座談会


   座談会 自我と怨念の権化
     池田創価学会を徹底破折



  昨年三回にわたり掲載してきた座談会では、総監・藤本日潤御尊能化をはじめ御出席の御僧侶方に、池田創価学会及びその走狗・憂宗護法同盟が悪書『法主詐称』や「創価新報」などで行っている、御法主日顕上人猊下の血脈相承への誹謗、本門戒壇の大御本尊への誹謗等に対して完膚無きまでに破折していただき掲載しました。
 引き続き今回は、御歴代上人への誹謗等に対して、徹底的に破折していただきました。



座 談 会 出 席 者

日蓮正宗総監・常泉寺住職
  藤本日潤御尊能化

宗務院庶務部長・法道院主管
   早瀬日如御尊能化

大石寺主任理事・妙泉坊住職
   八木日照御尊能化

大宣寺住職
   菅野日龍御尊能化

宗務院庶務部副部長・妙國寺住職
   阿部信彰御尊師



東京都墨田区・常泉寺において




   新興宗教創価学会 めざすは会長絶対化
        血脈誹謗 重ねる数多の大謗法





         「法主絶対論の大嘘」こそ邪説

 司会
 『法主詐称』で創価学会や憂宗護法同盟は、「法主絶対論の大嘘」とか、「狂的な『法主賛美論』」などと、日蓮正宗の血脈法水を口を極めて誹謗していますが、日蓮正宗の教義は今も昔もまったく変わりはないですね。
 阿部 もちろんです。彼らが「法主絶対論」だなどとして、『法主詐称』中に取り上げている宗門側の発言とは次のような文章です。
「日蓮大聖人の仏法は、唯授一人法体別付の血脈相承をもって、現御法主上人が御所持あそばされることは衆知のことであります。したがって、御法主上人御一人が、本門戒壇の大御本尊の御内証をお写しあそばされる権能をお持ちになるのであります」(大日蓮 五六二号)
「三宝一体とは、まさに本仏大聖人、戒壇の大御本尊、歴代の御法主上人が、その内証において、一体不二の尊体にましますということであります…」(『能化文書』平成三年九月)

 早瀬
 このような内容について、「日顕(上人)本仏論」だとか、「狂った坊主の戯言」などと誹謗するとは、とんでもないことを言う連中だ。ここで述べられている法門が「日顕(上人)本仏論」などでないことは当然だよ。それよりも日顕上人猊下の御登座当時、池田大作は本宗の血脈法水についていろいろと尊崇する旨の発言をしていたね。
 八木 そう。血脈相承を尊重した池田大作の発言は枚挙に暇がないが、例えば昭和五十七年七月二十四日には(第一回関東会研修)、
「日蓮正宗の根幹をなすものは血脈である。大御本尊を根本とし、代々の御法主上人が、唯授一人でこれを受け継ぎ、令法久住をされてこられた。御本尊を御認めあそばすのは、御法主上人御一人であられる。(乃至)広宣流布といっても、御本尊の御認めがなければできない。われわれは、あくまでも総本山根本、御法主上人厳護の信心で進んでまいりたい」(「広布と人生を語る」第三巻二五六・)
と、唯授一人の血脈こそ本宗の信仰の根幹であると述べている。その同じ日蓮正宗の血脈を、現在は「狂った坊主の戯言」というわけだから、自語相違、支離滅裂もいいところだね。彼らの言葉を借りれば、自らが狂うと、正当な法門が狂って見えるのだな。

 藤本
 というより、御本尊の御書写が血脈相承の上の唯授一人の権能にましますことは、この池田大作の発言からも、池田自身や創価学会、憂宗護法同盟の者たちは当然熟知しているわけだね。その御本尊に関する相承書の『御本尊七箇相承』には、御法主上人の御内証について、「代代の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」(聖典三七九・)と定められていることを彼らが知らぬはずはない。とすれば大聖人の仏法の根幹である血脈相承の意義を判りきった上での悪質卑劣な誹謗と言うよりほかはないね。

