6 大石寺の唯授一人相承の永遠性について≠証明す

 汝は、当方が『邪誑の難を粉砕す』において、
そもそも仏法は付嘱の次第により正しく流通されてきたのである。付法蔵二十四人の仏法付嘱、釈尊より滅後末法の弘通を託された地涌の上首上行への結要付嘱、大聖人から日興上人への御付嘱、さらには日目上人以来御歴代上人への相承は、みな唯授一人の付嘱である。(一五六頁)
と述べたことに対して、しかし、釈尊以来の「付法蔵」は「二十四人」で断絶し、中国における天台智から章安への付法も、中興の妙楽を経ていつしか形骸化していきました。また日本天台では伝教から義真への仏法相承が慈覚の代になって早くも異流義化した、というのが日蓮の見方です。天台も、伝教も、日蓮も、むしろ歴史的現実としての血脈相承を受けずに仏法を立てて弘通しています≠ネどと述べ、いかにも大聖人がそのような見解のみしかお持ちでなかったかのように誑惑するが、それは大聖人の御指南の一部に執われた偏見である。なぜならば、大聖人は『下山御消息』に、
如来は未来を鑑みさせ給ひて、我が滅後正法一千年像法一千年末法一万年が間、我が法門を弘通すべき人々並びに経々を一々にきりあてられて候。(中略)所謂我が滅後、次の日より五百年が間は一向小乗経を弘通すべし。迦葉・阿難乃至富那奢等の十余人なり。後の五百余年は権大乗経、所謂華厳・方等・深密・大日経・般若・観経・阿弥陀経等を、馬鳴菩薩・竜樹菩薩・無著菩薩・天親菩薩等の四依の大菩薩・大論師弘通すべし。(中略)像法一千年の内に入りぬれば月氏の仏法漸く漢土・日本に渡り来たる。世尊、眼前に薬王菩薩等の迹化他方の大菩薩に、法華経の半分迹門十四品を譲り給ふ。(中略)所謂迹門弘通の衆は南岳・天台・妙楽・伝教等是なり。(新編一一四〇頁)
と仰せられていることからも明らかな如く、釈尊滅後正法時代に仏法を弘通した付法蔵の二十四人、像法時代に仏法を弘通した南岳大師、天台大師、妙楽大師、伝教大師等の四依の大士は、何れも教主釈尊よりそれぞれの時代における仏法弘通を付嘱せられたからこそ、その付嘱に則って出世され、それぞれ付嘱の任を全うなされたのである。つまり、正法像法時代におけるそれぞれの人師による弘通も、釈尊より託された仏法の付嘱に基づいて一切がなされたのである。しかして、白法隠没と経文に説かれるとおり、釈尊滅後、正法像法時代の本已有善の衆生の化導が終わり、脱益仏法により救われる機根が無くなれば、釈尊の仏法が滅尽することは、むしろ当然なのである。
 しかし、教主釈尊は、滅後末法の仏法弘通を、神力品において、地涌上行菩薩に付嘱された。大聖人は、そのことについて、『三大秘法抄』に、
此の三大秘法は二千余年の当初、地涌千界の上首として、日蓮慥かに教主大覚世尊より口決せし相承なり。今日蓮が所行は霊鷲山の稟承に介爾計りの相違なき、色も替はらぬ寿量品の事の三大事なり。(新編一五九五頁)
と仰せられているように、外用上行菩薩の再誕である日蓮大聖人が末法に御出現遊ばされ、末法五濁闘諍の時代を御化導遊ばされるのである。
 さらに、大聖人が、『日蓮一期弘法付嘱書』に
日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。(新編一六七五頁)
と示され、また御相伝書である『百六箇抄』に、
直授結要付嘱は唯一人なり。白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之を残さず、悉く付嘱せしめ畢んぬ。上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。(同一七〇二頁)
と仰せられている如く、釈尊の脱益仏法の正像二千年での滅尽とは違い、末法万年に亘る下種仏法においては、大聖人の御法魂在す本門戒壇の大御本尊と、唯授一人の御付嘱による金口嫡々の血脈法水は永劫に存続するのである。
 それに対して、汝が大石寺の血脈相承も何時か必ず断絶もしくは形骸化し、しかる後に自解仏乗の悟り、己心の内相承によって仏法を復興する人物が出現する≠ネどという途方もない邪義を述べることは、正像二千年に滅尽する釈尊仏法と、末法万年尽未来際に到る下種仏法を混同せしめるものであり、末法の弘通の方軌を定められた御本仏大聖人を冒涜するところの無慚極まりない悪言である。故にまた、末法においては御本仏大聖人以外に、自解仏乗の悟りを遊ばされるお方は居られないのである。よって、自解仏乗の悟りを得る人が今後出現することも絶対にない。そのような下劣なことを考えつくのは、創価外道ぐらいのものであろう。まさか、勲章マニアの汝らの首魁池田大作を自解仏乗の悟り、己心の内相承によって仏法を復興する人物≠ネどと定義付けるつもりか。それなら汝の眼は、牛羊以下の愚かさである。
