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    『ニセ本尊』はよし
      御開扉はダメの浅井
             ─顕正会


      二番煎じを避ける?

 頭正会会長・浅井昭衛は、
 「私は、あと十二年のちの平成三十三年、二〇二一年までに、断じてこれを成し遂げたい」(九月五日付顕正新聞)
と言い、教団の勢力を、
 「顕正会三百万、男子十万」(同)
にしたいと息巻いている。
 「平成三十三年」は、宗祖大聖人の御聖誕八百年の大佳節ではあるが、あえて浅井はこの御聖誕の讃歎を避け、
 「日蓮大聖人御入滅七四〇年」(同)
に当たることを目標に打ち出し、あくまで宗門の二番煎じになる意義づけを嫌っている。なんと姑息な浅井の手法であろうか。

    またもや『ニセ本尊』

 さて、去る九月十三日、顕正会は札幌に会館を建て、席上、浅井は、
 「本日お出ましの御本尊様は、富士大石寺第五十五世・日布上人」(九月二五日付同紙)
のものであると紹介しただけで、どういう経緯で安置に至ったのかは全く説明していない。
 かつて浅井自身、顕正会にあるとされる七幅の常住御本尊の内訳を、
 「二十八代日詳上人・五十四代日胤上人・五十五代日布上人・五十六代日応上人・六十代日開上人・六十四代日昇上人等の歴代上人御書写の御本尊であり、このうち日布上人の御本尊が高知会館に御安置されたのである」(昭和六〇年三月一五日付同紙)
と言うところから、日布上人の常住御本尊は一幅の所持であったはずである。
 それも、初めは高知の会館に安置したと言い、その後、群馬の会館にも登場し、そしてこのたびは札幌にも登場させた――。
 どう考えても、浅井が勝手に作った本尊に違いなく、顕正会の全国の会館には『ニセ本尊』が祀られていることが明らかである。

    本尊を作製する浅井

 『ニセ本尊』の作製は創価学会が本家本元であるが、浅井は、池田大作について執拗に、
 「池田大作は謀略ばかり」(五月五日付同紙)
などと会員に吹聴し、一方で、宗門誹謗のネタを創価新報で収集するなど、実に節操なき人間性である。
 しかし、創価学会の大謗法たる『ニセ本尊』の作製に関してだけは、ひとことも口にしないのは、同じ穴の狢の誼か。
 顕正会員へ質問しよう。
 どこから日布上人の御本尊を手に入れたのか。なぜ、何幅もの同上人の御本尊が各地に安置されているのかと、大謗法を徹底して追及しようではないか。

    御開扉はかせぎの道具?

 また、浅井はいまだに、
 「戒壇の大御本尊を、あろうことか今、御開扉料かせぎの道具としている」(六月五日付同紙)
と、これまた創価学会に倣い、同じ調子で誹謗している。これも顕正会員へ質問してみよう。
 浅井の言う「かせぎの道具」の「御開扉」とは、いつからのことを言うのか。奉安堂建立以後なのか。それ以前を指しているのか。
 奉安堂以後であれば、正本堂の時はどうなのか。また正本堂の時からと言うならば、日顕上人の代からを言うのか。あるいは日達上人の代からなのか。
 日顕上人の代からと言うなら、その理由は何なのか。日達上人の代からと言うなら、日淳上人・日昇上人の代も同様に「かせぎの道具」つまり金儲け≠ェ目的であったと言うのか、と。
 さらに浅井自身、過去に何度も御開扉を受けておきながら、会員に受けさせないのはなぜか、とも。

    志有らん人は登山

 第二十六世日寛上人は、
 「本門の戒壇の御本尊在す上は其の住処は即戒壇なり。其の本尊に打ち向ひ戒壇の地に住して南無妙法蓮華経と唱ふる則は本門の題目なり。志有らん人は登山して拝し給へ」(寿量演説抄・歴代法主全書)
と御教示され、登山して、戒壇の大御本尊の大功徳に浴すべきことを勧められているのである。
 悪魔札である『ニセ本尊』を拝み、御開扉を冒涜する浅井一派に、平成三十三年「三百万」などが叶うはずもない。

大白法779(h21.12.16)号より転載



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