 阿部
 その通りですね。彼らが日蓮正宗の血脈相承には外用と内証のあることを充分に承知していたことを証明する池田大作の発言があります。次に掲げる、昭和五十四年五月三日の第四十回創価学会本部総会の折の講演です。
「本宗における厳粛なる法水瀉瓶唯授一人の血脈は、法灯連綿と、代々の御法主上人に受け継がれて、今日に至っております。あくまでも、御本仏は、日蓮大聖人様であらせられ、唯我与我の御法主上人のご内証を、大聖人と拝すべきなのであります」(聖教新聞 昭和五十四年五月四日付)
と述べています。

 菅野
 そうだったね。この時は御先師日達上人が御出席なされた最後の総会だった。日達上人が御臨席あそばされた創価学会本部総会という公式な場においての発言だけに、この池田大作の言葉には決定的な重い意味があるね。それは池田大作も、昭和五十二年路線の謗法を反省して、きちんと本宗の下種仏法の本義に基づき、これを尊重していくことを日達上人猊下にお誓い申し上げた言葉だったからだよ。

 藤本
 この折の池田講演により、池田大作と創価学会は本宗の正しい法義を遵守することを日達上人にお誓いしたわけだが、正にこの発言の通りだね。「本宗における厳粛なる法水瀉瓶唯授一人の血脈は、法灯連綿と、代々の御法主上人に受け継がれて、今日に至って」いるわけであり、今になって創価学会が御歴代の日精上人や日恭上人を誹謗することは本当に無慙であり恥じ知らずと言うよりほかはないよ。日精上人や日恭上人がおられたからこそ、唯授一人の血脈が今日まで流れ通っていることを、かつては池田大作も正しく信解していたわけだからね。

 八木
 そうなんですね。法体相承の上からは、『御本尊七箇相承』の御文のように、御@主上人猊下の御内証を大聖人と拝すべきことは当然だし、そのことは池田大作もよく判っていたわけだ。

 早瀬
 ただし、宗門の甚深の法門の上からはただその一面だけではない。御法主日顕上人猊下も三宝の意義を正しく拝することが大切と御指南あそばされているように、本宗の下種三宝には、法体と住持、外用と内証など重々の意義がある。内証の上からは三宝は一体だが、外用の上からは御歴代上人はあくまでも住持の僧宝の御立場であられると拝することが正しい法門の道筋だね。

 菅野
 そして御歴代上人のお立場は、御本尊の御書写以外は、通常は外用の住持の僧宝の御立場において大衆を導かれるわけだね。当然のことだが、歴代上人のお立場におかれては、敢えて御内証の面を強調される必要はないからね。

 司会
 『法主詐称』では、今回、宗門側は創価学会を破門した頃から、突如、内証の法門を強調しだしたと誹謗していますが。

 藤本
 そんなことはまったくないね。先ほどの池田大作の「御法主上人のご内証」という言葉もある通り、宗内僧俗の折々の発言や著述等において、血脈内証の法門が述べられることも珍しくはない。ただし、あの平成三年当時のように、『能化文書』をはじめとして、御法主上人猊下の御内証の面を宗門がこぞって強調した場合、それがいかなる目的であり、いかなる時であったかを正しく認識せしめる必要はあるよ。まさに今日の創価学会のような三宝破壊の仏敵が現れた時にこそ、下種三宝を厳護し奉り、もってその仏敵第六天の魔王の悪謀を断破する目的のために御法主上人の御内証が強調されるわけだからね。

 阿部
 彼らは、このような御法主上人の御内証に関する法門は、教学部の水島副部長や原田主任が画策したように書いていますが、御歴代上人についての外用と内証の法門なら、わざわざ教学部に依頼せずとも、少なくとも本宗教師なら誰でも領解していることですね。

