松岡幹夫の傲慢不遜なる十項目の愚問を弁駁す

今回送られてきた愚問は、自由勝手な自己論文でなく、特定の個人である御法主上人への質問である。しかるにその中で、御法主上人の三宝尊信のお心をも忖度せず、おこがましくも御本仏日蓮大聖人以下、日蓮正宗総本山歴代上人を呼び捨てにするという侮辱の不徳義を犯している。故にこの不徳漢にたいする弁駁中の用語は、敬称的呼称を用いず「汝」の語を以て行う。

 今般、御法主日顕上人猊下宛に汝から再び文書が届けられた。研究調査に対する協力のお願い≠ニ題する添付の挨拶状は、日本宗教学会会員・日本印度学仏教学会会員、学術博士≠フ肩書が付されており、一見して学者の立場からの学術的な質問であるかのように装っている。
 しかし汝はその御法主上人宛の書面を、そのまま宗内の僧侶にも送りつけた。個人に対して行った、研究調査に対する協力のお願い≠、その相手の許可もなく他人に配布することが、研究調査を行う学者の態度として許されるのか。少なくとも世間ではこんな非常識は通用しない。
 更にまた、一体どこの世界に、自己の研究調査への協力をお願いするのに、相手の都合も聞かずに、一箇月以内に回答せよなどと期限を切ったり、しかも、回答のない場合には回答不能の意思表示≠ニ見なす、などという脅迫めいたお願いをする学者がいるか。
 これらのことは、汝が肩書に相応しからぬ、邪教創価学会の宗門誹謗の手先となっている似非学者であることを自ら証明するものである。
 次に汝は、先の我ら日蓮正宗青年僧侶邪義破折班の回答『離脱僧松岡雄茂の 本宗の唯授一人血脈相承に対する邪誑の難を粉砕す』に対して、学術的回答ではなかった≠フで残念に感じて≠「ると述べ、今回は学問研究の発展に資する≠スめとして回答を要求している。要するに、前回の我らの詰問と破折に対してまともに回答も反論もできないにもかかわらず、さらに学術的に回答せよなどと、御法主上人に言い掛かりをつけているにすぎない。このような矛盾背徳きわまる汝如きは、正法の大宗門を統率あそばす御法主上人が、まともに応え給うに足る者ではない。身の程を知れと告げておく。
 ここで汝に教えておく。それは仏教は学術≠竍学問≠フ次元では深奥の真義に到達することはできないことである。釈尊仏教の真髄が法華経であることはいうまでもないが、この法華経は難信難解であり、法華経を領解する上で第一に強調されることが「信」であることの意味を深く知らねばならない。単に仏教を学術≠竍学問≠フ次元で捉え研究している世間の仏教学者に、人間を煩悩・業・苦の三道から救う力はない。
 まして、末法の一切衆生を救済遊ばされる御本仏日蓮大聖人の仏法は、法華経文底下種の大法であり、ただ「以信代慧」の信心によってのみ領解が叶う。御本仏日蓮大聖人が開示遊ばされ、日蓮正宗に正しく伝承される下種三宝に不信を懐きつつ、学術的、学問的な回答を求める汝に、日蓮大聖人の下種仏法の奥義を領解することは、決してできないと伝えておく。
 その上で、我ら日蓮正宗青年僧侶邪義破折班は、衆生無辺誓願度の精神に則り、汝をはじめ創価学会員の蒙を啓くため、許される範囲で回答に応ずることとする。



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