八、僧宝論への影響≠破す

 われわれはさらに、金口相承の三大秘法義の理論的公開が、大石寺門流が伝統的に定めてきた仏・法・僧の三宝の中の僧宝の解釈に影響を及ぼすことも指摘しておかねばならない。
 大石寺門流の三宝論は日寛が確立したもので、「当流行事抄」に「久遠元初の三宝」として論じられ、「久遠元初の仏宝」は「蓮祖大聖人」、「久遠元初の法宝」は「本門の大本尊」、「久遠元初の僧宝」は「開山上人」、と規定される。そしてこの久遠元初の三宝は、末法今日に出現して衆生を利益する。すなわち日寛は、法華経本門の説相から導かれる「在世の三宝」と区別すべき「末法出現の三宝」「末法下種の三宝」として、久遠元初自受用身即日蓮(仏宝)・戒壇本尊(法宝)・血脈付法の二祖・日興(僧宝)の三を立てる。
 まず、悪書では大石寺門流の三宝論は日寛が確立したもの≠ネどと述べているが、本宗の三宝義は教義信仰の根本として、大聖人日興上人以来伝えられてきたものであり、日寛上人はさらにそれを時機に応じて文言に顕されたのである。しかるに、この僧宝論への影響≠フ項では、日蓮正宗における三宝義に、あたかも時代による変遷があったかの如くに誣言している。そして、『六巻抄』等の法門書が公開され、また日亨上人が『富士宗学要集』等において宗門古来からの口伝法門書を公開された現代にあっては、学会こそ実質的な僧宝であると主張するのである。
 この妄言こそ、創価学会に微塵の正義も存在しないことを象徴している。なぜなら、池田大作がかつてどのように会員に指導していたか、刮目してみるがよい。
  「僧宝」とは、今日においては日興上人より唯授一人の法脈を受けられた御法主上人猊下であられる。(聖教新聞 昭和五三年二月二六日付)
ご存じのとおり、私どもは日蓮大聖人の仏法を奉ずる信徒である。その大聖人の仏法は、第二祖日興上人、第三祖日目上人、第四世日道上人、および御歴代上人、そして現在は第六十七世御法主であられる日顕上人猊下まで、法灯連綿と血脈相承されている。ゆえに日顕上人猊下の御指南を仰ぐべきなのである。この一貫した仏法の正しき流れを、いささかなりともたがえてはならない。(広布と人生を語る三二四九頁)
池田大作のこれに類する言はこの他にも枚挙に暇がない。すなわち創価学会員が永遠の指導者≠ネどと諂う池田大作は、住持の僧宝たる御法主上人の御指南を根本として信心することが、日蓮大聖人の仏法であると指導していたのである。
 また、かつて創価学会は、『6・30 教学上の基本問題について』において、
  一、「僧宝」とは正宗においては第二祖日興上人のことであり、また会長も発言しているごとく、唯授一人の血脈をうけられた御法主上人猊下であらせられる。したがって、この正宗教義の根本となる僧宝と、信心実践面での和合僧ということについては、絶対に混同するようなことがあってはならない。(聖教新聞 昭和五三年六月三〇日付)
と『聖教新聞』および『大白蓮華』に発表し、会長(池田大作)の発言をもって、御法主上人が僧宝にましますことを確認し、反省していたではないか。
 これらの発言を弊履の如く捨て去る池田大作こそ、途方もない「二枚舌の指導者」であることを如実に証明している。この「二枚舌の指導者」のお先棒を担ぐ松岡のような堕落僧が、七百五十年の伝統を有する日蓮正宗の三宝義を云々するなど、身の程を弁えぬ誑言であると呵しておく。
 また日寛は、末法下種の三宝のうち僧宝に関して、その意義のうえから対象範囲を日興以外にも拡大できることを示唆している。「当家三衣抄」では「南無仏・南無法・南無僧とは」と記された後、門流の三宝が説明され、僧宝について「南無本門弘通の大導師・末法万年の総貫首・開山・付法・南無日興上人師、南無一閻浮提座主・伝法・日目上人師、嫡々付法歴代の諸師」と記されている(要3238)。ここでは、「伝法」「嫡々付法」という僧宝の意義を持った存在として、日目をはじめとする歴代法主が挙げられている。さらに「三宝抄」には「吾が日興上人、嫡々写瓶の御弟子なる事分明也。故に末法下種の僧宝と仰ぐ也。爾来、日目・日道代々咸く是れ僧宝也、及び門流の大衆亦爾也云云」(歴全4390)と記され、末法下種の僧宝として日興以外に「日目・日道代々」の歴代法主、そして「門流の大衆」=門流の僧侶全般までが列記されている。
 つまり、大石寺門流における末法下種の僧宝は、日蓮から三大秘法の相承を受けた日興をもって随一とするが、それ以降を考えると、歴代法主や門流の僧侶たちも僧宝の一分を担うものとされるのである。日寛の僧宝論に通底しているのは、僧宝たる資格が「開山」「座主」「歴代」等の立場ではなくして「付法」「伝法」「嫡々付法」の功績によって与えられる、とする論理である。このことは、「当流行事抄」に日興の僧宝たるゆえんとして「開山上人の結要伝受の功」(要3214)が挙げられ、「三宝抄」では「付嘱伝授は即ち是れ僧宝也」(歴全4365)「金口相承は即ち是れ僧宝也」(歴全4372)と強調されるところからも明白である。