 八木
 まったくだ。『法主詐称』では、御法主日顕上人猊下に対して、「低俗な邪教の教祖を連想させるような“日顕(上人)生き仏論”」だとか、「新興宗教の教祖」や「オカルト」だとか、まさに愚かな僻見のオンパレードだが、すべて的はずれの悪辣な誹謗に過ぎないことが明白だね。



          所化対象の講義への非常識な悪口


 司会
 次に彼らは福田毅道師の行学講習会での講義中における、『百六箇抄』の「立つ浪・吹く風・万物に就いて本迹を分け勝劣を弁ず可きなり」の御文の解釈について、宗祖日蓮大聖人、第二祖日興上人等を迹とし、当代の日顕法主を本とする「顕本仏迹論」だったなどと誹謗していますが。

 藤本
 まったく曲げに曲げ、柄のないところに柄をすげた解釈というほかはない。当然だが福田君が『百六箇抄』の本迹勝劣について、「日顕上人が本で日蓮大聖人が迹」などと言うはずはないね。

 阿部
 その通りです。宗門として行学講習生に対して行った調査では、「そのような発言はなかった」ことや、授業の結果として、本迹に関して、講習生は「そのような認識は持たなかった」との回答を得ています。

 早瀬
 それと、この件に関しては福田君本人からも宗務院へ報告書が提出されているはずだが。

 阿部
 はい。福田師が教学部へ提出した報告書において同師は、創価学会が言うような内容の講義をしたことはないと次のように明確に否定しています。
「私は『大聖人が迹仏である』と講習生に向かって話した覚えはありません(中略)三宝と血脈について説明したとき、『我々の信心の上から、御歴代の御法主上人猊下は内証においては大聖人と一体不二と拝すべき』(中略)ということは言いました。そして、百六箇抄の『立つ浪・吹く風……』の文はそのことを示唆していると私は思いますと言いました」(要点抜書)

 司会
 『法主詐称』では、かつて池田大作も述べている御内証の法門を福田毅道師が述べたことに対し、「顕本仏迹論」などと誹謗するわけですが、それこそ彼らが本宗の信仰を失った証拠ですね。

 藤本
 たしかに、「立つ浪・吹く風」が現在の瞬間を本としている意義は当然のことだね。なぜなら、今のこの瞬間にこそ、御本仏日蓮大聖人の御法魂は、人法一箇の本門戒壇の大御本尊としてましますわけなのだからね。

 八木
 福田君はそのことは無論、自明の理とした上で、三宝一体の御内証の上から、御当代日顕上人猊下の仰せは大聖人様のお心を拝して御指南せられていることを述べたわけだ。「顕本仏迹論」などでないことは明白だね。
 阿部 その通りです。福田師の発言は『百六箇抄』を講義することが目的ではなく、当該の文を用いて三宝一体を説明することにあったわけです。ただ福田師は、この授業の折の、総別の言葉の使い方に関しては、誤解を与える点があったと訂正しています。

 菅野
 そういう意味では、講義中に多少の誤りがあったのかもしれないが、所化の高校三年生らを対象とした行学講習会の講義において少しの誤りがあったとしても、本人も釈明し訂正すべきは訂正していることだし、福田師の講義をおおげさに「宗門公認の教説」だなどとする創価学会の言い分は、まったく噴飯ものの言いがかりにすぎないね。

 司会
 次に本門戒壇の大御本尊と血脈法水を信仰の根幹とする本宗の教義に対して、彼らは幼稚な権威主義、形式主義であり、あの水戸黄門ばりの「印籠教学」などと誹謗しておりますが。

 藤本
 何が「印籠教学」だ。本門戒壇の大御本尊と血脈法水は日蓮正宗の信仰の根幹です。その根幹に対して信仰を失い、卑劣な誹謗を繰り返
しているのが彼らの情けない姿だね。

 早瀬
 宗教は理論や理屈ではなく信仰が根本でなければならないと思うが。我利我利の利己主義で信仰を失くした彼らの言い分が、極めて低次元の誹謗中傷になっていることは当然とは言いながら、浅ましい限りだよ。



