「宗旨建立七百五十年慶祝記念開宣大法要」における
御法主日顕上人猊下の御説法に対する離脱僧らの邪難を粉砕す


  総    論


 宗旨建立七百五十年の大佳節を慶祝申し上げる大法要は、三月二十八日の「開宣大法要」を嚆矢として粛々とその幕を開けた。御法主日顕上人猊下大導師のもと総本山客殿において、慶祝記念局委員長藤本総監、以下山内・全国の僧侶、法華講総講頭柳沢喜惣次氏をはじめとする全国の法華講支部の代表、海外九カ国の信徒代表、総勢三千数百名による僧俗和合の姿をもって盛大に奉修されたのである。
 この「開宣大法要」において、御法主上人は、『清澄寺大衆中』を拝読され、約一時間二十分にわたり甚深の御説法をあそばされた。御説法の中で御法主上人は、「三月二十八日に開宣の義において大法要を執行することは、宗史の上の重大な見解によるものである」と仰せられ、宗祖日蓮大聖人の建長五年の宗旨建立が三月と四月に亘って拝せられること、三月と四月の開説における微妙にして甚深の違いについて、御書、御開山日興上人の『安国論問答』、第四世日道上人の『御伝土代』、第三十一世日因上人の『三四会合抄』等をもって論証あそばされたのである。
 御説法は甚深にして精密であり、まさに血脈御所持の御法主上人がその御仏智によって、時に応じて下種仏法の大事を開陳あそばされることを、改めて目の当たりに拝したのである。宗旨建立七百五十年の大佳節に当たって宗旨建立に関する深義を申し出だされることは、誠に不思議と拝するほかはなく、またその内容は文・理・現の三証に照らして曇りなく、実に解りやすく明瞭な御教示であり、聴聞した僧俗一同も、後に『大白法』や『大日蓮』で拝読した僧俗も、等しく大歓喜したのである。
 このような「開宣大法要」の御説法であったが、悪鬼入其身し、不信大謗法団体・池田創価学会の走狗になり下がった貴殿らは、三月二十八日宗旨建立の甚深の意義を拝し得ず、したがって御報恩法要を行うこともできなかったことの言い逃れのためか、「開宣大法要」を奉修したことと、その砌における御法主上人の御説法を誹謗する文書を、四月十三・十五日付で送付してきた。差出人である元日蓮正宗僧侶の貴殿らは「日蓮正宗改革同盟・青年僧侶改革同盟」「憂宗護法同盟」を名乗り、文書は『日顕の「立宗二回説」の邪義を破す』『糺問の書』と題している。
 これらの二書は、一読して、信仰を失った者達の不純さを示す、見るに耐えないお粗末な内容となっている。
 総じて貴殿らの主張は、何が何でも御法主日顕上人に難癖をつけたいとの思いから、悪口三昧をすることに終始しており、その論旨は基本の一線において、救い難い欠陥があることを露呈している。それは何か。すなわち大聖人、日興上人以来の血脈相伝の仏法への純粋な信仰・信解を欠いていることである。いうなれば、貴殿らは屁理屈をならべて、誹謗中傷することはできても、その当所に自ずから正しい信仰の立脚点に背反していることを忘れているのである。
 日顕上人の「開宣大法要」における御説法、その内容とする「三月」・「四月」両度の宗旨建立の意趣も、これ悉く日蓮大聖人と日興上人の仏法相伝に対する絶対の信仰を基とされているのである。貴殿らには残念ながらこの信仰のカケラも存在しないから、日顕上人の御指南を、貴殿ら自ら、曲げに曲げて悪口雑言に終始しているのである。
