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   血脈相承否定!
    “直結信仰”語る浅井の空言
             ─顕正会─

     予言で勧誘にハッパ

 去る八月二十六日、顕正会は全国から会員を掻き集め、長野で「発足五十周年記念幹部大会」なる集会を開いている。
 そこで浅井昭衛は、
「他国侵逼は、前々からいうごとく『あと十有余年』であることは間違いない(中略)そのとき日本は亡びる」(本年九月五日付顕正新聞)
と予言し、会員に恐怖心を煽り立てている。すなわち浅井は、外敵の来襲を「中国」として大蒙古国に見立て、日本はあと十年ほどで、中国の核ミサイルで亡びるから、勧誘に全力を出してくれ、ということなのである。 日本の将来が不安状況にあることは、誰しも感じていることであり、そんなことをわざわざ聞かされるために駆り出された会員はまことに哀れなものだ。


     大御本尊につながる?

 日蓮大聖人の国主諌暁を気取った五十分にもわたる浅井の話は、いつもながら、宗門の悪口と人類の滅亡が迫る時世を述べた評論であり、紙面を割いて挙げるほどのものではない。
 しかし、教義を改悪した邪義の垂れ流しは許すことができず、ここで浅井を戒めておきたい。席上、浅井はまず、
「戒壇の大御本尊は、『一閻浮提総与』です。地球上の全人類に、総じて授与して下さった御本尊様であります。ですから、私たち一人ひとりは、実にこの戒壇の大御本尊様に直接つながっている」(同紙)
と言っている。創価学会と同様、邪教はすぐに凡夫の信心を中心に据え、己義を構えたがる。
 ただ、創価学会の場合は“大石寺に行かなくてもよい”と会員に吹聴して、間接的に大御本尊を否定した形で「御本尊根本」すなわち『ニセ本尊』を中心に邪義を構築したが、浅井の邪説はそれに対し、
「どんなに離れていても、恋慕渇仰の信心さえあれば、直ちに大聖人様に通ずる(中略)戒壇の大御本尊・日蓮大聖人に直ちに通じ…」(同紙)
と、信仰の対境を大御本尊に一往求めている。
 しかし、これとて浅井の会員を欺くレトリック手法であり、所詮、本宗となんら関係のない外部団体が「大御本尊」と口に叫んでみても、空言に過ぎない。


     創価と同じ邪説

 浅井の邪説は、一見、創価学会と対照的に見えるが、その実は大同小異、やはり大作に倣ったのか、三点に括られる。
 ・“信心さえあればよい”という我見と慢心の説
 ・“大聖人直結・御本尊根本”という虚構と欺瞞の説
 さらに会員へ、
「難しいことは何もわからなくとも、ただ御本尊を信じて…」(同紙)
との勧め方は、
 ・疑問を一切抱かせない“洗脳による無知無能化”
 所詮、日蓮正宗を離れて、広宣流布も一生成仏もない。戒壇の大御本尊は、総本山奉安堂に厳護されており、この大御本尊の極意は、大石寺代々の御法主上人に伝持されているのである。ここが重要なのだよ。浅井!


     血脈否定の大謗法

 浅井の言う「戒壇の大御本尊・日蓮大聖人に直ちに通じ」とは、御歴代上人に伝わる血脈相承を否定するための言である。
 第五十六世日応上人は『弁惑観心抄』に、
「法体とは則ち吾山に秘蔵する本門戒壇の大御本尊是れなり(中略)此の法体相承を受くるに付き尚唯授一人金口嫡々相承なるものあり」(二一二・)
と、大聖人の御内証と戒壇の大御本尊は、代々の御法主上人お一人に「法体相承」されていることを御教示されている。
 したがって、浅井が「恋慕渇仰の信心」で「大御本尊につながる」といくら吠えても、血脈相承の具わった日蓮正宗の信仰でなければ、それは適わない。血脈相承の大事を隠し、大御本尊云々と語る浅井の大罪にこそ、日本を滅亡へと導く要因があることを会員は知るべきである。

大白法726(h19.10.1)号より転載



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