「開宣大法要」及び御法主日顕上人猊下に対する
 悪辣極まる自称「日蓮正宗改革同盟・青年僧侶改革同盟」の邪難を粉砕す

※背景がこの色と同じ深緑の枠内は堕落僧の邪難です。


 今般、血脈詐称の偽法主・阿部日顕が、自らの増上慢、保身、名聞名利、そして先師への嫉妬の念やみ難く、まったく突然に従来の化儀を改変し、三月二八日にも立宗七五〇年の慶讃法要を行うという奇行に及んだ。

 過去の歴史を見ると、宗門より異流義と化した輩が必ず構える疑難が、貴殿らの主張する血脈相承の否定である。先にも述べたが、御法主日顕上人が、第六十六世日達上人から金口嫡々の血脈相承を受けられ、第六十七世の法統を嗣がれたことは厳然たる事実である。彼の自称「正信会」騒動の時、池田大作や創価学会、及び未だ宗内に籍をおいた貴殿らが、あれほど御法主日顕上人への信伏随従を声高に主張したことをよもや忘れたとはいえないであろう。
 御法主上人には、宗旨建立七百五十年の大慶事に当たり、仏恩報謝の意義に基づかれ、四月二十八日は当然のことながら、宗史上の重大な意義を拝され、三月二十八日にも大法要を行われたのである。したがって貴殿らの「化儀改変」の誹謗は全く当たらず、「化儀整足」と拝信すべきである。しかし、その甚深の御指南を拝せぬ敗種にして不信心の貴殿らには、この大報恩行が奇行に見えてしまうらしい。何とも哀れな話である。

宗門において、僧俗挙げた全山的行事として宗旨建立法要が行われるようになったのは、昭和二七年の「宗旨建立七〇〇年慶讃大法要」からである。それ以前に宗旨建立の法要が行われたとしても、本山の御影堂に山内近郊の僧侶等が集って修される簡単な勤行法要程度であり、もちろんそれも四月二八日の一回のみであった。宗門の「宗制」に寺院法要が明記されたのは昭和一六年三月改正のものからであるが、その「恒例法要」の項には「建宗会 四月二十八日」と記載されている。このように、宗門の歴史において広宣流布のための宗旨建立法要を本格的に行うようになったのは戦後からであり、しかも宗門は歴史的にも三一世・日因法主の「三四会合抄」に「予・・・初めて三月二八日宗旨建立の法会を興行す」(同n上巻五丁)とあるごとく、ごく一部の例外を除けば、長らく四月二八日に法要を行ってきたのである。

 まず貴殿らの言い分は、御開山日興上人以来、広宣流布の時の来ることを待ち望まれつつ、孜々営々と令法久住に勤しまれる中、宗旨建立会を厳修あそばされた歴代の御法主上人に対し、無礼極まるものであると申しておく。
 宗旨建立の御報恩法要は上古より現在に至るまでの長い宗史上、三月二十八日に行われた時もあれば、四月二十八日に行われた時もある。また両月に亘って行われた時もあったのである。このように法要の奉修された日は異なっても、御報恩の意義は少しも変わらないことを、御法主上人には、今般の「開宣大法要」において御指南なされたものである。
 先にも述べたように、御開山日興上人の御筆記、また第四世日道上人の史伝書にも宗旨建立は「三月二十八日」との記述があり、さらに第二十五世日宥上人の時代の記録にも、やはり三月二十八日に宗旨建立会が行われていた記述がある。また、第三十一世日因上人は『三四会合抄』を著されて、三月と四月両月の意義を述べられ、第三十三世日元上人御筆の『年中行事』には、三月二十八日と四月二十八日の二回、宗旨建立会が行われていた記述があるのである。これらの記述は明確に、宗門においては古来、宗旨建立会は、三月二十八日に行われていたことを示すものであり、且つ四月二十八日にも奉修した事蹟も認められる。また、宗旨建立会は年に一度(二回の時は二度)の報恩行であるから、古来、御法主上人の大導師による奉修であったことはいうまでもない。
 貴殿らは、「宗門は歴史的にも(中略)ごく一部の例外を除けば、長らく四月二十八日に法要を行ってきた」とか、或いは、僧俗挙げた全山的行事として宗旨建立法要が行われるようになったのは、創価学会が登山するようになった後の、「昭和二七年の『宗旨建立七〇〇年慶讃大法要』からである」と主張するが、この言い分は、御開山以来の宗史に反する妄言である。
 なお、明治三十五年の宗旨建立六百五十年の大佳節の年には、御影堂の大改修による営繕落慶法要が、第五十六世日応上人のもとに盛大に奉修されている。
 また貴殿らは、「宗門の歴史において広宣流布のための宗旨建立法要を本格的に行うようになったのは戦後から」などといっているが、本宗における法要において広宣流布を度外視したものなどなく、古来、あらゆる法要が、その意義において奉修されてきたことを告げておく。