 貴殿らに正しい信仰が微塵もないことは、日亨上人も正文書とされ真筆と認定されている日興上人の『安国論問答』についての的はずれなケチのつけ方に明らかである。日興上人の御正筆まぎれもない『安国論問答』に、『清澄寺大衆中』の文と、その順序まで同じ宗旨建立の文があることは、日興上人が『清澄寺大衆中』の文を御覧にならずに書き入れられることはあり得ないのである。その『安国論問答』に「三月」とあり、また日興上人御筆記の『御義口伝』にも「三月」、さらに日道上人の『御伝土代』にも「三月」とあるお示しを拝するとき、信仰の上からこれを素直に拝し奉ることこそ純粋な信仰のあり方である。したがって『清澄寺大衆中』の文がまさしく三月であったことが証明される。
 御法主日顕上人はその上から、先ず三月に仏恩報謝の法要を奉修あそばされたのである。しかも「四月」の宗旨建立を否定して「三月」の「開宣大法要」を修されたのではなく、「四月」にはさらに「特別大法要」として念入りに奉修あそばされている。このことからも、日顕上人が仏恩報謝のお心によって「開宣大法要」を奉修あそばされたということは明らかである。
 日興上人『安国論問答』の「三月」、日道上人『御伝土代』の「三月」を正しく信の一念をもって拝するとき、「三月」の宗旨建立の意義を我らも拝感するものである。貴殿らは、唯我与我の僧宝にまします日興上人に対し奉る信に欠けるため、まるで見当違いな誹謗をもって宗旨建立の「三月」の文を疑問視するまでに至る。その狡猾な心底、不信心の雑言、誠に哀れというほかはない。
 また御先師の中にも、宗旨建立に「四月」をお示しの方もあるが、「三月」を否定あそばされるものではない。それは時々の御指南によることであるが、今、宗旨建立七百五十年の大佳節を迎えるとき、日顕上人が、「三月」の宗旨建立に関する最も根本のお示しとしての日興上人、日道上人の処へ立ち戻られ、「三月」を、また「四月」を共に御報恩申し上げることこそ、誠の信力の発露と拝するものである。
 このような甚深の御指南は、信心のカケラもない貴殿らの到底及びもつかぬところであり、貴殿らの三同盟は、いたずらな悪口雑言をまき散らし、三途の因を作る妄者集団と指摘しておく。
 まず『日顕の「立宗二回説」の邪義を破す』(以下『二回説への邪難』と呼ぶ)は、とても曽て僧籍にあった者の書き物とは思えぬ低劣な悪口の羅列に終始しており、特に許し難いのは、血脈相伝の仏法を承継あそばされる御法主日顕上人猊下に対する揶揄と誹謗である。後にも述べるが、このような行為は大聖人の仏法の根幹に対する反逆と挑戦である。
 また、自ら御歴代上人の弟子であることを放棄しながら、厚顔無恥にも御歴代上人の御指南の中から、自分らに都合のよい文章だけを血眼になって探し、切り文して恥じぬ貴殿らの所業こそ餓鬼畜生の姿そのものである。貴殿らの言は出家であったことすら忘れ果てた、三途に彷徨える忘恩の還俗者の妄言というほかない。
 かたや『糺問の書』(以下『糺問の邪難』と呼ぶ)は、大謗法の身延日蓮宗の僧侶達の文献を、殊更に有り難がって依拠としており、その邪宗僧侶に対する諂曲の姿と、彼らと同轍の欺瞞と偏見に基づく論旨は、日蓮宗身延派への入門志願者さながらの謗法与同作文と呼ぶのが相当の代物である。
 ところで貴殿らの二悪書を比較するとき、その誹謗の根拠、つまり邪難の筋書きの中心的部分は、『糺問の邪難』のほうにある。当然『二回説への邪難』も、それを背景にしているのであろうが、まともに邪難の筋書きを述べてはいない。しかし、下種仏法への背反という点では、むしろ『二回説への邪難』の方がより悪質である。それは日興上人以来の血脈相伝そのものに対する誹謗中傷であり、なし崩しに血脈の尊厳を貶めんとする邪念と悪意に満ちているからである。
 すなわち、貴殿らの『二回説への邪難』中においては、至るところで性懲りもなく、御当代日顕上人に対して「血脈詐称の偽法主」と悪態誹謗を重ねていることである。もっとも『糺問の邪難』においても最後に同様の誹謗をしており、ここでまとめて鉄槌を加えておく。