           理不尽極まる宗規改正への邪難


 司会
 また『法主詐称』では、日蓮正宗の宗規改正に対して、御法主日顕上人猊下の代に多いのは法主の権威の絶対化だとし、恐怖政治だの時代錯誤の独裁体制などと、これでもかと誹謗しておりますが。

 藤本
 宗規の改正は日蓮正宗が大聖人様の御法を末代まで正しく伝え、弘宣していくために、必要に応じて改正が行われるわけです。宗門全教師から選出された宗会議員による、厳正な審議を経て決定されるものであって、これを時代錯誤の独裁体制などと非難することは、まさに日蓮正宗宗会議員への冒涜と言うほかはないね。

 阿部
 宗制宗規の改正を改悪というのは、彼らが自分に不利だからというだけの勝手な理屈でしょうね。

 早瀬
 平成二年以後の宗規改正は、結果的には創価学会の宗門に対する不当な介入と干渉を防ぐことになったが、要は宗規改正の目的は大聖人様の御法をお護りするため以外にはないのだからね。

 菅野
 それにより、自らの宗門支配の野望が砕かれたことが、彼らにとって、悔しくて仕方がないための悪言だろうな。



           天台教学を曲げた筋違いな讒言


 司会
 次に『法主詐称』では、日蓮正宗が「法主絶対」だとし、その「絶対」の語を取り上げて、天台教義中の「絶待」と関連づけて誹謗しているようですが。

 藤本
 まず「法主絶対」なんていうことは宗門では一切言っていない。だから、彼らの言い分はまったく意味のない言いがかりにすぎないね。

 八木
 そうですね。『法主詐称』では、妙楽の『釈籤』中の絶待開会の文として、「相待を以て示すべからず、絶待を以て示すべからず」等を挙げて、徹底した否定の後の「大肯定」が「仏法の『絶待観』の基本」だなどと述べている。

 早瀬
 そしてそれに対して、自己否定もせず、他の一切を否定する日蓮正宗の「法主絶対」は独善であり、無窮に流浪し戯論に堕すものと誹謗するわけだ。

 菅野
 ここで彼らの言う「大肯定」とは、邪宗との協調路線を歩む最近の創価学会の立場を擁護しているつもりだろうね。しかし、大聖人様は、法華経の絶待開会とは、一切の諸法をただ妙法一味に開く意味であり、開会の意味を取り違えて、念仏や真言の受持を許した天台宗の開会を悪として厳しく指弾あそばされているはずだね。

 藤本
 そう。末法においては人法一箇の本門戒壇の大御本尊と血脈法水、すなわち下種三宝のところに真の絶待妙が存するわけで、その日蓮正宗の教義の上から他の一切の宗派を謗法と断ずることは、独善でも戯論でもないよ。真実の絶待妙の上からの謗法破折となるわけだね。

 阿部
 要するに創価学会のような謗法容認のあり方は先程の天台宗の悪開会と同じで、大聖人様が厳しく破折されるところと言うべきですね。

 一同
 その通りだね。

 司会
 また続けて彼らは、御法主日顕上人猊下が平成三年一月に、
「結句は一人になて日本国に流浪すべきみにて候」(御書 七三〇・)
の御文を述べられた折のことにつき、「敗北の絶句」だなどと誹謗しておりますが。

 藤本
 あの折は正月の初登山で私も同席していましたが、「敗北の絶句」なんてとんでもない。長い年月、広宣流布をめざして折伏に励んできた多くの日蓮正宗信徒が、創価学会の虜になって不幸の道を歩むことを憐れまれ、また身延を離山あそばされた日興上人の無念のお心を偲ばれてのお気持ちと拝したね。

 阿部
 『法主詐称』では、御法主上人猊下が腹心の部下に、「宗史から抹殺されるかもしれぬ」と語ったとか、その恐怖を払いのけるために予防線を張っているなどと虚言を弄して誹謗していますが、不自惜身命に徹された猊下ですから、仏法のためであれば、たとえ我が身がどうなろうと、そんなことに、くよくよ気苦労されるお方では決してありません。