 その点を踏まえて言えば、金口相承の三大秘法義が六巻抄等の出版によって広く理論的に公開され、日寛の時代には唯授一人の秘書とされた「御本尊七箇相承」等も出版公開され、しかも曼荼羅本尊の体相や筆法について理解する法主の信仰上の意義が消失した現代において、伝法の担い手は法主や門流の僧侶にとどまらず、在家の信仰者にまで及ぶと考えなければならない。「三宝抄」において僧宝の中に在家者が加えられなかった理由は、前述のごとく、日寛の頃の一般的在家者が「三重秘伝」に触れる機会のない「無知の俗男俗女」だったからである。日寛の時代の在家像によって、三重秘伝の義理に精通した現代の多くの在家者の存在価値を推し量ろうとするのは甚だしい時代錯誤となろう。五六世・日応は、唯授一人の金口相承に関して「優婆塞・優婆夷(在家の男女のこと=筆者注)に付するも何の妨げか之れあらん」(研教27514)とも述べている。元々、大石寺門流における金口相承の担い手は在家・出家にわたる可能性があるのだから、現在の状況を鑑みて在家者に伝法者たる意義を認めるのは当然である。
 ここで悪書は日寛の僧宝論に通底しているのは、僧宝たる資格が「開山」「座主」「歴代」等の立場ではなくして「付法」「伝法」「嫡々付法」の功績によって与えられる、とする論理である≠ネどと柄の無い所に柄をすげるが如き珍妙な論理を展開している。
 そもそも僧宝を立場≠ニ功績≠ノ分けて論ずることなど出来ようはずはない。日興上人以下、御歴代上人は大聖人の血脈を御所持される「立場」より、「付法」「伝法」「嫡々付法」の功績≠ェ自ずと具わるのであり、唯授一人血脈相承を離れて、「付法」「伝法」「嫡々付法」の功績≠ェ存在するのではない。大聖人は日興上人への御付嘱状二通に、
  日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。(日蓮一期弘法付嘱書・新編一六七五頁)
釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。身延山久遠寺の別当たるべきなり。背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり。(身延山付嘱書・同頁)
と、それぞれ「大導師」たるお立場と、「背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり」と、大聖人滅後は僧俗ともに日興上人の御指南に添い奉るべしという、大聖人正統の後継者たる地位を付嘱されているのである。この厳正な御付嘱には、功績の如何によって僧宝か否かが決せられるといった、ふざけた議論を差し挟む余地は毛頭ない。
 また、『諸法実相抄』に、
  天台・妙楽・伝教等は心には知り給へども言に出だし給ふまではなし、胸の中にしてくらし給へり。其れも道理なり、付嘱なきが故に、時のいまだいたらざる故に、仏の久遠の弟子にあらざる故に(新編六六四頁)
と仰せある如く、天台・妙楽・伝教が本因名字の妙法を知りながら説き顕さなかった所以は、付嘱の有無等、立場の違いによるのであると明確に御指南されている。即ち法門を単に知るということと、実際に法門の体現者として法を所持し弘宣するということは、意義において大きな異なりが存するのである。仏法の伝持弘教は付嘱によることを知れ。
 よって日寛上人は『三宝抄』に、
  所謂僧宝とは日興上人を首と為す、是れ則ち秘法伝授の御弟子なる故なり。一大事の秘法に於ては尚自余の五人に授与せず何に況や其の已下をや。唯日興一人に譲り玉ふ故に唯授一人の相承と名づく。譬へば本化の如し(中略)世の一子相伝の如し(歴全四三八五頁)
と御指南されている。つまり大聖人が付弟日興上人一人を選んで唯授一人の秘法を血脈相承遊ばされた意義は、末法万年に大聖人の仏法を令法久住せしめるため、御本仏大聖人自らが定められた絶対の方軌であり、唯授二人、唯授三人などではない。まして大衆などということは、絶対にあり得ない道理なのである。
 創価学会のみならず現代の異流義たる顕正会・正信会も『六巻抄』や『富士宗学要集』に掲載されている相伝書等をそれぞれ邪信邪解によって悪用している。しかし創価学会や、正信会、顕正会の魑魅魍魎がいくら異流邪義を正当化するために、『六巻抄』等をもとに我田引水の論理を組み立てても、邪義は邪義なのである。まさに糞をもって仏像を作るが如きである。そのことは松岡らが永遠の指導者≠ニ諂う池田大作が、自らの都合で三宝義を変節させる「二枚舌の指導者」であることからも歴然である。
 また、悪書では日寛上人の『三宝抄』の、