 周知のとおり、御法主日顕上人は、御登座以来、明確に日達上人より付嘱を受けられたと仰せられ、今や二十三年もの間、正統血脈の上に本宗を董しておられる。にもかかわらず、日顕上人を詐称法主呼ばわりする貴殿らの言には、重大な二つの欠陥が存するのである。今それを指摘しよう。
 その理由は、御法主日顕上人を詐称法主だということは、取りも直さず、「日顕上人は日達上人より相承を受けていない」と貴殿らがいっていることにほかならない。その言をなす以上、貴殿らは当然、次の二つの何れかを是認しなければその論は空論となり、成立しない。
 一つは、日顕上人が御相承を受けていないと貴殿らが主張する根拠は、日達上人が他の誰人かに御相承をされていたという場合であり、それなら、貴殿らが責任をもって明らかにその名前を挙げるべきである。
 二つには、もしそうではないのなら、貴殿らが日顕上人について御相承を受けていないと主張することは、日達上人が日顕上人にも、また他の誰人にも相承をされずに御遷化あそばされたと主張していることになるのである。
 二十年の長きに亘って宗門を董され、大法を常に心におかけあそばされた日達上人が、後継の方を決定せずに御遷化されたということを主張するなら、それは日蓮正宗の御法主として絶対になさねばならぬこと、すなわち宗祖以来の血脈相承の大事をおろそかにした無責任な御法主であると、貴殿らが日達上人を誹謗したことになる。日達上人に対し奉るこれ以上の冒涜があり得るだろうか。
 さらにはそれのみに止まらず、宗祖大聖人、日興上人以来正系宗門七百年の血脈相承が、日達上人の代に断絶したと貴殿らが主張していることになるのである。これは日達上人を限りなく誹謗することであり、剰え日蓮正宗七百年の正統血脈の断絶を恐れ気もなく主張しておいて、それで何の「改革同盟」か、誠に聞いて呆れる話である。
 それとも日顕上人詐称法主論を真っ向から振りかざしつつ、日蓮大聖人以来の正統の血脈相伝がどのようにして存続することが可能なのか。できる筈はないが、できるというなら堂々と開陳してみよ。
 恐らく大聖人直結の邪論を振りかざし、門外漢にして邪智奸曲の池田大作を大聖人と同等の法華行者とし、仏法絶対者として奉るくらいのことであろう。池田大作がその規則・会則の改悪などにより、創価学会を私物化することはできても、日蓮正宗とその正統血脈を乗っ取ることなど絶対にできないのである。
 ともあれ御法主日顕上人を血脈詐称というなら、日達上人からの御相承の有無について貴殿らの見解をはっきりすべきである。それを曖昧模糊として論じもせずに、単に日顕上人の血脈詐称をいうことは、全く道理に合わない誹謗中傷であり、貴殿らの誹謗の目的が、日蓮大聖人の血脈相伝の仏法の破壊にあることを自ら証明するものと呵責しておく。
 また、もし貴殿らのような捏造者の常として、以上二つの問いに対する答えを限定されるのを嫌って、「日達上人が誰人に相承されたかは判らないが、当然相承はあったと思う。しかしそれに答える必要はない」というような訳の分からぬ遁辞を構えても、貴殿らが日顕上人を偽称法主と断定する限り、則ち日顕上人に相承はなかったという限り、その言い訳は通らない。「日達上人から誰人かへの相承があったと思う」というとしても、それが明確にできない以上、苦し紛れの言い訳にすぎず、まして御相承という大事に対する言として無責任極まる卑怯なごまかしとなる。