 早瀬
 御法主上人猊下の深い覚悟のお言葉に対して、「日顕の落涙こそ……敗北の絶句」とは、彼らの境界の低さを物語って余りあるね。

 八木
 あの御法主上人のお言葉で宗内の皆がどれほど奮い立ったか。その後のわずかな離脱僧の裏切りを除き、僧俗が一丸となり、平成二年の三万総会から平成十四年の宗旨建立七百五十年・法華講三十万総登山へと大発展した姿を見れば明らかだね。

 菅野
 『法主詐称』では、「宗門内で企図した『法主絶対化』の路線」などと言っているが、まったくのまやかしだな。日蓮正宗は「法主絶対化」ではなく、創価学会の押しつけの「会長絶対化」による「僧侶不用路線」を廃止して、僧侶と法華講員による真の僧俗一致の広宣流布に向けて前進を開始したわけだ。本当に有り難いことだね。



         日精上人への不知恩な誹謗


 司会
 次に『法主詐称』では、宗門の宗史書である『家中抄』や『続家中抄』を取り上げて、種々誹謗していますが。

 八木
 その第一が、総本山十七世日精上人に対する誹謗だね。たしか、日精上人が敬台院との確執により、大石寺から江戸へ移り、下谷に常在寺を再建して住んだため、大石寺が無住になったとの批判だったかな。

 早瀬
 しかし、この『法主詐称』の批判には確実な根拠があるわけではないね。おそらく根拠は『続家中抄』の「日舜上人伝」あたりだと思われるが、『家中抄』や『続家中抄』は、当時の記録がたとえ不完全不正確であったとしても、それらを参考史料として用いざるを得ない状況の中で著されたと思われるからね。

 阿部
 『法主詐称』における創価学会側の批判は、その辺をよく調べないで、両伝記を受け売りしたに過ぎないわけですね。

 藤本
 そうだね、『法主詐称』では、日精上人が寛永十四年の御登座後、遠からずして敬台院との間に確執を生み、大石寺を逃れて江戸に移り、常在寺を再建したと書いているが、精師の常在寺再建はそんな理由ではないと思うね。

 菅野
 そうですね。精師が常在寺を再建されたのは御登座翌年の寛永十五年だが、この寛永十五年には、大石寺は敬台院から七百数十両という多額の金子の御供養を受けており、またこの年の精師の江戸城への年賀には、敬台院の推挙で、輿による登城も許されている。常在寺は両者のそういう良好な関係の年に再建されたわけだから、敬台院と仲違いして、大石寺を逃げ出して建てたなどということは有り得ないね。

 八木
 日精上人は常在寺の建立により江戸の弘教を志されたものと思う。常在寺を拠点とする折伏弘教により、この頃、常泉寺本末を改宗せしめられたこともあるし、そういう点から考えれば、関東方面の弘教のために総本山をある程度留守にされたことはあったかもしれないが、少なくとも敬台院との不仲による大石寺退出が常在寺建立の動機だというのはたしかに違うと思うね。

 阿部
 また後年の常在寺での日精上人の御説法を聴聞して二十六世日寛上人も出家得度をされました。その点を考えれば、日精上人の常在寺再建と江戸弘教がなければ、伊藤市之進であられた日寛上人に、自らの菩提寺である常在寺を紹介したある旗本の門番佐兵衛の日蓮正宗入信もなく、また伊藤市之進自身の得度もなかったことになります。ですから、日寛上人にとって日精上人は仏法上の師であり、かつ恩人なわけです。後代の私たちも、寛尊の恩を報ずべきことは当然ですが、同時に、日精上人の恩も当然報ずべきではないでしょうか。日精上人おられてこその日寛上人なのですから。それを日寛上人だけを讃えて、日精上人を徹底して誹謗する創価学会の考えは、かえって日寛上人のお心を無視し愚弄するものであり、また仏法の因縁も無視した恩知らずの外道の考えと言うべきですね。