  日興上人嫡々写瓶の御弟子なる事分明なり。故に末法下種の僧宝と仰ぐなり。爾来日目日道代々咸く是れ僧宝なり、及び門流の大衆亦爾なり云云。(歴全四三九〇頁)
等の文について僧宝の意義が日興以外にも拡大できることを示唆≠オたものであるとし大石寺門流における末法下種の僧宝は、日蓮から三大秘法の相承を受けた日興をもって随一とするが、それ以降を考えると、歴代法主や門流の僧侶たちも僧宝の一分を担うものとされる三大秘法義が六巻抄等の出版によって広く理論的に公開され、日寛の時代には唯授一人の秘書とされた「御本尊七箇相承」等も出版公開され、しかも曼荼羅本尊の体相や筆法について理解する法主の信仰上の意義が消失した′フに、大石寺門流における金口相承の担い手は在家・出家にわたる可能性があるのだから、現在の状況を鑑みて在家者に伝法者たる意義を認めるのは当然である≠ニして現在は在家が主体的な僧宝であるとするのである。
 これはまさに主客転倒の邪義である。日寛上人が門流の僧侶にも僧宝の意義が具わるとされたのは「嫡々写瓶」即ち、大聖人以来の唯授一人血脈相承が根本にあるが故に、「日興上人(中略)日目日道代々咸く是れ僧宝」と御歴代上人を挙げられるのである。そしてその次に「門流の大衆」と示されるのであり、ここには自ずと血脈相承を根本とする筋目が明らかに拝され、御歴代上人を差し置いて「門流の大衆」が僧宝になる道理など微塵もない。まして血脈付法の御法主上人に背く創価学会のような似非宗教団体の在家者に伝法者たる意義≠ネどあるはずがない。為にする文意のすり替えもいい加減にせよ。
 また、日應上人が
  優婆塞優婆夷に付するも何の妨げか之れあらん(研教二七五一五頁)
と仰せられた意味は、八世日影上人が御相承を伝えるべき人がなく、やむを得ず油野浄蓮という在家者に血脈相承を遊ばされたという伝説について述べられたものである。この伝説について五十九世日亨上人は時代考証の上に、
  油野浄蓮という人は日有上人に関係の深い人であった。ですけれどもね、その年代が、日有上人の晩年に、油野浄蓮がいたんですからね。ですから、その浄蓮に影師が血脈を伝えるとなると年代があわない。(大白蓮華 昭和三一年一一月号一一頁)
と、この伝説が誤伝であることを述べられている。この浄蓮にまつわる伝説が誤伝である以上、浄蓮への相承の有無などは全く不毛の論である。しかし日應上人は、
  鳴呼妄弁者よ汝は之を以って根源の本山、即ち吾が大石寺に於いては血脈断絶せりとでも云ふの意なるか。夫れ鹿を逐ふ猟師が目に山を視ずとは此の謂ひか(研教二七五一三頁)
と仰せられ、木を見て森を見ずの愚を犯すべからずと、血脈を否定せんとする妄弁者を一喝されるのである。その上で、もし血脈を伝うべき弟子がなければ、たとえ浄蓮のような篤信の在家者を新発意として出家させてでも、唯授一人の血脈を伝えなければならないのであるという、令法久住への強い御意を述べられているのである。松岡の言う如き、在家者への血脈相承を是とされているわけではない。

 また、かつては法主のみが奥義を独占し、能化の立場からその一部を門流の僧侶に開陳する、というあり方だったため、僧宝の一分の中にも「法主が上」「大衆が下」という位階が生じていた。しかし現代は、金口相承の三大秘法義が理論的に説明された六巻抄を、誰でも直接に手にとり、学び得る時代である。したがって久遠元初の僧宝の末法出現と規定される日興は別にして、現代の僧宝の一分に〈法主↓一般僧侶↓信徒〉といったヒエラルキーを考えてはならず、どこまでも伝法の功績に即してその軽重がはかられるべきである。もちろん、伝法の任を果たさない法主は僧宝の一分から除外されることになる。大石寺門流の信仰規範とされる「日興遺誡置文」には「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」(全集1618)という条目があって、法主の有謬性が明記されている。この条目のあるかぎり、大石寺法主に僧宝の意義を固着せしめることはできない。
 悪書のこの主張こそ増上慢極まる妄言である。すなわち著者松岡は、日寛上人を一往崇めるようでいて、その実、日寛上人の教えを悪用して自身の己義を構築せんとしているのであり、ここに松岡の腐り果てた性根をみるのである。
 日寛上人は学頭になられてから、また御法主上人になられてからも数多くの御講義を遊ばされ、大石寺では所化から老僧まで、また末寺からも登山して数多くの僧侶が日寛上人より直々の御講義を拝聴したのである。その中の誰が日寛上人と同等の教義理解を得ることが出来たと思ったであろうか。誰一人としてそのようなおこがましい考えを持つ者はいないのである。ただただ有り難いと思って拝聴したのみであったろう。
