六、民衆の本尊証得における法主の介在の不要化≠破す

 本稿の考察は、唯授一人の金口相承の中心的教義である三大秘法義が現代において理論的に公開されている、との認識に達したのであるが、ここに至っては大石寺門流の信仰実践のあり方も大きく変化せざるを得ない。
 久遠名字の妙法の直達正観という成仏義を立てる大石寺門流では、法主や一部の高僧だけでなく、すべての信仰者に法体本尊の証得が可能であると説く。日寛は『当体義抄文段』の中で「正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人」は「本尊を証得するなり」と述べ、その証得の相を人法に分けて「人の本尊を証得して、我が身全く蓮祖大聖人と顕るるなり」「法の本尊を証得して、我が身全く本門戒壇の本尊と顕るるなり」と説き示している(文段集683)。
 しかしながら半面、一般の門下僧俗が本尊を証得するには法主の介在が必要であるとも考えられる。日寛は「報恩抄文段」に「縦い当流と雖も、無智の俗男俗女は三重の秘伝を知らず」「無智の男女は唯本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉る」(文段集322)などと述べ、富士の相伝教学に暗い当時の一般的在家信徒の状況を問わず語りに語っている。この場合、「三重の秘伝」を知らない「無智の俗男俗女」が自らの判断で「唯本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉る」ことは不可能であるから、三大秘法義を了解する法主や、その意を体した僧侶の信仰指導が必要となる。当時の宗門信徒の中には、金沢の福原式治等のごとく、折伏弘通に励みながら宗義研鑽にも極めて熱心な者が稀にいたが、それでも日寛から法門の曲解を間接的に指摘されていたという。いわんや信仰の対境となる曼荼羅本尊の書写やその是非の判定等に至っては、ひたすら金口相承の法主に頼るしかなかったと言えよう。すなわち大石寺門流では、すべての信仰者に本尊証得の道が開かれているとはいえ、実際には血脈付法の法主の介在が大前提となっていたのである。
 ところが現代のように、金口相承の三大秘法義の理論的公開がなされる段階に至ると、事情はかなり違ってくる。現代の在家の人々は、日寛の頃のような相承法門に暗い「無智の俗男俗女」ではない。むしろ、日寛の六巻抄を座右に置いて日蓮の祖書を日夜朝暮に学習し、三大秘法の本尊を世界に流布せんと主体的に励む人々なのである。彼らは法主の教導がなくとも、門流秘伝の三大秘法義に基づく本尊証得の修行のあり方を知り、自ら実践できる。
 そして帰命依止の対境たる曼荼羅本尊に関しても、法主の介在は実質的に不要化している。金口相承の三大秘法義を把握したうえで、日蓮と同じ信仰に生きる現代の門下僧俗は、文永・建治・弘安年間に顕示された、すべての日蓮の本尊を戒壇本尊の意義に通ずる本尊として拝することができる。また歴代法主の本尊はすべて戒壇本尊の書写であり、戒壇本尊の「分身散体」としての意義を持つとされるが、現代の門下僧俗ならば、歴代書写の本尊のうちで誤った本尊を見極めることすらできるだろう。それを可能にしたのは、三大秘法義の理論的公開にともなう、本尊相承書の出版公開である。
 少し古い事例となるが、六〇世の阿部日開は、昭和三(一九二八)年六月に唯授一人相承を受けた後、本尊書写の際に「仏滅度後二千二百三十余年」と書くべき本尊の讃文を誤って「仏滅度後二千二百二十余年」と書いてしまい、宗内の僧侶たちから問い質された末に「ただ漫然之を認ため何とも恐懼に堪へぬ」と謝罪させられたという。当時すでに出版公開されていた「御本尊七箇相承」の追加分には「一、仏滅度後と書く可しと云ふ事如何、師の曰はく仏滅度後二千二百三十余年の間・一閻浮提の内・未曾有の大曼荼羅なりと遊ばさるゝ儘書写し奉ること御本尊書写にてはあらめ、之を略し奉る事大僻見不相伝の至極なり」(要132)との条目がある。そうしたことから、相承なき平僧たちが血脈付法の法主の本尊誤写を責め糾して謝罪させる、という異例の事態へと発展したのである。平僧たちがかくも自信をもって法主の誤りを糾弾できたのは、彼らに大石寺の血脈相伝たる三大秘法義の知識があり、なおかつ「御本尊七箇相承」が出版公開されていたからである。昭和初期に起きた六〇世・阿部日開の本尊誤写事件は、本尊に関する権能を法主が独占できない時代の到来を示す、象徴的な事件であった。
 この項で悪書は、民衆の本尊証得における法主の介在の不要化≠ニして、御法主上人と門下僧俗との関係性の上から法主不要論を述べ、さらなる邪論を展開している。すなわちまず、本稿の考察は、唯授一人の金口相承の中心的教義である三大秘法義が現代において理論的に公開されている、との認識に達したのであるが、ここに至っては大石寺門流の信仰実践のあり方も大きく変化せざるを得ない≠ネどと述べている。しかし、前項までにおいて、『三大秘法義』は甚深の法門であっても公開された文書であり、それは唯授一人金口嫡々の血脈相承そのものではないことを示し、松岡の愚論を粉砕した。日寛上人によって三大秘法義の開示≠ェなされたといっても、それは法門相承の上における開示なのである。
 したがって、悪書が唯授一人の金口相承の中心的教義である三大秘法義が現代において理論的に公開されている≠ニいうことは、その論自体が成り立たない。よって、ここに至っては大石寺門流の信仰実践のあり方も大きく変化せざるを得ない≠ネどとの言は、まったくの勝手極まる見当違いな言い分であり、噴飯ものであると言わざるを得ない。御書はもとより、『六巻抄』や『御書文段』が活字となって出版されたことは、血脈相伝のもと、それらの書によって大聖人の仏法をより正しく、深く研鑽できるようになったということである。したがって、大石寺門流の信仰実践≠ェ変化するなどということも断じてあり得ない。もしそのように思うなら、それは妄見であって、真実は、日蓮正宗から破門され大石寺門流≠ナなくなった創価学会が、信仰実践のあり方も大きく変化せざるを得な≠ュなったものに過ぎないのである。
 さて悪書では、久遠名字の妙法の直達正観という成仏義を立てる大石寺門流では、法主や一部の高僧だけでなく、すべての信仰者に法体本尊の証得が可能であると説く≠ニ述べ、その理由として『当体義抄文段』の文を引いて、日寛は『当体義抄文段』の中で「正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人」は「本尊を証得するなり」と述べ、その証得の相を人法に分けて「人の本尊を証得して、我が身全く蓮祖大聖人と顕るるなり」「法の本尊を証得して、我が身全く本門戒壇の本尊と顕るるなり」と説き示している≠ニ、『当体義抄文段』の文を己義正当化のために悪用している。