 早瀬
 それはたしかにそうだね。日寛上人は『三宝抄』で、日興上人を下種の僧宝と仰せられた後に、「爾来日目日道代々咸く是れ僧宝なり」と仰せだ。「代々咸く」の中には当然、十七世の日精上人や、要法寺から登られた御法主上人も含まれている。創価学会のように日精上人を歴代から除けなどとは、どこにも仰せではないからね。

 菅野
 堀上人にも精師の事跡について、批判的な記述はおありになるが、創価学会のように除歴しろなどという不知恩なことは一切仰せではない。それどころか当然日精上人を御歴代上人と拝しておられるからね。

 藤本
 要するに創価学会が日精上人を誹謗することは越権もいいところであり、一体、何様のつもりだということになるね。

 一同
 まったくですね。



            日亨上人を愚弄する創価学会の言い分


 司会
 次に『法主詐称』では、八世の日影上人が御遷化に際して適当な人物がいないため、在家の柚野浄蓮なる者に相承したとし、さらに五十六世日応上人がこれに関して、在家相承でも何ら問題ないとしているなどと誹謗していますが。

 八木
 まず日影上人から日有上人への御相承だが、記録が存在しないとはいえ、日影上人が御遷化あそばされた応永二十六年八月のわずか八カ月後、翌二十七年四月に日有上人が脇書きをなさった御本尊が存するのだから、日影上人から日有上人へ御相承があったとみて差し支えないと思うが。

 菅野
 その通りで、日亨上人もその御本尊の脇書きに「大伴浄蓮」なる名が見えることにより、後世に「柚野浄蓮へ相承」云々の伝説となったのであろうと推測されているね。

 阿部
 創価学会や憂宗護法同盟は、それが判りきっていて誹謗に用いるとは、日亨上人を愚弄していると言うほかないですね。

 早瀬
 また日応上人の御指南についても、これは万々が一、柚野浄蓮への御相承ということが仮にあったとしても、それで本宗の血脈相承が途絶えたことにはならないということを強調されたものと拝すべきだね。特に創価学会が鬼の首でも取ったかのように「日応上人が血脈は在家に相承してもよいと言った」と言うのはまったくの誤解だよ。たしかに相承すべき相手がなければ、俗男俗女であってもよいと述べられ、柚野浄蓮は白衣(在家)であったとされている。それは何としても日蓮正宗の血脈法水を絶やしてはならぬが故の仰せだが、ただし、もし在家の浄蓮が本当に相承を受けるとすれば、それは当然出家した後でなければならぬとの意味を、「浄蓮の新発意」とのお言葉で示されているんだよ。要するに緊急やむを得ぬ場合は、信心のある者を出家せしめてでも、血脈相承を継がせなければならないとの意味であり、絶対に日蓮正宗の血脈法水が途絶えることはないことを仰せられた御指南と拝すべきことは言うまでもないね。

 司会
 次に『法主詐称』は、五十二世日霑上人の三度の御登座について、大石寺に権力争いがあった証拠などと繰り返し誹謗していますが。

 藤本
 まったく邪推もいいところだと思うね。権力争いの中にいる人間は、世の中のすべてが権力争いのように見えるのだろう。日蓮正宗の御歴代上人は代々順序乱れずに血脈を承継あそばされることが理想だが、御歴代上人と雖も生身のお身体であられるし、さらに様々な事情もあられるのだから、止むを得ない緊急の場合には、御先師に再度、再々度御登座をいただくことも当然あるわけだよ。

 菅野
 その通りですね。日蓮正宗にとって何よりも大切なことは、血脈不断と広宣流布へ向けての宗勢の興隆にあるわけだから、その上から、御隠尊御当代了解のもとに、宗内の願いを受け再住、乃至再々住なされることがあっても何も不思議ではないね。