 さらに悪書では、現代は、金口相承の三大秘法義が理論的に説明された「六巻抄」を、誰でも直接に手にとり、学び得る時代である。したがって久遠元初の僧宝の末法出現と規定される日興は別にして、現代の僧宝の一分に〈法主↓一般僧侶↓信徒〉といったヒエラルキーを考えてはならず、どこまでも伝法の功績に即してその軽重がはかられるべきである≠ニ述べる。しかしこの言は、身の程を知らない井底の蛙の痴言である。『六巻抄』を拝しさえすれば、誰もが僧宝となり、日寛上人に比肩することができるなどとは、彼の大慢婆羅門にもまさる思い上がりと言うほかはない。
 かつて創価学会々長戸田城聖氏が足繁く中野教会(現・昭倫寺)に通い、日淳上人から御法門の講義を拝聴されていたのは何の為であろう。『六巻抄』は「信」を根本とし、読書百遍、さらにその上に先師先達より講義を受け、そして徐々に理解を深めていくものである。その上で自己の理解の及ばない大半の部分について「信」の一字をもって心に刻みつけるものなのである。およそ、御法主上人が本宗の僧俗に対してなされる御説法に対して「ドイツ語聞いているみたい」などと自分の愚かさを棚に上げて居直る池田大作に、深義の『六巻抄』や法門相承書を理解する能力などあろうはずはない。その愚か者を首魁にすえる創価学会や松岡らも同様である。
 また、嫡々付法の御歴代上人を僧宝と拝する能所の筋目を上下関係であると嫌悪し、階級闘争になぞらえてヒエラルキー≠ネどと誹謗しているが、本宗の師弟相対の法門の前に、そのような欺瞞は通用しないのである。日興上人は、
  なをなをこのほうもんは、しでしをたゞしてほとけになり候。しでしだにもちがい候ヘば、おなじほくゑをたもちまいらせて候へども、むげんぢごくにおち候也。(歴全一一八三頁)
と仰せられ、師弟の筋目を正し、血脈付法の正師に随順しなければ成仏が叶わないことを厳格に御指南されている。また、日有上人は、
  貴賤道俗の差別なく信心の人は妙法蓮華経なる故に何れも同等なり、然れども竹に上下の節の有るがごとく、其の位をば乱せず僧俗の礼儀有るべきか(聖典九七三頁)
と、成仏得道においては貴賤道俗の差別はなく平等であるが、僧俗の筋目を正さなければならないと明確に御指南されている。これはヒエラルキー≠ネどと言うものではない。師弟相対というのである。
 悪書では久遠元初の僧宝の末法出現と規定される日興は別≠ネどと述べているが、確かに『当流行事抄』には、
  久遠元初の僧宝とは、即ち是れ開山上人なり。(六巻抄一九七頁)
とのお示しがあり、日興上人を久遠元初の僧宝と規定されている。しかしまた、その久遠元初の三宝は、同時に末法下種の三宝なのであり、末法万年に亘る令法久住の意義においては御歴代上人が結要伝授の任を担われるのである。
 即ち日興上人が「久遠元初の僧宝」と称される所以が、久遠元初自受用身の再誕たる大聖人より仏法の一切を受け継がれた結要伝授によるのと同じく、御歴代上人も大聖人の御内証を受け継がれるところに、末法下種の僧宝という意義が厳然と具わるのである。故に日寛上人は「嫡々付法歴代の諸師」を「僧宝」と明確に規定されている(六巻抄二二五頁)。にもかかわらず松岡は、僧宝は伝法の功績に即してその軽重がはかられるべき≠ネどという、日寛上人がどこにも御指南されていない臭穢芬々の邪義を、日寛上人の仰せであると捏造するのであるから、日寛上人のお怒りは如何ばかりかと拝察申し上げる。松岡は「僧宝」を功績≠ニ立場地位≠ノ分けて考えるという珍説をもって「僧宝」の意義を曖昧模糊にしているが、このような子供だましを考えること自体、まったくたわけ者と言うほかない。
 また悪書では、「日興遺誡置文」には「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」(全集1618)という条目があって、法主の有謬性が明記されている。この条目のあるかぎり、大石寺法主に僧宝の意義を固着せしめることはできない≠ネどと僧宝の論理を有謬か無謬かといった問題にすり替えている。僧宝であるなしと、有謬か無謬かといった問題は全く別次元のものである。大聖人の御真蹟を拝せば、大聖人ご自身が御書の文言を途中で改めたり、誤字を訂正されたりした数々の「見せ消ち」があり、また僅かではあるが誤字も認められる。だからといって大聖人が御本仏ではないということにはならないのである。即ち有謬か無謬かで僧宝か否かが決せられるのではない。これは議論のすり替え、誤魔化しである。また、『遺誡置文』の「時の貫首たりと雖も」の一文は必ず、
  一、衆義たりと雖も、仏法に相違有らば貫首之を摧くべき事。(新編一八八五頁)
の文と対の意義を以て拝さなければならない。一方では「用いない」という受け身の表現であるのに対し、衆義の仏法違背について貫首は「摧く」という強い表現が用いられている。ここに貫首、即ち御法主上人は特別なお立場であられることが明白である。まして、貫首に対し、どこまでも刃向かい己義を押し通して宗門から破門されてもよいなどという道理はない。日顕上人は、