 また「誰に御相承されたか判らない」というなら、日達上人から日顕上人への相承があったかなかったかも貴殿らには同様に「判らない」はずである。したがってそれについて日顕上人が「詐称した」、つまり「御相承がなかった」と断定するのは明らかに自語相違ではないか。いわゆる認識がない(わからない)のに評価する(詐称法主)という矛盾が存するからである。さらに「答える必要はない」という無責任な言を吐くとすれば、非難しておいてその理由をヌケヌケと頬被りする卑怯極まるものとなる。
 たびたび述べるとおり、日顕上人は御登座以来、日達上人より御相承を受けられたことを明言あそばされているのだから、日達上人が御相承に関して必ず誰かにお譲りされねばならない以上、貴殿らが日顕上人を詐称法主として、「御相承がなかった」といっておきながら、日達上人の次の方への御相承のあり方について「答える必要がない」ということは成立しない。
 問題の御相承ということは授者と受者の相関関係に存する。故に日達上人を論外にして、日顕上人のみの血脈の有無を論ずることは、全く理に合わない。したがってそれは例えば、ある人を「盗人だ」といっておいて、その者に「いつどこで何をしたから盗人なのか」と問われたとき、「答える必要がない」というのと同じことになり、根拠のない悪口にすぎないものとなる。
 次にもし貴殿らが、日顕上人が血脈を詐称されたという理由として、「日達上人が造られた建物を破壊したからだ」とか、「広宣流布の団体創価学会を破門したからだ」とか、クロウ事件などの事実無根の誹謗をその理由に持ち出すとすれば、それらは問題の本質が全く別である。
 よく筋道を考えてみよ。建物が建て替えられたのは、それぞれそれなりの理由があったからである。日顕上人が日達上人に対する個人的感情でなされたものではない。またそれらは日達上人が造られたというより、仏法の大反逆者池田大作が寄進したものであり、特に正本堂の解体は池田大作の仏法違背による意義の喪失が原因であり、万代に亘る正法厳護と広宣流布のためであった。
 特に仏法の絶対性による令法久住の精神より拝すれば、血脈相伝の御歴代上人はすべて一体の境地にあらせられる。既に御遷化あそばされた御歴代上人、そして日達上人のお心と、大法の興隆を念ぜられて進ませ給う御当代日顕上人のお心は、令法久住の上において一体であり、いささかの齟齬もおわしまさないのである。故に建物が仏法の意義の上から変更されたことにより、日顕上人の血脈が喪失したなどということはあり得ない。問題の本質をスリ替えて誹謗の根拠となすなかれ。
 創価学会を破門したことを理由とする邪難も同様である。日達上人の御代における反省懺悔を無残にも反故にし、三宝破壊の謗法路線をもって、宗門に公然と反旗を翻したのは池田創価学会である。自ら破門の原因を作っておきながら、日顕上人を逆恨みするとすれば筋違いも甚だしいというべきである。大謗法を犯した創価学会を破門したことによって、下種仏法の血脈がなくなるなどということはあり得ない。
 さらに創価学会はクロウ事件などの事実無根の報道により、長年に亘って御法主日顕上人を散々に誹謗中傷してきたが、そんな事実無根の報道が血脈詐称の根拠になり得る筈もないのである。
 ともあれ、先には日顕上人を法主として尊重し、今は血脈詐称の法主ということは、池田創価学会や貴殿らが、変節極まりない己義の意見で血脈の有無を論ずることである。その誹謗の言はまさに真実に背くものであると指摘するものである。
 もしそれでも日顕上人を詐称法主と言い張るなら、以上の諸々の指摘に対してごまかしでなく堂々と反論してみよ。それができないなら、貴殿らがほしいままに日顕上人を詐称法主と呼ぶことは、何れからしても道理が立たず、独断と偏見に尽きるのである。血脈不断に心を砕かれた日達上人をはじめ、御歴代上人、さらには宗開両祖のお怒りは明白であり、「三途の因をいよいよ増加することになる」と警告しておく。