 阿部
 御高徳な日霑上人が、仏法興隆のため、宗内の求めに応じてやむを得ず再登座あそばされたことを、権力争いなどと、まったく許せぬ誹謗です。



             血脈相承への卑劣な悪言


 司会
 次に『法主詐称』では、十二世の日鎮上人に対して、十四歳で御登座の若年法主だと誹謗していますが。

 藤本
 これも『久保川論文の妄説を破す』の中で既に破折してあることだね。

 八木
 そうですね。日鎮上人は十四歳で日有上人から御相承を受けられたわけだが、法体の御相承については、年齢のお若いことは何も問題ではないし、御法門についても、よく少年の神童ぶりがニュースの紙面を賑わす例もあるように、優れた知性と能力をお持ちであられたことを否定はできない。まして当時は南条日住等の補佐役もいたことだし、何よりも日鎮上人はその後四十五年もの長きに亘り、宗門を董されたことが、お若い頃から御法主上人とされての優れた器の御方であられたことを雄弁に証明していると思うね。

 司会
 さらに『法主詐称』は日主上人から日昌上人への御相承について、代官の寂日坊への「死活相承」の話があったとして、本宗の血脈相承を馬鹿にしていますが。

 藤本
 これは取るに足りないまったくの誤伝です。日昌上人のお筆による、日主上人から日昌上人への御相承が厳然と行われたことを証明する確実な史料が、現に小金井蓮行寺に存在していることを日亨上人が仰せられているね。

 阿部
 そんな重要なことは、創価学会や憂宗護法同盟側も判りきっているはずですね。それなのにわざわざ「死活相承」などと取り上げて誹謗に使用するとは、まったく卑劣極まりないですね。

 司会
 また『法主詐称』では、御当代日顕上人猊下のお話を「夢相承」などと言って誹謗していますが。

 八木
 これなどもまったくの言いがかりに過ぎません。なぜなら御先師日達上人は夢の中で御相承されたわけではない。昭和五十三年四月十五日、厳然と総本山で御当代日顕上人に法を内付あそばされたわけだからね。

 早瀬
 日顕上人がなぜ夢の話をなされたかと言うと、法界には不思議な御仏智の用きがあることの一例として、教学部長の任命をお受けになられた折の不思議な夢についてお述べになられただけで、とりわけ問題とすべきことなど何もないね。

 阿部
 夢の話をすることがいけないなら、創価学会は『産湯相承事』の霊夢も否定するんでしょうか。法界の不思議を否定するとは、『法主詐称』執筆者たちの考えは、当然ながら信仰者のものではなく、唯物論者そのものですね。



            近世の御法主上人に対する無慙な悪口雑言


 司会
 『法主詐称』では、五十八世日柱上人の御退座に関して、六十世日開上人、六十一世日隆上人を悪し様に誹謗しておりますが。

 藤本
 日柱上人の御退座の件は、これまでも創価学会や離脱僧らが、さんざん宗門に対する誹謗の材料として取り上げてきたことです。しかしこの件の真実は、日蓮正宗の血脈相承が清浄であることを証明しているのであって、彼らの悪口は上辺の姿だけを取り上げ、それを曲げて誹謗したものと言うべきだね。

 早瀬
 その通りですね。当時のことについては御法主日顕上人猊下より、平成四年の「全国教師講習会」において、
「衆義が色々と出て、それを日柱上人が深くお考えあそばされた上で、ここは私が退いたほうが御法のためになるとの、自らの深い御思慮の上からの決断であったと拝するのであります」(大日蓮 五六〇号)
と御教示賜っているように、血脈御所持の御立場として、御自らの御判断をもって御隠尊あそばされたのだから、けっして本宗の血脈の尊厳が損なわれたわけではないね。

 阿部
 歴史の進歩の上から見ますと、当時の日本は近代民主主義の濫觴期で、未だ未熟な面があり、それが不消化を起こした不幸な例が宗門における日柱上人の御退座問題ではなかったかと思いますが。