 ここでいう法体本尊の証得≠ニの言であるが、日寛上人はどこにも法体本尊の証得≠ネどと仰せになってはいない。これは、松岡が本宗における唯授一人の「法体相承」と、一切衆生の「本尊証得」ということを、恣意的に混同せしめようとするものである。すなわち、「本尊証得」と類似する法体本尊の証得≠ニいう語を用いることで、御法主上人が御所持される「法体相承」を、あたかも学会員が証得≠ナきるかのように欺誑するものである。法体本尊の証得≠フ語は、松岡がそのような悪意のもと、捏造した造語であることを、まず指摘しておく。
 その上で松岡は、すべての信仰者に法体本尊の証得が可能≠ニ誣言している。そのすべての信仰者≠ニは、別しては創価学会員のことであろう。しかし、学会員が真に大聖人の仏法の信仰者≠ナあるなどとは、けっして言えないのである。
 まず、日寛上人は『当体義抄文段』に、
  「正直に方便を捨て但法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱ふる人」とは本門の題目なり。「煩悩・業・苦乃至即一心に顕はれ」とは、本尊を証得するなり。中に於て「三道即三徳」とは人の本尊を証得して、我が身全く蓮祖大聖人と顕わるるなり。「三観・三諦即一心に顕はれ」とは法の本尊を証得して、我が身全く本門戒壇の本尊と顕わるるなり。「其の人の所住の処」等とは戒壇を証得して、寂光当体の妙理を顕わすなり。当に知るべし、並びに題目の力用に由るなり。(御書文段六二八頁)
と示され、本宗の信仰者は、三大秘法の実践修行により、本尊・戒壇を証得すると仰せられているが、それは「題目の力用に由る」のであると明確に指摘されている。そして、その本尊・戒壇を証得すべき「題目」とは、言うまでもなく『文底秘沈抄』に、
  本門の題目には必ず信行を具す、所謂但本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うるを本門の題目と名づくるなり。(中略)信行具足して方に本門の題目と名づくるなり(六巻抄七〇頁)
と仰せられる信行具足の本門の題目である。即ち、本門の題目とは「本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うる」ことであり、その信ずべき「本門の本尊」とは、悪書も日寛の理論は、「本門の本尊」を中心に三大秘法の開合を論じ、その「本門の本尊」の正体を大石寺の戒壇本尊とするものである=i悪書一八頁・本書五八頁)と述べる如く、本門戒壇の大御本尊の御事なのである。その上で松岡が、信仰者≠ニ呼ぶ創価学会員の誹謗正法の実態を考えたとき、学会員が本門戒壇の大御本尊に帰依する信仰者≠ナあるなどとは、事実に照らして、断じて言えないではないか。
 現在の創価学会では、かつて会員が本門戒壇の大御本尊を恋慕していた気持ちを断念させようと躍起になっている。その例を挙げよう。まず池田大作は、平成五年五月三日の講演において、
  やっぱり曼荼羅はいつかなくなっちゃう。物体だから。久遠元初の法は永遠に残る(乃至)板漫荼羅にこだわっておられない。もっと深い大聖人の仏法の真髄だ。この普遍性、ね、すなわち久遠元初の法だ
などと発言し、戒壇の大御本尊を離れた「久遠元初の法」なるものが「もっと深い大聖人の仏法の真髄だ」などという、本門戒壇の大御本尊を物体視した大謗法の発言を行っている。
 しかるにこの池田大作の戒壇の大御本尊否定の言に反して、松岡は日蓮と同じ信仰に生きる現代の門下僧俗は、文永・建治・弘安年間に顕示された、すべての日蓮の本尊を戒壇本尊の意義に通ずる本尊として拝することができる。また歴代法主の本尊はすべて戒壇本尊の書写であり、戒壇本尊の「分身散体」としての意義を持つ≠ニ言っているが、では先の池田大作の大御本尊否定の発言をどのように言い訳するのか。答えてみよ。
 さらに、創価学会は勤行の観念文から「本門戒壇の大御本尊」の文言を削除し、かつて存したはずの会員の大御本尊への信心を徹底的に否定しているのである。
 この学会の体たらくを、「本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うる」などとは絶対に言えないのである。したがって、松岡の言う信仰者¢ヲち学会員が本尊証得≠キるなどということは、絵空事以外の何ものでもない。
 また、日蓮正宗僧俗が必ず信じ奉るべき本門戒壇の大御本尊は、法体相承として御歴代上人に相伝されるところである。先にも述べたが、『弁種脱体用味抄』には、総本山三十三世日元上人が、三十五世日穏上人に対して、法体の血脈相承について、
  大石寺一門流の題目は皆貴公の内証秘法の南無妙法蓮華経と御意得候へ(弁種脱体用味抄)
と、その意義甚大なることを御教示されていることが窺える。その意義からも、今日、血脈付法の日顕上人に背逆する池田創価学会の輩に一人として「本門の題目」を唱えうる者などおらず、まして「本尊証得」すなわち成仏など思いもよらないのである。
 だいいち、創価学会員が拝んでいる本尊たるや、血脈付法の御法主上人による御開眼もなく、池田大作らが大聖人の仏法を簒奪せんとするために作製した「ニセ本尊」ではないか。その「ニセ本尊」には池田大作の邪悪な魔心が込められているのであり、したがってその「ニセ本尊」を拝めば、地獄の当体を証得≠キるのである。
 これについては、日顕上人が『創価学会の偽造本尊義を破す』の中で詳細な破折を加えられているので、ここでは詳述は避けてその結論のみを挙げておく。
  一つには、血脈相伝の大義、下種三宝の御法魂に背き、仏意に反する。したがって、その形骸のみの本尊に仏意と三宝の法魂は全く存在しない。故に、三宝欠除の「ニセ本尊」である。
 二に、歴代各上人の御本尊のすべては、もぬけられて本尊の法魂は現法主の承るところにあり、その大義に背いて血脈上の本尊を勝手に作るのは、池田と創価学会の魔性が入っている故に、魔性・魔心の「ニセ本尊」である。
 三に、日寛上人も代々の血脈伝承によって本尊を書写せられているのです。その血脈上の本尊を邪まに掠め取るのは簒奪の所業であり、したがって無許可簒奪の「ニセ本尊」である。
 四に、その資格のない者が、勝手に血脈上の本尊を印刷、配布するは、つまり授与するのは血脈相伝の仏法上の道義に反します。すなわち、非道の「ニセ本尊」である。
 五に、無知の会員を誑かすため、形のみ似せた本尊を示すは、仏法の精神なく形骸のみであり、唯物形骸の「ニセ本尊」である。
 六に、日寛上人は本来、大行阿闍梨本證坊日證師に授与されたのであり、その授与書きを勝手に抹消し、変造しています。すなわち、ほしいままに本尊を変造する大逆であり、変造の「ニセ本尊」というべきである。
