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   友好のためなら御輿担ぎも!?
             ─創価学会─

   「謗法とはいえない」?

 創価学会会長の原田稔は、聖教新聞のなかで「地域友好と『祭り』について」と題し、
  「宗教的色彩のある祭りなどの行事に参加したりしても、信じて拝むのでなければ謗法にはなりません(中略)祭りで、みこしを担がざるを得ない場面があったとしても(中略)それは地域の文化行事への参加と同次元のことで、直ちに謗法とはいえない」(四月二九日付同紙)
と述べ、他宗本尊の礼拝や御輿担ぎを容話している。そして、
  「大切なのは『信心』です」(同紙)
と発言するに至っては、まさに噴飯ものである。日蓮大聖人の仏法の本心を失った支離滅裂な姿と言うほかない。

    御輿担ぎの狙い

 かつては戸田城聖氏を先頭に徹底した邪宗攻撃を果たした創価学会。現在の邪宗化した指導の目的を原田は、
  「『地域の繁栄のため』『友好拡大のため』であり『広宣流布のため』」(同紙)
などと美辞麗句を並べ立てているが、欺瞞この上もない。
 この謗法の定義改悪は、組織への勧誘の緩和と新入会者や若年層に対する組織離れの防御策でもあろうが、最大の狙いは、現今囁かれている解散総選挙を見据え、「友好拡大」と称して世間行事に深く関与し、公明票獲得につなげるための策略であることは明々白々だ。
 いずれにしても、創価学会は大聖人の仏法とは異質の、独自の邪教義を構築しつつある。たとえ祭りに出ようが、御輿を担ごうが信心さえあればいい≠ニいう暴論は、謗法厳誡の精神を踏みにじるものであり、また戸田氏の指導である、
  「邪宗は、断じて許すことはできない。『あれもよいでしょう。これもよいでしょう』などとは、学会はいってはいない」(戸田城聖全集四ー二一六頁)
などの言葉も、平気で足蹴にするものである。

    アプローチを説明せよ

 去る四月二十一日に駐日ローマ法王庁大使館で「ナショナルデー」の祝賀会というものが行われている。聖教新聞によれば、
  「これには原田会長、学会本部国際室の大内担当部長が出席」(四月二二日付同紙)
などと報じている。また以前、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の死去に際しては、大作がローマ法王庁に弔電を送った。
  「大切なのは『信心』」と言う原田よ。わざわざカトリックのローマ法王庁ヘアプローチするところの意味を「信心」で会員に説明してみよ。
 創価学会の目論見は、もはや世界の支配欲に駆られた大作の懐柔策に過ぎない。「他の誤り」を破折することもなく、巧言令色の甘言をもって世間を誑かす学会は、まさしく国賊である。こんな謗法まみれの団体に「信心」などあるはずがない。

    堕落と失望の宗教

 最近、ある日蓮宗の僧侶は、
  「念仏の方々とも協力していかなければ(中略)世界平和と人類の幸せは来ない」
  「現代では、折伏第一主義や 四箇格言は(中略)足枷になると思います。他宗の協力なくして……」(現代仏教 平成二〇年四月号六四頁)
と言い、もはや自宗の力では世界平和も人類の幸せも実現できないと吐露している。
 所詮、それらの理想は、邪宗邪教が成しうるものではない。
 『立正安国論』に、
  「早く天下の静謐を思はゞ 須く国中の謗法を断つべし」 (御書 二四七頁)
とあり、折伏による謗法断絶こそ、安国の必須条件である。他宗がいかに野合を図ろうとも、我が日蓮正宗は独り決然と広言流布に向かい、謗法破折、折伏行に邁進するのみである。
 本年後半、謗法は断じて許さず≠フ気概で折伏行に汗を流そうではないか。

大白法745(h20.7.16)号より転載



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