 八木
 世法的にはそう見えるかもしれないね。しかし仏法から言えば、日興上人が御遺誡あそばされる「衆義たりと雖も、仏法に相違有らば貫首之を摧くべき事」の意義の上からも、先ほどの御法主日顕上人猊下の御指南の通り、日柱上人は衆義の内容をよくよく思惟あそばされた上で、大聖人様の御法に照らし、また宗門のために、最善の方途としてその衆義を用いられたというべきではないかな。

 菅野
 そしてその結果、御退座を決意あそばされた上から、日柱上人は五十七世日正上人からお受けした血脈を、粛然と日亨上人に対して相承あそばされたわけです。その柱師のお心を拝すると、本当に有り難い。結局は日柱上人の御仏智を深く拝された大きなお心により尊い血脈法水が護られたわけだね。

 司会
 それに対し、『法主詐称』では、その日柱上人をはじめ、当時の宗門の大部分の僧侶の代表として六十世日開上人を黒幕などと悪し様に誹謗しておりますが。

 藤本
 要するに彼らは日蓮正宗の血脈法水を破壊することが目的だから、そのためにはすべてを誹謗するわけです。日柱上人に対しても「評判の悪い法主」などと悪口の言い放題だね。しかし、上人は宗学においても他の学問においても傑出しておられたと伝えられており、宗内の皆が、今日まで日柱上人の尊いお心をけっして忘れていないことは、剛直な上人のお書きものが現在も歴史のある本宗の寺院に珍重されていることからも判るね。

 早瀬
 また日開上人が日柱上人御退座の策謀の黒幕だったなどとはまったくでたらめだね。たしかそんな策謀を本宗に反逆したある僧侶が目論んだことがあったとは聞いているが、日開上人がそんな策謀をなさるお方でないことは宗内に周知の事実だよ。

 八木
 そう。御先師日達上人も日開上人を「上人は資性篤実で、謹厳至誠の方」と追憶しておられるし、また日達上人が監修あそばされた日蓮正宗布教会編の『悪書板本尊偽作論を粉砕す』の中にも、「日開上人は性来非常に謙譲な御方であって、むしろ謙譲過ぎられると一般から言われていた方である」との記述があるね。創価学会が「天魔」などと口を極めて誹謗するのは、日開上人が御当代日顕上人猊下の実父であられること以外に何も理由はない。日顕上人への憎悪が日開上人へも向けられているわけだね。本当に許されないことだ。

 司会
 次に『法主詐称』では六十一世の日隆上人に対してもひどい悪口を並べていますが。

 阿部
 この日隆上人への悪口もまた、本当に許せない誹謗ですね。御当代日顕上人猊下には創価学会や自称正信会、顕正会などの日蓮正宗に反逆した異流義の者共から事実無根の誹謗を限りなく受けておられますが、日隆上人の場合も同様な状況にあったのでしょうか。

 菅野
 そうだね。日隆上人というお方は、かなり闊達な御性格であられ、五十六世日応上人の御信頼を受けて種々宗務行政にも携わられ、辣腕を振るわれたと聞くから、かなりの毀誉褒貶を受けられたようだ。

 藤本
 相手を貶めるにはスキャンダルをでっちあげることが一番効果的なわけだからね。御当代日顕上人猊下に対する異流義の者たちの誹謗もまったく同様だが、要するに正法に敵対する者共は、卑劣な手段を用いて日蓮正宗にダメージを与えようと画策するわけだ。日隆上人も新聞記事などでそのような卑怯なスキャンダル攻撃をお受けになられたのだね。

 八木
 先に掲げた『悪書板本尊偽作論を粉砕す』の中には、この日隆上人誹謗記事の件についても、まさに隆師を葬るための誹毀讒謗を受けられたものであり、やがてそれが判明するであろうと述べられています。

 司会
 これらのことが判っていながら、御歴代上人を悪し様に罵る創価学会や憂宗護法同盟の者たちは、まさしく悪逆忘恩の徒輩と言うほかありませんね。
(つづく)


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