19.5.16)号より転載



ホーム   目 次   前 頁   次 頁