 さて、汝は文献学的に承認された日蓮文書を基に≠ニいうが、それはどのような基準によって選び出された御書を指すのか。身延の学者同様に、御相伝書を大聖人の御指南と見なさないということなのか。ならば汝に質問するが、汝は、御書全集にも収録され、また池田大作がかつて講義をしたこともある『御義口伝』『百六箇抄』を、大聖人の正当な御指南と認めるのか、認めないのか。認めないというのなら、それらを得々と講義した汝らの首魁池田大作と相談して、その理由を公表することが先決であると申し渡しておく。
 また汝は、日顕上人の御相承について、本当に相承の儀式が行われたかどうか≠ネどというが、これまでも汝らに教えてきたとおり、本宗の御相承については、時代や状況により様々なあり方が存したのである。したがって、御相承の有無と儀式の有無とは、全く別次元のことである。そもそも血脈相承をお受け遊ばされた御当人であられる日顕上人が、日達上人より血脈をお受けした、と仰せられており、そのことは御登座以来の御法主のお立場におけるあらゆる宗門教導のお姿が証明しているのである。もとより金口嫡々の血脈相承は唯我与我の御相承なのであるから、余人の全く伺い知るところではない。しかるに汝は血脈相承に先立って行われるはずの「師弟の契約」≠ネどと、さも御相承の儀式を知っているかのようにいうが、甚深の御相承の義に関して、知りもしないことをいい加減にいうものではない。汝が傾倒する池田大作は、かつて
第六十七世御法主日顕上人猊下に、この絶対なる血脈は、厳然と承継されているのである。だれ人がいかなる非難をいたそうが、これは侵しがたき、明確なる事実なのである。 (広布と人生を語る二─一二三頁)
と述べていたが、この「だれ人」が汝に当たるか否か、大作に聞いてみよ。
 また汝は師匠たる細井氏が精魂込めて作った大客殿、正本堂、庭園などを軒並み壊していった≠ネどという言い掛かりを付け、建造物の解体を理由に御相承の有無を論じているが、これも牽強付会の暴論である。
 大客殿は耐震構造上の不備により、下種三宝尊と御信徒の安全を慮って建て直されたものであり、また正本堂は、寄進者池田大作の謗法の邪念に汚されたが故に、本門戒壇の大御本尊を清浄なる奉安殿に御遷座申し上げ、これにより無用の長物と化した堂宇を解体したものである。これらの何れも、世法上、仏法上からの当然の措置であったことはいうまでもない。
 また汝は、あなたは法主就任後、(細井氏が丹精を込めた大奥の)庭園を即座に壊し、自分好みに作り変えています≠ネどというが、大奥の庭園は、昭和六十三年十月七日に落成した六壺の新築に伴って、限られたスペースの上から、その景観に相応しい庭園として造成されたものである。六壺の新築落成法要には池田大作も出席し祝辞を述べており、六壺の新築に伴い純日本式庭園が造成された旨の八木主任理事の経過報告を聞いていたではないか。さらには、汝も、その当時大坊に在勤しており、それらの状況を目の当たりにしていたのである。故に汝の言は、故意による悪質な誹謗に過ぎない。
 また汝はあなたがなぜ細井氏の弟子の集まりである妙観会に自ら参加し、同会を積極的に支援しないのか、この点も甚だ疑問≠ネどというが、宗門に関し素人丸出しの短見が、この愚問に表れている。宗門の師弟のあり方には、そもそも二通り存するのである。一つは全僧俗が大師匠であられる御法主上人を師匠と拝し奉ることであり、もう一つは出家得度を許された直接の師を師匠と拝することである。すなわち、妙観会とは、日達上人より得度を許された直接の御弟子方の集まりであり、日顕上人の直接の師匠は別の方であるから、当然日顕上人は妙観会に所属されてはいないのである。所属されていなければ、その会の会合に出席すべき理由がないではないか。
 また御法主上人は、全宗門を統率するお立場であり、全宗門人の師匠であられる。よって宗内には、日達上人の御弟子を含め、それ以外の方や直弟も大勢おられるのであり、全宗門人を全て平等にご覧遊ばされるのである。
 なお、御登座以来二十五年余の長きに亘り、日蓮正宗総監として日顕上人にお仕えした藤本日潤御尊能化は、日達上人の一番弟子であられたことを教えておく。
 宗門のことを何も知らない汝如き、僧道を途中で断念した半端者に、宗内のことを云々する資格など全くないことを告げておく。



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