 七に、日寛上人の書写本尊を用いつつ、日寛上人の御意志、大行阿闍梨本證坊日證授与のお心、すなわち、日寛上人に背く、背逆の「ニセ本尊」である。
 八に、長い間、池田や創価学会で言ってきた宗門の法主への血脈尊敬と、近年まで現法主の書写本尊を信仰せしめてきた現実に矛盾する。これ、矛盾撞着・自語相違の「ニセ本尊」である。(一七〇頁)

 このように、正統血脈・下種三宝の意義に背く本尊は、魔性・魔心の「ニセ本尊」なのであり、松岡ら創価学会員が証得≠キるのは、創価学会作製の「ニセ本尊」の当体たる、池田大作の魔性・魔心である。
 次に悪書では、一般の門下僧俗が本尊を証得するには法主の介在が必要であるとも考えられる「三重の秘伝」を知らない「無智の俗男俗女」が自らの判断で「唯本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉る」ことは不可能であるから、三大秘法義を了解する法主や、その意を体した僧侶の信仰指導が必要となる≠ネどとの愚論を述べている。松岡はいったい「本尊証得」をどのように考えているのか。「本尊証得」とは信心による御本尊との境智冥合である。何回も言うが、御本尊は理論で証得するものではない。
 ここで悪書は『報恩抄文段』の文を引いているが、そもそもこの文は、
  問う、縦い当流と雖も、無智の俗男俗女は三重の秘伝を知らず。若し爾らば、恩を報ずること能わざるや。
 答う、無智の男女は唯本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉る、実にこの大恩を報ずるなり。(御書文段三八三頁)

との問答である。これは、たとえ「三重の秘伝」を知らない「無智の俗男俗女」であったとしても、「本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え」ることによって大恩を報ずることができることを仰せになったものである。日寛上人は、悪書の言うように「三重の秘伝」を知らない「無智の俗男俗女」が自らの判断で「唯本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉る」ことは不可能である≠ネどとは、どこにも仰せになっていない。松岡は日寛上人の文を引きながら、正反対の結論を導き出しているのであって、その言は、まったくのすり替え、切り文による欺瞞である。池田大作や松岡ら創価学会員が、理論的に多少法門をかじったとしても、結局は退転し、堕獄の道をひた走っていることが、その邪義を証明しているのである。
 また日寛上人は、教学の理解によって成仏が決まるなどとも仰っていない。たとえ教学的に理解がなくとも、「本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉る」ことが成仏の直道であると御教示されているではないか。松岡らのような有解無信、いや邪解邪信では、成仏は絶対に叶わないのである。
 また悪書では、信仰の対境となる曼荼羅本尊の書写やその是非の判定等に至っては、ひたすら金口相承の法主に頼るしかなかったと言えよう。すなわち大石寺門流では、すべての信仰者に本尊証得の道が開かれているとはいえ、実際には血脈付法の法主の介在が大前提となっていたのである≠ネどという戯論を述べている。御法主上人は、本門戒壇の大御本尊とともに唯授一人の血脈を相承され、仏法の一切を所持遊ばされるのである。故に御法主上人の権能は、信仰の対境となる曼荼羅本尊の書写やその是非の判定≠ノとどまるものではない。大御本尊の護持と御本尊に関する一切の権能が御法主上人に在すことは、七百年来不変の定めである。先にも述べたように、御法主上人の御内証に仏法の体が在すことを信じ、信仰に励むところに本宗の正しい信仰があるのである。
 さらに無智の俗男俗女≠ェ本尊証得≠キるためには法主の介在≠ェ必要だが、現代の在家の人々は、………法主の教導がなくとも、門流秘伝の三大秘法義に基づく本尊証得の修行のあり方を知り、自ら実践できる≠ネどというに至っては、驚くべき邪論といわざるを得ない。そんな暴言は、池田大作でさえ述べていない。池田はかつて、
  日蓮宗身延派にあっても、南無妙法蓮華経の題目を唱えている。御書もある。経文も、法華経の方便品、寿量品等を読経している。また、もと正宗の僧侶であった「正信会」も、御法主上人の認められた御本尊を拝しているし、読む経文も唱える題目も、われわれと同じである。外見から見ればわれわれと同じように見えるが、それらには唯授一人・法水写瓶の血脈がない。法水写瓶の血脈相承にのっとった信心でなければ、いかなる御本尊を持つも無益であり、功徳はないのである。(広布と人生を語る八二二八頁)
と発言している。すなわち法水写瓶の血脈相承にのっとった信心こそが、日蓮正宗の信仰の大前提なのである。
 松岡は、介在≠ネどという不遜な言葉を用いているが、御法主上人のお立場は、介在≠ネどという軽々なものではあられない。御法主上人は、住持の僧宝としては、末法万年に三宝を伝えられるお立場であることは当然である。しかしてその御内証には、大聖人から日興上人へ、日興上人から日目上人へと、大御本尊の法体が色も替わらず伝えられているのであり、御法主上人には、令法久住の根本として大御本尊の法体を末法万年にわたって承継遊ばされる尊い御使命があられるのである。
 なお松岡は三大秘法の本尊を世界に流布せん≠ニ言うが、御法主上人の御内証に相伝される尊極なる法体が信じられないが故に、創価学会は恐れげもなく「ニセ本尊」を作製できるのである。創価学会が世界に流布≠オているのは、三大秘法の御本尊ではなく、三悪道の「ニセ本尊」なのである。先に述べたように、血脈を否定し、総本山を誹謗する輩が、いくら南無妙法蓮華経と唱えても、そこに本尊を証得することなどは、金輪際あり得ないと断じておく。
 次に悪書では、帰命依止の対境たる曼荼羅本尊に関しても、法主の介在は実質的に不要化している。金口相承の三大秘法義を把握したうえで、日蓮と同じ信仰に生きる現代の門下僧俗は、……≠ニの傲言を述べている。この金口相承の三大秘法義を把握≠ネどの言は、まったくの欺瞞であり、「三大秘法義」と「金口相承」が同一という認識が誤りであることは、これまで散々破折したとおりである。真実の「三大秘法義」は、血脈相伝の仏法の上に伝えられている法義である。たとえ様々な文献を独りで読んだとしても、それだけで全てを正しく理解することはできない。日蓮宗各派しかり、創価学会などの異流義しかりである。そこに、日蓮正宗の御法主上人より「極理を師伝」していただき、正しく教わる必要があるのである。
