1 循環論法の誤謬について≠破す

 最初の項目である本項で汝は、現日蓮正宗の主張は、学問的にみると循環論法に陥っているのではないでしょうかあなた方は常に、歴代法主の専権的な立場を歴代法主の文言によって正当化しようとします。単純な循環論法であり、検証も反証も不可能な、自己完結している議論と言わねばなりません≠ニ述べて、日蓮正宗の主張を循環論法とすることによって、これを根底から否定しようとしている。しかし当方は御法主上人の文証のみで御法主上人の正当性を論証しているのではなく、まず第一には宗祖日蓮大聖人の御書を基本とし、同様に大聖人の金口を留められた御相伝書、さらに御歴代上人の御指南をもって論証しているのである。
 ところが汝が当方の主張を循環論法とする理由は、予め断っておきますが、あなた方は、たしかに法主の権能を宗祖のいくつかの言説によっても根拠づけようとしています。しかし日蓮文献に関する研究上の定説では、それらはすべて後人の偽作か加筆であり、循環論法を脱しているという有力な根拠になりえません≠ニ述べるところにある。すなわち当方が論証に用いた宗祖日蓮大聖人の御書や御相伝書を後人の偽作か加筆≠ニするのである。しかし、どの御書や御相伝書が、どのような理由で偽作≠ネのかや、どの箇所が加筆≠ナあって、なぜそれが論証に不適切なのかは明記していない。全く非論理的な記述である。このようなふざけた理由で当方の主張を否定することはできない。
 特に相伝について『日蓮一期弘法付嘱書』と『身延山付嘱書』はその根本であり、これより血脈相承のすべてが伝承されている以上、循環論法(論証)などの言い掛かりこそ詭弁という外はない。汝のいう循環論法はアリストテレスの形式論理学上の多くの虚偽論論旨中の僅か一部分であり、その他にも多くの虚偽が論じられている。ところで汝の循環論法をもってする血脈批判説はそれ自体迷妄であると共に、かえってアリストテレスの虚偽論中の、「観察に関する虚偽」「軽率な概括による虚偽」「論点相違即ち的外れの虚偽」に該当していると思われる。汝はアリストテレスの俄か弟子としても余りに杜撰であり、自らを破す愚の骨頂というべきである。
 しかも、汝の説は、これまでの創価学会の主張と相反している。なぜならば、当方が引証した御書や相伝書は、総本山第五十九世日亨上人の編纂された『御書全集』や『富士宗学要集』等に収録されているが、創価学会はこれを出版して依用しているではないか。また加筆部分については、池田大作も「百六箇抄講義」のなかで、
本抄には、歴代の法主上人が「百六箇抄」を拝読された折り、一種の「覚え書き」として挿入、付加された部分が織り込まれております。歴代の法主上人が、日蓮大聖人の血脈を受けられ、大聖人の口伝を一点の誤りもなく後代に伝える意味もあって、「百六箇抄」の行間、本抄の前後、各項目の注釈等として書き込まれたものであります。故に、この部分も、私たちが大聖人の口伝を体得していくうえにおいて、不可欠の記述といえましょう。
 この講義にあたっても、百六箇条の口伝はもとより、代々の法主上人が記述された個所も、すべて日蓮大聖人の金口として拝していきたい(大白蓮華 昭和五二年一月号二〇頁)
と述べているからである。
 そこで汝に反問する。汝はこの池田の言に対し自らの意見として肯定か否定かをはっきり論ずると共に、その理由を述べよ。さらに大聖人の文献の何が偽作なのかを、その理由と共に明示せよ。またどの部分が加筆なのかを明示し、なぜそれが論証として不適切なのか理由を述べよ。そしてそれは、創価学会の公式見解なのか、それとも汝の私的見解なのかを明らかにせよ。



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