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   政教一致の生々しい実態
       選挙活動に功徳?
             ─創価学会─

   池田大作の立場

 過日、中国の温家宝首相が来日した際、同首相が池田大作と会見したというニュースがマスコミを賑わした。
 その目的については種々の憶測がなされているが、わざわざ公務の時間を割いて中国首相が会う以上、個人的な感情だけが理由のはずもなく、なんらかの政治的意図があったのだろう。
 もちろん大作にとっても、宣伝効果や組織固め、要は「カリスマ性の維持」という目論見があったことは言うまでもない。
 この一事を見ても、今や日本国民が好むと好まざるとにかかわらず、大作は、少なからず政治的な存在となってしまっていることは否定できまい。
 またそれは、公明党が政権与党に参画しでいることが、大きな現実的要因であろう。


    尖鋭的学会員が「市議会議員」

 ところで、先の統一地方選挙では、各地方自治体の選挙が繰り広げられた。
 総本山大石寺のお膝元である富士宮市でも市議会議員選挙が行われたが、そのなかで一段と目を引く新人候補が当選した。
 富士宮の創価学会組織は、弱体化が深刻なためか、平成十年に「学会本部直結」の「特別区」となり、さらにこれを五つの「区」に分割しているが、なんとこの新人候補、「区」の男子部長であり、たびたび聖教新聞にも登場している。
 富士宮が「特別区」となった時にも、
 「猛然と戦うファイトがみなぎってきました。二十一世紀の広宣流布の『特区』の誇りを胸に、獅子となって走り、獅子となって吼え、勝利の大波動を広げていきたい(中略)愛する我が使命の天地から、大悪の輩たちを駆逐していきます」(平成十年二月六日付 聖教新聞の地方版)
と馬鹿げた「決意」を披瀝した。
 だが、この男子部長、勇ましいのは口先だけで、宗門僧侶らの折伏先に出没しては、ただ「吼え」まくり騒ぎ立てるだけ。広布を阻むことだけが目的の姿は、お世辞にも「獅子」などと言えるものではなく、教学的な内容も全く言わ(え?)ない。
 その「吼え」た功績が報われたものか、市政へ特段の実績も無いのに公明党公認候補となり、大きな集票力のおかけで「センセイ」と呼ばれる立場になれた。
 ほかに適任者が見当たらなかったのだろうか。こんな尖鋭的学会員が「センセイ」となること自体、政教一致の生々しい現実であり、公明党の品位のほどが知れるというものだ。


     選挙活動に功徳?

 統一地方選挙後の聖教新聞(平成十九年四月二十四日付)では「創価完勝」の字が踊り、
 「創価の正義を満天下に示した」(同紙)
と、得意げになっている。
 まるで公明新聞かと見紛うような報道に、政教一致の実態が浮き彫りとなる。
 さらには調子づいて、
 「『戦い切った』という満足と喜びは、全部、大功徳に変わる」(同紙)
と、それこそ御書には無い珍教学まで言い出す始末…。
 なぜ選挙運動に功徳が具わるというのか。それは選挙運動を宗教活動の一環と捉えているからではないか。
 しかも、この選挙結果を受け、会長の原田自身も、
 「栄光の5月3日を、学会は、未曾有の大前進、大勝利で迎えることが出来た」(同紙)と、創価学会が世に蔓延することになぞらえて発言するに至っては、もはや開き直りである。
 いっそのこと「政教新聞」と名前を改めてはいかが?
 こんな邪教団とその頭目が、日本の政治に大きな影響力を及ぼしでいる以上、どんな政策を模索しようと、国民に真の幸福がおとずれることはない。
 こんなていたらくでは、政治不信が叫ばれ、政治腐敗が指摘されるのも当然であろう。
 今こそ、我らが使命を果たさなければならない時である。

大白法719(h19.6.16)号より転載



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