 また、悪書では現代の門下僧俗は、文永・建治・弘安年間に顕示された、すべての日蓮の本尊を戒壇本尊の意義に通ずる本尊として拝することができる≠ニ言う。たしかに『観心本尊抄文段』には、文永・建治・弘安のそれぞれに御顕示の御本尊についての深義が示されている。しかし、日蓮正宗の法主の介在は実質的に不要≠ナあり、すべての御本尊が戒壇本尊の意義に通ずる≠ニするならば、たとえば身延等にある御真筆の御本尊を拝してもよいのか。そのようなことはない。御本尊に関する一切の権能を御所持遊ばされる御法主上人の允許された本尊のみを、戒壇の大御本尊に通ずる正境の御本尊として拝することができるのである。しかるに松岡らは、『百六箇抄』に、
  但し直授結要付嘱は唯一人なり。白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之を残さず、悉く付嘱せしめ畢んぬ。上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。(新編一七〇二頁)
とお示しの、大聖人のお心に背いている。大聖人のお心とは、この『百六箇抄』の金文に明らかなごとく、日興上人以来、代々の御法主上人への血脈の相伝にある。代々の御法主上人に対する師弟相対の信心のところに、はじめて血脈が流れるのである。血脈法水から離れた御本尊は、戒壇の大御本尊からの血脈も途絶えることを知らねばならない。
 さらに悪書では、現代の門下僧俗ならば、歴代書写の本尊のうちで誤った本尊を見極めることすらできるだろう。それを可能にしたのは、三大秘法義の理論的公開にともなう、本尊相承書の出版公開である≠ネどと言うが、これは一知半解の暴論である。歴代上人の御本尊に、誤った御本尊などはまったくない。
 松岡はことさらに日開上人の御事を取り上げて云々しているが、これについては次の日顕上人の御指南をよく拝すべきである。
  御歴代の中には時々、二十余年と御書写になっておる方もあります。これは書写の基本ではないが、大聖人の大曼荼羅御境界を拝された日興上人の御意を拝しつつ、そこを元として、その中に含まれた特別の境地を拝されたものであります。故に、二十余年と書写せられた少数の御本尊があり、また数人の御先師が時として、ごくわずかに二十余年と書写あそばされたことについて末輩が、相伝の何たるかも知らない者共が間違いだ≠ネどと言うこと自体がおこがましいことである、と言っておるのであります。あるいはまた、二十余年とも三十余年ともお書きにならず、「正像未弘の大曼荼羅也」という御本尊もあります。だから軽率に先師を批判することは十分に慎まなければならないと思います。(大日蓮 昭和五六年九月号四八頁)
次に、六十世日開上人のことに触れているが、歴代上人のなかには宗旨上の特別な拝仰の上から「二千二百二十余年」と書写された例があります。例えば、十七世の日精上人、十九世の日舜上人、四十一世の日文上人等の御本尊の一部に拝されますが、通常の書写はもちろん、「二千二百三十余年」と書くのが古来の通規になっております。私も登座以来、一幅も「二千二百二十余年」と書写申し上げたことはありません。すべて「三十余年」と御書写申し上げております。
 しかしながら、「二千二百二十余年」という御本尊だから拝んではいけないなどということはない。総本山塔中久成坊の本堂に昔から安置されている常住板御本尊には「二千二百二十余年」とお書きになってある。しかも、この裏書きに二十六世日寛上人の判形がある。これは、もう明らかに「二千二百二十余年」の先師の御本尊の模刻を日寛上人が允可されておるのです。
 要するに、相承を受けない者が、特に在家の者がこういうことを簡単に云々すべきではないということだけを、ひとこと言っておきます。(創価学会の偽造本尊義を破す一一九頁)
 このように、日開上人の御本尊御書写は、大聖人の大漫荼羅御境界に含まれる特別な境地を拝されてのことであられた。また、総本山久成坊の常住板御本尊には、讃文に「仏滅度後二千二百二十余年」とお認めである。この御本尊は日精上人が御書写なされた御本尊を、日寛上人が造立・開眼なされたものである。このことからも日寛上人は、「仏滅度後二千二百二十余年」とお認めの御本尊を、誤りなどとはされていないことが明らかである。したがって、松岡らが日開上人を誤りだと言うことが、そもそも誤りなのである。
 なお松岡は、日顕上人をことさらに攻撃したいから、このように言うのであろう。しかし日開上人は、日達上人が『日開上人第二十五回御忌記念』の序において、
  上人は資性篤実で謹厳至誠の方(日達上人全集一五七一九頁)
と仰せのように、たいへんに篤実至誠なお方であられた。であるから日開上人は、大衆の誤解を解き、宗内を穏やかに導かれるための御教導をなされたのである。それを、相承なき平僧たちが血脈付法の法主の本尊誤写を責め糾して謝罪させる、という異例の事態≠ネどと浮言するのは、宗門に厳然たる師弟の筋目があることをまったく省みない、愚癡の見解である。さらに、大衆が御本尊の讃文について日開上人にお伺いしたことをもって、本尊に関する権能を法主が独占できない時代の到来を示す、象徴的な事件≠ネどというのは、松岡が勝手に作り上げた戯論に過ぎないと呵すものである。
 さらにまた、われわれは、現代において法主による本尊書写の必要性が失われている、という点を決して見落としてはならない。大石寺門流の僧俗が寺院や家庭に安置している本尊は、通常は、戒壇本尊を書写した歴代法主の直筆本尊(常住本尊と呼ばれる)か、法主の直筆本尊を版木や写真印刷によって複写した本尊(形木本尊と呼ばれる)か、のどちらかである。このうち、複写の形木本尊は伝統的に仮本尊とみなされており、信心決定の後には、法主直筆で授与書きのある常住本尊に取り換えるのが慣わしとなっていた。しかしながら戦後、創価学会の大折伏により、累計で数百万体にも達する本尊下付が行われるようになると、すべての信心決定者に法主直筆の常住本尊を授与することは完全に不可能になった。そこで、漸く印刷の形木本尊を正本尊とする信仰形式への移行が進み、ついには六六世・日達の代に「特別御形木御本尊」の制定をみたのである。特別形木本尊とは、写真印刷の形木本尊でありながら、実際には法主直筆の常住本尊と同格に扱われる曼荼羅本尊のことを言い、普通の写真印刷の形木本尊よりも一層荘厳さの増したものである。江戸期から存在する版木の形木本尊は、版木を使ったことが一目でわかるほど質が劣り、仮本尊とみなされても仕方ないところがあった。しかるに現代の写真印刷の形木本尊は、印刷技術の飛躍的進歩によって直筆かと見紛うばかりの鮮明度を持ち、表装の美観も格段に増している。それゆえ現在では、通常の形木本尊でも充分に荘厳であり、特別形木本尊になると直筆の常住本尊と何ら変わらぬ威厳を保っていると言ってもよい。しかも現代における写真印刷の原本は半永久的に保存が可能であり、今後、新たな特別形木本尊の原本を法主に依頼する必要もない。すでに戦前、堀日亨は「化儀抄註解」で「宗運漸次に開けて・異族に海外に妙法の唱へ盛なるに至らば・曼荼羅授与の事豈法主御一人の手に成ることを得んや、或は本条の如き事実を再現するに至らんか・或は形木を以て之を補はんか」(要1113)と予測したが、その予測は百年を待たずして基本的に的中したのである。ここに、法主による本尊書写が不可欠とされた時代は終わりを告げたと言える。