  要するに、宗門は何も、始めからしまいまで「法主に誤謬は絶対にない」などとは言ってないのです。彼等が勝手に誣告しているだけであって、私をも含め、ちょっとした間違い、思い違いぐらいはどこにでもあり、それは正直に訂正すればよいのです。ただし、血脈の法体に関する根本的な意義については、けっして誤りはありません。(創価学会の仏法破壊の邪難を粉砕す六四頁)
と御指南されている如く、血脈を承継される御法主上人が、血脈の法体に関する根本的な意義において誤りを生じるなどということはあり得ないのである。
 さらに言えば、一つの正義の前には、それに敵対する何千、何万の義もすべて邪義となる。故に大聖人の仏法の本義に照らし、己義か否かを判定し最終的に決定できるのは、大聖人以来の唯授一人の血脈法体を御所持される御法主上人以外にはおられないのである。したがって御法主上人に敵対する松岡如き者の主張に正当な道理などあるはずはない。
 ところが現宗門に目を転ずると、相変わらず法主を能化、大衆信徒を所化とみる立場から、法主に僧宝としての特別な地位を与えようと腐心しているようにみえる。宗門独自の三大秘法義が金口相承の秘伝とされ、いまだ理論的に公開されなかった時代ならば、建前上、法主以外に伝法の担い手はいないので、門流全体の願望としてそれも理解できよう。しかしながら現代の状況下で、法主に特別な僧宝の地位を与えることは、僧宝たるゆえんが伝法の功績による、とした日寛の論理の否定に通じてしまう。のみならず、信仰対象としての三宝義の破壊にもつながりかねない。
 ここでも悪書は、とんでもない邪義を述べている。日寛上人が何時何処で僧宝たるゆえんが伝法の功績による≠ニ説かれているのか。はっきり、その文証を出してみよ。そのような御教示は、どこにもないではないか。日寛上人が仰せられてもいない自分勝手な邪義を立て、その上で、宗門が法主を能化、大衆信徒を所化とみる立場から、法主に僧宝としての特別な地位を与えようと腐心している≠ネどと悪態をついている。
 先にも述べたが、「伝法」とは日興上人日目上人以来、御歴代上人が、唯授一人の血脈相承により、下種仏法の法体を継承されることを示す語なのであり、血脈相承を離れては伝法の功績≠ネどないのである。日寛上人は『文底秘沈抄』に、
  宗祖滅度の後地頭の謗法重畳せり、興師諌暁すれども止めず、蓮祖の御心寧ろ謗法の処に住せんや、故に彼の山を去り遂に富山に移り、倍先師の旧業を継ぎ更に一塵の汚れ有ること無し。而して後、法を日目に付し、日目亦日道に付す、今に至るまで四百余年の間一器の水を一器に移すが如く清浄の法水断絶せしむる事無し、蓮師の心月豈此に移らざらんや、是の故に御心今は富山に住したもうなり。(六巻抄六五頁)
と仰せられ「清浄の法水」は「一器の水を一器に移すが如く」に伝承されてきたのであると仰せられている。「一器」より「一器」とは取りも直さず唯授一人血脈相承のことである。日寛上人は唯授一人血脈相承を、未来もまた然るべしとて、一度は日養上人へ、日養上人御遷化に伴い、さらにもう一度日詳上人へと、二度までも唯授一人の血脈相承を遊ばされているのである。松岡は宗門が法主に僧宝としての特別な地位を与えようと腐心している≠ニ言うが、日寛上人は日養上人・日詳上人に対して、大衆には示されなかった唯授一人の「特別」な御相承を遊ばされたではないか。代々の御法主上人は他の何人も所持し得ない大聖人以来の唯授一人の秘法を所持される御境界の上から、住持の僧宝として一宗を統率される特別な地位やお立場があることは自明である。これこそ真正の「日寛上人の論理」である。文意を歪曲し日寛の論理≠ネるものを捏造し日寛の論理の否定∞信仰対象としての三宝義の破壊≠行っているのは他ならぬ松岡である。
 具体的に示してみたい。現宗門では三宝に一体・別体・住持の三種類を立てる。それによって、住持の僧宝としての歴代法主の尊厳性を浮かび上がらせ、その尊厳性を三宝一体の立場から究極化するのである。ここで問題なのは、僧侶崇拝の論理としての「住持の僧宝」の強調であろう。
 大石寺門流では、江戸時代の檀家制度が定められた頃、それまでにはなかった三宝論の強調が始まった。小林正博氏によると、「まさに各寺院が檀家制度を徹底する時期、すなわち寛文九年(一六六九)の宗門改め、寛文十一年(一六七一)の宗旨人別帳作成直後の一六八〇年に法主となった日俊」が三宝論、なかんずく僧宝論を強調し始めたという。日俊は「初度説法」の中で「住持の僧宝は末法の宝也。尤も敬ひ尊重すべき也」「末代真実の僧宝は本門寿量本化の末流日興の末弟に限るべき也」(歴全381)と述べ、住持の僧宝論を用いるとともに、「日興の末弟」たる歴代法主以下の僧侶を「僧宝」として崇敬すべきことを檀家に説き示した。日俊における住持の僧宝論は、檀信徒に現実の僧侶を崇敬させ、檀家制度の定着をはかるための思想装置として導入された節がある。ちなみに一体三宝・別体三宝・住持三宝という論の立て方は仏教一般の思想であり、このうち住持三宝とは「末代までも世に保存されてとどまる三宝」をいう。「住持」という言葉からは観念論的な僧宝ではなく、現実的な僧形の人が連想されよう。加えて「住持」は寺院住職を指す言葉でもあるので、僧侶崇拝の根拠づけとしてはまことに好都合と言える。いずれにしろ、檀家制度の定着とともに、大石寺門流では僧侶崇拝の論理としての三宝論が唱えられていった。