 次に『糺問の邪難』中での貴殿らの論法は、現存する御真蹟のみを絶対視するものであり、御真蹟のない御書を軽視、乃至否定するという偏見に陥っている。
 もし貴殿らの論法でいうならば、明治八年に身延山の失火で御真蹟を焼失した『開目抄』の価値はどうなのか。何でもいいたい放題の貴殿らでも、さすがに御真蹟がないので『開目抄』は信憑性に欠けるとはいえまい。たとえ御真蹟は焼失しても、大聖人の真書であるならば、その御書には大聖人の尊い御意志と法義が永遠に具わるのであり、まさに仏の金言として尊ばねばならない。当然のこととして、『開目抄』と共に、同時に焼失した『清澄寺大衆中』についてもまた同様である。
 貴殿らの御真蹟絶対視の論法は、曽て身延日蓮宗等の邪宗不相伝家が、本宗の相伝書や自分たちに都合の悪い御書を否定するときに使った常套手段と同じであることをよもや知らない筈はあるまい。しかるにこのような邪難を恐れもなく行うこと自体、貴殿らが次第々々に、身延と同穴の謗法者となっている証拠である。
 宗旨建立に関しては、「三月二十八日及び春(三月は春)」とする御書と、「四月二十八日及び夏(四月は夏)」とする御書とがあるが、御法主上人が三月二十八日の宗旨建立についての論拠とされた御書『清澄寺大衆中』『大白牛車書』『御義口伝』『破良観等御書』のうち、特に三月二十八日に宗旨を建立あそばされた詳細な記述の存するのは『清澄寺大衆中』であり、よって貴殿らは邪難の中心に『清澄寺大衆中』の否定を据え、不当姑息にも不相伝家の論法を使ったのである。
 また日興上人御直筆の『安国論問答』の記述中にも『清澄寺大衆中』の宗旨建立に関する御文が正確に引用されているが、その中にも明確に「三月二十八日」と記されているのである。
 まさに『清澄寺大衆中』の宗旨建立の文と、日興上人御直筆『安国論問答』の文は、「建長五年三月廿八日」「安房國」「東条郷(郡)」「清澄寺」「道善房」「持仏堂」「南面にして」「浄円房並大衆」の語まで、その語彙の配列順序を含めて殆ど同一であり、これは日興上人が『清澄寺大衆中』の文を予め拝読されており、そのとおりお書きになられたことを示すものである。これを今回、はじめて指摘なされたのが日顕上人であられる。両書の同一の文章と、その指し示す意義は、今まで誰も気付かず論じられることもなかったと思われるが、ここに『清澄寺大衆中』の宗旨建立の御文が、まさしく三月であったことの明証となることを発見されたのである。悪口雑言のみをこととする貴殿らに、御法主上人のような信仰による眼力を求めることは土台無理であろうが、虚心坦懐に自らの不明を恥ずべきである。
 しかるに貴殿らは、『安国論問答』末に日興上人の署名、花押等が欠けていることをあげつらって致命的な欠陥などと述べ、さらに、「堀上人は同書内(興師詳伝四一三頁)に、民部阿闍梨日向の金綱集内の全き類文が混入していると指摘している」として、『安国論問答』がいかにも日興上人の御筆ではないと誤解させるべく邪難している。
 しかしこれは素人だましの稚拙な論である。なぜならば第一に、『安国論問答』は日亨上人が『日興上人詳伝』の論証資料中の「正文書」として挙げられており、「現存大石寺の興師正本」と明確に断定されているのである。第二に、ここに引用する日亨上人の記述の意味は、日向筆の『金綱集』と同じ内容が『安国論問答』に存することは、日興上人も日向も共に「大聖人の御抄録のなかより転写したもの」ということであって、逆に『安国論問答』が日興上人の御直筆であることを証明されている内容なのである。