 ここにおいて悪書では、現代において法主による本尊書写の必要性が失われている、という点を決して見落としてはならない≠ニして、これまで誰人も考えもしなかったような暴論を展開している。
 悪書ではまず、御形木御本尊の御下付のあり方について、複写の形木本尊は伝統的に仮本尊とみなされており、信心決定の後には、法主直筆で授与書きのある常住本尊に取り換えるのが慣わしとなっていた≠ニ述べている。この御形木御本尊について日亨上人は、『有師化儀抄註解』に、
  宗祖は濫に曼荼羅を授与し給はず・開山は曼荼羅転授に就いても之を鄭重になし給ひ、尊師は宗門未有の弘通者なれども自ら曼荼羅を書写せず、(中略)然るに本尊の事は斯の如く一定して・授与する人は金口相承の法主に限り授与せらるる人は信行不退の決定者に限るとせば・仮令不退の行者たりとも・本山を距ること遠きにある人は・交通不便戦乱絶えず山河梗塞の戦国時代には・何を以つて大曼荼羅を拝するの栄を得んや、故に古来形木の曼荼羅あり仮に之を安す、本山も亦影師の時之を用ひられしと聞く(富要一一一二頁)
と示されている。宗開両祖の時代には、御本尊の授与は「信行不退の決定者」に限られていたが、しだいに御形木御本尊の御下付がなされるようになった。これについて日顕上人は、
  その方法は、その時代その時代で、色々な状況において存するわけです。鎌倉、室町、戦国、江戸、明治以降も、その時代に応じて形木本尊等の化導の形が変化することは当然である。(中略)大切なのは、いかに方法等に変化があっても、一貫して総本山の血脈法主の指示乃至、許可によるところの本寺と末寺の関係が厳として存在したということであり、この中心の在り方には絶対に変化がない。また、その上からの御形木下附であります。(創価学会の偽造本尊義を破す三一頁)
と示されている。このように御形木御本尊の御下付は、時代によっても変化するものであるが、その根本には、「総本山の血脈法主の指示乃至、許可」が厳として存することを知らねばならない。
 また悪書では、戦後、創価学会の大折伏により、累計で数百万体にも達する本尊下付が行われるようになると、すべての信心決定者に法主直筆の常住本尊を授与することは完全に不可能になった≠ニ述べている。しかし、功労のある信徒の願い出に対しては常住御本尊を授与されるのであり、御法主上人による常住御本尊の御書写がなくなることはけっしてないのである。
 なお悪書の創価学会の大折伏∞累計で数百万体にも達する本尊下付≠ニの記述であるが、日顕上人が、
  学会の折伏でいったん入信しながら退転し、大聖人様に誓ったはずの正法受持を無慚に破り捨てた者どもがいかに多いことか、勘定したことがあるのでしょうか。現員数の何層倍もの者が、完全な邪教の徒、無信の徒となっていることは、広布、広布と威張っても、実態は正しく救えなかったことを、学会が自ら証明しているではありませんか。少しは責任を考えたことがあるのでしょうか。(同三三頁)
と仰せのように、当時の創価学会の折伏により御本尊御下付を受けた会員への学会の指導には、大きな問題があったことを知るべきである。また数百万の学会員が、池田大作もろとも退転してしまったことが、創価学会の御本尊に対する信心が決定していなかった何よりの証拠である。
 次に悪書では、現代の写真印刷の形木本尊は、印刷技術の飛躍的進歩によって直筆かと見紛うばかりの鮮明度を持ち、表装の美観も格段に増している。それゆえ現在では、通常の形木本尊でも充分に荘厳であり、特別形木本尊になると直筆の常住本尊と何ら変わらぬ威厳を保っていると言ってもよい≠ニの愚論を述べているが、これも松岡の悩乱の産物である。松岡は、直筆の常住本尊と何ら変わらぬ威厳を保っている≠ネどと言うが、これは御本尊について、与えて言えば外見という観点でしか見ることのできない発想であり、奪って言えば御本尊をモノとしか見ることのできない池田大作とまったく同様の発想である。
 また松岡は、写真印刷≠ニ何遍も言うが、いかに印刷技術を褒め称え、精巧に複製し、豪華絢爛に表装しても、ニセ物はニセ物である。御本尊に関する一切の権能は御法主上人に存するのであって、個人または団体が勝手に写真に撮り複製したものが本物の御本尊ではないことは当たり前である。御形木御本尊といっても、御法主上人の御印可なくして勝手に作ったものに功徳は存在しない。故に、創価学会が作製する本尊は、いかに美観荘厳威厳≠ネどと美辞麗句をもって讃えようと、所詮は血脈付法の御法主上人に背いた「ニセ本尊」なのである。
 さらに悪書では、しかも現代における写真印刷の原本は半永久的に保存が可能であり、今後、新たな特別形木本尊の原本を法主に依頼する必要もない≠ニ述べている。この言も狂論そのものである。特別御形木御本尊を、見た目の威厳≠ニいう点から常住御本尊と変わらないとし、さらに現代における写真印刷の原本は半永久的に保存が可能今後、新たな特別形木本尊の原本を法主に依頼する必要もない≠ネどと言うのは、これも、御本尊を単なるモノとしか見ない発想によるものである。これらの言には、日蓮正宗の御法主上人による常住御本尊の御書写を不要なものとし、創価学会による「ニセ特別形木本尊」を正当化しようとする魂胆があることは明らかであり、まさに血脈相伝の仏法を破壊せんとする大謗法の謀略と指摘する。要するに権能のない者が勝手に偽造するものは、あくまで「ニセ本尊」なのである。
 ここで悪書は、日亨上人の、「宗運漸次に開けて・異族に海外に妙法の唱へ盛なるに至らば・曼荼羅授与の事豈法主御一人の手に成ることを得んや、或は本条の如き事実を再現するに至らんか・或は形木を以て之を補はんか」という『有師化儀抄註解』の文を引いて、その予測は百年を待たずして基本的に的中した≠ニ主張している。しかし、これについては、次に挙げる日顕上人の『創価学会の偽造本尊義を破す』の御指南をよく読むべきである。
  さて、この文は、特に御本尊書写における法主一人の身に対する配慮であり、その時間的、物理的な分量の限界を心配されているのです。
 多忙を極める法主の日常では、多くの御本尊書写は容易ではないので、広布が進み、信徒が増加したときを考察された結果、次に続く二文の案を擬推されただけであります。(中略)故に、続いて「本条の如き事実」すなわち、判形なく書写を許す方式と、形木による弘通の方式を述べておられるに過ぎません。そして、その後、宗門は具体的事実として、まさしく形木方式で広く御本尊流布を行っているのであり、その一方で、可能な範囲で法主の書写による御本尊下附をも行っているのです。
