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   やっぱり『ニセ本尊』!
    大作?いえいえ浅井の話です
             ─顕正会─


     会館建設で虚勢はる

 近年、顕正会では、
「東北の(中略)盛岡市に会館を建てる」(平成十九年三月十五日付顕正新聞)
「千葉会館新本館 本年秋に落成」(平成十九年二月十五日付同紙)
などと、教団施設の建設を全国的に進めているようだ。
 本年一月五日付顕正新聞によれば、現在、会館(事務所を含む)は、北は北海道から南は沖縄まで、三十六カ所に建っているようだ。さらに昨年、会長の浅井昭衛は、
「明年は(中略)六つの地方会館が一年間でできてしまう」(同紙の平成十八年十二月十五・二十五日合併号)
と、今後の施設の建設予定を公開し、教団の力を誇示している。


    会館の本尊は…

 かつて、創価学会が同会会館を「現代の寺院」と嘯き、正宗寺院を蔑んでいたように、顕正会もこれに倣ったものか、
「城のような会館」(同紙)
には、
「御本尊様を謹んで奉安申し上げました(中略)この御本尊を即戒壇の大御本尊と拝し奉り…」(同紙)
と、浅井は「大御本尊」の名で会員を釣り、寺院を模倣して人々を欺いている。この会館に祀られている本尊に、一体どんな意味が含まれているか、会員はその正体を知る由もない。
 浅井はかつて、次のように発言している。
「松本尊能師には私の意をよくお聞き下され、自ら護持されていた大幅の常住御本尊七幅と、日寛上人の御形木御本尊数百幅を私に託して下さった。この七幅の常住御本尊とは、二十八代日詳上人、五十四代日胤上人、五十五代日布上人、五十六代日応上人、六十代日開上人、六十四代日昇上人等の歴代上人御書写の御本尊であり、このうち日布上人の御本尊が高知会館に安置されたのである」(昭和六十年三月十五日付同紙)
 つまり、顕正会の手には、歴代上人の常住御本尊が七幅あるというのだ。御形木御本尊は「数百幅」というが、従来、信徒宅用に下付されていた小幅の御本尊であり、とても数百人を収容する会館には祀る対象にならないだろう。また、日寛上人の御形木御本尊を会館に安置したという事例も報告もない。


     創価真似た浅井の本尊

 とすればどうだろう。三十六もの会館に対し、七幅のみの常住本尊――。言わずもがな、顕正会の会館に祀られている本尊とは、浅井製の、れっきとした『ニセ本尊』と言える。群馬に会館が落成した時に浅井は、
「日布上人(中略)の御本尊がお出まし」(前出合併号)
と言っているが、「高知会館に安置」したはずの日布上人の御本尊が、他県でまたもや登場したこともそれを物語るものだ。
 浅井が大作のことを“僣聖増上慢”などと悪しざまに言いながら、こと『ニセ本尊』に関してだけは口を閉ざしていた理由は、ここにあったのである。
 もっとも、顕正会が所持して安置した七幅の歴代上人の常住本尊といえども、仏法の逆賊者が持てば、血脈の切れた本尊となり、功徳の法水は一切流れ通わず、大罰を受ける所業となる。
 日興上人の時代、本尊の大事の相伝もない者が大聖人の直筆御本尊を勝手に形木に彫って本尊を作った例があるが、日興上人は大いに戒められている。
 また『本因妙抄』には、
「血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の稟承唯授一人の血脈なり」(御書 一六八四・)
と仰せであり、本尊にかかわるすべてのことは、御法主上人の権能であり、他の誰人も触れることはできないのである。
 当然ながら浅井にも、書写や授与など、御本尊に関する権能のあろうはずがない。
 創価学会の本尊同様、『ニセ本尊』には正法に敵対する魔の用きがある。「血脈断絶本尊」で飾る浅井の会館は、まさに魔の巣窟、誑惑の館である。

大白法720(h19.7.1)号より転載



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