 しかるところ、信なき不相伝の偽法主・日顕は、古文書等を切文して己の衒学に酔い、まったく無意味なことに、立宗の日を「三月二八日」と「四月二八日」の二回に分け、少ない信徒をかき集めて見栄と樫貪の大法要を二回も行わんとしている。宗旨建立の法要を二回も行うなど、宗門七〇〇年余の歴史にあって前代未聞の珍事である。日顕自身、法主登座の翌年の昭和五五年から本年に至るまで、一度たりとも「三月二八日」に法要などしていないことは周知の事実である。にもかかわらず、それに対しては何ら釈明も謝罪もしていない。

 前述のごとく、宗門の宗旨建立会には、厳然と三月と四月の両月に行われた史実があり、貴殿らの、「宗門七〇〇年余の歴史にあって前代未聞の珍事である」という主張は、事実とかけ離れた、或いは故意に真実を覆い隠す欺瞞である。
 御法主上人は、血脈相伝の御立場において、大聖人の「三月二十八日」宗旨建立の御指南を真摯に拝され、その意義をも深く顕彰すべきであると、本年一月二十八日に覚悟され、それについて一月三十一日の唱題行の砌、或いは二月八日の緊急指導会の砌に「開宣大法要」奉修の意義を述べられたのである。大聖人の御事蹟を深く拝され、宗旨建立七百五十年の大佳節を真心から御報恩し奉ることを、誰に向かって釈明や謝罪をする必要があろうか。単なる悪口のための悪口が、このような不遜極まる贅言となる。貴殿らの悩乱ぶりには呆れ果てるばかりである。

 思うに、これは一老耄の狂態であるにとどまらず、民衆救済、閻浮広布を願われた宗開両祖、先師方の御心への重大な冒涜であり反逆である。そもそも宗門の儀式や年中行事は「広布のため」という熱誠を込めて行われるべきであり、日顕の言うごとき「儀式のための儀式」など許されないはずである。

 三月二十八日に「開宣大法要」を奉修する意義については、すでに御法主上人の御説法のとおりである。「一老耄の狂態」の言辞は、そのまま「退転僧共の狂態」と貴殿らにお返しする。
 また、日興上人以来の宗門の年中行事の各法要は、御本仏日蓮大聖人に御報恩謝徳申し上げることが第一義であり、そこに表裏一体の意義をなしているのが、広宣流布大願成就の熱誠である。宗門の儀式や行事は広布のためという熱誠を込めて行っていることは当然であり、それ故に、御法主上人は三月二十八日に「開宣大法要」を奉修あそばされたのである。正統宗門は法華講三十万総登山の達成をもって、広布実現へ着実に前進しているのであり、邪教創価学会に魂を売って宗門より離脱した貴殿らに宗門の儀式を云々する資格はなく、また云々される筋合いも全くないのである。
 また貴殿らは、御法主上人が「開宣大法要」を指して「儀式のための儀式」という発言をなされたごとく述べているが、「文証を出せ、文証を出せ」という創価学会流の常套語にならえば、御法主上人の御指南のどこにそのような発言があるのか。はっきりした文証を出すべし。いい加減な誹謗は通用しないといっておく。