 また、この日亨上人の文は、過去の例より未来を推し量って、自らの意見をもってあてがわれている所である。つまり、ここに示される「至らんか」とか「補はんか」等は疑問を示す語で、自ら決せざる言葉なのであり、けっして決定した意見ではない。また、仮りにそういうことが行われる時が来たにせよ、金口血脈の法主の許可を得ないで、勝手にやってよいなどということは、このなかのどこにも言われておりません。
 前文の、
  「大権は唯授一人金口相承の法主に在り」
  「曼荼羅書写本尊授与の事は・宗門第一尊厳の化儀なり」
と言われているお言葉からも、資格のない在家団体が行うべからざる趣意が明らかであります。(四四頁)

 このように、松岡は日亨上人の御真意をゆがめ、自らに都合の良い論を述べているに過ぎない。日亨上人は、勝手に写真を撮って形木にしてよい、などとは一言も言われていない。
 また日應上人は『弁惑観心抄』に、
  此の法体相承を受くるに付き尚唯授一人金口嫡々相承なるものあり此の金口嫡々相承を受けざれば決して本尊の書写をなすこと能はず(二一二頁)
と示されている。創価学会の作製する本尊は、御法主上人の許可なく作り、また開眼されていないものであり、まさに「ニセ本尊」である。
 さらに御本尊の御開眼に関して、日因上人は、
  木絵の二像は本と草木にて有り、然るを生身の妙覚の仏と開眼したもふ事は大事至極の秘曲なり、日蓮聖人乃至日因に至る迄三十一代累も乱れず相伝是れなり(御消息)
と仰せになり、日應上人は『法之道』に、
  金口血脈には宗祖己心の秘妙を垂示し一切衆生成仏を所期する本尊の活眼たる極意の相伝あり(研教二七─七四頁)
と示されている。また日顕上人は、
  総本山においては、歴代上人より現住・日顕に至るまで、こと御本尊に関する一切はことごとく、かたじけなくも諸仏成道の刻みである丑寅の勤行において、下種本因の四妙たる妙境・妙智・妙行・妙位の正義をもって、事の一念三千の御本尊に対し奉り、開眼草木成仏の深意により、妙境妙智一体不二の御祈念を申し上げておるのであります。この行事は、書写本尊、形木本尊その他、一切を含めていささかの例外もありません。(創価学会の偽造本尊義を破す五九頁)
と御指南されている。血脈相承をお承けになられた御法主上人によって御開眼されることにより、御本尊には甚深の功徳が具わり給うのである。日蓮正宗の御法主上人による御開眼のない本尊は、単なる写真印刷のニセ物である。御開眼を不要とする邪義は、まさしく大謗法であり、その恐ろしさは計り知れない。
 松岡は、ここまでに御本尊書写についての迷見を述べて、御法主上人による御本尊の御書写が不要であると主張したが、ここで御法主上人による御本尊の御書写についての戸田城聖氏と池田大作のかつての指導を紹介しよう。戸田城聖氏は、
  ただ、大御本尊だけは、われわれは作るわけにはゆかない。日蓮大聖人様のお悟り、唯授一人、代々の法主猊下以外にはどうしようもない。だから、仏立宗や身延のヤツラが書いた本尊なんていうものはね、ぜんぜん力がない。ニセですから。力がぜんぜんない。むしろ、魔性が入っている。魔性の力が入っている。だからコワイ。紙や木が仏にならんというのならば、御本尊様に力がないことになります。(大白蓮華 昭和三四年七月号九頁)
と述べ、また池田大作は、
  日蓮正宗総本山大石寺におわします本門戒壇の大御本尊が、いっさいの根本である。我々の拝受したてまつる御本尊は、血脈付法の代々の御法主上人のみが、分身散体の法理からおしたためくださるのである。(広布と人生を語る一一一二頁)
日蓮正宗の根幹をなすものは血脈である。大御本尊を根本とし、代々の御法主上人が、唯授一人でこれを受け継ぎ、令法久住をされてこられた。御本尊を御認めあそばすのは、御法主上人御一人であられる。(中略)いくら広宣流布といっても、御本尊の御認めがなければできない。われわれは、あくまでも総本山根本、御法主上人厳護の信心で進んでまいりたい。(広布と人生を語る三二五六頁)
と述べている。さらに池田大作が監修した『折伏教典』には、
  また信仰の対象としていっさいをささげて南無したてまつる御本尊であるから、総本山においてはご相伝により、代々の御法主猊下おひとりが、おしたためあそばされるものであり、われら信者がうんぬんすべきことではないのである。三大秘法抄、観心本尊抄等の御文に照らして拝察するならば、勝手な御本尊を拝むことが大きな誤りであることが、はっきりわかるのである。これは不相伝なるがゆえに仏法の深義に迷うのであって、不相伝家はみな本尊に迷うということができる。(改訂10版・三一五頁)
と記されている。このように、戸田城聖氏や日蓮正宗の信徒であった当時の池田大作は、唯授一人血脈付法の御法主上人が御本尊をお認めくださることを当然とした指導をしていた。勝手に御本尊を作るどころか、御本尊について「うんぬん」することさえ厳しく戒めていた。現在の創価学会は、戸田氏の指導、またかつての池田大作の言にそむき、「われわれは作るわけにはゆかない」御本尊を、勝手に作っているのである。創価学会の作った「ニセ本尊」が「仏立宗や身延」の本尊と変わらない魔性本尊であることは、これらの戸田氏や池田大作のかつての発言を見れば、当然の道理であることが知られるのである。
 また常住御本尊について、戸田氏は「入仏式について」との巻頭言において、
  朝夕の勤行怠りなく、大聖人の御しきたりにならって、折伏の行たゆまなければ、小罰を得ては大利益を得、信仰と生活がピッタリと一致して、常住御本尊様をいただきたくなる。ここにおいて、法主上人よりご印可を得て、常住御本尊様のおさげ渡しを願い、永劫の信心を決意する。御形木様すら、利益は広大無辺であるのに、究竟中の極説たる、弘安二年の戒壇の大御本尊様が分身散体して、自分の家にお出ましくださるのである。ありがたしといわんか、もったいなしといわんか、いまさらながら日寛上人様のおことばが思い出される。(戸田城聖全集一七一頁)
と述べ、また池田大作は昭和四十二年発刊の『指導集』において、
  常住御本尊は、代々のご法主上人に認めていただいた御本尊です。日蓮大聖人以来、血脈付法を受けられた代々のご法主猊下より御本尊を賜わることは、日蓮大聖人より、じきじきに賜わった御本尊と同じである。大事にお護りしなければならない。御本尊に対する信謗によって、利益も罰も厳然と明確に現われてきます。(五頁)
と述べている。このように、かつての創価学会では、常住御本尊を御下付賜ることの意義の尊さをきちんと認識していたのであり、御歴代上人の御本尊といえども、勝手にコピーすることなど、考えもしていなかったのである。すなわち当時の創価学会は、御本尊の尊さを正しくわきまえていたといえよう。