 したがって、『安国論問答』は日興上人の御正筆であることは疑いなく、その中の宗旨建立に関する「三月二十八日」等の記述は、日興上人が『清澄寺大衆中』を披見された上での正確な御筆記であることは明白である。よって、『清澄寺大衆中』の曽存した御真蹟が「三月二十八日」であったことも疑いを挿む余地はないのである。
 また、日亨上人が『日興上人詳伝』において、『安国論問答』中に「聖人之を注し坐す」との記述があることをもって、『同問答』の内容のすべてを、池上本門寺における大聖人最後の御講義の「筆記」そのままとすることには考証の余地を残すとされているのに対し、貴殿らはこの記述がまるで『安国論問答』の日興上人御直筆たるを疑わしめるものであるかの如き誣言を吐いている。
 このようなことは『日興上人詳伝』を読めば誰でも分かることであるにもかかわらず、日亨上人の文意を曲解してまで日興上人の御直筆であることを疑わせようとするところに、貴殿らの姑息にして邪悪な意図が明々白々である。
 さらに、日道上人の御正筆であり、日蓮門下最古の史伝書としての権威を誇る『御伝土代』にも、『清澄寺大衆中』と同じく「建長五年みつのとうし三月廿八日」と記されている。
 このように、「開宣大法要」における御法主上人の御説法の論拠は微動だにしないのである。
 御法主上人は御説法の結論として、三月と四月の宗旨建立の意義について、
「すなわち三月は法界に対する内証の題目の開宣で、四月は外用弘通の題目の開示であり、三月は顕正に即する破邪の説法を面とされるのに対し、四月は破邪に即する顕正の説法が面となり、また三月は別して少機のために大法を示し、四月は万機のために題目を弘通せられる等の区別が拝されます。特に『清澄寺大衆中』の文が三月二十八日と確定するところ、三月にも説法を行われた上から三月と四月の両度にわたる仏恩報謝の大法要を執り行うことは、誠に適切であると信ずるものであります」(大白法五九五―四)
と述べられており、三月・四月それぞれに甚深の意義が拝せられるのである。ここより立ち返って拝考すれば、古来、宗旨建立の御報恩法要が、三月に行われたり、四月に行われたり、両月に行われたり、さまざまであった史実の、その理由が自ずから明らかである。
 それはその時々の御法主上人が血脈相伝の御内証から時機を冥鑑あそばされて、三月・四月両義において、時機相応の意義を面として、宗旨建立法要を奉修されたと拝すべきである。すなわち三月奉修には「法界に対する内証の題目の開宣・顕正に即する破邪・別して少機のために大法を示す」等の意義が面となり、四月奉修には「外用弘通の題目の開示・破邪に即する顕正・万機のために題目を弘通」等の意義が面となり、両月奉修には両義の顕彰が拝せられる。
 またこれらの意義にはさらに隠顕の二義が拝せられるのである。つまり、第三十一世日因上人が、
「但し、四月二十八日の外用方便の題目の中には、御内証真実の本門の題目を含在する也」(大石寺蔵)
と仰せのように、三月のみ、あるいは四月にのみ奉修された場合でも、顕れた一義に隠れた一義を合わせ含むのであり、隠顕の二義をもって、宗旨建立の意義が具備されているのである。
 貴殿らは、御法主上人の、三月二十八日にも宗旨建立並びに説法の御振る舞いがあられたと拝する上から、御報恩のため三月二十八日に「開宣大法要」を行ったことについての甚深の意義を拝せず、仏恩報謝を奉修あそばされた御法主上人に対して、謂われなき誹謗と中傷を行ったことを衷心より懺悔し、直ちに陳謝すべきことを通告するものである。

 次に貴殿らが臆面もなく、御法主上人、及び宗内に送付してきた『二回説への邪難』と『糺問の邪難』につき、その欺瞞と虚構を徹底的に破折する。