碩学・堀日亨上人が、学会版「御書全集」の編纂に際して、四月二八日を日蓮大聖人の宗旨建立日として統一され、戦後の歴代法主がこの日を中心に御報恩の法要を営んできたのも、ひとえに「広布を願う信心」に適っているからであり、単に文献を精査した結果でないことは明らかであろう。
 ゆえに我ら日蓮正宗改革同盟・青年僧侶改革同盟は、「立宗二回説」に固執する日顕の腹黒い野心と詐術の欺瞞を白日の下にさらし、もって正法正義の一端を後世にとどめるため、ここに声明文を発表するものである。

 「碩学・堀上人が統一され」たというが、『破良観等御書』の「建長五年の春の比より」(御書全集一二九三頁)の記述は、『御書全集』ではそのまま「春の比」となっている。もし日亨上人が宗旨建立日の統一を目的として、御書中の「三月」の記述を「四月」と変更したのであれば、当然『破良観等御書』の記述も「春」を「夏」とすべきである。しかるに、それがなされていないということは、『清澄寺大衆中』『大白牛車書』『御義口伝』の「三月」の御筆を「四月」とされたのは、日亨上人の変更によるものではなく、当時すでに刊行されていた『高祖遺文録』『縮冊日蓮聖人御遺文』『日蓮聖人御遺文(高佐編)』等の諸御書の同文を踏襲されたのにすぎない。どこまでも「堀上人が統一され」たと言い張るのであればその証拠を示すべきであり、さらに『破良観等御書』の「春」をそのままにした理由を明確に論証すべきである。
 ところで、創価学会発行の『富士宗学要集』第五巻(昭和五十三年三月発行)所収の要法寺日辰の『祖師伝』には、
「建長五年癸丑四月廿八日午の時清澄寺持仏堂に於イて一山の大衆を集め念仏無間諸宗無得道の法門を一々に仰セ出せしなり、御年は卅二才なり」(同一七頁)
とある。ところが日辰の『祖師伝』(要法寺所蔵)の原本には、
「建長五年癸丑三月廿八日」(同二頁)
と、なんと「三月」となっている。何故このようなことになったのかをさらに調べると驚くべきことに、山喜房仏書林より昭和三十一年八月に発行された旧版の『宗学要集』第五巻には、
「建長五年癸丑三月廿八日」(同一七頁)
となっているのである。貴殿らは日亨上人が『御書全集』で宗旨建立の日を四月二十八日に統一されたというが、日亨上人が四月とされたことは、前述のように刊本諸御書を踏襲されたにすぎない。しかるに『宗学要集』の『祖師伝』の「三月」を「四月」に改変したのは、その昭和五十三年三月という発行年次からも明らかに創価学会の仕業である。いかに版権があるとはいえ、古来の史伝書をこのように改変することは許されない所業と糾弾されねばならない。創価学会は以前から、大聖人の三月の御指南を軽んじ、四月説に固執していたのである。
 そもそも「広布を願う信心」に適っているのは、文・理・現の三証に照らして、本門戒壇の大御本尊のもと僧俗一致広宣流布に立ち上がっている日蓮正宗僧俗であることは明白である。それに対し、「腹黒い野心と詐術の欺瞞」で天下を誑惑しているのは、三宝不信の咎により罰だらけの創価学会と貴殿ら離脱僧であることを白日の下に晒すとともに、御法主日顕上人のもと、宗祖日蓮大聖人の正法正義を護り抜く、日蓮正宗僧俗の尊い地涌の闘いを後世への亀鏡とするため、貴殿らの悪書を徹底して破折するものである。