 何よりも創価学会は、学会本部をはじめとする各地の会館に安置の常住御本尊を八百体以上も御下付いただき、また日顕上人の代だけでも、大幹部らには常住御本尊を千三百体以上、さらに多くの学会幹部には特別御形木御本尊を十五万体以上も御下付いただいたのである。このように、日蓮正宗の信徒団体であった当時の創価学会は、種々の問題はあったにせよ、常住御本尊・特別御形木御本尊を御法主上人に願い、御下付賜っていたではないか。
 創価学会は、いったいこれらの御本尊様をどう扱ったのだ。謗法、不信心の創価学会にふさわしく、これらの尊い生身の大聖人と拝すべき御本尊を、ドラム缶で焼いたという情報がある。このことは、三年前にも『新興宗教「創価学会」と離脱僧らの再度の邪難を摧破す』において指摘したが、いまだに何の返答もない。もし事実とすれば、無慙極まりない、堕地獄の極大謗法である。松岡よ、おのれに良心の一片でもあるなら、その事実を調査して早急に返答せよ、と申し渡しておく。 
 さらに悪書では、ここに、法主による本尊書写が不可欠とされた時代は終わりを告げたと言える≠ネどと述べている。しかしこの結論は、まったくの見当違いである。これまで述べたように、御法主上人による常住御本尊・御形木御本尊の御書写の必要がなくなることは絶対にない。創価学会の破門以前には、そのような愚論を述べる者は、もとより皆無であった。かかる狂論は、最近までの創価学会の御本尊に対する姿勢をまったく否定し、かつ大きく矛盾するものなのである。
 それはまた、曼荼羅本尊の体相や筆法について教義的に理解できる法主の必要性が完全に消失したことをも意味していよう。もとより曼荼羅本尊の体相は、その教義解説の有無に関わらず、万人の眼に映じている。あえて言えば、本尊書写の際に宗開両祖や先師の本尊の体相を模写し、門流僧俗はその模写本尊を宗門独自の三大秘法観に基づきつつ信仰する、というあり方でも信仰上は十分に事足りるのである。そこに加えて、現代では本尊書写それ自体が実質的に不要化し、唯授一人の本尊相承書とされてきた「御本尊七箇相承」等も出版公開されている。ゆえに今日、曼荼羅本尊の体相や筆法に関する教義を唯授一人で相承することの信仰上の意義は完全に消失した、と言わざるを得ないのである。
 この悪書の論は、御本尊を、単に理論・体相・筆法等のみから皮相的に判断する浅識謗法であるのみならず、日蓮正宗の正しい御本尊義に背く、破仏法・三宝破壊の究極の邪義といわねばならない。
 ここで松岡は、曼荼羅本尊の体相や筆法について教義的に理解できる法主の必要性が完全に消失した≠ニの言を弄しているが、これはまったくの妄論である。なぜならば御本尊は、前にも述べた如く教義的理解≠ノよって認められるのではない。御法主上人は、あくまで法体の血脈相承によって御本尊の御内証を相伝されておられるのであり、そのうえから御本尊を御書写なさるのである。教義的に理解できる法主の必要性が完全に消失した≠ネどと言うのは、御法主上人による御本尊御書写の甚深の意義を否定せんとする悪質な邪義である。
 また悪書では、もとより曼荼羅本尊の体相は、その教義解説の有無に関わらず、万人の眼に映じている≠ニ述べている。御本尊を、単なる文字として見るならば、たしかに万人の眼に映じて≠「よう。たとえ「ニセ本尊」であっても、見るだけなら曼荼羅本尊の体相≠ヘ同じように見える。しかし、御本尊は単なる文字ではなく、その御内証は「日蓮が魂を墨に染め流して」と御指南の如く、仏様の御当体である。ただ単に映じて≠「ればよいのではなく、日蓮正宗の御法主上人により、御書写御開眼された御本尊には、日蓮大聖人の御法魂が在すことこそ根本として大切であり、またそこに信を置くことが成仏の要諦なのである。
 さらに悪書では、あえて言えば、本尊書写の際に宗開両祖や先師の本尊の体相を模写し≠ニ述べるが、この体相を模写≠ニは、いったい誰が模写≠キるのだ。御本尊とは、単に姿形が本尊に見えればよい、というものではない。
 御本尊の御書写について、日應上人は『本門戒壇本尊縁由』に、
  当宗に於て授与する処の御本尊は、一切衆生に下し置れたる此の御本尊の御内証を、代々の貫主職一器の水を一器に写すが如く直授相伝の旨を以て之を写し奉り授与せしむる(日應上人全集一九頁)
と示されている。故に御本尊は、血脈相伝の御法主上人によって御書写していただいて、はじめて功徳がある。御歴代上人による御本尊御書写を指して、単なる模写≠ニ言うことは、御本尊御書写の本来の意義を否定し、貶める大謗法の悪言である。
 もし仮に、御法主上人でない者が御本尊を写すことを模写≠ニしているのなら、それはこの上ない、恐るべき邪見である。日達上人は、
  和歌山県のある地方では「御本尊さえあればよいんだ。血脈なんかいらないんだ」と言って一生懸命に説明して歩いている人がいるそうです。これはどういう考えでしょう。「御本尊さえ」という御本尊様は誰が認めるんです。当宗では、血脈なくして御本尊様を書写し奉ることはできない。もし血脈など要らないというのならば身延の人が書いた本尊でもよい、誰が書いてもよいではないか。 思い起せば、小樽問答の時に身延のある僧侶が「御本尊なんか誰が書いたっていいんだ」と平然として口走っておった。私はびっくりしました。この人は何ということを言うのだと。それでは、東本願寺や西本願寺の管長に御本尊を書いてもらって、ありがたく拝めるのか。御本尊とはそんなものではないです。
 日蓮正宗は、血脈によって御本尊様を書写し奉る。ただ唯授一人において書写し奉るのである。(日達上人全集二七一六五頁)

と御指南されている。御本尊は、誰が写してもよい、というものではない。勝手に模写したり複製したりなどは、できないのである。
 日亨上人は、『有師化儀抄註解』において、
  曼荼羅書写本尊授与の事は・宗門第一尊厳の化儀なり(富要一一一二頁)
と仰せになり、さらに日顕上人はこの文について、
  ここに、書写と授与と、共に「宗門第一尊厳の化儀」とされている文をしっかりと拝さなければいけない。これは創価学会のような勝手な本尊授与を「不可」として誡められている文であります。(創価学会の偽造本尊義を破す四三頁)
と述べられている。このように、御本尊の書写と授与は御法主上人の大権であって「宗門第一尊厳の化儀」である。書写でなく模写だから誰がしてもよい、というのであれば、誰でもが好き勝手に御本尊を複写してよい、ということになってしまう。一般の創価学会員が、松岡と同じ理屈によって、自分勝手に御本尊を模写することを正当化したら、松岡や創価学会首脳は何と言うのか、聞きたいものである。松岡の論は、根本的に破綻しているのである。