 次に悪書では大石寺門流では、江戸時代の檀家制度が定められた頃、それまでにはなかった三宝論の強調が始まった≠ネどと述べ、大石寺門流において三宝を尊信することが江戸時代、作為的に強調されたものであると述べている。この言い分こそ、平成三年の破門以降、最近になって創価学会により捏造・強調されてきた正真正銘の邪義である。池田大作はかつて、
  「僧宝」とは、今日においては日興上人より唯授一人の法脈を受けられた御法主上人猊下であられる。(聖教新聞 昭和五三年二月二六日付)
僧宝とは第二祖日興上人の御事であられる。そして南無妙法蓮華経の大法は、第三祖日目上人、御歴代の御法主上人へと受け継がれ、現在では御当代御法主日顕上人猊下に御相承なされている。本門戒壇の大御本尊を信じ、仏祖三宝尊への報恩感謝が、信心の根本なのである。(広布と人生を語る六一九八頁)
との指導を行っているのである。松岡も堕落僧として池田大作の茶坊主に徹するつもりなら、この言葉をよく心得るべきである。
 三宝、就中僧宝を尊信すべき理由について大聖人は『四恩抄』に、
  僧の恩をいはゞ、仏宝・法宝は必ず僧によて住す。譬へば薪なければ火無く、大地無ければ草木生ずべからず。仏法有りといへども僧有りて習ひ伝へずんば、正法・像法二千年過ぎて末法へも伝はるべからず。(新編二六八頁)
と御指南遊ばされている。江戸時代はいうに及ばず、大聖人の仏法を現当に久住せしめるべく「習ひ伝へ」ておられるのは、大聖人正統の後継者である御法主上人なのであり、そのことは未来永劫不変の道理である。また総本山九世日有上人は、
  手続の師匠の所は、三世の諸仏高祖已来代々上人のもぬけられたる故に、師匠の所を能く能く取り定めて信を取るべし、又我が弟子も此くの如く我に信を取るべし、此の時は何れも妙法蓮華経の色心にして全く一仏なり、是れを即身成仏と云うなり云云。(聖典九七四頁)
と、御歴代上人には大聖人の御命がもぬけられ、現在大聖人の御命は自分に宿っているのであるから、自分に信をとるようにと御指南されている。日有上人は室町時代の方である。何故日有上人が「我に信を取るべし」と仰せられたのか。即ち日有上人の御指南は、御歴代上人を「僧宝」として尊信せよと仰せられたものであり、日俊上人の御指南は、これと軌を一にするものである。松岡よ、大石寺門流において七百年来、御歴代上人を僧宝と拝してきたことは紛れもない「事実」なのであり、松岡がいかに邪智を凝らして大石寺門流では、江戸時代の檀家制度が定められた頃、それまでにはなかった三宝論の強調が始まった日俊における住持の僧宝論は、檀信徒に現実の僧侶を崇敬させ、檀家制度の定着をはかるための思想装置として導入された≠ネどと述べても、七百年来の僧宝尊重という厳然たる歴史を否定することはできないのである。
 また「住持」という言葉からは観念論的な僧宝ではなく、現実的な僧形の人が連想されよう。加えて「住持」は寺院住職を指す言葉でもあるので、僧侶崇拝の根拠づけとしてはまことに好都合と言える≠ネどとも述べているが、「住持」という言葉には、
  (1)仏法をとどめたもって護持すること。
  (2)一寺の主長である僧。住職。(広辞苑)
という一般的にも歴とした二通りの意味が存在するのである。また日顕上人は「住持の僧宝」について、
  この「住持」というのは、「永住久持」ということで、すなわち「永く住し、久しく持つ」ということです。(大白法 平成一六年八月一日付)
と御指南されている。即ち、宗門に「住持」という語の持つ二つの意味を混同させ僧侶崇拝の根拠づけ≠ニしてきた歴史など毛頭ないのであり、斯様な言いがかりを「下司の勘ぐり」というのである。松岡は池田大作が「住持の僧宝」であられる御法主上人を嫉妬している、その意に諂い、誣言を弄しているのであろう。
三一世・日因の代になると「当宗出家の当体即仏法僧三宝なる」「僧宝を供養すれば自ら仏界の供養となる義なるべし」(要1192)などとして、ついに僧侶崇拝が三宝一体の論理をもって徹底されるに至っている。われわれは、現宗門の三宝一体論がこの日因の主張と同一の思想構造を持っていることに、いささか驚きの念を禁じ得ない。
 松岡の狡さには驚きの念を禁じ得ない。先にも述べたが日寛上人は『三宝抄』に、
  日目日道代々咸く是れ僧宝なり、及び門流の大衆亦爾なり云云。(歴全四三九〇頁)
と、僧宝とは日興上人、御歴代上人、ひいては門流の僧侶であると明確に仰せられている。この日寛上人の御指南を先ほどは僧宝の拡大解釈を示唆≠オたものであるとして肯定的に用いておきながら、日因上人の、
  当宗出家ノ当体即仏法僧三宝なるが故(富要一一九二頁)
との御指南を、さも僧侶崇拝≠強要するものであるかのごとくにこき下ろしている。まことに恥を知らない自分勝手な言い分である。
 日因上人の当該箇所の御指南は『有師物語聴聞抄佳跡』の中で、日有上人の、
  盂蘭盆と申す事は(中略)親の為には僧を供養すべし、其故は仏事トは無縁の慈悲に住する所なり、無縁の本体が出家なり、されば仏事には僧を供養するなり(同一九一頁)
との仰せを受けて、
  日因私に云く(中略)今ノ文ニ無縁慈悲の本体の出家と云うは、当宗出家ノ当体即仏法僧三宝なるが故、又本理を以て法と為し、智慧を以て仏と為し、慈悲を以て僧と為る故に、僧宝を供養すれば自ら仏界の供養となる義なるべし(同一九二頁)
と御指南されたものである。つまり日因上人は、先祖の供養のためには、正法の僧に供養を捧げることが、三宝全体、延いては仏を供養したことになり、それによって先祖に回向されるという趣旨をお述べになられているのである。これは僧侶崇拝≠あおるものでも何でもない。当然の御供養の意義を述べられたまでである。創価学会会長戸田城聖氏の御供養についての指導を刮目してみるがよい。
  御僧侶に対する供養は、仏に対する真心を現すものであり、御僧侶は大聖人に代わって、これをお納めになるのであって、供養は、純真なものでなくてはならない。(戸田城聖全集一六二頁)
 かつての創価学会では、御供養についてこのように指導していたのである。松岡の悪逆無道な言動との違いをよく噛みしめよ。
現宗門の法主である阿部日顕氏は、平成九(一九九七)年八月に行われた「全国教師指導会」で、日寛の「三宝抄」の一文に関連して「創価学会が、時の法主を「尊信の対象ではない」などと貶めることは、三宝一体の深義を指南された大聖人、日寛上人に背く大謗法、と言うべきなのです」と述べている。阿部氏の主張は、僧侶崇拝を根拠づけるために三宝一体を説くという点で、「当宗出家の当体即仏法僧三宝なる」という日因の論と大同小異である。
 そのうえで、阿部氏が「三宝抄」の三宝一体義を用いて法主崇拝を高唱することは、看過できない逸脱である。日寛の「三宝抄」では、次のように三宝一体の意義が説き示される。

問う、三宝に勝劣有りや。答う、此れ須く分別すべし。若し内体に約せば実には是れ体一なり。所謂法宝の全体即ち是れ仏宝なり故に一念三千即自受用身と云い、又十界互具方名円佛と云うなり。亦復一器の水を一器に写すが故に師弟亦体一なり、故に三宝一体也。若し外相に約せば任運勝劣あり。所謂、仏は法を以て師と為し、僧は仏を以て師と為すが故なり。故に法宝を以て中央に安置し仏及び僧を以て左右に安置する也(歴全4392〜393)。

 日寛によれば、大石寺門流の三宝論は、外相の面では法・仏・僧の順に勝劣を定めているが、内体では三宝一体と説く。この三宝論を根拠に、阿部氏の意を汲む現宗門は、唯授一人の僧宝の意義を有する法主が戒壇本尊(法宝)や本仏日蓮(仏宝)と本質的に一体である、と主張するのである。しかし、この「三宝抄」の文で言われる「僧」とは、信仰対象として曼荼羅本尊の傍らに「安置」される僧宝、すなわち末法下種の僧宝である日興のことに他ならない。それゆえ阿部氏のごとく、信仰対象としての三宝一体を論じた日寛の文を盾に、法主への尊信を説くなどは解釈的な逸脱、混乱も甚だしいと言うべきである。
 ただし、信仰対象という見方から離れ、伝法の歴代法主の姿に三宝一体に通ずる尊厳性を見出すというのならば、宗門古来の伝統のうえから容認すべき面もあろう。だがその場合でも、法主のみに三宝一体に通ずる尊厳性を認めるような主張は、今日の実情に反している。現代では、出家も在家も等しく金口相承の三大秘法義を信解し、ともに公開されている本尊相承書を読み、主体的に伝法の任を果たしている。否、伝法と弘法とが表裏の関係にあるとすれば、現代の実質的な伝法の主体者は、客観的にみて、世界に三大秘法を弘宣した創価学会である。三宝一体に通ずる尊厳性が認められるべきは、むしろ在家の創価学会員の方であろう。もし宗門がここに至っても、檀家制度の残滓を引きずりながら「三宝一体だから、時の法主を尊信せよ」などという硬直化した態度を崩せないならば、伝法の功績をもって僧宝たるゆえんとした日寛の論理を実質的に否定したのも同然である。