 さらに門流僧俗はその模写本尊を宗門独自の三大秘法観に基づきつつ信仰する、というあり方でも信仰上は十分に事足りるのである≠ニ言うが、これはまさに、悩乱の極みである。宗門独自の三大秘法観≠ネどと言うが、これまで述べたごとく、御本尊はそのような教義的な理解によって信仰するものではない。御本尊は代々の御法主上人が本門戒壇の大御本尊の御内証を拝し、御書写されているのであり、その御本尊を、人法一箇の御当体と拝して信仰するのである。松岡が宗門独自の三大秘法観≠ノ基づけば、信仰上は十分に事足りる≠ネどと言うことは、信仰の根本である御本尊への信心を無視した、我見の創価邪法観であると断ずるものである。
 次に悪書では、現代では本尊書写それ自体が実質的に不要化し≠スと言う。しかし、末法広宣流布の上においては、ただ御形木御本尊のみが存すればよい、などということはないのである。『法華取要抄文段』に、
  広宣流布の時至れば、一閻浮提の山寺等、皆嫡々書写の本尊を安置す。(御書文段五四三頁)
と示されるように、広宣流布進展のうえにおいては、全世界の寺院に御安置する常住御本尊を時の御法主上人に御書写いただくことは当然であり、またその時代時代の強信な方に常住御本尊を授与されることは、代々の御法主上人の尊い化儀にましますのである。何度も言うが、御本尊は、単なる文字でも教義でもなく、仏様の御法魂である。故に御内証にその御法魂を所持遊ばされる御法主上人によって御本尊を御書写していただくのであり、その末法万年に亘る尊い意義が不要化≠キることなどはあり得ないのである。
 また悪書では唯授一人の本尊相承書とされてきた『御本尊七箇相承』等も出版公開されている≠ニ言うが、これも前項にも述べたように、これらの文献はそもそも金口嫡々唯授一人の相承ではない。文献として出版公開されたものと、公開すべからざる奧義の相伝とは、そこに確たる立て分けが存するのである。その奥義の御相伝が厳然と存在することは明らかなのであり、『本因妙抄』の、
  此の血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の稟承唯授一人の血脈なり。相構へ相構へ、秘すべし伝ふべし。(新編一六八四頁)
との御指南にも、仏法伝持の重大な意義が拝せられるのである。
 さらに悪書では、今日、曼荼羅本尊の体相や筆法に関する教義を唯授一人で相承することの信仰上の意義は完全に消失した≠ニ言う。しかし、御本尊の体相≠ヘあくまで御内証の法体が色法として顕れたものであり、筆法≠ヘその色法を顕すための手法である。その根本は、唯授一人の血脈相承によって御法主上人の御内証に具えられる御本尊の法体であり、その御内証によって御本尊を御書写遊ばされるのである。松岡の言は、日蓮大聖人の末法万年にわたる血脈相伝の仏法の根本を否定せんとする大謗法である。
 このように、御本尊に関する御法主上人のお役目は、未来永劫にわたって、血脈相承により法灯を継承遊ばされることにあり、完全に消失≠ネどということは、絶対にないのである。
 以上のごとく、現代の門下僧俗は法主の教導によらずとも、自ら正境たる三大秘法の本尊を見定め、久遠名字の妙法を唱えて直達正観の本尊証得を果たし、直筆本尊と同等の形木本尊を授与し流布しゆくことができる。換言すれば、民衆の本尊証得における法主の介在が不要化した段階が現代であり、唯授一人相承がその役目を終えた時期として、後世の人々に認識されていくであろう。
 これがこの項の結論である。松岡は、現代の門下僧俗は法主の教導によらずとも≠ニ御法主上人による教導を否定しているが、大聖人は『四恩抄』に、
  僧の恩をいはゞ、仏宝・法宝は必ず僧によて住す。譬へば薪なければ火無く、大地無ければ草木生ずべからず。仏法有りといへども僧有りて習ひ伝へずんば、正法・像法二千年過ぎて末法へも伝はるべからず。(新編二六八頁)
と、仏の恩、法の恩とともに、僧の恩を報ずべきことを教えられている。仏法伝持の主体者は、未来永劫、末法万年にわたって、代々の御法主上人であられる。これを『百六箇抄』に、
  但し直授結要付嘱は唯一人なり。白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之を残さず、悉く付嘱せしめ畢んぬ。上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。(新編一七〇二頁)
と示され、さらに『御本尊七箇之相承』に、
  代代の聖人悉く日蓮なりと申す意なり。(聖典三七九頁)
と示されるように、代々の御法主上人の御内証に、大聖人の御法魂たる究竟の法体が在すのである。
 しかるに悪書の法主の教導によらずとも≠ネどの言は、僧宝否定に止まらず、三宝一体の意義の上からは、仏宝・法宝をも否定するものであり、まさしく下種三宝破壊の大謗法である。
 また正境たる三大秘法の本尊≠フ究竟は本門戒壇の大御本尊に他ならないが、大御本尊への参詣を否定し、狂った本尊観を持つ松岡のような者が三大秘法の本尊を見定め≠驍アとも直達正観の本尊証得を果た≠キこともできない。そしてまた直筆本尊と同等の形木本尊を授与し流布≠ネどと言うのは、創価学会が勝手に作製した「ニセ本尊」を正当化する誑言に過ぎないのである。
 ここで悪書は、民衆の本尊証得における法主の介在が不要化した段階が現代∞唯授一人相承がその役目を終えた時期≠ニ誑言する。松岡は現代≠ニか時期≠ネどと曖昧な表現をするが、法主の介在が不要化した唯授一人相承がその役目を終えた≠フは、いったい何時からのことを言うのか。ことは七百年の大義に関わることである。その時期と理由を明確かつ具体的に答えるべきである。
 ここで松岡は本尊証得≠ニ言うが、御本尊を証得する根幹は、本門戒壇の大御本尊と血脈法水への信仰であり、いついかなる時代になろうとも、唯授一人血脈相承が不要になる時代など到来しないことは、すでに明らかにしたところである。
 また『日興跡条々事』に、
  日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし。(新編一八八三頁)
と示されるように、本門戒壇の大御本尊は代々の御法主上人に相伝されるところであり、御法主上人を通して大御本尊を拝することが本宗の信仰の筋道である。したがって、御法主上人を否定することは、大聖人の定められた方軌を否定することになるのである。
 松岡よ、あれこれ文献をあさって狂論を立てるより、『有師化儀抄註解』の、
  無法無慙の甚しきもの八大地獄は彼等の為に門を開けり・慎まざるベけんや(富要一一一二頁)
とのお示しを心肝に染めよ。松岡こそまさに、「無法無慙の甚しきもの」である。



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