 ここで悪書は、「三宝抄」の文で言われる「僧」とは、信仰対象として曼荼羅本尊の傍らに「安置」される僧宝、すなわち末法下種の僧宝である日興のことに他ならない。それゆえ阿部氏のごとく、信仰対象としての三宝一体を論じた日寛の文を盾に、法主への尊信を説くなどは解釈的な逸脱、混乱も甚だしいと言うべきである≠ニ、またしても日寛上人の御指南を己義正当化の為に恣にしている。悪書が引用している『三宝抄』の、
  亦復一器の水を一器に写すが故に師弟亦体一なり、故に三宝一体也。(歴全四三九二頁)
との御指南は、『文底秘沈抄』の、
  今に至るまで四百余年の間一器の水を一器に移すが如く清浄の法水断絶せしむる事無し(六巻抄六六頁)
との御指南と併せて拝せば、御歴代上人全体を指して「三宝一体」であると仰せられていることが明らかである。つまり、日寛上人は「一器の水を一器に写すが故に師弟体一・三宝一体」(三宝抄)であると仰せられているのであるから、「一器の水を一器に移す」(文底秘沈抄)御歴代上人をも三宝一体であると仰せられていることは明々白々である。松岡ら創価学会の邪義こそ、俗に「頭隠して尻隠さず」と言うのである。解釈的な逸脱、混乱も甚だしい≠ニの言は、自らの首を絞める言辞と心得よ。
 松岡は自分でもあまりにこじつけが過ぎたと思ったのか、伝法の歴代法主の姿に三宝一体に通ずる尊厳性を見出すというのならば、宗門古来の伝統のうえから容認すべき面もあろう。だがその場合でも、法主のみに三宝一体に通ずる尊厳性を認めるような主張は、今日の実情に反している≠ニ述べているが、馬脚を露すとはまさにこのことである。御歴代上人を三宝一体と拝することは、伝統のうえから容認すべき≠ナあるが、今日の実情に反している≠ニ言うのである。
 つまり松岡が先より日寛上人の御指南を切り文にして構築してきた邪義は、本宗本来の伝統法義を都合よく利用して、結局は異流邪義と化した創価学会の今日の実情≠反映させたいが為に述べていたのである。これを「ご都合主義」と言わずして何と言おう。即ち悪書に縷々述べられている内容は、創価学会の今日の実情≠ノ合わせて捏造された邪義であることを自ら吐露しているのである。所詮謗法者はこのようなぶざまな失態を犯すものである。
 また現代の実質的な伝法の主体者は、客観的にみて、世界に三大秘法を弘宣した創価学会である。三宝一体に通ずる尊厳性が認められるべきは、むしろ在家の創価学会員の方であろう≠ネどと、たわけた世迷い言を述べているが、日達上人は、
  日蓮正宗の教義でないものが、一閻浮提に広がっても、それは、広宣流布とは言えないのであります。(大日蓮 昭和四九年八月号一九頁)
と仰せられ、日蓮正宗の教義ではない創価狂学がたとえ広まったとしても、それは「広宣流布とは言えない」と明確に御指南されている。つまり、今創価学会が行っている「布教」なるものは、邪教を蔓延させるものであって、その創価学会に三宝一体に通ずる尊厳性≠ネどあろうはずがない。創価学会にあるのは「地・餓・畜の三途に通ずる非道性」のみなのである。
 重ねて述べておくが伝法の功績をもって僧宝たるゆえんとした日寛の論理≠ネるものは、どこにも存在しない創作による邪義である。日寛上人の仰せは、血脈相承が令法久住の根源であることを明確に御指南されているのであり、伝法の功績は血脈を承けられた御法主上人に自ずと具わるものなのである。
 現代の大石寺門流は、久遠元初の僧宝・日興という基本信条は墨守したうえで、能力論的立場を前面に押し出した僧宝論を確立すべき段階に立ち至っているのである。
 当項の最後に、悪書はさらに「ご都合主義」の邪義を開陳する。しかし、迷乱した松岡などに大石寺門流の僧宝論について面倒を見てもらう必要はまったくない。つまるところ、松岡は能力論的立場を前面に押し出した僧宝論を確立すべき≠ネどとして、現代の僧宝が在家信者=Aつまり池田創価学会であると言いたいのである。
 昭和五十二年路線の折、池田大作は一部の会員に「記別」なるものを与えて悦に入っていたようであるが、なるほど当時の池田大作は能力論的立場≠ゥら自分には「記別」を与える権限があるとでも思いあがっていたのだろう。このことは、「成仏記別証」なるものの池田大作の悪筆と相まって、まことに滑稽であったが、与えた本人も、もらった学会員も、どちらも堕地獄必定なのであるからお目出度いと言うほかあるまい。
 今まで縷々述べてきたように、能力≠ニいう点で言うならば、創価学会の能力≠ヘ邪教を蔓延させ、謗法の害毒をまき散らすだけの能力≠オかない。創価学会に大聖人の仏法を弘める能力≠ェあるなどというおこがましいことをゆめゆめ考えてはならない。末法の一切衆生が信伏随従すべき真実の僧宝は、日寛上人も御指南されている如く、日興上人を随一とする御歴代上人でしかありえないと重ねて述べておく。




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